ガンバレ!吹奏楽部!ぶらあぼブラス!vol.9
和歌山県立星林高等学校吹奏楽部

コロナ禍も3年が過ぎ、ぶらあぼ編集部では多くの音楽家から吹奏楽部の苦難の状況を耳にしてきました。そこで吹奏楽と言えばこの方、吹奏楽作家のオザワ部長が吹奏楽部を応援するこのシリーズ。音楽へひたむきな情熱を燃やす若者の姿は、見ている私たちも元気にしてくれます。

天皇陛下の歌に詠まれた吹奏楽部員たち

取材・文・写真:オザワ部長(吹奏楽作家)

 2023年1月18日、皇居で新年恒例の「歌会始の儀」が行われ、こんな歌が披露された。

《コロナ禍に友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み》

 作者は、天皇陛下。そして、この歌の中に登場する「生徒ら」は、実在の高校生たちを指していた。
 和歌山県立星林高等学校吹奏楽部のファゴット担当・近西椛(もみじ)、コントラバス担当・末永浩輝、パーカッション担当・有本昴史(たかし)の3人だ。

 浩輝は、自宅で歌会始の儀の様子を放送するテレビ番組を見つめながら、こう思った。
「天皇陛下は俺たちのことを覚えていてくださったんやな……」
 浩輝の胸に、いまでも信じられない「あの出来事」が蘇った。

 顧問の森貞昌春先生が指導する星林高校吹奏楽部は、2022年度までに吹奏楽コンクールで関西大会A部門に21回、マーチングコンテストでも関西大会に12回出場している和歌山のトップバンドのひとつだ。

 椛、浩輝、昴史の3人は、学校名のとおり星のように輝く演奏に魅せられ、星林高校に入学を決めた。ステージ衣装である青いラペルに星の模様があしらわれた白ジャケットを身につけて、吹奏楽コンクールや定期演奏会で演奏するのが夢だった。

 ところが、その年——2020年はコロナ禍元年。部活は様々な制限を課され、吹奏楽コンクールやマーチングコンテストも中止になった。座奏もマーチングも全員で揃えることが大事なのに、全員で集まることがなかなか許されない。

「先輩や同期と仲良くなりたかったのに、一緒にご飯も食べられやんし、マスクしてるとみんなが何考えてるかわからんくて怖いな」
 昴史はそう思った。一時は部活へのモチベーションが下がってしまったこともあった。
 椛や浩輝にとっても、期待していたような高校生活とはほど遠い毎日が続いた。

 2021年、3人は高2になった。
 この年は10月末から和歌山県で「紀の国わかやま文化祭2021」が開催されることになっていた。星林高校吹奏楽部も清水大輔作曲《エルトゥールル号の記憶》、エドワード・ウッダール・ネイラー作曲(大橋晃一編)《序曲『徳川頼貞』》の2曲で参加することになり、練習を続けていた。

 9月のことだ。本番までまだ日数があるのに、森貞先生が「ホールで演奏を録画する」と言い出した。椛は不思議に思った。

「練習やのに、なんで録画するんやろ?」
 きれいにステージを掃除し、星模様のついた衣装を身につけ、わけもわからずに演奏をした。

 内情を知っているのは森貞先生だけだった。
 本来なら「紀の国わかやま文化祭」の開会式に天皇皇后両陛下がご臨席される予定だったが、コロナ禍のため皇居からリモートでのご臨席となる。その際、出場団体のひとつとして星林高校吹奏楽部の部員と対話されることが決まっており、事前に演奏動画を宮内庁へ送ることになったのだ。

 そして、両陛下と交流する部員として森貞先生が選んだのが、椛と浩輝、昴史だった。
 椛はポジティブでコミュニケーション能力が高く、浩輝はムードメーカーで知性的、昴史は優しくて気遣いができる。「この3人なら、星林の代表を任せられる」と森貞先生は判断したのだ。

森貞昌春先生

 10月、「紀の国わかやま文化祭2021」の開催とともに、3人がリモートで天皇皇后両陛下と交流するときがやってきた。記者会見のようなテーブルとマイクが用意され、改めて事の重大さを感じた3人は緊張に震えた。

 モニタの向こうには両陛下の姿があった。椛は天皇陛下からコロナ禍での部活動の大変さを尋ねられた。なかなか全員で練習できず、大人数での活動の醍醐味が味わえないものの、それでも仲間と一緒に重ねた時間は一生の宝物になると思う、といったことを椛はお話しした。

 浩輝は、ビオラ奏者でもいらっしゃる天皇陛下からコントラバスのことを尋ねられた。ソロのコントラバス奏者のゲイリー・カーの映像をよく見ていることをお話しすると、陛下もカーをご存知とのお話があった。思わず浩輝の口元も綻んだ。

 昴史は、打楽器の楽しいところや良いところを尋ねられた。縁の下の力持ちで、バンドに迫力を与える点をお話しした。昴史は、自分の言葉に相槌を打たれる陛下のご様子が強く印象に残った。

 交流が終わった後、3人は興奮した様子で喋り合った。
「人生でいちばん緊張した! まだ実感ないわ!」
「こんな経験、えぐいよな……」
「脚震えてるし、心臓の鼓動が早い!」

 だが、話はそこで終わらなかった。

星林高校は、万葉集にもゆかりの深い和歌の浦のほど近くにある

 両陛下との交流から1年3カ月ほど経った今年1月のことだ。

 部活動を引退し、高校生活も終わりに近づいた3人は、またも驚愕した。テレビ番組で「歌会始の儀」の様子が放送され、「友」というお題で天皇陛下が詠まれたのは《コロナ禍に友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み》という一首。あの交流が歌になったのだ!

 3人は放送のことは知らされていなかった。浩輝は受験に向けて自室で物理の勉強をしているとき、階下から親に大声で呼ばれた。慌てて降りていくと、テレビに歌会始の儀が映り、陛下が和歌山の高校生との交流の事を思い出して詠まれたとナレーションが流れた。

「マジか。これはすごいことや……」と浩輝は思わずつぶやいた。

 同じころ、椛と昴史もそれぞれの自宅で目を丸くしながらテレビを見つめていた。
「自分たちがコロナ禍でもがいたこと、その中で工夫して一緒に音楽を楽しんだことが陛下の心にも残ったなんて、光栄なことやな」
 椛は思った。

「心残りなことや悔しいこともたくさんあったけど、こうして陛下に覚えていていただけるのは、コロナ禍だったからこそや」
「俺たちがコロナ禍でも友情を深めてきたことが陛下の歌になった。挫けずに頑張ってきて本当によかった」
 浩輝と昴史もそれぞれに感動を覚えた。

 貴重な高校生活はすべてコロナに覆い尽くされた。それでも、仲間たちと絆を深め、精いっぱい音楽を楽しんできた。たとえ暗闇の中にいるときでも、お互いに手を取り合い、明るさと希望を見失わなかった。だからこそ、3人の笑顔が天皇陛下の心に残り、歌へと昇華されたのだろう。

《コロナ禍に友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み》

 椛は改めて陛下の歌を口ずさんでから、こう思った。
「この3年間はコロナだけやない。喜びや笑顔もいっぱいある、私たちの青春やったんや……」

左より末永浩輝さん、有本昴史さん、近西椛さん
襟元に星のマークが輝くオリジナルユニフォームを着て
3人は去る3月、星林高校を卒業

編集長’s voice  – 取材に立ち会って感じたこと –
かつて、サントリーホールのコンサートに陛下がいらしていたことがありました。同じ時間に同じ音楽を共有したという、それだけでひとつの感慨深い出来事で、そのあとは知人にしばしばその話をしたものでした。今回は、直接陛下とお話しをした、そしてそのことを陛下が歌にお詠みになったという生徒さんたちの取材。足が震えるほどの緊張だったけど、本当にすごい経験をさせてもらったとしみじみと話していたのが印象的。自分たちより家族、特におじいさんおばあさんの感激がすごかったと言っていたけど、本人たちも時間が経つほど、体験したことの大きさが増していくのではないでしょうか。天皇陛下と音楽のお話しをできたなんて、なんて羨ましい。

『空とラッパと小倉トースト』
オザワ部長 著
学研プラス 音楽事業室 ¥1694

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