In memoriam 秋山和慶

Kazuyoshi Akiyama 1941-2025

(c)堀田力丸

 指揮者の秋山和慶が1月26日、肺炎のため亡くなった。享年84。
 元日に自宅で転倒して入院、1月23日に引退を発表しリハビリに専念するとしていた矢先だった。怪我をする前日に当たる2024年12月31日の「MUZAジルベスターコンサート 2024」が最後の公演となってしまった。

 1941年東京生まれ。中学3年にあがるときに齋藤秀雄と当時まだ学生だった小澤征爾の指揮した演奏会に行ったことをきっかけに桐朋学園に入学。高校ではピアノを専攻し、大学で指揮科に。齋藤の厳しい指導のもと指揮法を学ぶ。1963年に桐朋学園大学音楽学部を卒業。1964年2月に東京交響楽団を指揮してデビューを飾るが、まもなく東響は経営が行き詰まり財団法人の解散が発表される。楽員管理による自主運営のオーケストラという極めて困難な状況下での活動を強いられた。その後、同楽団の音楽監督・常任指揮者を40年間にわたり務め、その関係はさらに60年以上続くものとなった。

 海外では、小澤が音楽監督を務めていたトロント響の副指揮者をはじめ、ストコフスキーが創設したアメリカ響の音楽監督、1972年にバンクーバー響の音楽監督(その後桂冠指揮者)に就任する。他にも、サンフランシスコ響、クリーヴランド管、ロサンゼルス・フィル、フィラデルフィア管、ニューヨーク・フィル、ボストン響、シカゴ響、ロイヤル・フィル、NDR北ドイツ放送響、ケルン放送響、ベルリン放送響、スイス・ロマンド管、チューリッヒ・トーンハレ管などに客演している。

 国内においては、大阪フィル首席指揮者、札響首席指揮者、広響終身名誉指揮者、九響桂冠指揮者、中部フィル芸術監督・首席指揮者、日本センチュリー響ミュージックアドバイザー、岡山フィルミュージックアドバイザー、そして東響桂冠指揮者を歴任した。またオオサカ・シオン・ウインド・オーケストラの芸術顧問も務めるなど吹奏楽にも造詣が深かった。
 教育の分野においては、洗足学園音楽大学芸術監督・特別教授、京都市立芸術大学客員教授を務めるなど後進の育成にも熱心だった。

 これまでに第6回サントリー音楽賞(1975年)、芸術選奨文部大臣賞(1995年)、大阪府民劇場賞(1989年)、大阪芸術賞(1991年)をはじめ、東響とともに毎日芸術賞(1994年)、第8回京都音楽賞大賞(1993年)、モービル音楽賞(1996年)、第29回サントリー音楽賞(1997年)など受賞多数。
 2001年11月に紫綬褒章、2011年6月には旭日小綬章を受章。2014年度文化功労者に選出。同年中国文化賞(広島)、徳島県表彰特別功労賞を受賞、2015年渡邉暁雄音楽基金特別賞を受賞。

 熱心な鉄道ファンとしても知られ、乗車したり写真を撮ったりすることはもちろん、鉄道にちなんだ作品を演奏するコンサートも開催し好評を得ていた。

 1974年、恩師の齋藤秀雄が72歳で亡くなった。その10年後、兄弟子の小澤征爾と秋山が中心となって国内外で活躍する齋藤の教え子たちに呼びかけ、齋藤秀雄メモリアル・コンサートを開催する。その時のオーケストラが、今に続くサイトウ・キネン・オーケストラに発展していく。

 指揮者生活50周年を記念して2015年、回想録「ところで、きょう指揮したのは?」 (共著/アルテスパブリッシング刊)を出版。秋山の指揮はそのタイトル通り、自身の存在を前面に誇示するのとは真逆で、謙虚で気品に満ちたものだった。自身や音楽に対する姿勢は常に厳しく、そのタクトからオーケストラが汲み取って流れ出る音楽は、実に雄弁で熱い思いに溢れていた。

最後の出演となった2024年12月31日の「MUZAジルベスターコンサート 2024」より
撮影:増田雄介/提供:ミューザ川崎シンフォニーホール

関連記事