ガンバレ!吹奏楽部!ぶらあぼブラス!vol.18
船橋市立船橋高等学校 吹奏楽部

「正義の反対は悪なのか」
高校吹奏楽の域を超えた市船オリジナル「吹劇」

取材・文・写真:オザワ部長(吹奏楽作家)

「陽梨(ひより)の手を握った瞬間に泣きました。いつもより握り返してくる手の力が強くて……」

 千葉県船橋市にある「市船(いちふな)」こと市立船橋高校吹奏楽部でクラリネットを担当する3年生、鈴木若葉はそう語った。若葉は114名という大所帯の吹奏楽部をまとめる部長だ。

 市船は定期演奏会を目前に控え、「吹劇(すいげき)」の練習の真っ最中だった。

 若葉はキャストのひとりとして同期で副部長のフルート担当、森下陽梨とともに演技をした。少女役の若葉が兵士役の陽梨の手を握ったとき、涙が流れた。陽梨の頬にも涙が光っていた。もちろん、ふたりが泣くのは台本にはないことだ。

「もうすぐ定期演奏会なんですけど、それが終わったら引退なんて考えられなくて。同期は個性豊かで強烈な人が多く、その分つらいことがいっぱいでした。何度も話し合いをして、お互いを知って、認め合って——それを何度も繰り返してきました。もうやだな、やめたいなと何度も思いましたけど、やっぱり一緒にいて安心するのは同期のみんななんです」

 若葉はそう語りながら、また目を潤ませた。

リハーサルから涙を流しての熱演

 吹劇とは「吹奏楽による音楽劇」で、市船の名物顧問・高橋健一先生が17年前に考案したオリジナルの劇作品だ。

 吹奏楽部が定期演奏会で劇やミュージカルを披露する場合、既存の作品の簡略版を上演することが多い。だが、市船の吹劇は様々な意味で違っている。

 まず、セリフが一切ない。舞台上には役者と奏者(バンド隊と呼ばれる)が登場し、音楽とともに無言劇を演じる。物語は冒頭に簡単なテーマや設定がナレーションで説明されるだけなので、観客は音楽と演技から「おそらくこういう話だろう」と想像するしかない。これまで取り上げられてきたテーマも「平和」「老い」「命」など普遍的で深遠なものばかりだ。

 音楽は、挿入歌的に歌われる歌以外は人気作曲家・樽屋雅徳による新作だ(一部、既存の音楽が引用される部分はある)。演出・振付はプロの振付師である三森渚が担当している。

 前衛的かつ斬新な劇ゆえに、一部の観客からは「もっとわかりやすくしてほしい」といった要望が寄せられることもある。しかし、高橋先生は「理解するよりも感じてほしい」「見る人それぞれが自由にイメージしてもらいたい」と考え、吹劇ならではのスタイルを貫き続けている。そして、毎年、年末に開催される定期演奏会で新作の吹劇を上演し、来場者の感動と涙を誘ってきた。

 今年度も市船は6月のYOSAKOIソーラン祭り参加を皮切りに、吹奏楽コンクールやマーチングコンテストに出場。いよいよ1年間の活動の集大成として、また、若葉たち3年生が吹奏楽部を巣立つ最後のステージとして、12月に第40回定期演奏会が開催されることになった。

 そこで上演されるのは、通算18作目となる吹劇。タイトルは『戦場のメリークリスマス〜正義の反対は悪か、それとも別の正義か〜』。

 物語は次のようなものだ。
《遠く別々の国で暮らす二つの幸せな家族が、国家のプロパガンダ(洗脳)により戦争へと駆り立てられていく。正義とは何か、正義の反対は悪なのか、それとも別の正義なのか。苦悩する兵士、人を信じる少女。終わることのない葛藤は続く。やがて気づいていく、受容こそそれぞれの家族が手にすべきものだと。》

 偉大な音楽家である坂本龍一の死に触発された高橋先生が、坂本龍一が音楽とキャストを担当した映画『戦場のメリークリスマス』のテーマ音楽をベースにしつつ、ウクライナ戦争やパレスチナ・イスラエル戦争、正義と悪、受容……といった、まさに現代が直面する難題に正面から向き合って構想した。

 それは演じ、演奏する市船の部員たちにとっても難題そのものだった。

 船橋市に生まれ育ち、小3から吹奏楽部に加わってクラリネットを吹いてきた若葉が初めて吹劇を目にしたのは小6のときだった。

「市船の定期演奏会を見にいったんですけど、そのとき目にした吹劇の衝撃はいまでも鮮明に覚えています。内容を完全に理解できていたかどうかわかりませんが、とにかく感動したのは事実で、『高校生ってこんなすごいことするんだ!』って圧倒されました」

 吹奏楽王国とも呼ばれるほど吹奏楽が盛んで、強豪校がひしめき合う千葉県で、若葉が進学先として市船を選んだのには、吹劇から受けた感動も大きく影響していた。

 高1の定期演奏会の吹劇『THE 桃太郎』では、若葉は桃太郎に従うサル役を演じた。高2の吹劇『JASMINE』ではバンド隊だった。

 そして、最後の吹劇『戦場のメリークリスマス〜正義の反対は悪か、それとも別の正義か〜』では、主にバンド隊でクラリネットを吹きながらも、もっとも印象的なシーンで「人を信じる少女」という役を任されることになった。凄惨な戦場の中で生き残った少女がひとりの兵士に撃ち殺されそうになるが、その兵士を許して手を握り、心を通じ合わせる。

高橋健一先生

 高橋先生はこう語る。

「作中で極めて重要な少女を誰にするか、演出の渚ちゃんと相談したんですが、これは若葉しかいないだろうと。部長の若葉と副部長の陽梨、部活で苦楽をともにしてきたふたりが少女と兵士を演じる。お互いに協力し合ったこともあれば、ぶつかり合ったこともあるでしょう。だからこそ、役柄への思いも深まると考えました」

 若葉自身、少女を演じる上では難しさを感じながらも、自分なりに理解を深めようとした。

「私たちは本当の戦争を知らないですけど、自分の家族が戦争に巻き込まれたら……という想像をし、そこから湧き上がってくる思いや感情を演技に込めるようにしました。戦争については、高橋先生に教えてもらった映画『プライベート・ライアン』の悲惨な戦闘シーンを見たことで生々しくイメージできるようになりました」

 戦いは戦場だけにあるわけではない。若葉たち高校生にとっても、毎日の部活動の中でさまざまな形の戦いを経験してきた。

「仲間たちともたくさん戦って話し合いを重ねましたし、素直になれない自分とも戦ってきました。コンクールやマーチングコンテストなどを通じて何度壁にぶち当たったかわからないですし、吹劇をつくり上げる過程でも戦いが続きました。ただ演技したり演奏したりするだけでは何も伝わらないので、部員一人一人が重いテーマと向き合ってきました」

 高橋先生は若葉の言葉を受けて、こう付け加えた。

「市船では若葉と陽梨だけではなく、みんながお互いに戦争してきたし、お互いを許し合ってきたんです。『絶対許せない!』と思うこともあったでしょうけど、それでも許す。それができたのは、ここが吹奏楽部で、生徒たちの間に音楽があったことが何より大きかったと思います」

 言葉や感情ではぶつかり合ってしまう高校生たちが、音楽を通じて繋がり合い、相手を受容する。認め合う。遠い世界の話のようだった今回の吹劇のテーマが、若葉たちの心とリンクした。

 あぁ、これは自分たちの物語でもあったんだ——。

 12月下旬の定期演奏会当日。いよいよ『戦場のメリークリスマス〜正義の反対は悪か、それとも別の正義か〜』が上演された。

 そこでは音楽と無言劇によって、平和な社会が戦争の色に塗り固められ、温和だった人々が眉を吊り上げて傷つけ合うようになる様が描かれていった。

 象徴的に使われたのは、キャストたちが手にした真っ赤な紐だ。それはときに銃となり、ときに流れ出る血となり、戦争の残酷さを表すために効果的に使われた。バンド隊は樽屋雅徳による音楽をドラマティックに奏でる。要所要所には坂本龍一の《戦場のメリークリスマス》のテーマも取り入れられていた。

 ステージ上では兵士たちが殺し合い、次々に倒れ、戦場は亡骸で埋め尽くされていく。そこに現れるのが「人を信じる少女」、若葉だ。すると、陽梨演じる兵士が起き上がり、若葉を撃ち殺そうとする。だが、兵士は引き金を引くことができない。少女はそんな兵士を許す。ふたりは手を取り、立ち上がる。

 人が集団で生きる限り避けることができない戦い。その中で平和を見出す術は「受容」することであり、「許す」ことではないだろうか——。無言劇の中から、そんなメッセージが聞こえてきた。

 ステージ上で若葉と陽梨が手を握り合うと、練習のときと同じように若葉の目から涙が流れた。すると、客席にも啜り泣きが広がった。わかりにくくなんかない。それは、高橋先生のメッセージと若葉たちの思いがしっかりと観客の心に届いた証だった。

 最後に部員たちが混声合唱組曲《京都》の「ここが美しいそれは」を歌い、会場を感動で包みながら吹劇は幕を閉じた。

本番を終えて
左より:長井優月さん(副部長)、鈴木若葉さん(部長)、森下陽梨さん(副部長)

「人を許すこと、信じることを私は市船で先生や部員たちから学んできました。今回の吹劇で、その経験や思いをお客さんに伝えることができたかな、と思います」

 定期演奏会が終わった後、若葉はそう語った。

 ともに重要なシーンを演じた副部長の陽梨は吹劇をつくり上げる苦労を振り返りながら感想を話してくれた。

「今年は訴えかけるテーマが重く、悲しいものだったので、演技するときに表情を作るが難しかったです。でも、演じているシーンをリアルに想像すると気持ちも乗ってきて。本番では、若葉と手を取り合うシーンでやっぱりグッときてしまいました」

 もうひとりの副部長、長井優月(ゆづき)は主にバンド隊として演奏を担当していた。

「今年は楽譜が難しくて暗譜に苦労しましたけど、本番で最後まで演奏を通すことができて、大きな達成感が得られました。本番直前にインフルエンザが流行して、思うように練習ができずに不安でいっぱいでしたが、たくさんのお客さんの前で吹劇を披露できたので、いまは幸せな気持ちです」

 吹劇は高校生が演じ、高校生が演奏するからこそできる、純度の高い舞台作品だ。それはもはや定期演奏会の一演目の域を超え、ひとつのジャンルとして成立している。

 若葉たちが伝えた思いやテーマは、観客それぞれの心に小さな種となって埋め込まれたことだろう。その種はやがて芽を出し、根を張り、大きく葉を広げて花開いていく——吹劇にはそんな力や可能性があるように感じられた。


編集長’s voice  – 取材に立ち会って感じたこと –
「吹劇」という耳慣れない言葉。どんなものだろうと想像しながら、市船を訪ねました。簡単な挨拶を済ませると、さっそく戦メリのメロディで吹劇がスタート。緊張感のある音楽、迫真の演技ととも物語は進行し、見ている者に人間の根源的な問いを投げかける。そしてまったくセリフがないのに、なぜか不思議なほどにストーリーが伝わってきます。本番では、あちらこちらからすすり泣く声も。
楽器演奏のみならず、ダンス、歌、演技と、完全に吹奏楽部の枠を超えている市船 吹奏楽部。そして何よりみんな全力!!このやり切る感覚は一生ものになること間違いないでしょう。


『空とラッパと小倉トースト』
オザワ部長 著
学研プラス 音楽事業室 ¥1694

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