ガンバレ!吹奏楽部!ぶらあぼブラス!vol.5
尼崎市立尼崎双星高等学校 吹奏楽部

コロナ禍も3年目、ぶらあぼ編集部では多くの音楽家から吹奏楽部の苦難の状況を耳にしてきました。そこで吹奏楽と言えばこの方、吹奏楽作家のオザワ部長に登場いただき吹奏楽部を応援する企画を始めます。まだマスクが取れない日々ですが、音楽へひたむきな情熱を燃やす若者の姿は、見ている私たちも元気にしてくれます。

取材・文・写真:オザワ部長(吹奏楽作家)

 部活動に燃える熱い部員が多いことで知られている吹奏楽部。その中には、大きな夢を持って音楽大学への進学を目指している者もいる。

 関西吹奏楽コンクール、関西マーチングコンテストの両方で2年連続金賞に輝いた兵庫県の尼崎市立尼崎双星高等学校吹奏楽部。いずれも全国大会まであと一歩に迫っている、いわゆる強豪校のひとつだ。3年生の三木多聞(たもん)(アルトサックス、マーチングリーダー)と田根(たね)菜津美(クラリネット、木管セクションリーダー)はともに音大進学を目指しながら部活動を続けてきた。

左より宮嵜三千男先生、田根菜津美さん、三木多聞さん

 多聞が吹奏楽を始めたのは中学1年生のときから。もともと両親がアマチュアの楽器奏者。父親はアルトサックス、母親はコントラバスを演奏している。車の中ではいつも父親が好きなサックス奏者・須川展也のCDがかかっていた。幼いころから多聞はサックスや吹奏楽の音を聴いて育った。

「車の中ではどういうときにどの曲が流れるというのがだいたい決まっていました。たとえば、父方の実家に行くときにはいつも須川さんのソロで東京佼成ウインドオーケストラが演奏するチック・コリアの《スペイン》でした」

 西宮市の中学に入学すると同時に吹奏楽部に入ると、アルトサックス担当になった。楽器に触れてわずか3日ほどでスケールが吹けるようになり、自身の才能に気づいた。

 中2になると先輩を追い抜いて吹奏楽コンクールの自由曲のソロを担当。中3ではソプラノサックスでソロを吹いた。

 須川展也やその弟子の上野耕平といったプロ奏者を目標とし、多聞は腕を磨いた。同じ西宮市で吹奏楽部に入っていた菜津美のもとにも「あの中学校のサックスの人、めっちゃうまいで」といった多聞の噂が流れてくるほどだった。

 多聞は演奏しながら行進やパフォーマンスをするマーチングも好きだった。中2のときに全日本マーチングコンテスト・中学校の部に出場し、大阪城ホールで演奏した。

 そんな多聞が選んだ進学先が尼崎双星高校だった。

「サックスを極めたいと思っていたので、普通科音楽類型という音楽に力を入れたコースがある双星に魅力を感じました。吹奏楽部も強いし、マーチングもやっていたので、ここやなと思いました」

 入部後、初めての合奏のときに菜津美が「音の質が違う人がひとりいる」と感じるほど多聞は力のある部員だった。

「最初は音大は考えていませんでしたが、プロのサックス奏者か吹奏楽指導者、マーチング指導者になりたいと思うようになりました」

 多聞はバンドの主力メンバーとして活躍し、今年度はアルトサックスの首席奏者とマーチングリーダーを務めてきた。

 一方の菜津美は、吹奏楽部で担当しているクラリネットではなく、ピアノで音大進学を目指している。

 母が趣味でピアノを弾いており、友達がピアノ教室に通っていたことに影響され、菜津美も小3からピアノを習い始めた。1年ほどで同学年の子たちよりも難しい曲が弾けるようになった。

「努力が好きではなくて、感覚でやっていたんですけど、先生に『すごいね。才能あるよ』と褒められて、『そうなんかな……』と。その先生の教え方がすごく楽しくて、小5くらいからもう『将来は音大に行って私もピアノの先生になろう!』と思っていました」

 ショパンの曲が大好きで、当時の時代背景などを思い浮かべながら弾いていたという菜津美。中学校では音楽系の部活ということで吹奏楽部に入った。

「ピアノは鍵盤がひとつだし、弾ける音は限られています。でも、吹奏楽はいろんな楽器の音色があって、迫力も味わえます。ピアノとは違った楽しさがあるな、と思いました」

 吹奏楽に目覚めた菜津美は、進学先の高校を決めるときに迷った。

「最初はピアノで音楽高校に行こうと思っていました。もしくは、普通の高校に行ってピアノを練習しようかな……とか。でも、吹奏楽をやめきれない自分もいました。最終的に双星の音楽類型に進んで部活はやらないという選択肢を選んだんですけど、顧問の宮嵜三千男先生に『きつくなるまで部活をやってみたらどうや?』と言われて入部しました」

 ピアノは自信があっても、クラリネットに自信はなかった菜津美は入部して尼崎双星高校吹奏楽部のレベルの高さに圧倒された。モチベーションは下がり、先輩たちに隠れるように吹いていたが、音楽類型の授業で基礎を学ぶうちに技術が向上。部活をやめることもなく、むしろのめり込んで活動し、高3になった今年はクラリネットの首席奏者とコンサートミストレスを務めることになった。

 多聞と菜津美はともに尼崎双星高校吹奏楽部の主力メンバーとして今年、高校生活最後の吹奏楽コンクールに挑んだ。目標は、全国の吹奏楽部員たちの憧れである「吹奏楽の甲子園」、全日本吹奏楽コンクールだ。

 尼崎双星は2016年から5大会連続で関西大会に進出。2018年と2021年には全国大会出場にあと一歩と迫る金賞に輝いた。だが、強豪バンドがひしめき合う関西の壁は厚かった。

 今年も関西大会に出場した尼崎双星は、自由曲にリヒャルト・シュトラウス作曲(齋藤淳編曲)楽劇《サロメ》より「7つのヴェールの踊り」を演奏した。多聞と菜津美は演奏面でもリーダーシップを発揮し、大作曲家の名曲を豊かなサウンドで披露した。

「もしかして、全国大会初出場もあるんやないか!?」

 多聞はそんな手応えを感じていた。だが、結果は金賞ながら3枠の関西代表には選ばれなかった。

「木管セクションリーダーとして先頭に立ってイメージをつくり上げた音楽が結果につながらなかったのが悔しかったです」
 菜津美はそう語った。

11月3日の定期演奏会(リハーサル)より

 11月3日、文化の日。尼崎市のあましんアルカイックホールで尼崎双星高校吹奏楽部の第12回定期演奏会が行われた。多聞や菜津美たち3年生の最後のステージだ。

 定期演奏会は1年間かけて技術や表現、チームワークを高めてきた吹奏楽部が成果を披露する場であり、3年生にとっては3年間の活動の集大成。部を卒業する「卒部」の舞台でもある。

 演奏会では、宮嵜先生の指揮で思いのこもった楽劇《サロメ》より「7つのヴェールの踊り」などを奏で、多聞が大好きだったマーチングも披露した。そして、最後に3年生は後輩たちが演奏する《生命の奇跡》に送られながらステージを後にした。

11月3日の定期演奏会(リハーサル)より
11月3日の定期演奏会より

 多聞と菜津美は演奏会終了後にそれぞれこう語った。

「後悔なく、胸を張って終わることができました」

「中学時代から6年間、ときには親やピアノの先生に反対されながらも部活を続けてきました。最後はこうして笑顔でやり切れてよかったと思います」

 これから音楽大学というさらに高いレベルで音楽を学ぼうとしているふたり。吹奏楽部での活動がどんなポジティブな影響があったのか尋ねてみた。

「音大でソロのクラシックサックスをやるには、個人の力はもちろん、オーケストラやピアノの伴奏と合わせる力がとても大事です。吹奏楽ではその『合わせる力』を学べました」(多聞)

「以前の私のピアノの演奏は、自分の感情があまり出ない硬いものでした。吹奏楽を始めてから考え方が柔らかくなり、ピアノでも吹っ切れた『歌う演奏』ができるようになりました。吹奏楽のおかげです」(菜津美)

 大好きな吹奏楽で身につけた力とともに、多聞と菜津美は広大な「音楽」という海へと旅立とうとしている。

定期演奏会を終えて