ガンバレ!吹奏楽部!ぶらあぼブラス!vol.14
柏市立柏高等学校 吹奏楽部

「イチカシの壁」に挑んだ新生イチカシ

取材・文・写真:オザワ部長(吹奏楽作家)

 東関東吹奏楽コンクールが9月2日に行われた。

 日本中の吹奏楽部員が憧れる「吹奏楽の甲子園」、全日本吹奏楽コンクール(全国大会)の出場をかけた激戦の舞台だが、その中でもひときわ注目を集める学校があった。千葉県柏市にある「イチカシ」こと柏市立柏高等学校吹奏楽部だ。

 習志野高校や常総学院高校と並んで「東関東の御三家」と呼ばれる名門で、全国大会の常連として知られる。

 ところが、その指揮台にはカリスマ指導者としてイチカシをゼロから全国トップバンドへ育て上げた石田修一先生の姿はなかった。

 イチカシは、今年度、大きく揺れていた。

 コロナ禍や少子化、入試制度の変化などがあり、最盛期に270人以上いた部員は110人まで減少していた。吹奏楽コンクールで主力となる3年生も29人しかいない。

 かつてはコンクールに挑む「赤組」、マーチングをする「白組」、その他のコンテストに挑む「青組」という3チーム制だったが、いまは赤白のみ。白組だけではマーチングの人数が足りず、赤組からも20人以上がマーチングメンバーとして参加している状態だ。

 もっとも大きな変化は、石田修一先生が顧問を退いたことだ。新たな指揮者に就任したのは、10年前から音楽教員として石田先生をサポートしてきた緑川裕(ゆたか)先生。現在42歳。同部のOBでもあり、高2と高3のときに全国大会の舞台を経験している。

 着任したときから石田先生には「いつかは交代するときが来る」とは言われていたが、いざ自分が主顧問として指導を始めると想像していた以上に大変だった。

「部員として、教員としてイチカシをずっと見てきて、すべてわかっているつもりだった。でも、いざ自分で指導してみると『これは違ったな』『これはこうでいいんだな』とひとつひとつ答え合わせしながら進んでいかなえればならない状態だ。やっぱり石田先生はすごい人だったんだ」

 緑川先生は恩師の偉大さを痛感せずにはいられなかった。

緑川裕 先生

 部員たちが自分を受け入れてくれるかどうかという心配もあった。緑川先生は石田先生の代わりになろうとするのではなく、「56人目のメンバーとして仲間に入れてね。一緒に頑張ろうね」と語りかけ、新たなイチカシとして歩み始めた。

 イチカシは1984年に全日本吹奏楽コンクールに初出場して以来、昨年まで32回出場し、金賞18回受賞。1990年からは連続出場を継続中。石田先生が築き上げてきた功績が、新生イチカシの前に立ちはだかっていた。例年なら突破するのが大前提だった東関東大会が、大きな壁となって行く手を塞いでいる。

 新生イチカシが超えるべき壁は、イチカシ自身だったのだ。

左より:瀧晃志郎さん、大滝寧音さん、小嶺日菜多さん、辻井桔香さん、櫻田恋さん、佐藤悠然さん、緑川裕先生

 今年、緑川先生が選んだコンクールの課題曲はポップス調の天野正道作曲《レトロ》。この曲で重要な出だしに先頭を切ってドラムセットを叩く役割を担ったのは、3年生の大滝寧音(おおたきねね)だ。

 小学生のときに吹奏楽部で打楽器を担当していた寧音は、あるときイチカシの演奏を目にし、ドラム奏者の演奏に魅了された。

「カッコよすぎる! この高校のドラムは特別だ!」

 それからほぼすべての演奏会に通うくらいイチカシを追いかけ、ドラムセットの演奏を目に焼き付けた。そして、自分もいつかはイチカシのドラムを受け継ぐ存在になりたいと夢見るようになった。

 イチカシに入り、その夢は実現した。ただ、まさか吹奏楽コンクールの課題曲でドラムセットを叩くことになるとは思わなかった。例年の課題曲はマーチやクラシカルな曲が主流で、イチカシはマーチを選択することが多かったからだ。「イチカシのドラム」を神聖視する寧音だけに、責任重大だと感じた。

「《レトロ》のドラムでは、技術とセンスが問われている。それだけじゃなく、管楽器やコンガとも合わせなきゃいけないし……」

 寧音は千葉県大会の演奏動画を何度も確認しては、ドラムの叩き方を工夫し、練習を重ねた。

 そして、東関東大会の本番を迎えたのだが、演奏前のセッティングに落とし穴が待っていた。

 ドラムセットはスネアやバスドラム、ハイハットなど複数の楽器で構成されており、その設置位置がずれると演奏に支障が出る。だが、大舞台の緊張感からそのセッティングがうまくいかなかった。

(ハイハットの位置がいつもと違う! どうしよう!)

 修正できないまま、演奏が始まってしまった。曲の出だしで、ほかの楽器が演奏するより先に、寧音がスネアを16分音符でクレッシェンドしながら叩く。そんなプレッシャーのかかる局面で、スティックのグリップエンドが制服のブレザーに引っかかり、一瞬音が小さくなってしまった。

 指揮をする緑川先生はそれに気づき、部員たちを見渡した。かすかに動揺した表情が見えたため、先生は口を「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と動かして部員たちを落ち着かせた。

 寧音自身も動揺していた。だが、そのまま演奏を続けたら、きっとまたミスをしてしまう。

(よし、1回なかったことにしよう!『これが正解ですけど?』って顔をして叩き続けよう!)

 寧音はメンタルを立て直し、演奏を続けたのだった。

 課題曲《レトロ》の前半に出てくる、スローバラードのような雰囲気のあるトランペットソロを任されたのは3年生の佐藤悠然(ゆうぜん)だ。

 悠然は中学校の吹奏楽部の顧問が元イチカシのトランペット奏者だったことからイチカシに憧れ、入学した。コンサートなどでポップス曲を演奏することは少なくなかったが、悠然にとってコンクールでのポップス演奏は初めて。トランペットのコーチにも教えてもらいながら演奏方法を研究したが、ポップスならではの音色、ビブラートのかけ方、音の切り方など課題が山積みだった。

 トランペットのソロの楽譜には「with feel」という指定がある。譜面を踏襲しながら「リズムを少し変えたり、装飾音をいれたりするフェイク演奏をする」という意味だが、どこまで自分なりの表現をしていいのか悩んだ。

 幸いなことに、緑川先生もイチカシ時代はトランペット担当だったため、先生にもアドバイスをもらいながらソロを仕上げていった。

 そして、東関東大会の本番。悠然は緊張感がありながらも哀愁漂う旋律をうまく奏でることができた。曲の終盤にはオプションで楽譜の1オクターブ上で吹く部分があった。練習では2回に1回は音を外してしまう難所だったが、ソロの成功で勢いづいた悠然は見事なまでに澄み切ったハイトーンを吹き鳴らした。

 悠然は心の中で力強くガッツポーズをした。

 《レトロ》のトランペットソロに続くアルトサックスのソロは3年生の辻井桔香(きっか)の担当だった。桔花は練習のときから緑川先生に「ソロは甘く、切なく、いやらしく吹くように」と言われていたとおりのムーディーで大人の雰囲気が漂うソロを奏でた。

 桔花の隣に座っていた、同じく3年生のアルトサックス担当・小嶺日菜多(こみねひなた)の胸はチクッと痛んだ。本当はそのソロを自分が吹きたかった。ソロに選ばれなかったときは大いに落ち込んだ。担任の先生や家族が慰めてくれたり、アドバイスをしてくれたりしたが、どうも腑に落ちずにむしろ機嫌が悪くなった。自分が末っ子ゆえにわがままな性格なのも自覚している。

 日菜多は中学時代に吹奏楽部に所属していたが、もともとイチカシにも吹奏楽部にも入る気がなかったし、高校では「JK」するつもりだった。だが、中3のときにコロナ禍で吹奏楽コンクールは中止になった。「このまま終わりにしたら、後悔するんじゃないか?」と考え、急に進路を変更してイチカシに入った。

 まったく「JK」はできなかったが、吹奏楽に没頭し、東関東大会までやってきた。課題曲のソリストの座は逃したものの、自由曲ではソロを任された。

 緑川先生が選んだ自由曲《とこしえの声~いまここに立つ母の姿~》(樽屋雅徳)は、太平洋戦争末期の神風特攻隊の悲劇と、少年兵たちの母への思いをテーマにした作品だ。

「今年の部員たちは感受性が豊かで、気持ちを音に乗せるのが得意。《とこしえの声》のような情緒的な曲が合っているし、僕自身もそういうほうが好きだ」

 緑川先生はそう考えて自由曲をチョイスし、「この曲のアルトのソロは小嶺にしか吹けない」と日菜多を選んだのだった。

 東関東大会の本番。静かに始まった曲が、激動のような部分を過ぎて、後半のクライマックスへと進んでいく。その変わり目の重要なポイントで、日菜多がソロを奏でた。アルトサックスから響き出した音は、命の儚さや運命の悲しみを感じさせながら、繊細に美しく客席へと広がっていった。

(誰がソロに選ばれるとか、どの学校が代表に選ばれるとか、スポーツと違って白黒はっきりつかないところもあるけど、少しでも自分が納得できる演奏ができればそれでいいのかな!)

 日菜多はすっきりした気持ちでそう思った。そして、緊張することもなく、重要なソロを見事に吹ききった。

 今年は3年生が少ないため、55人のコンクールメンバーの中に1年生も5人入っている。そのうちの1人がクラリネット担当の櫻田恋(れん)だ。

 恋は6人きょうだい。18歳上の姉もイチカシの吹奏楽部員だったし、2つ上の姉・櫻田そらもイチカシで打楽器を担当している。

 もともとB♭クラリネット(一般的なクラリネット)を吹いていた恋は、中学時代にやっていたマーチングをイチカシでも続けたいと思って入部してきた。だが、思いがけず1年生でコンクールメンバーに選ばれた。姉と一緒に演奏できるのは嬉しかった。

 問題は、E♭クラリネットを任されたことだった。E♭クラリネットはB♭クラリネットよりも小型で高い音が出るが、音のコントロールが難しい。

「いままでE♭クラは一度も吹いたことがなかったのに……」

 メンバーに選ばれてからコンクールまでの限られた期間、恋は毎日泣きながら練習を続けた。

 まわりは上級生ばかりで、最初は少しプレッシャーを感じた。先輩たちとの技術や経験の差はあまりにも大きい。だが、先輩たちは恋をまるで妹のようにかわいがってくれた。

「これまではほとんど3年生のメンバーだったけど、今年は3学年の総力戦だ。だから、上級生は先輩ではなく、お兄ちゃんお姉ちゃんのつもりで後輩たちに接してほしい」

 緑川先生のそんな指導が、恋たち下級生には救いとなっていたし、それがイチカシの新たな雰囲気をつくることになった。

 そして、勝負の東関東大会。恋はまだ完全にはE♭クラリネットを自分のものにはできていなかった。先生からは「変に力を入れず、いつもどおり演奏すればいい」と言われていた。

 最初の課題曲の途中で、楽器からキッという甲高い音が響いた。つい力んでしまい、リードミスをしてしまったのだ。

 恋は動揺しかけたが、気持ちを切り替えて演奏を続けた。緑川先生を中心につくり上げてきた温かな雰囲気やチームワークが心のセーフティネットになり、恋は瞬時に立ち直ることができたのだ。

 続く自由曲。新生イチカシの繊細で表現力豊かな演奏が会場を包み込み、観客を魅了した。

 恋はいつもホールに響く最後のハーモニーが好きだった。いよいよ12分間の演奏が終わる。この曲にかけてきた自分たちの思いが最後のハーモニーに凝縮され、開放される。残響が会場に吸い込まれ、静寂が訪れた。と同時に、客席からは喝采が巻き起こった。

(ミスはしたけど、やりきった。いままでで最高の響きだったな)

 恋はメンバーたちとともに立ち上がり、ステージを後にした。

歓喜の表彰式を終えて

 東関東大会の表彰式では、課題曲の冒頭でミスをした寧音は「もし代表に選ばれなかったら……」と吐きそうなほどの極度の緊張に襲われた。

 審査の結果、イチカシは金賞を受賞。さらに、習志野高校や幕張総合高校とともに東関東代表に選ばれ、33回目の全国大会出場が決まった。メンバーは声を上げ、喜びに沸いた。

 カリスマだった石田先生から緑川先生に代わり、部員数も少ないという難しい局面を跳ね返し、新たな歴史の扉を開いたのだ。

 だが、寧音だけでなく、悠然も、日菜多も、恋も、それぞれが課題を感じていた。

「今回はうちが代表に選ばれたけど、ほかの学校もみんなびっくりするくらいうまかった。全国大会になれば、もっとうまい学校が日本中から集まってきて、その中で戦わなきゃいけないんだ……」

 日菜多は思った。だが、その瞳はいきいきと輝いていた。

「でも、だからこそ頑張ろうって思える。そういう気持ちになれるって、幸せだな」

 55人のメンバーと緑川先生はそれぞれの思いを胸に10月22日の全日本吹奏楽コンクールに向けて練習を続けている。

 日本中の吹奏楽ファンや吹奏楽部員たちが注目する中、いよいよ新たなイチカシの音楽が「吹奏楽の甲子園」の舞台に響く。


編集長’s voice  – 取材に立ち会って感じたこと –
取材に行ったのは9月3日、吹奏楽コンクール東関東大会の翌日。
前日は祈るような気持ちで結果を待ちました。そして見事代表に!晴れやかな気持ちで取材に臨むことができました。皆さん、大会の疲れもあったでしょうが、元気よく話してくれたのが印象的。名門のプレッシャーを背負って顧問に就いた緑川先生、そして「パパみたいな存在」と慕う部員たち。みんな爽やかで温かく、この日の空のように清々しい気持ちで学校をあとにしました。


『空とラッパと小倉トースト』
オザワ部長 著
学研プラス 音楽事業室 ¥1694

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