INTERVIEW 沢田蒼梧
反田恭平さんが日本では半世紀ぶりとなる第2位に入賞した2021年のショパンコンクール。あれから4年。2025年秋、また新たなドラマが始まります。ピアニストにとって最高峰とも言える舞台に参加するピアニストは、そこで何を思い、どんなことを感じているのでしょう?前回参加した時には医大生、今は演奏活動もしつつ研修医としての毎日を過ごしている異色のピアニスト 沢田蒼梧さんにお話を聞きました。
取材・文:高坂はる香
—2021年のショパン国際ピアノコンクールの頃は医大生でしたが、2023年春にご卒業され、現在は研修医として勤務されているそうですね。
今、研修医2年目です。2025年3月に初期研修医の期間が終わり、4月から小児科医として勤務することになります。
—ショパンコンクールはピアニストにとって憧れの舞台だと思いますが、実際に参加してみたことで、活動に変化はありましたか?
コンクール後は、それまで直接ご縁のなかった方々からリサイタルやオーケストラとの共演のお話をたくさんいただくようになり、演奏活動の機会はかなり増えました。医師との両立の関係で、本番の回数をかなり限定しているので、全ての演奏依頼を引き受けることはできませんが、ひとえにコンクールのおかげだと思っています。また、聴きに行ったコンサート会場で声をかけていただく機会が増えたり、病院で勤務している際も、患者さんや付添のご家族の方から「ピアノの方ですよね?」と声をかけられることもちょこちょこあります。
—1次よりも2次の方がずっと緊張したとおっしゃっていました。どんな心境だったのでしょう。
もともとショパンコンクールだからという気負いもなく、向き合い方としては他の本番と同じでした。そのうえ出国前の2週間、学校が本当に忙しかったこともあり、特別な心構えを作る余裕もなく現地入りし、すぐ本番だったため、自然体で弾くことができました。
そうしたら現地のラジオで評論家が、その日の中で僕の演奏が一番良かったと言っていたという話を人づてに聞いてしまって……なんだなんだ!と思っていたら無意識に気負いが生じたのか、2次は緊張してしまったんです。
何も考えずに弾いた1次のほうが良かったです(笑)。
—緊張感が良い方向に働く可能性もあるので、一概に「コンクール中は情報から離れたほうがいい」とも言えないかもしれませんし…わからないものですね。
そうですね。そもそも人によってコンクールへの向き合い方は違います。ショパンコンクールを受けるのは、音楽で食べていこうというピアニストがほとんどなので、絶対結果を出そうというスタンスの方も多いでしょう。僕の場合は、聴いていただける機会があって、しかもあんな名誉ある舞台なら全力で挑戦しようという感覚でしたから、参考にならないかもしれません。
でも自分の音楽をするという意味では、気負わず弾くほうが良いのではないかと思いますけれどね。僕自身は、結果だけ出ればいいという生き方があまり好きではありませんし。
成功したい気持ちに引っ張られすぎると、演奏も違う方に向かうのではないかと思います。あの特殊な環境で、連日あちこちで声をかけられながら舞台に立っていると、難しいとは思いますが。
—他にも専門の道がある特異なスタンスから、気負いなく自分の音楽を表現できたわけですね。
一次予選までは本当にそうなんですよ。だから僕がこんなことを言うのは無責任だと思うところもあるのですが。音楽だけで生きていく決意をしている人のことは、すごく尊敬しています。同時に、他のことも頑張りながらピアノを弾くのは自分のアイデンティティでもあります。
—コンクールに挑戦したことでショパンに対する考えに変化はありましたか?
いろいろな演奏を聴いたことで、もっと自由に、信じる演奏を尖らせていってもいいんだと思えたのは大きかったです。自分の中のショパン像に捕らわれすぎていたのかもしれない、これが良いとしてきたことは、自分の周りという狭い環境の中の一つの考え方でしかなかったと気づきました。例えばガジェヴさんやガルシア=ガルシアさんなど、一体どんな音楽性を持ち、どんな教育を受けるとあの演奏になるのだろうと考えてしまいます。
一方で、僕のコンクールの演奏を聴いてくださった方から僕の演奏や僕の音が好きだと言っていただけると、自分の信じているものを同じように良いと言ってくれる方がいるんだと思えました。
自分の弾き方に捕らわれていると視野が狭くなるので、幅広い音楽観を吸収したうえで改めて自分の音楽を見つけ、届けられるようになりたいです。高く伸びるには、根も深く張っていないといけませんから、その深く掘ってゆく作業は続けていかなくてはと思いました。
—ちなみに、仕事や日常で感じたことにあわせてこういう曲を弾きたくなる、みたいなことはありますか?
いや、それは全然ないですね。僕はピアノを弾くこと自体が好きで、感情の発露にピアノは使っていません。なので同じ感情の曲を弾くことは、僕にとっては慰めになりません。
そもそも普段から感情の起伏が激しくないんですよ… 仕事柄、悲しい出来事は本当に数多くありますし、無力感に苛まれることもありますが、そんなときにすべきは自分の感情を発露するためにピアノを弾くことではなくて、切り替えて医学の勉強をして次の患者さんの対応に活かすことだと考えているので。そのあたりは自分でもかなり冷静な方だと思っています。
—確かに、感情の起伏が激しい人がお医者さんになったら大変そうな気がしてきました。一方で作曲家はずっと悩んでいるような人ばかりですけれど。
悩んでいて、感情の起伏が激しい人でないと、芸術家になんかなれないのでしょうね。彼らの作品には、そうした感情が反映されているわけですが、ただ、演奏者はそこに感情移入することはできても、完全に同じ気持ちになることはできません。
失恋した時期じゃないと失恋ソングを歌えないわけではありませんし、ショパンの曲は亡命した経験がなければ弾けないわけではない。そこには役者のような部分があるのだと思います。
作曲家や作品を分析して、客観的に構築した演奏の解釈や作品にのせる感情があった上で、さらにそれにプラスして自分の主観的な感情や思い入れがあると、そこで初めて聴き手にも感情が伝わる音楽になるんじゃないかと思っています。
—仕事とピアノの練習はどのように両立させているのですか?
日中は色々な診療科をひと月位ずつローテートしています。朝は週に2回必ず7:30から救急症例のカンファレンスがあります。あまり忙しくない科の場合は18、19時には帰宅できるので、夕食後、ピアノを2〜3時間ほど弾けると良いなという感じですが、帰りが遅い日が続くと、疲れてご飯も食べずにバタンキューという日もあります。
またうちの病院の場合、研修医は救急外来の当直が少なくとも週1回あって、その日は朝から夕方まで通常の仕事をして、そのまま翌朝まで救急外来にいることになります。救急車で来た方を最初に診るのはだいたい研修医なので、仮眠が取れても2、3時間ほど。翌日は休みとはいえ疲れすぎてぼんやりしているので、ほぼ何もできずに終わります。
そのようなわけで、週1、2日は全然ピアノを弾けません。学生時代より練習量が減りましたが、お引き受けする本番の数を減らすことで、1つ1つの演奏の質は落とさないように計画を立てて練習しています。
—この冬はベートーヴェンの「皇帝」、ラフマニノフの3番というコンチェルトを演奏、年明けにはショパンとリストによるリサイタルもあります。
今はレパートリーを増やす時期だと思い、お話をいただいたら、無理なくできる範囲で挑戦しています。学会での演奏などクローズドのコンサートを頼まれることもあるので、月に1回以上は本番があります。
ラフマニノフの3番は5年前に1度コンクールでファイナルの曲としてチャレンジしたのですが、その時は短期間で無理矢理詰め込んだため、手を痛め、暗譜もままならないまま本番を迎え、単に弾いて終わりという状態でした。今回はそのリベンジでした。じっくり時間をかけて取り組めたので音楽的にも深く探求できたことと、何より週に1回強制的に休みが入るため手を傷めることがなくて良かったです(笑)。
—以前、人生の中で一時期は音楽だけやる時期もあっていいかもしれないと話していましたね。
はい、前はそう思っていたのですが、結局、医者の仕事も始めたら楽しいので、今はわかりません。医者は、診断を下すときや、症状が治ったことを知ったときなど、答えや結果が見えやすい仕事なので、喜びを感じやすい……少し変な言い方かもしれませんが、ドーパミンが簡単に出るんですよね。
でもピアノは、楽しいこともあるけれど、つらいことのほうが多いじゃないですか。医者の仕事で得られる喜びを捨てて音楽だけに向き合うには、かなりの覚悟がいるなと今は思いますね。
—意外ですね! ステージに立って拍手を受けたりキャーキャー声援をうけたりするほうが高揚感が得られそうですが。
ワーキャーにはあまり興味がないのが正直なところなんです。もちろん応援していただけるのはありがたいし嬉しいですけれど、僕は、自分が関わった人が幸せになるのを見届けることのほうが好きなんです。これは個人の価値観によるところだと思います。
—医者とピアニストを両立してゆく今後について、どんなことを思っていますか?
僕は出会いや周りの方の理解に本当に恵まれています。今の病院も演奏活動を応援してくれているので、学会の演奏依頼はいつも病院長経由でいただいています。病院長から呼び出しがあると、だいたい演奏依頼のお話です(笑)。
この恵まれた環境がいつまで続くかはわかりませんが、ずっとこのままなら最高です!
【Information】
沢田蒼梧 ピアノリサイタル
1/19(日)14:00 静岡/磐田市民文化会館「かたりあ」
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番「葬送」変ロ短調 op.35,ポロネーズ第7番「幻想」変イ長調 op.61・第6番「英雄」変イ長調 op.53
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
問:磐田芸術協会(山本)0538‐32‐5418
こうなん名フィルコンサート2025 デュアルコンチェルトシリーズ1
ピアノとヴァイオリン 2つの協奏曲・2人のソリスト
7/6(日)16:00 愛知/江南市民文化会館「Home&nico ホール」
ショパン:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 op.11 他