務川清話 其の四

2024年、ワインに捧げた我がひと夏。

今回のエッセイが、音楽誌上という場をお借りしながらも音楽でない事柄について書き並べるものとなってしまうことを、お許しいただきたい。しかし、この事柄が僕自身の音楽観に驚くほど多くの示唆を与えてくれた、事実があり、また、必ずや一度どこかにしっかりと書き残しておきたい、そう強く思うほどに僕が情熱と時間を注いだ、とある世界——今回はそんな、ある1つの深き世界に関する、小さな個人的なる備忘録、です。


あぁ1つのアツい夏が終わった……。などと書いたら、大袈裟であろうか。しかし、多少なりとも大袈裟な表現ではあったとしても、僕にとってそれは、真実なのであった。
少し前のことになってしまったけれど、昨年すなわち2024年の、夏前後のおよそ数ヶ月間、それは、僕自身にとってあまりに未知で、困難で、しかし新たな驚きに満ちた数ヶ月間であった。何故か?と訊かれれば説明は容易だ。日本には、日本ソムリエ協会主催の「ワインエキスパート」という、その界隈では知られた資格があって、それを受験したのだ。
その試験では、8月に一次すなわち筆記、そして10月に二次いわゆるテイスティング試験があり、そしてその2段階の試験に、僕はともかく合格することができた(首の皮一枚で繋がったギリギリの状況ではあったかもしれないけれど)。そう、これで、僕も自らをワインの“エキスパート”と、“公に”呼ぶことができる、らしいのだ!これをひと夏の達成と呼ばずして、何と呼ぼう?

ワインエキスパートの認定バッジ

思うに人には——特に学生時代には——それぞれに“ひと夏の思い出”と呼べるものがあるのではなかろうか。若い頃は、夏休みって特別に時間があるものだから、1つのことに精一杯取り組んだ経験のある人も多いと思う。例えば僕の場合に於けるそれは、ピアノコンクールに賭けた夏や、音楽講習会に費やした夏、はたまた学校祭に魂を注いだ夏であったり、した。
日本の夏は、暑い。気温と湿度の両要因に加え、あのミンミンと響く沢山のセミの鳴き声が、うだるような、日本の夏特有の空気を形成している。しかしあの空気を思い浮かべる時、僕には同時に沢山の“暑い中がんばった夏”の記憶が、思い出されてくる。そう、決して心地よくはない日本の夏、それは、(少なくとも僕にとっては)頑張る季節なのだ。例えば南仏の心地良い夏とは、まるで対極のそれである!
そこで、1つのことに情熱を燃やす、「暑い」のみならず「アツい」夏を、真の夏と仮にここでは呼ばせてもらうならば、僕は久々に真にアツい夏を、今年経験することができたのだ。

そしてこの経験は、物事とはやはり本気になって向き合ってみるもの、という当たり前のようでもある教訓を、今一度思い出させてくれた。知らない世界であるワインを精魂注いで勉強することは、思う以上に沢山の新たな示唆を僕に与えてくれたのだ。
例えば。ワインの原材料は基本的に“ブドウ”のみであって、様々な酒の中でも最もシンプルなつくりを持つものの一つだ。しかし謂わば「原料はブドウのみ」という制限から表現される世界であるからこそ、そこには謎めきにも満ちた面白さと奥深さが存在する。言うなれば、たかがブドウされどブドウ、なのであって、たとえ1000本のワインを眼前に並べてみても、同じ味わいのものは決して2つと存在しないのだ!そして、適切な訓練を積んだ者であれば、例えばこの味わいならこれこれの国の、この品種から出来ているもので、製法や熟成年数はどうこう云々、といった事を、(正答率は100%ではないにせよ)ある程度区別できるのだという。そう、ワインの世界とは、厳しい制限の中から、非常に多彩かつ精緻な表現が可能な世界であり、あくまでブドウの集積物から成る液体が、人が一生かけても飲み尽くせない広く深い世界を作るという、驚くべきものなのだ。

ここで音楽のことを考えてみる。音楽には(西洋音楽の場合基本的に)12の異なる音があり、異なる音域があり、さらには異なる楽器を用いることができ、それらの組み合わせに演奏上のニュアンスもが合わさって世界が作られる。考えてみれば、ワインよりも(ルール上は)ずっと広く開かれた世界ではなかろうか。
そして、その世界を常に基準としている僕にとっては、ワインの世界はあまりに細やかな差分を追究してゆくものに思え、途方もなく繊細でミクロの世界に、気が遠くなる感覚をさえ覚えた。しかし、一見制限が多く小さなように見える世界にも、はかり知れぬ深さが存在する……。このことが僕がこの夏得た1つの大きな教訓であり、音楽を追究する立場としても今後強く心に留めておかねばと、思わされる気付きであった。

とここまで、「ワインの試験を受けたよ。」と一言で記せば充分なところ随分とまわりくどい説明となってしまって、我ながら笑っている!しかし音楽と同じく、物事の本質とは単なる情報交換以外の部分にこそ存在する、はずであるので!
しかし気を取り直してここからは、そのひと夏の報告を、順に記してみることとする。


ワインエキスパート試験を、人からの勧めもあって受けてみようかとただ思い付きに思って、教本を取り寄せたのが5月で、思い切って試験に申し込み勢いで受験料を支払ったのが、6月であった。そして受験料を支払ってしまったからには!ここからまず兎にも角にも知識合戦のような一次試験の突破を目標に、腰を据えて対策をしてゆこう、と決意を決めた。そこで800ページもある辞書のような公式テキストの文章を、まず少なくとも一通りはざっくりと読み進め、付随の地図を見ながら頭を整理してゆく。そこには世界のあらゆるワインについて、歴史・製法・品種・土壌・気候・味等々ともかく網羅的に書いてあって、世界の広さを思い知らされる。
そうして世界の外観が大まかに掴めてきたら、次は覚えるべき重要な点を絞り、こん詰めて正確に知識を頭に入れてゆく。ここからが大変な作業だ……。時にはほとんど呪文のような地名やブドウ品種名の、特に“試験に出るトコ”を、付箋用紙何十枚分もメモ書きし溜め込んでゆく。それらをトイレ、キッチン、シャワー(!)、家の至るところに貼って、それらとともに生活する。また外出時にはその付箋紙数枚を束で掴んで外出、少しの空き時間にそれらを頭に叩き込んでゆく。
ワインの世界に深く足を踏み入れるにあたって、この知識合戦のような暗記は、スタート地点の基礎として、ある程度避けて通れないようなのだ。それでも流石に少し無機質な作業に、何度もめげそうになる。そんな時には、「僕自身が十代前半の頃にはピアノに於いて行っていた音階等の地道な練習が、今ではやはり一つの土台として自分の音楽を強く支えている」という事実を思って自分を奮い立たせ、どうにか地道な学習を継続した。
しかし、夏の演奏活動で既に頭も精一杯になりながらの、こんな細切れな勉強だけではやっぱり足りなくって、試験直前、8月最後の1週間——幸いにも一切の予定を入れないことにしていた1週間——は、毎日12時間を超える勉強を連続して行うこととなった。ひょっとして東大受験生になるとはこのような感覚なのではないか?などと頭をよぎりながらも、その1週間のうちに、これまでずっとバラバラに勉強してきた雑多な知識が全て大きな流れを持って繋がってゆく感覚が、突然に、得られた。そう、味と土壌と気候が頭の中で一つの線となって繋がり、ワインという指標に基づく世界地図が、脳内に構成され始めたのだ!謂わば「ワインの味を基準に見る世界地図」を手に入れた瞬間である。これは少し不思議なようでもあるし素敵な感覚でもあった。
そうして無事に、一次の筆記試験をパスすることができました。助かった……。

そんな1つの“苦行”を乗り越えた先——次の二次試験へ向けた日々の中に、真に素晴らしい時間は待っていました。テイスティング、すなわち、白2杯・赤2杯、計4杯のワインが与えられ、その外観・香り・味わいの特徴コメントを書いてゆくこの二次試験に向けた準備は、僕にとってこれまでの人生で経験したことのない取り組みであり、手探りの中トンネルを進みながらも、日々新しい感覚を得てゆく素晴らしい時間でした。

特に最後の2週間、僕はその準備に全てを懸けた。その毎日は、朝起きるとまずテイスティングから始まる。起きたてで感覚の鋭敏なうちに、ワインを数杯並べて、目を閉じて香りを嗅ぎ舌でゆっくりと味わってゆく。冷涼産地と温暖産地での香りと味わいの違いとは何か。製法による香り味わいの差とは何か。どのようなワインが若いと言えどのようなワインが熟成が始まりつつあると言えるのか……。そうした「テイスティングに於ける基本課題」を、1つずつ味わい、感じ、分析し、メモを取り、身体に覚えさせてゆく。

でも味覚の体力も無限ではないから、疲れてきたら一旦舌の休憩だ。しかし舌は休めていても頭で学べる事も沢山あって(指を動かすだけがピアノの練習ではないように)、座学、知識ベースで覚えることのできるテイスティング知識を勉強するか、次に購入すべきワインをリサーチしてリストにし、ワインショップ等に出向き購入する。そうして時間が経ち舌の感覚が戻ってきたら、またテイスティングへ戻る。このルーティンを何周かしているうちに、日が暮れる。
だからその2週間ばかしはピアノに触れる時間もほとんどなかったのだけれど、日に日に自分の舌が小さな味の違いに敏感になっていって、「昨日分からなかったことが今日分かる」を繰り返し、未知の世界に徐々に入り込んでゆくことができるのを、感じた。出来なかったことが練習によって少しずつ出来るようになってゆく。それは、小さい頃から幾度となくピアノの上で経験し、僕を常に支えてきてくれたあの感覚と、何ら変わらぬものだった。
こうした一連の事をもし体験しなければ、きっと僕にとって、ブドウはブドウ、であった。でも、学び、小さな努力による練習を幾度も重ねてゆくことで、そのブドウというたった一つの果物が、あまりに巨大な世界を成している事を知ることができた。それは新鮮な驚きで、例えるならたった1cm四方でできた一見小さな世界に、自分が見えないほど小さな小人になって飛び込み、その世界の多彩さに驚く、そんな経験であった。

さてそんな準備期間を経て10月の頭、実はその為だけに(!)フランスから日本へ短期帰国し、テイスティング試験を受けた。そこまでしたからには絶対に受かりたくって、まるで国際ピアノコンクールに挑む時同然の集中度を持って試験に挑んでいる自分がいた。50分ばかりの短い試験が終わり、手応えに強い自信は……実は持てなかったのだけど、運も手伝ってか、結果は無事合格だった。
よかった……。そう胸を撫で下ろし、パリの自宅に帰った時、2度の試験でお世話になった分厚いテキストと幾つかの参考書、そして我がノウハウを書き記した愛しきワインノートを、ひと夏の手応えを全身で感じながら満足げにピアノの上に飾った。
苦労と発見の双方に満ちた素晴らしい数ヶ月が、ついに終わったのだ。


ワインエキスパートの資格を得た今思うことは、1つ。あくまで自分はワインの世界の、ほんの入口の一歩目に立ったに過ぎない、ということだ。あくまで試験とはある特定の方式に沿って為される課題に過ぎぬのであって、ワインの世界は、試験云々ではその入口も語れぬほどに奥深い。
けれど、僕にとっての音楽もそうであったように、1つの分野に対してどのようにアプローチしてゆけばよいのか、その方法論の基本のキを、しっかりと丁寧に理解し身体に染み込ませることができれば、その後それを深めることは、随分と楽になり、“あとはハマるだけ”という状況が作れる、と思っている。ワインという広大な世界に於ける、その重要な最初の一歩を成し遂げたこの夏は、だから僕にとっては紛れもなく意味ある夏だったのだ。

さて今後ですが、例えばワインと音楽を絡めることによってできる活動——僕が以前より憧れていたものだ——も、既にいくつか始動の計画があって、自分の音楽活動の1つの小さな副次的柱として、これから時間をかけて発展させていこう、と画策しています。
そして、僕にとっての「言葉」などもそうであるように、何より音楽を人生の柱として生きてきた自分が、他の分野を、門外漢ながらもちょっと知り、別の判断軸・比較の軸を持てることで、曖昧な音の世界のこともようやく少し分かってきて、音世界の捉え方が次第に強固になってゆくのではないかと、思う。そんな1つ柱として、新たにワインというものが加わったこと、とても嬉しく思うし、きっと自分のこれから先の人生の、沢山の思い出と音楽に関する記憶が、ワインと共に作られてゆくのだろう(※健康である限りは、ね!)と想像すると、そのスタート地点に立てたことが、今、嬉しくて仕方がないのである。

胸にはワインエキスパートのバッジが輝く!

務川慧悟 公演情報

〈フレッシュ名曲コンサート〉大井駿×務川慧悟×読売日本交響楽団
ドラマティック・チャイコフスキー

2025.3/2(日)15:00 めぐろパーシモンホール 大ホール 【完売】
問:めぐろパーシモンホールチケットセンター03-5701-2904

Just Composed 2025 in Yokohama ―現代作曲家シリーズ―
2025.3/8(土)15:00 横浜みなとみらいホール 小ホール

問:横浜みなとみらいホールチケットセンター045-682-2000

東京・春・音楽祭
藤木大地の《にほんの歌》vol.1
2025.3/15(土)15:00 東京文化会館 小ホール

問:東京・春・音楽祭サポートデスク050-3496-0202

https://keigomukawa.com