ガンバレ!吹奏楽部!ぶらあぼブラス!vol.8
高校生による夢の吹奏楽コンサート

コロナ禍も3年が過ぎ、ぶらあぼ編集部では多くの音楽家から吹奏楽部の苦難の状況を耳にしてきました。そこで吹奏楽と言えばこの方、吹奏楽作家のオザワ部長が吹奏楽部を応援するこのシリーズ。音楽へひたむきな情熱を燃やす若者の姿は、見ている私たちも元気にしてくれます。

僕らは自らの手で「青春」をつくる!

取材・文・写真:オザワ部長(吹奏楽作家)

「いつか自分たちで好きな吹奏楽曲を集めたコンサートができたらいいよな」

 熱血タイプの小森谷拳太郎とおっとりした松本一星は中学時代、そんな話をしたことがあった。神奈川県の葉山町立南郷中学校吹奏楽部で同じサックスパートに所属する親友同士。そのときはただの夢物語であり、まさか数年後に自分たちの言葉が大きな意味を持つことになるとは、拳太郎も一星も想像もしていなかった。

 中学を卒業すると拳太郎は横須賀市立横須賀総合高校へ、一星は吹奏楽の強豪である横浜創英高校へ進学することになっていた。ところがその直前、コロナ禍が到来した。2020年春のことだ。

 全国一斉臨時休校、吹奏楽コンクールの中止、多くのイベントのキャンセル、無観客の演奏、コロナによる部活停止……。いったいどれほどの悔しさを味わっただろう。

 何より寂しかったのは、人とのつながりが激減したことだ。中学時代までは濃密な人間関係の中で音楽をつくり上げる喜びがあった。だが、コロナによって練習時間や方法は制限され、マスクによってお互いの表情もわかりづらくなった。

 あっという間に月日は過ぎ去り、気づけば拳太郎や一星は高3になっていた。大切な3年間の高校時代が、すべてがコロナに覆われてしまったのだ。拳太郎にとってその3年間は「不完全燃焼」、一星にとっては「苛立ちと悲しみ」だった。

 いよいよ高校生活も終わりが見えかけてきた2022年10月、拳太郎と一星の間にあの「夢物語」が再浮上してきた。

「このまま終わるのは嫌だよな」
「自分たちの手で思い出を作らないか?」

 それは、高校生だけでつくり上げる夢のコンサート、という壮大なアイデアだった。

今回の立役者、右:小森谷拳太郎さん、左:松本一星さん

 だが、高校生が自らコンサートを企画し、開催することは非常にハードルの高いことだった。学校の吹奏楽部に所属する部員たちは部単位で動くことが基本だ。多くの大型楽器や打楽器は学校の所有物だし、部活だからこそ音楽室など練習場所が確保できる。ホールのレンタルや運搬のトラックの手配も、学校や顧問の先生という大人の信用があるから円滑にできることだ。もちろん、お金の問題も大きい。高校生だけでコンサートをやるなど、先生から反対されるかもしれない。自分たちの学校は許されても、許可を得られない参加者が続出するかもしれない。

 それでも、拳太郎と一星はチャレンジしてみたかった。

 コロナ禍の3年間、いくつものコンクールやコンサートが開催されないまま消えていった。誰が悪いわけでもない。それはわかっている。しかし、高校生たちはいつも受け身で、出演の話が届くのをひたすら待ち続けてきたし、キラキラ輝く思い出に変わるはずだったイベントが消え、期待が落胆に変わる瞬間を何度も味わってきた。

 だからこそ、前代未聞のこんなコンセプトをぶち上げた。
「企画から演奏、運営までをすべて高校生のみで!」

5名の実行委員。左から藤原さん、田中さん、小森谷くん、松本くん、西村さん

 ふたりは、信頼できる仲間として横須賀総合高校の藤原実優(2年・クラリネット)と神奈川県立追浜高校の西村美波(1年・クラリネット)、県立逗子高校の田中結菜(3年・パーカッション)に声をかけ、5人体制の実行委員を発足させた。拳太郎は楽団長・指揮者に、一星はコンサートマスターという立場になり、5人で自分の学校の部員や友人に「高校生だけでコンサートをやらない?」と呼びかけた。

「そんなの無理だよ」「できっこない」
 そんなふうに否定され、背を向けられた。

「失敗したら、高校生なのに責任はどう取るのか」
 思ったとおり、先生にも不安視された。

 だが、予想外だったのは、それ以上に「自分も参加したい」「何か協力させてほしい」という人が続々と現れたことだった。「演奏には参加できないけど、スタッフとしてコンサートを支えたい」という者もいた。

 情報発信のために立ち上げたSNSアカウント経由で連絡をくれる人も少なくなかった。東海大学付属相模高校吹奏楽部の3年生で、将来はアナウンサーを目指している岡田悠哉も、SNSを見て「ぜひ司会をさせてほしい」と申し出てくれた。

「絶対良いコンサートにしてやる!」
 拳太郎の心は熱く燃えた。一方、一星はいつも冷静で淡々と物事を進めてくれた。ふたりはこれ以上ない名コンビだった。

司会を務めた岡田悠哉さん。東海大相模高校ではトランペットを担当

 だが、コンサートは熱意だけでは開催できない。

 メンバー集めは紆余曲折がありながら、奏者62人、スタッフ16人、合計78人もの参加が決まった。会場は当初予定していた小規模なホールからヨコスカ・ベイサイド・ポケットへと変更した。

 当然、会場を使うには使用料がかかり、楽器を運搬するためにトラックを頼まなければならない。出場者からの参加費と、チケットがすべて売れた場合の売り上げを合計しても、経費の半分しかまかなえないことがわかった。拳太郎と一星は企業にプレゼンをしにいき、必死に協賛を集めた。

 事前のリハーサル会場は、拳太郎が所属する横須賀総合高校を使わせてもらえることになった。そのために拳太郎は何度も校長に頭を下げにいった。吹奏楽部の顧問も協力を表明し、楽器も貸してもらえることになった。ふたりの母校の南郷中学校、そして、横浜市立保土ケ谷中学校も楽器を貸してくれた。高校生たちの「本気」が、大人たちや学校を動かしたのだ。

 プログラムにもこだわった。いわば寄せ集めのメンバーで演奏するのに適した簡単な曲を揃えることもできた。だが、メンバーの意見をもらいながら実行委員5人で選んだ曲の中には、《アルメニアン・ダンス part I》《高度な技術への指標》《交響詩「ローマの松」より アッピア街道の松》などヘビーな曲も少なくなかった。一切の妥協なし。自分たちの思い出にするだけでなく、幅広い世代の来場者をきちんと楽しませるコンサートにしたかった。

 苦労しながらも、「企画から演奏、運営までをすべて高校生のみで」行うコンサートというパズルのピースは徐々に埋まっていった。

課題曲《行進曲「煌めきの朝」》作曲者の牧野圭吾くん

 ただ、本番の約2カ月前になって、一星からこんな話が出た。
「もうちょっとプログラムにインパクトが欲しいよね」
 パズルのピースが完全に埋まっていない気がしたのだ。

「きっと中高生は来年度の課題曲が聞きたいはず。牧野くん、コンサートで《煌めきの朝》を指揮してくれないかな?」

 拳太郎がそう言った。「牧野くん」とは、2023年度の吹奏楽コンクール課題曲I《行進曲「煌めきの朝」》の作曲者・牧野圭吾のこと。拳太郎たちと同じ高校3年生だ。高校生だけのコンサートに、高校生の作曲家の曲を、本人の指揮で演奏する——。もし参加してもらえたら、これ以上ないゲストだろう。だが、牧野圭吾は北海道札幌市在住。かなりハードルが高いことに思えた。

 駄目でもともとだ。拳太郎は思い切って連絡してみた。すると、なんと「ぜひ協力させてほしい」と快諾をもらえた。牧野圭吾はコンサートの話を聞いたとき、「なんて行動力のある子たちなんだろう」と共感と尊敬の念を抱き、参加を決めたのだった。

 パズルの最後のピースが埋まった。

アンコールの《宝島》でのサクソフォンのソリ
開演前に行われたアンサンブル演奏

 発案から約5カ月後の2023年2月23日。ついに『高校生による夢の吹奏楽コンサート #1mov.』が開催された。
 チケットはソールドアウト。会場は観客で埋め尽くされた。

 拳太郎は緊張しながらも笑顔で指揮台に立ち、11曲を指揮した。一星はコンサートマスターとしてサックスで奏者たちをリードした。牧野圭吾は自作の課題曲でタクトを振り、岡田悠哉がプロ顔負けの司会でコンサートを進行した。奏者たちは違う学校の部員たちとともに音楽を奏でる喜びを味わった。ロビーや舞台裏ではスタッフを買って出た者たちが忙しく立ち働いた。

自曲を力強く指揮する牧野圭吾くん
バンダも登場した《交響詩「ローマの松」より アッピア街道の松》

 学校や部活動の枠を超え、79人の高校生たちがつくり上げた画期的なコンサートは、大きな共感と感動を呼んだ。

「夢だと思っていたこと、無理だと言われたことだって、頑張れば実現できることもあるんだ」
「仲間と力を合わせて積極的に行動すれば、高校生だってこれだけのことができる」

 拳太郎と一星はそう思った。ふたりの力だけではない。コロナ禍に苦しめられた高校生みんなの強い思いがあったからこそ実現できたことだった。コロナは高校生たちから多くのものを奪い去ったが、それゆえに自分たちはこうして集まり、不可能を可能にできた。最後の最後に、自分たちの力で最高の青春の思い出が作れた!

 アンコール最後の曲である《宝島》が響き渡る中、79の笑顔と青春がホールにまぶしく煌めいた。

小森谷くん、松本くんによる《SAXPHOBIA》
司会も、指揮者も、奏者も、ゲストも、すべてが高校生!

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