ガンバレ!吹奏楽部!ぶらあぼブラス!vol.3
日本航空高等学校 吹奏楽団

コロナ禍も3年目、ぶらあぼ編集部では多くの音楽家から吹奏楽部の苦難の状況を耳にしてきました。そこで吹奏楽と言えばこの方、吹奏楽作家のオザワ部長に登場いただき吹奏楽部を応援する企画を始めます。まだマスクが取れない日々ですが、音楽へひたむきな情熱を燃やす若者の姿は、見ている私たちも元気にしてくれます。

取材・文・写真:オザワ部長(吹奏楽作家)

 紅白の管制塔が立ち、滑走路が長く伸びていく。小型飛行機のプロペラが唸り、滑走路の先には富士山がそびえ立つ。

 ここは空港ではない。山梨県甲斐市にある日本航空高等学校。普通科と航空科を併設する私立高校で、航空科ではキャビンアテンダントや整備士、パイロットを目指す学生が学んでいる。学校内には旅客機を模したモックアップやフライトシミュレーターなどもあり、航空業界での活躍を見据えた本格的な教育が行われている。

 また、部活動も非常に盛んだ。甲子園に春夏7回出場している野球部や春高バレーで優勝したことがある男子バレー部など、全国レベルのクラブが多数存在している。敷地内の学生寮では日本全国、あるいは海外から集まってきた学生たちが共同生活を送っている。

右より:成瀬史弥さん、松永野々花さん 左:千野こころ先生

 それぞれが自分の目標に向かって邁進する学校——それが日本航空高校だ。そして、その中に「空飛ぶ吹奏楽団」こと日本航空高校吹奏楽団がある。

 「日本一の吹奏楽団をつくりたい」と梅沢重雄理事長が2019年に音楽監督として千野こころ先生(ホルン奏者でもある)を招聘。1年目に吹奏楽コンクールの山梨県大会(B部門)で金賞を受賞し、2年目はコロナ禍でコンクールが中止となるも、3年目には山梨県大会を突破して初の西関東吹奏楽コンクール出場を果たした。

 そして今年、2年連続で山梨県大会を突破。9月11日に「30人以下の小編成の最上位大会」である東日本学校吹奏楽大会出場をかけて、西関東吹奏楽コンクールに挑むことになっている。年々力をつけ、注目の存在になっているバンドだ。

「僕は吹奏楽の経験はなかったんですが、日本航空高校に入学して吹奏楽団の先輩に声をかけられ、軽い気持ちで練習場に行ってみたのが入団のきっかけでした」

 今年度団長の3年生のトランペット担当、成瀬史弥(ふみ)は言う。

「試しにトランペットを吹いてみたら音が出たんですけど、『10年にひとりの逸材だ!』っておだてられて。『もしかしたら俺って才能あるかも?』とつい嬉しくなって入団することに決めました」

 中学時代に進学先を決めるとき、「早く自立したい」と学生寮のある日本航空高校を選び、地元の浜松を離れて山梨にやってきた。そんな史弥の高校生活は、吹奏楽によってまったく思ってもいなかった方向へ変わっていった。

「コロナのせいで活動が始まったのは1年生の6月から。その年は吹奏楽コンクールが中止になってしまったこともあり、冬に行われたソロコンテストに出場してみました。結果は、山梨県で40人中39位。『そんな甘くないよな……』と思いながらも悔しかったです」

 高2のときは吹奏楽コンクールで初の西関東大会出場を果たした後、史弥は再びソロコンテストにチャレンジした。

「冬休みになると寮生は帰省するんですけど、僕は学校に残って練習を続けました。そして、今度は山梨県で4位になれたんです」

 そんな努力も認められ、未経験から始めた史弥は2022年度の団長に抜擢されたのだった。

「去年、西関東大会銀賞で終わったとき、みんなで決めました。今年の目標は東日本学校吹奏楽大会に出場して金賞をとることです!」

 史弥は力強くそう語った。

 2年生のクラリネット担当、松永野々花(ののか)は地元の甲斐市で生まれ育った。寮には入っておらず、自宅から原付バイクで通学している(山梨県では原付バイクでの通学を認めている高校が多い)。

「中1のとき、私のいた中学校にこころ先生が教えに来てくれて、私に『耳がいいね』って言ってくれたんです。それ以来、『こころ先生がいる高校に行きたい』と思うようになりました。日本航空高校は全国大会や東日本学校吹奏楽大会に出たことはないですけど、『私が入ることで、上の大会に行けるバンドになったらいいな!』とむしろやりがいを感じました」

 明るい性格の野々花は吹奏楽団のムードメーカー。合奏中も笑顔を振りまき、積極的に発言する。だが、それは野々花だけではない。

「みんなが明るくて、誰もが意見を言える雰囲気があります。『Be positive, be elegant』というのがこころ先生が考えてくれたバンドの哲学(フィロソフィー)なんですけど、その言葉どおりに誰かが光り始めると、連動してみんなが輝き始めるんです」

 今年度の団員数は37人。野々花は中学から吹奏楽を始めたが、史弥のように未経験で入団する者も多い。一方で、中学時代にコンクールの頂点である全日本吹奏楽コンクールを経験した団員も2人いる。また、モンゴルからの留学生が11人入っているのも日本航空高校ならではの特徴だ(9月からはトルコとキルギスの団員が加わる予定)。男子はパイロットシャツ、女子はキャビンアテンダント風の衣装(いずれも制服)でコンクールに出場するのも珍しく、会場では注目を浴びる。

 実にユニークな存在である日本航空高校吹奏楽団はいま、コンクールという空を旅している。行き先は西関東大会経由、東日本学校吹奏楽大会だ。

 演奏する自由曲には《吹奏楽のためのエッセイII》を選んだ。吹奏楽に対する作曲者・福島弘和の思いを綴った「音楽の随筆」だ。

 長引くコロナ禍に苦しめられながらも日本航空高校は練習を積み重ね、山梨県大会に臨んだ。史弥はこう振り返る。

「初戦の緊張もあって、思いどおりの演奏はできませんでした。演奏後、男子の間では『代表になるのは無理かな』と話していました」

 その思いは野々花も同じだった。

「練習のときは良かったのに、コンクール本番では満足できる演奏にならなくて。コロナで有観客の演奏に慣れていないせいもあり、プレッシャーを感じてしまったんだと思います。代表に選ばれたときは、嬉しいよりホッとしました」

千野こころ先生

 上位大会へのチャンスをもらった日本航空高校。今後は、県大会で突きつけられた課題を克服することが必要になる。

 団長の史弥は「普段の練習場と違うと、体と思考が連動せず、いつもどおりの演奏ができない」と痛感した。一方、野々花はそれに加えて「表現力不足をどうにかしなければ……」と思っていた。

「西関東大会までに残された時間で、一人ひとりが本を読んだり音楽を聴いたりして、感性を養うことが必要かなと思いました」

 音楽は審査で良い評価を得るためのものではない。豊かな表現によって聴く人の心を動かし、感動を与え、それによって自分たちも感動を得るのが音楽だ。また、活動を通じて人間的に成長することも、高校の吹奏楽部・団の持つ大切な意義である。

 人を感動させる表現力を身につけ、人間的にも成長するためには、楽器の練習だけでなく、様々な芸術に触れて感性を磨くことが大事——。県大会を通じ、野々花はそのことに気づいたのだ。

 高校生は多感だ。触れたもの、学んだことをあっという間に吸収し、成長する力を持っている。磨き上げられた感性、豊かになった心は日本航空高校吹奏楽団の翼となり、さらなる高みへ上昇していく原動力となるだろう。

 コロナ禍という暗雲を突き抜け、山梨の個性派吹奏楽団のフライトは続く。