ショパン研究所のシュクレネル所長が語る
ショパン・コンクールのこれからと文化遺産の継承

聞き手:白柳龍一
通訳:平岩理恵(ポーランド広報文化センター事務局)

 2025年10月に開催される第19回フリデリク・ショパン国際ピアノコンクール(以下、ショパン・コンクール)。つい最近、コンクールのプログラムと課題曲の変更点、賞金や賞品について、また、コンクール創設100周年に向けてのさまざまな企画などが発表された。

 コンクールに関する企画、運営を実施する主体がポーランド国立フリデリク・ショパン研究所である。ポーランド語の名称は、Narodowy Instytut Fryderyka Chopina、それぞれの単語の頭文字をとってNIFC(ニフツ)と呼ばれている。ショパンの自筆譜の収集や、ショパン時代のピアノの修復と再現など、ショパンの文化的遺産を保護し研究することを目的としているほかに、コンクールや音楽祭などの企画、学術研究、自筆ファクシミリ楽譜の出版やCDリリースなど、多岐にわたる活動を展開している。

 NIFCに所属する所員たちを統率し、リーダーシップを発揮しているのが所長のアルトゥル・シュクレネル氏である。幼い頃からショパンの音楽を愛しピアノに親しんでいた彼は、少年時代、「自分の指先からショパンの音楽が湧き出てくる喜びを感じるために」ピアノを弾いていたのだという。

課題曲の変更

 今回、折から来日中のシュクレネル氏から、最近のNIFCの動きなどについて聞く機会を得た。まず最初に、開催が来年に迫った第19回ショパン・コンクールについて聞いてみよう。

シュクレネル:第19回のショパン・コンクールには、いくつかの注目すべきポイントがあります。まず、ファイナルの課題曲に「幻想ポロネーズ op.61」が加わりました。コンチェルト2曲のどちらかを選択する形は従来と同じですが、いわば「若書き」の作品であるコンチェルトに加えて、ショパン最晩年の大作を演奏してもらうことで、ファイナリストに要求される技術と表現力の幅が大きく広がることになります。そのほかにも、第1次予選の課題曲には「ワルツ」が追加され、第2次予選には「前奏曲集」とピアノ独奏曲より任意の1曲がラインナップされました。

 課題曲の変更は、審査員の意向も取り入れて決めたとのこと。審査員自身がショパン・コンクールの優勝者や入賞者なので、彼らとともにコンクールのあるべき姿を模索する中での決定だという。本選に残った参加者たちは、技術的に優れた人ばかり。そんな彼らからより深い表現力や豊かな音色感にあふれる演奏を引き出すために、第1次予選に「ワルツ」を追加した。

シュクレネル:現代の人は舞踏会に行く経験などが少なく、ワルツ=舞曲を自分の中で理解するためのイマジネーションが必要になります。また、それらを表現するための多彩な音色のパレットを持ち合わせていなければなりません。参加者たちに求められることのレベルがどんどん高くなっているのです。

コンクール創設100年アニバーサリーイヤーに向けて

 1927年の創設から今日まで多くの世界的ピアニストたちを輩出し、ついに100周年を迎えるショパン・コンクール。大きな節目に向けてのプロジェクトが粛々と進められている。

6月、都内のポーランド共和国大使館で行われたコンクールの記者会見の様子 

シュクレネル:現在はすでに第19回の用意が整いつつあり、2030年に開催する第20回に向けての準備に入っている段階です。このふたつのコンクールの間には、2028年にショパン国際ピリオド楽器コンクールが開催されますし、2029年には、第20回を前にした世界規模の予備予選会を全5大陸の十数ヵ国で開催する予定です。これらに加えて世界5ヵ国での展示事業、出版事業、CDリリースや関連のコンサートなども企画しています。それらを包括して、わたしたちはショパン・コンクール100周年の記念事業プロジェクトと位置づけています。
 また、それらのコンクールとは別に、ジェラゾヴァ・ヴォラに大規模なミュージック・センターの設立プランを進めています。

 ジェラゾヴァ・ヴォラといえば、復元されたショパンの生家や美しい公園がある場所で、音楽ファンにとっては観光スポットのひとつとなっている。ワルシャワからは車で1時間くらいのところにある小さな村だ。

シュクレネル:ミュージック・センターの設計はすでに完了しています。かなり大規模な施設で、600人規模の聴衆を収容できるコンサートホール、室内楽ホール、ワークショップ用の施設などがあります。また、子どもたちが学習するための場所や、NIFCが収集した古楽器を展示・保管しておく施設の建設も予定しています。全体的にかなり大規模なプロジェクトになる予定です。

ミュージックセンターの完成はいつごろになるのだろう?

シュクレネル:いままさに資金交渉の段階でして、ポーランド政府をはじめ、さまざまなところと調整を重ねています。すべてが順調に、理想どおりに進むことを前提とすれば、2025年から建設を開始し、その後、足掛け3年で28年には完成させるという見通しです。

時代のその先を見据えて

 ショパン・コンクールをはじめ、ミュージックセンターの建設など、NIFCの活動はポーランドの国家的なサポートを背景にしており、とりわけ「ポーランド共和国文化・国家遺産省」の存在は大きい。国を挙げて、ショパンという偉大な芸術家の遺産を保護し次代に継承していくという強い使命感に裏付けられている印象だ。文化・国家遺産省との交渉や調整などのすべてをシュクレネル氏が仕切っているのだろうか?

シュクレネル:わたしがすべてを担うのはとても無理です(笑)。もちろん、所長という立場ですから、最初のコンタクトはわたしから始まることが多いですが、具体的な事象については、それぞれのスタッフが的確に担当してくれています。ご指摘のとおり、ポーランドには文化・国家遺産省のようなところもありますし、なにより文化事業に対する予算がしっかり認められていることが、とてもありがたいと思っています。

 100年の歴史をもつショパン・コンクールだが、その様子を伝えるメディアの有りようは革新的に変化してきた。とくにインターネット=SNSの登場は、新しい聴衆の獲得に大きな役割を果たしている。NIFCの発表によれば、前回(2021年)のコンクール期間中、NIFCのYouTubeチャンネルに投稿された動画は過去最高のアクセス数を記録し、同年10月だけで3,750万回も視聴されたのだという。視聴時間の合計は800万時間で、これは2015年の4倍以上の数に達しているとのことだ。

シュクレネル:前回と同じように、コンクールのすべての演奏は4K画質での視聴が可能となります。第19回ショパン・コンクールの公式サイト(https://konkursy.nifc.pl/en)や、Chopin Competitionのスマホアプリ、NIFCのYouTubeチャンネルなど、ポーランド国内のテレビ・ラジオ局も含めると、6つの異なる媒体を通して視聴することができます。
 SNSの進化は、新しい層の聴衆を掘り起こすこと、さらに出演者のモチベーションを高めることに大きな役割を果たしています。コンクールの期間中、SNSを通して伝わる演奏風景を見て、日頃はクラシック音楽と馴染みの薄い若者たちも熱狂しています。また、コンクールの参加者は、自分たちが演奏する映像が世界中の人たちに見られている瞬間を体感することで、大きなモチベーションアップにつながることと思います。

 シュクレネル氏とNIFCにとって、いま一番大切なミッションは何なのだろう。

シュクレネル:私たちが目指すところは、クラシック音楽の広範なプロモーションということだと思います。とりわけクラシック音楽の素晴らしさを、若者たちに伝えるということ。わたしたちにとっては、ショパンという偉大な存在がいるわけですね。彼の音楽は本当にユニバーサルなもので、誰の心にも届くものだと思います。ショパン・コンクールのSNS利用についてお話しましたが、あらゆる機会をとらえて、わたしたちはクラシック音楽の魅力を若者たちに届けていきたい、これが目下の大きなミッションです。
 大切なことは、クラシック音楽を聴いてほしいということだけではなく、その作品の周辺、つまりより広範な文化についてのことも知ってほしい、馴染んでほしいと願っています。
 今お話したのが、若い聴衆に向けてのいわば普遍的なミッションだとすれば、もう少し専門的な、プロのピアニスト向けのミッションというべきものもあります。やはりコンクールもそうなのですが、若いピアニストたちに、チャンスを与えるということがとても大切だと考えています。ショパン・コンクールは世界中から参加者を募りますが、ポーランド国内の若手ピアニストのために、さまざまなワークショップやコンクール、コンサートへ出演する機会をできるだけ多く提供したいと考えています。これが、もうひとつの大きなミッションとなります。

 ミッション遂行にあたっての苦労はどんなことか?という質問に、「たくさんありますよ!」と即座に応じてくれたものの、「一番難しいことは……」と言いかけてから長い沈黙がつづき、ようやく話し出してくれた。

シュクレネル:若者たちにクラシック音楽の素晴らしさを届けるというミッションの中で、日頃、あまりクラシック音楽に接する機会がない彼らに向けて、わたしたちが媚びるというか、おもねってはいけないと考えています。わたしたちも心を開いてコミュニケーションを心がける。しかし、伝えたいことの内容については、できる限り妥協しない。素晴らしい音楽作品があり、その周辺にはどれだけ汲んでも尽きることのない豊かな芸術の泉が溢れているかということを、どうやって伝えていくか。
 ともすれば受け手に迎合して面白おかしく、いわば軽薄な手法で伝える場面を見ることもありますが、その一瞬はウケるかもしれないものの、彼らの理解はそこで止まってしまいます。もちろん、ある種のキッカケづくりとしてはよいのかもしれませんが、わたしは、あくまで本物を届けながら、音楽に興味を持ってもらい、本当の素晴らしさを味わってもらいたいと思います。そのバランスをとることがとても難しいのですが、これも重要なミッションとして遂行していきたいと考えています。

 シュクレネル氏は現在50歳をこえたばかり。今後、次々に繰り出す斬新な施策を実践する時間は十分にある。彼と話をするときにいつも感じること、それは、作曲家、アーティスト、そして聴衆への強いリスペクトである。とりわけ、来るべき次代を担う若いアーティストや聴衆をどのように育てていくか。この話題になると常に熱い思いをぶつけてくる。偉大な音楽家の遺産を後世に伝えながら、新世代の演奏家や聴衆の育成に心を砕く。このミッションは、世界を駆け回る彼の脳裏から離れることはないのだろう。

Photo: I.Sugimura/BRAVO

プロフィール
アルトゥル・シュクレネル Artur Szklener
1972年ポーランド、クラクフ生まれ。ヤギェウォ大学音楽学部卒業。1994年〜95年イギリスのエクセター大学、94年〜97年ロンドン、プラハ、ブルノ、クラクフで、ファーレプログラムの奨学金を受け、97年、「現代の分析手法に照らしたショパンの《幻想曲 ヘ短調》」を研究し、優秀な成績で修了証書を授与された。2008年、「ショパンの旋律のイディオム」と題する博士論文を発表。01年よりワルシャワのフリデリク・ショパン研究所(NIFC)に入所し、当初は音楽学の専門家として、その後、アカデミック・プログラムのコーディネーターを経て、09年から12年までは学術・出版部門の副ディレクターを務める。12年5月、同研究所所長に就任。毎年開催されるショパン・カンファレンスの議事録や学術出版物の編集、ショパン作品のファクシミリ版の考案に携わった。ショパンの作品と調性音楽分析法を中心に研究。17年〜19年、文化・国家遺産省の委託と助成を受けて、NIFCが主催する国民文化会議のコーディネーターを務めた。

第19回フリデリク・ショパン国際ピアノコンクール(2025年)
[会場:ワルシャワ国立フィルハーモニー]
予備予選 4/23~5/4

オープニング 10/2
1次予選 10/3~10/7
2次予選 10/9~10/12
3次予選 10/14~10/16
ファイナル 10/18~10/20
入賞者コンサート 10/21~10/23

課題曲
◎1次予選
練習曲、ノクターン、ワルツ、バラードから任意の作品、
および舟歌 嬰ヘ長調 op.60または幻想曲 ヘ短調 op.49
◎2次予選
ポロネーズ、前奏曲集 op.28、アンダンテ・スピアナートと大ポロネーズ 変ホ長調 op.22から任意の作品、
およびピアノ独奏曲から任意の1曲
◎3次予選
ソナタ 変ロ短調 op.35またはソナタ ロ短調 op.58、
いずれかのマズルカ作品集、およびピアノ独奏曲から任意の1曲
◎ファイナル
幻想ポロネーズ op.61および
ピアノ協奏曲 ホ短調 op.11またはピアノ協奏曲 ヘ短調 op.21

Narodowy Instytut Fryderyka Chopina
https://konkursy.nifc.pl/en/miedzynarodowy/o-konkursie/77