取材・文:那須田務(音楽評論家)
6月にドイツへコンサートを聴きに出かけてきた。ベルリンを拠点にライプツィヒのバッハ音楽祭やベルリン・フィル、ハンブルクのグリゴリー・ソコロフ、この秋来日するフランクフルト放送交響楽団など。ひんぱんに海外の一流演奏家やオーケストラが来日するのにわざわざ現地に行かなくてもと思うが、聖トーマス教会におけるバッハのカンタータや「マタイ受難曲」「ロ短調ミサ曲」、ベルリン・フィルハーモニーでドゥダメルが指揮するベルリン・フィルのマーラーの6番、フランクフルト大聖堂のブルックナーのミサ曲は絶対に聴けない。音楽と場について考えるよい機会になるかもしれない。出来るだけたくさんと欲張ったので、6月6日から25日までの19日間に14のコンサートを聴くことになった。まずはその第1弾、ライプツィヒのバッハ音楽祭のレポートである。
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今年のライプツィヒのバッハ音楽祭は6月7日から16日まで。ルターのコラール(1524年の賛美歌制定から)500周年とバッハのコラール・カンタータ300周年の二つの記念年を祝おうと、モットーは「CHORAL TOTAL」。バッハは1724年から翌年にかけてコラールを用いたおよそ50曲のカンタータを書いたが、同音楽祭では17のコンサートと数多くの教会礼拝でこれらのカンタータを取り上げた。他にもたくさんあって無料の野外ステージも含めて157という規模の大きさだ。また、同音楽祭では年々、参加者をひろく海外から募り、プロだけでなくアマチュアも、というように枠や垣根を取り払う傾向にあり、今年は世界5大陸から集まった30組のバッハ合唱団が参加(日本からは樋口隆一さんの率いる明治学院バッハ・アカデミー、名エヴァンゲリスト佐々木正利さんの指揮するバッハ・カンタータ・フェライン東日本が出演した)。しかもいくつかのコンサートではお客さんも一緒にコラールを歌う。カンタータ等の宗教曲が主だが、他にも器楽曲や合奏曲、バッハの音楽で構成したオペラもある。できればずっと滞在して全部聴きたいところだが、欲張りなので他のコンサートも聴きたい。そこで音楽祭のオープニングとファイナルの他、途中なんどかベルリンと往復するなど飛び飛びの日程となった。
6月5日に羽田を発って6日に旅の拠点ベルリンに到着、翌朝ライプツィヒに向かう。中央駅や街のいたるところに音楽祭関連のポスターが貼られ、思わずテンションが上がる。
♪オープニングコンサート|6/7(金) 17:00 聖トーマス教会
J. S. Bach: Präludium c-Moll, BWV 546/1
J. S. Bach: Christ, unser Herr, zum Jordan kam, BWV 684
J. S. Bach: O Ewigkeit, du Donnerwort, BWV 60
A. Berg: Konzert, (Dem Andenken eines Engels)
F. Mendelssohn Bartholdy: Wie der Hirsch schreit nach frischem Wasser, op. 42, MWV A 15
コンサートというよりは式典だ。ライプツィヒ市や国の要人と思われるセレブな人たちが、聖トーマス教会の内陣に通路を挟んで粛々とした面持ちで向き合うなかで、聖トーマス教会オルガニストのヨハネス・ラングが同教会の2階バルコニーのバッハ・オルガンで前奏曲ハ短調BWV546の1と「クラヴィーア練習曲集第3巻」からのコラール編曲《我らの主キリスト、ヨルダン川に来れり》を奏で、ライプツィヒ市長ユングがスピーチ。「あらゆる宗教や悲観主義や楽観主義者など全世界の人たちがバッハの大きな愛で一つになる」などと述べて、祭壇と反対側の2階のオルガン席で現トーマス・カントル、アンドレアス・ライツェ率いるライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーとトーマス教会合唱団(以下トマーナー)、人気ソプラノのミリアム・フォイアージンガーらが、死を巡って擬人化された「恐怖」や「希望」、イエスらが交し合う対話形式のカンタータ第60番《おお、永遠、あなたは雷の御言葉》を演奏した。一曲目の冒頭はリストのコラール「おお永遠、汝、雷の言葉よ」だが、長調で奏でられる決然とした弦の刻みが人々への励ましのようだ。ここで音楽祭の総監督マウルの挨拶。今回の音楽祭のコンセプトの他、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦争に言及し、すべてが変わることを祈る、などと語った。
続いてシュシャヌ・シラノシアンの独奏、ゲヴァントハウス管弦楽団によるアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲。12音技法の曲だが、音列に先のバッハのカンタータ第60番の終曲のコラールの冒頭音型が織り込まれている。シラノシアンのソロが見事。教会の高いオルガン台から漂うように聴こえてくる音楽を聴いていると、地上に現出した楽園にいるようだ。最後は「詩編42」をテキストにした、メンデルスゾーンの《鹿が水を求めるように》。合唱とオルガン、児童合唱、フォイアージンガーのアリアがすばらしい。モダン楽器なのでテクスチャーが混濁気味だが、地を這うような重さはない。晴れやかな盛大な拍手のうちに音楽祭は開幕した。
♪シュペアリング指揮 ダス・ノイエ・オーケストラ 他|6/7(金)20:00 聖ニコライ教会
J. S. Bach: O Ewigkeit, du Donnerwort, BWV 20
J. S. Bach: Ach Gott, vom Himmel sieh darein, BWV 2
J. S. Bach: Christ unser Herr zum Jordan kam, BWV 7
J. S. Bach: Ach Herr, mich armen Sünder, BWV 135
開幕コンサートの後、聖ニコライ教会に移動。音楽祭のモットーであるコラール・カンタータをメインとした演目で、バッハが1724年の三位一体節後第一主日のために作曲した最初のコラール・カンタータ第20番の他、2、7、135番ほか。演奏はクリストフ・シュペアリングとケルンの古楽器のアンサンブル、ダス・ノイエ・オーケストラ、コーラス・ムジクス・ケルン。特定のコラールのオルガン編曲(基本的にバッハの編曲だが、一曲目の《おお永遠よ、汝雷の言葉》はカルク=エーレルト)とカンタータ。終曲最終節のコラールが歌われた後にそれを聴衆と一緒に歌うという趣向だ。実は音楽祭では、出版社カールスが音楽祭で取り上げるコラールを集めたバッハ音楽祭特別版(Choräle des Choralkantatenjahrgangs Mitsingheft zum Bachfest Leipzig 2024 Carus31.397)を製作して無料で配布(なんというサービス精神!)。そうはいってもなかなかお客さんから声は出ない。シュペアリングが聴衆を励まそうとさあ、頑張ってと指揮をする。まるで会場一体となったリハーサルのような光景だった。そのかいあって聴衆も次第に声が出てきて最後の第135番では大合唱になった(有名な「マタイ」の受難コラールということもあったのかもしれない)。シュペアリングらはソリスト、合唱、器楽ともに歌詞と音楽の関係や修辞的な表現をしっかりと踏まえ、シャープなドイツ語の発音もあって、表出力の強い、ドイツ的な質感の演奏だった。
♪コレギウム・ヴォカーレ1704の《マタイ受難曲》|6/8(土)19:00 聖トーマス教会
J. S. Bach: Matthäus-Passion, BWV 244.2
ヴァーツラフ・ルクスが率いるチェコを代表する古楽の演奏団体による「マタイ」。祭壇を背にした2階大オルガンの舞台の左右に二つの合唱団が乗り、柵の前にトマーナーとアンナ・マグダレーナ・バッハ学校の児童たちがずらりと並ぶ。昨日のシュペアリングらと違って器楽も合唱も、発音やサウンドは柔らかくてまろやかだが、語尾の子音は明瞭だし、冒頭から情感はしっかりと伝わる。合唱は両端の壁際いっぱいに配置されているので建物全体に響きわたる。ただ、器楽に比べてバランス的に大きすぎるところも。柔軟性に富んだリリックテノールのロビン・トリッチュラー(エヴァンゲリスト)、重厚かつ気品のあるマティアス・ヴィンクラー(イエス)らソリストも秀逸。レチタティーヴォもアリアも重要な歌詞をくっきりと浮き上がらせる。イエスの捕縛と裁判、磔刑に向けて徐々に緊張感を高める劇的構成もいいし、表現は繊細で生き生きとしている。演奏が終わって盛大な拍手とスタンディングオベーション。筆者は右側2階の祭壇側(つまり舞台から一番遠いところ)の席だったが、大部分の聴衆は祭壇を向いているので、ここで初めて舞台の演奏家を見ることになる。教会音楽は神への奉仕、音楽家の姿は見えない、音楽だけでいいという宗教音楽の在り方を垣間見た気がした。
♪I.ファウストとモンテヴェルディ合唱団 モテットとパルティータの対話|6/9(日)18:00 聖ニコライ教会
J. Bach: Unser Leben ist ein Schatten
N. Matteis jun.: Fantasia a-Moll
J. M. Bach: Unser Leben währet siebenzig Jahr
J. M. Bach: Halt, was du hast
J. G. Pisendel: [Prelude], aus: Sonate a-Moll
J. C. Bach: Der Gerechte, ob er gleich zu zeitlich stirbt
N. Matteis: Preludio
N. Matteis: Passagio rotto
N. Matteis: Fantasia
J. C. Bach: Fürchte dich nicht
J. S. Bach: Ich lasse dich nicht, BWV 1165
H. I. F. Biber: Passacaglia g-Moll
J. M. Bach: Ich weiß, dass mein Erlöser lebt
J. S. Bach: Adagio, aus: Sonate g-Moll, BWV 1001
J. S. Bach: Komm, Jesu, komm, BWV 229
J. S. Bach: Fuge
J. S. Bach: Der Geist hilft unser Schwachheit auf, BWV 226
J. S. Bach: Allemande – Double, aus Partita h-Moll, BWV 1002
J. S. Bach: Jesu, meine Freude, BWV 227 (I–IV)
J. S. Bach: Courante – Double
J. S. Bach: Jesu, meine Freude, BWV 227 (V–VII)
J. S. Bach: Andante, aus: Sonate a-Moll, BWV 1003
J. S. Bach: Jesu, meine Freude, BWV 227 (VIII–XI)
J. S. Bach: Partita d-Moll, BWV 1004 J. S. Bach: Singet dem Herrn ein neues Lied, BWV 225
今回の音楽祭で筆者の聴いたコンサートでは、最後のヘレヴェッヘのバッハの「ロ短調ミサ曲」とこの日が飛びぬけてすばらしかった。イザベル・ファウストのヴァイオリン独奏とモンテヴェルディ合唱団によるモテットを組み合わせるという大変興味深いコンセプト。残念ながらガーディナーは体調不良でジョナサン・セルズが指揮をした。17世紀のヨハン・バッハやヨハン・ミヒャエルやバッハの父の従兄弟ヨハン・クリストフ・バッハ、ヨハン・セバスティアンのモテットにマッテイス、ピゼンデル、ビーバー、バッハの無伴奏ヴァイオリン作品の楽章を組み合わせる。しかも一時間の休憩を入れて3時間という異例尽くしのコンサート(前半はバッハ以前。後半はオール・バッハ)。大バッハのモテットの通奏低音はチェロ2、オルガンだ。一曲目は祭壇の奥で、次に反対側のオルガン席、あるいは祭壇の手前でというように、ファウストは教会のなかを移動しながら弾く、次にどこに現れるか分からない。合唱は歌詞に即した表現が巧み。飛びぬけて上手い。ドイツ語の歌詞の発音はシャープさに欠けるが、各声部の音色の融合が見事で、その点で芸術的な水準は極めて高い。前半のイザベルのソロではピゼンデルのプレリュードとビーバーのパッサカリアがすばらしい。後半は《イエス、わが喜び》BWV227の節をいくつかに分けてバッハの無伴奏作品の楽章と交互に弾く。最後はパルティータ第2番全曲と《主に向かって新しい歌を歌え》BWV225。いずれも圧巻だった。
♪クロージング・コンサート、ヘレヴェッヘのバッハ「ロ短調ミサ曲」|6/16(日)18:00 聖トーマス教会
J. S. Bach: Messe in h-Moll, BWV 232
説教壇の下に2本のろうそくが灯る。まず司会者が閉会の挨拶。今回の音楽祭には「Bach by Bike」という、バッハの生まれ故郷アイゼナハからオールドルフ、アルンシュタット、ワイマールなどバッハ縁の地をほぼ時系列に沿って自転車で旅する企画があり、その最終地点のライプツィヒに辿り着いたメンバーを紹介。
こうして始まった《ロ短調ミサ曲》の合唱は、オーケストラの背後を囲む配置。キリエは柔らかく痛みがない。空間にふさわしいテンポで各パートがしっかり聴こえる。ヘレヴェッヘの音楽の魅力は、どの曲もフレージングがきれいに整えられていて、歌詞(ラテン語のミサ曲通常文)に即した旋律の動き、和声、対比などの音楽的・修辞学的な表現をこれ以上ないほど丁寧に扱っているところだろう。しかもそのどれもが極めて洗練されている。また管弦楽と合唱の響きが見事に融合。ソプラノのドロテー・ミールズやBCJでもお馴染みのハナ・ブラシコヴァ、アルトのアレックス・ポッターらソリストたちも、木管奏者たちも充実。「エト・インカルナトス… Et incarnatus est」の下行音型の蒼ざめた表情、「クルチフィクスス Crucifixus」最後の「そして埋葬されました」の名状しがたい不協和な響き。そこから一変、イエスの蘇りの強烈な喜びと躍動感。配置換えをした「サンクトゥス Sanctus」の宇宙的なひろがり。最後の「ドナ・ノービス・パーチェム Dona nobis pacem」(われらに平和を与えたまえ)は天上からのメッセージのようだ。心から感動した聴衆の喝采もフィナーレにふさわしいものだった。メンバー表に、オランダを拠点に活躍するオーボエ奏者・北里孝浩さんの名前があるので会いに行った。北里さんによれば、今回がヨーロッパ・ツアーの最終地。今回初めて管楽器はすべてザクセンの楽器(複製)でそろえることが出来たのだそうだ。管楽器の音色の統一性と融合の理由を知る。
今回改めてトーマス教会で何度も聴いたが、やはりこの教会の響きは特別だ。通常教会では一階の祭壇に演奏家が配置されるが、ここはそれとは反対の2階のオルガン席。だから響きが上から降ってくる感じだし、どれほど低音を利かせても地上的な重さはない。
ただこの教会の響きがバッハの時代から変わらないかというとそれは分からない。第2次世界大戦の連合軍の空襲で大部分が破壊されたからだ。それでも、2階の大オルガン席が舞台で高い天井という構造は変わらないし、実に素晴らしい響きであることは確かだ。
♪その他の公演
そのほか、クリスティアン・ベザイデンホウトが率いるフライブルク・バロック管弦楽団(16日、クプファーザール)やラインハルト・ゲーベル指揮ダス・ノイエ・バッヒシェス・コレギウム・ムジクム(15日、大学教会聖パウリヌム)を聴いた。最終部の午前中に行われたバッハ時代のスタイルによる礼拝(16日聖トーマス教会)は3時間にわたって聖書の詠唱やオルガン、説教、トン・コープマンの指揮する世界中から募った100名の歌手たちで構成される合唱団(BACH- We-Are-FAMILY-Chor)の演奏が繰り広げられる。当日の福音書の詠唱の仕方など得るところが大きく、2階のオルガン席で身を乗り出すように牧師の説教を聞くコープマンの姿が印象的だった。
ふだんからライプツィヒの教会で行われている礼拝(Gottesdienst)や「モテット」も音楽祭のプログラムの一つ。牧師の説教とともにカンタータを聴き、会衆とともにコラールを歌った。旧市庁舎の市場の特設ステージで開催されている無料の「バッハ・ステージ」も楽しかった。障がい者をテーマにした「ヨハネ受難曲」で飲み物を片手に聴衆が曲にあわせてハミングしたり、一緒に歌う。この音楽祭ならではの光景だろう。
♪おわりに
音楽祭の広報部によれば、今年はコンサートのチケットの売り上げが過去最高。メインコンサートの入場率は90パーセント、2万人がコンサートを聴いた。また、MDRザクセン放送局によれば、世界各地から7万6千人以上のバッハ・ファンが同地を訪れたという。
今回のバッハ音楽祭はコラールがテーマなので教会カンタータが多かった。いうまでもなく、歌詞をもつ音楽である。この場合の歌詞はもちろんドイツ語だし、言葉=メッセージを重んじる精神は聖書的であると同時にドイツ的だ。これはおそらく今回だけに限らないだろう。バッハの中心的な作品は、教会カンタータや受難曲など宗教的声楽作品であり、この音楽祭の主要な舞台は聖トーマス教会をはじめとする教会。それがこの音楽祭に特別な性格を与えていると言える。
アーノンクールや鈴木雅明ら優れたバッハ演奏家に与えられてきた、ライプツィヒ市のバッハ・メダルの受賞者はアンドレアス・シュタイアー。受賞理由は「40年近く現代における優れたバッハ解釈者の一人として活動。彼のバッハ演奏は作品に対する精神的知的な洞察力と自らのアイデアを見事に実現する能力を証明している」。彼のコンサート当日に授賞式が行なわれたが、筆者はベルリンにいたので参加できなかった。かわりに12日にポツダムのサン・スーシ音楽祭でチェンバロ・リサイタルを聴いた。続編でレポートする。
取材協力・写真提供:Bach-Archiv Leipzig(無印は筆者提供)
那須田務 Tsutomu Nasuda
音楽評論家。1980年に渡独。ケルン音楽大学およびアムステルダムで古楽演奏を学び(ヘラー、ハウヴェ両氏に師事)、ケルン大学哲学部音楽学科修士課程修了(M.A)。帰国後2023年まで母校の洗足学園音楽大学で音楽学を講じるとともに、音楽評論家として活動。ラジオ番組への出演や新聞雑誌への寄稿、市民講座などを行う。共訳書にアーノンクール著『音楽は対話である』(アカデミア・ミュージック)、著書に『音楽ってすばらしい』(ポプラ社)、『名曲名盤バッハ』『ON BOOKS advance もっときわめる! 1曲1冊シリーズ5 J.S.バッハ:《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》』『古楽夜話 古楽を楽しむための60のエピソード』(以上、音楽之友社)、『教会暦で楽しむバッハの教会カンタータ』(春秋社)、監修著作に『ピアノの世界』(学研)、『河出「夢」ムック バッハ』の他、『古楽演奏の現在』(音楽之友社)、『古楽への招待』(立風書房)等共著書多数。また長年にわたり『レコード芸術』誌の新譜月評を担当。現在『音楽の友』誌のレギュラー執筆者。日本ペンクラブ会員、ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。