コンポージアム2023 5/25公演「近藤譲の音楽」に向けてリハーサル進行中!

 今年の「東京オペラシティの同時代音楽企画『コンポージアム』」は、近藤譲(1947-  )をフィーチャー。5月25日の公演「近藤譲の音楽」は、作曲家の信頼も厚い指揮者ピエール=アンドレ・ヴァラドを迎え、読売日本交響楽団によってオーケストラ作品が演奏される貴重な機会。23日には、近藤を描いた映画の上映とトークが実施され、熱心なファンが多く詰めかけた。メイン公演への期待が高まるなか進行中のリハーサルの模様を、音楽ライターの小室敬幸さんに取材してもらった。
左:ピエール=アンドレ・ヴァラド 右:近藤譲

取材・文:小室敬幸

 コンポージアム2023「近藤譲の音楽」のリハーサルが進んでいる。5月25日(木)の本番当日にむけて、22日(月)から読売日本交響楽団の練習所でリハーサルが開始。まずは今回、世界初演される作品のひとつ《ブレイス・オブ・シェイクス Brace of Shakes》(2022)から始まったが、1時間の練習予定が30分強で終わるほど順調に進んだようだ。休憩を挟み、つづいてはこれまた世界初演となる《パリンプセスト Palimpsest》(2021)のリハーサル。筆者はここから見学させてもらった。

読売日本交響楽団

 そもそも「パリンプセスト」とは、文字を消して再利用された羊皮紙を指す言葉――つまり「文字の上書き」を意味している。近藤自身の曲目解説にもある通り、2020年に作曲されたピアノ独奏曲《柘榴(ざくろ)Pomegranate》をオーケストラにトランスクリプション(編曲)した作品なのだ。《柘榴》は、近藤作品を演奏し続けてきたピアニスト井上郷子の委嘱により生まれ、九州大学 芸術工学部のYouTube公式チャンネルに演奏がアップロードされている。そこに掲載された、近藤自身の解説を引用しよう。

 この作品は、形式の点で、グレゴリオ聖歌の「レスポンソリウム(応唱)」――先ず先唱者が歌いそれに合唱が応えるという形式――を下敷きにしている。つまり、先ず単旋律が奏でられ、その旋律がいくつもの音を伴って(言い換えれば、響きの厚みを加えて)繰り返される。その繰り返しは(「レスポンソリウム」の場合とは異なって)二回あるが、二度目の繰り返しでは、一度目の繰り返しよりも響きの厚さが更に増す。尤も、ここでは、それらが一つの同じ旋律の繰り返しであることは、必ずしも聴きとれないだろう。というのも、もとの旋律線は、繰り返しの度に厚さを増す響き(旋律を構成する各音への色彩付けのための響き)の中に埋没してしまうからである。したがってそれは、旋律の繰り返しというよりも、旋律の響き(色彩としての響き)への変容として感じられるだろう。
 いずれにせよ、このようにして一つの旋律が計三回繰り返されると、次に新たな旋律へと移行する。こうした旋律の三回の反復を一単位とするプロセスの繰り返しを基礎に、曲全体の形式が形作られている。

 ご存知の方には釈迦に説法となるが、中世、そしてルネサンスのある時期までは、合唱による音楽は何らかの定旋律(中世のオルガヌムであれば、グレゴリオ聖歌)に他の声部を対位法的に重ねていくことでつくられていた。そして声部が増えることで、定旋律が聴き取りづらくなることは一般的なことだった。

 《柘榴》では定旋律のような形で旋律が繰り返されるわけではなく、もとの旋律線は2〜3回目の反復ではオクターブに上下して線が分断されている。管弦楽化された《パリンプセスト》ではそれが異なる楽器に割り振られていくので、旋律線として聴き取ることはもはや不可能だろう。だが、その代わりというわけでもないのだが管弦楽では異なる要素が浮かび上がってくる。《パリンプセスト》の近藤自身の解説から引用しよう。

 ここでのオーケストラの裁断は、他の作品に於けるように空間的にではなく、時間的に行われている。即ち、弦楽器(主としてヴァイオリン)、小合奏(ほぼ1管編成)、そして、大オーケストラ全体という3つの異なった単位グループが、時間軸上で緩やかに交替を繰り返すことで、この音楽が形付けられているのである。

 つまり、《柘榴》の「一つの旋律が計三回繰り返される」のが、《パリンプセスト》では「弦楽器(主としてヴァイオリン)、小合奏(ほぼ1管編成)、そして、大オーケストラ全体という3つの異なった単位グループ」にオーケストレーションされているのだ。作品の形式が聴覚的に、より分かりやすく伝わるようになっている。

 スコア上では「八分音符=60」と指示されているように、非常にゆったりとしたテンポになっており、近藤らしく淡々と「3つの異なった単位グループ」による反復が進んでゆく。この曲の最初の通しから、読響の演奏にたどたどしさはあまりなく、美しく豊かな響きで丁寧に音を紡ぎ、重ねていた。全体で11分ほどの作品だが、最初の通しで後半に差し掛かるぐらいから、既に情感豊かなサウンドが鳴り響くようになったのは興味深い。もちろん、原曲の《柘榴》を聴けば分かるように、曲の推移するなかでサウンドの質は変化しているのだが、そこに乗る感情――共感といってもよいかもしれない――が、明らかに増していったのだ。通しが終わり、部分々々を取り出して練習していく過程でもそれは明白だった。

 「一つの旋律が計三回繰り返される」際、まず1回目は「弦楽器(主としてヴァイオリン)」の単旋律で始まるのだが、読響の魅力的な弦楽セクションでこの調性の曖昧なフレーズを演奏すると、まるでマーラー:交響曲第10番 第1楽章冒頭のヴィオラを連想せずにはいられない。

 そして繰り返し2回目の「小合奏(ほぼ1管編成)」(※リハーサルで近藤はこの部分をchamberと呼んでいた)を挟んで、三管編成の「大オーケストラ全体」で3回目の繰り返しになると、近藤の管弦楽作品の特徴である過密気味の低音が鳴り始める。ここから生まれる独特の倍音は録音では味わえないもので、音楽自体は静的(スタティック)な印象のまま、どこか表現主義時代のシェーンベルクや、あるいはベルクのようなドロドロとした感情を表出した音楽(特に弦楽アンサンブルが主体となるラストは、ベルクのオペラ《ルル》の幕切れ)を思い起こさずにはいられなかった。

 聴き手が何を聴き取るのかが拓かれているのが近藤作品なので、筆者と同じ印象をもつとは限らないだろう。だが少なくとも、読響の演奏に無機質な印象は皆無。そのため、何らかの感情を読み取る聴き手は多いのではなかろうか。

******

 休憩を挟んで、初日の最後にリハーサルされたのが《牧歌 Pastoral》(1989)である。1991年に尾高賞を受賞したことから、近藤の管弦楽作品における代表作と目される《林にて In the Woods》(1989)も、実は《牧歌》と同年に書かれた楽曲。ところが、《牧歌》はこれまで録音が出回っていないので、多くの人々にとっては未知の作品のひとつだ。

コンサートマスターの長原幸太と談笑する場面も

 《牧歌》は通常の三管編成を基調にしつつ、トロンボーンを8本(テナー6、バス2)要するというのが極めて珍しい。また今回の個展ではこの曲だけ第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に分かれる、対向配置となる。近藤は、楽器編成についてこう説明している。

 同種の楽器は一つのものとして扱われ(例えば、フルートは3本で、或いは、トロンボーンは8本で、それぞれ一つのものとして括られている)、それによって、オーケストラ全体は9つの部分単位に裁断されている。但し、その9部分の中の一つである弦楽器群は、基本的に全体で一つではあるのだが、その中のヴァイオリン群はさらに2つに下位区分されている。

 簡単にいえば、ヴァイオリン群のように(第1〜2に分かれたり、一部でソロやソリがあったりと)内部で区分されることを除けば、それ以外の楽器群はすべて同属楽器(例えばフルートならアルトフルートも含む)がまとまって、同時にひとつのこと――和音、オクターブ、ユニゾン――をおこなう。それが中世・ルネサンスにおけるホケット(しゃっくりの意)のように、様々な楽器群がずれて奏されることで音楽が形作られていく。

 結論からいえば、まあ恐ろしいほどに演奏が難しい音楽だった。語弊のないように最初に言っておけば、リハーサルが進んでゆくと初日の終わりにはしっかりと作品の姿が視えてきて、本番までの3日間でどれだけ精度が上がってゆくか、実に楽しみなほどになっていった。だがリハーサル開始時点では、あの優秀な読響の楽団員たち(各所で絶賛されまくったメシアンのオペラを演奏したのはまだ6年前のことだ!)が手こずっていたのだ。

 それも無理はない。本作には特殊な記譜が用いられており、「“4分”の“3分の4”」とか「8分の1+“4分”の“3分の1”」といったような見たこともない拍子が登場して、1小節ごとに拍子が変わってゆくのだ(!?)。言葉だけでは説明しづらいが、四分音符の三連符――つまり四分音符を三分割したうちの「1」もしくは「2」だけが拍子に挿入されているのである。ちなみに、似たようなことは後にイギリスのトーマス・アデスもおこなっているが、記譜の仕方は異なっている。

 しかも、その複雑な拍子を「四分音符=48」なんていう極めて遅いテンポで演奏することを求められるので、少しでもずれると全くといっていいほど格好がつかない。同属楽器で一緒のリズムを奏するので、ズレたのがすぐに分かってしまうのだ。前述したイレギュラーな拍子が登場しない部分も、《春の祭典》の〈いけにえの踊り〉のように1小節ごとに拍子が変わる。何度でもいうが、テンポが遅い方が精度の高い演奏は難しいのである。その上、1小節ごとにテンポが変わる場面さえある……。

 そんな難曲を的確かつ見事にさばいていくのが、近藤自身の希望で招聘された指揮者ピエール=アンドレ・ヴァラドだ。これまで日本ではグリゼー《音響空間》、ブーレーズ《プリ・スロン・プリ》といった、どこまでも精緻な演奏が求められる複雑な作品で素晴らしい演奏を聴かせてきた指揮者である。

 先ほど説明した《牧歌》の「“4分”の“3分の4”」のような拍子を、どのように振るのか説明しながら何度も実演し、ピリピリすることなくにこやかに、でも根気よくリハーサルを進めていく姿が印象的だった。ヴァラドの熱意にこたえるかのように、読響はまたもや情感のこもった音楽を奏でだすまでになっていった。先ほどもいったように、それから3日間でどれだけ精度と共感度を上げていったのか、本番を聴くのが楽しみでならない。これほどの難曲なのだ、実演で出会える機会はそうそうないのは間違いないだろう。

撮影:東京オペラシティ文化財団

【Information】
東京オペラシティの同時代音楽企画
コンポージアム2023 近藤 譲を迎えて



フィルム&トーク
2023.5/23(火)19:00 東京オペラシティ リサイタルホール
ドキュメンタリー映画上映:《A SHAPE OF TIME – the composer Jo Kondo》
(2016年、約100分 日本語字幕付)
監督:ヴィオラ・ルシェ、ハウケ・ハーダー
対談:小林康夫(哲学者・東京大学名誉教授)/近藤譲

近藤譲の音楽
5/25(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
ピエール=アンドレ・ヴァラド(指揮)
読売日本交響楽団
国立音楽大学クラリネットアンサンブル(ソロ:田中香織、佐藤拓馬、堂面宏起)

近藤譲:
牧歌(1989)
鳥楽器の役割(1974)
フロンティア(1991)
ブレイス・オブ・シェイクス(2022)[世界初演]
パリンプセスト(2021)[世界初演]

2023年度 武満徹作曲賞本選演奏会
5/28(日)15:00 東京オペラシティ コンサートホール
審査員:近藤譲
角田鋼亮(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団

[ファイナリスト](演奏順)
ユーヘン・チェン(中国):tracé / trait
山邊光二(日本):Underscore
ギジェルモ・コボ・ガルシア(スペイン):Yabal-al-Tay
マイケル・タプリン(イギリス):Selvedge

問:東京オペラシティチケットセンター03-5353-9999

〈コンポージアム2023〉関連公演・共催公演
近藤 譲 室内楽作品による個展
5/26(金)19:00 東京オペラシティ リサイタルホール
近藤 譲 合唱作品による個展
5/30(火)19:00 東京オペラシティ リサイタルホール