柴田俊幸のCROSS TALK 〜古楽とその先と〜
Vol.13 クライヴ・ブラウン博士[後編]

Toshiyuki Shibata & Dr. Clive Brown
古典派・ロマン派の歴史的演奏研究の世界的権威であるクライヴ・ブラウン博士(Clive Brown リーズ大学名誉教授/ウィーン国立音楽大学客員教授)に聞く「目からウロコ」のシリーズ、後編はヴィブラートやポルタメントの話など、話題はより実践的に。弦楽器の方は特に必読です!

Chapter 5 ヴィブラートを考える

柴田俊幸 ドレスデンでどのような活動をされているのか教えてください。ケント・ナガノ氏やコンチェルト・ケルン+ドレスデン祝祭オーケストラのメンバーと緊密に協力して、ワーグナーの《ニーベルングの指環》全曲の演奏に取り組んでいますよね。特に日本の聴衆にとっては、ワーグナーと歴史的演奏実践(HIP)の関連性を想像できないのです。

ブラウン まず第一に、私たちはあらゆる歴史的演奏において、同じことを行っています。適切な楽器を見つけるよう努めています。なぜなら、適切な楽器を用いることで、特にオーケストラにおいては、大きな違いを生み出すからです。

ケント・ナガノとドレスデン祝祭オーケストラ&コンチェルト・ケルンによるワーグナーの演奏。
管楽器セクションには古楽オーケストラで活躍する人も目立つ

柴田 楽器は現代とそれほど異なっていたのでしょうか?

ブラウン 弦楽器は、ガット弦を使っていたという点を除けば、現代の弦楽器と基本的に同じものでした。ヴァイオリンには純ガットのE線、A線、D線があり、G線には銀巻きガット弦が使われていました。ヴィオラには純ガットのA線とD線、銀巻きガット弦のG線とC線がありました。これはオクターヴ下のチェロでも同じです。コントラバスもかなり厄介です。19世紀にはさまざまな種類の楽器があり、3弦、4弦、5弦のものもあり、弓もいくつかの異なるデザインがありました。しかし、弦楽器のセクションは基本的にとてもシンプルです。楽器に大きな調整を加える必要はなく、新しい弦を張るだけで済みます。また、コントラバスを除いて、弓はすでに今日使われているような完成されたものでした。 

柴田 木管楽器についてはどうですか? 

ブラウン それはもっと複雑です。現代のオーケストラでは、金管楽器をはじめ管楽器全般が弦楽器よりもずっとパワフルになっているため、大きな問題があります。ヴァイオリンに金属製のE弦を張っても、あまり役には立ちません。音色が多少変化し、高音域の音量が少し増えるだけです。ワーグナーの晩年のオペラを演奏する場合、膨大な数の楽器を必要としますが、作曲家の意図した効果を出すには、当時使用されていた種類の管楽器を見つけなければなりません。現代の楽器とはまったく異なるオーケストラのバランスを実現しなければならないのです。

柴田 質問があります。その時代に実際に使われていた楽器、つまり、製作された場所や時期にかかわらず、その時代のオリジナルの楽器を使用することを好むのか、それとも、その音楽が演奏された地域や時代のコピー楽器を選ぶのか、どちらでしょうか? このような質問をするのは、特定の時代や場所で実際に聞こえていたであろう音を再現するというコンセプトよりも、オリジナルの楽器を使用することにこだわりを持つ人もいるからです。

ブラウン トシ、あなたは、歴史的なオリジナルのフルートの素晴らしいコレクションを何本か持っていると言っていましたよね。それらが一般的に、製作された時と同様に十分な機能性を持って、説得力があり、歴史的に妥当な音を奏でるかどうかについては、おそらく私よりも適切な意見を持っていると思います。

そういった条件を満たした上で、作曲家が想定した種類の楽器であれば、それらを使用するのは非常に素晴らしいことです。しかし、私が望むのは、作曲家が想定していた楽器の種類を正確に再現したもので、オリジナルと同じように機能するものなのです。  

柴田 私も時代と場所を正確に再現していればコピーでも全く問題ないと思います。むしろその方が当時の楽器のベストコンディションに近く、作曲家の意図に近づける可能性も否定できませんよね。

ブラウン そう。新品の頃と同じように機能しなくなった、あるいは作曲家が想定していなかった特性を持つオリジナル楽器よりも、コピーの方が良い場合もあります。私たちが目指すのは、当時のオーケストラの音色とバランスを再現できるような、適切な種類の音を出すことです。  

柴田 直接息を吹き込むために劣化していることが多いオリジナルのフルートなどは、古典派以降の楽器でもコピーが作られることが多いですね。また、ウィーンの楽器などではピッチの問題もあります。当時の音を表現できる「使用可能」な楽器を選ぶことが、古典派、ロマン派以降の音楽における鍵になるかもしれません。 やはりドイツの音楽はドイツの楽器で、フランスの音楽はフランスの楽器で吹きたいですし、選択肢があるのならばできるだけこだわりたいという気持ちが私も強いです。

そしてそして、楽器の後は、もちろん演奏法の違いについてですね。

ブラウン そうです。弦楽器の場合、聴く側にとって最も重要な違いは、まず、おそらくヴィブラートをまったく使っていなかったということです。ロジャー・ノリントンはワーグナーの演奏に関してその点で正しかったのですが、ヴィブラートをまったく使わない演奏様式がどれほど長く続いたかを過大評価していました。そして2つ目に、彼らは確かにポルタメントを多用していました。

もう少し正確に述べると、弦楽器セクションにおけるヴィブラートなしからヴィブラートの使用増加への転換は、19世紀の終わり頃に起こりました。おそらく1880年代後半から1890年代にかけてが転換期で、若い弦楽器奏者はヴィブラートを頻繁に使用するようになりますが、年配の奏者は、ソロ演奏の際に時折使用することはあっても、定期的には使用しません。 

柴田 あなたが行なった大学の講義では、「ヴィブラート」という用語を使用していませんでした。

ブラウン 私はそれを「震え(Trembling)」と呼んでいます。なぜなら、ヴィブラートという言葉は、その可能性のあるすべての奏法を表現するにはふさわしくないからです。

オーケストラにおけるヴィブラートの決定的な証言は、ブラームスが指揮を務めたオーケストラで演奏していたフランクフルト博物館管弦楽団のリーダーが、1940年代に回顧録を執筆し、1950年に出版したものです。そして、当時、年長の奏者たちはヴィブラートを使わなかったのに、若い奏者たちがそれを使い始めたこと、そして、彼らがどのようにからかったのかを語っています。 

柴田 それはどのようなヴィブラートだったのでしょうか? 

ブラウン 彼は自伝を書いていた当時、つまり1940年代に使われていたヴィブラートが好きではないとも書いています。彼はそれを邪魔な効果であり、効果を高めるものではないと考えています。1910年以降の教則本に書かれたヴィブラートに関する項では、連続的なヴィブラートの新しいテクニックを教えようとしていることが明確に見てとれます。音楽の感情がそれを促すような、時折使用される表現効果としてのヴィブラートという19世紀の概念は、美しい音色に欠かせない要素と考えられた連続的なヴィブラートに取って代わられました。

20世紀には、もちろん、前の時代にはなかったものがあります。それは、1世紀以上にわたる録音の聴覚的証拠です。弦楽器のヴィブラートにおけるスタイルの変化は、音程の不安定さがほとんどない断続的でタイトな高速の震えから、音符ごとに十分な長さをもつより遅く幅広いものへと変化しました。管楽器では後になってから普及しましたが、最終的にはクラリネットを除くすべての木管楽器がそれを取り入れました。では、なぜクラリネット奏者はほとんど使用しないのでしょうか。それは、クラリネットがフルート、オーボエ、ファゴットとは異なり、ジャズバンドで不可欠な楽器であったためです。クラシックの奏者は、ポピュラー音楽のクラリネット奏者のようにならないよう懸念していたのではないかと推測されます。

Chapter 6 歴史的に正しい演奏は存在しない

ブラウン そうそう、以前の質問のひとつに関してですが、録音を聴くと、20世紀に指揮者の大半がテンポに関して柔軟性をかなり発揮していたスタイルから、1950年代頃からほとんど柔軟性のないスタイルへと、劇的な変化があったことがわかります。1980年代以降のベートーヴェンやその他の古典派作曲家の古楽器による演奏の録音は、テンポが硬直的で、まったく柔軟性がありません。そして今、私たちは、実はベートーヴェン自身が指揮をした際には、テンポの柔軟性を追求し、時にはそれを実現していたことを発見し始めています。1813年の批評では、彼の交響曲第7番の演奏で、オーケストラが彼のすべてのアッチェレランドとリタルダンドに従ったことが報告されています。 

柴田 しかし、これは私が冒頭で述べた「歴史的に『正しい(authentic)』演奏は存在しない」という点に戻ってくると思います。

ブラウン 存在しませんし、存在し得ません! 歴史的な事象を完全に再現することは不可能である以上、「本物(authentic)」とは言えないからです。ただ本物ではないにしても、それとほとんど区別がつかないようにすることはできます。 20世紀以前の音楽については、それがどのような音だったのかを(録音で)聴くことができないため、それは不可能です。いずれにしても、音楽はまったく異なる種類の芸術です。たとえ、スタイルをより正確に把握するために最初期の録音を模倣して演奏を再現することができたとしても、それは音楽の演奏の目的ではありません。記譜された内容から作品を再現するという行為は、必然的に異なるものとなり、異なるものとなることが期待されています。なぜなら、音楽の演奏は作曲家と演奏家の共同作業、コラボレーションだからです。そして唯一の問題は、どの程度、どのような点で異なるかということです。この関係は時代とともに変化し、対等な関係から、オペラのように時には演奏家が作曲家よりも重要視されるような関係まで、さまざまな関係が存在します。

柴田 それを語っていただいた上で、もう答えが見えている質問ですが、過去の音楽演奏の再現は古楽の目的となり得るのでしょうか?

ブラウン 歴史的な演奏スタイルを細部にわたって再現することは不可能だと思います。私たちは決して十分な知識を得ることはできません。演奏家が楽器をどのように扱っていたか、あるいは特定の声楽的効果をどのように生み出していたかについては、多くのことを学ぶことができます。しかし、作曲家が楽譜に書き残せなかった、あるいは書き残さなかった表現技法について、可能な限り理解することも重要です。作曲家が期待していた演奏スタイルに近づくことを重視するならば、特定のレパートリーにおいて特定の時代にどのような表現手段が期待されていたか、そしてそれらが楽譜とどのように関連しているかを明らかにしなければなりません。

最も重要な楽譜に記譜されていない演奏法のリストを作成することができます。例えば、リズムの柔軟性、テンポの柔軟性、強弱の微妙なニュアンス、同期と非同期、震えやスライド効果を含む即興装飾などです。これらは作曲家が指定していない場合によく求められるものであり、また、指定されている場合でも、作曲家の意図を理解できないことがあります。

また、楽譜の記譜法が時代とともにどのように変化してきたかを理解することも重要です。多くの誤解を招く記号のひとつにスタッカート記号がありますが、これは音を短くするという以上の多くの意味があり、特に古典派の時代には、鍵盤楽器では技術的な理由から通常は音を短くしますが、弦楽器や管楽器では音を短くしないこともよくありました。18世紀から19世紀初頭の音楽では、スラーが期待されると思われる状況で、実際にはスラーが書かれていない場合、「スラーを付けない」という意味で用いられることもありました。スライディングやトレモロなどの装飾は、ごくまれに指示されることがありましたが、演奏者の経験や好みに委ねられていました。これらの装飾の使用に対する期待は時代とともに大きく変化し、その演奏方法も根本的に変化しました。

柴田 古典派の時代には、震えの効果、つまりヴィブラートはあまり使われなくなっていたと記憶していますが、本当でしょうか? 

ブラウン はい、転換期は1800年頃です。それ以前、そして19世紀に入っても、トリルやモルデントといった、他の記譜されていない震えや揺れの装飾とともに、震えの効果を頻繁に用いる古風な演奏家がいました。おそらく、この震えるような効果は、私たちが「ヴィブラート」と呼ぶものとはかなり異なっていたでしょう。それは、ゆっくりとした振動で、音程の変動はほとんどないか、まったくない場合が多かったのです。モーツァルトは、バス歌手ヨーゼフ・ニコラウス・マイスナーの歌唱について、「マイスナーが長い音符を4分音符や8分音符に分割して歌うことがある」と苦言を呈しています。これは、ヴィブラートに関する言及の可能性があります。なお、彼が16分音符については一切触れていない点も重要です。

[博士はゆっくり歌う] ゲホゲホ…私はあまり説得力のある歌手ではありませんが、重要なのは、これらが常に行われたわけではありません。特に長い音符で実践されていた演奏習慣です。というのも、18世紀には楽譜に記譜されない装飾を多用するのが流行っていたため、十分な長さの音符には通常、何らかの装飾が施されていたのです。これは、現代のすべてのバロック演奏家が好んで行うことではありません。ジェミニアーニは、この点について非常に明確です。彼はさまざまな装飾音の使用を提案していますが、もしどれも適切でなく、技術的に不可能な場合は、close shake、つまりヴィブラートをできるだけ頻繁に使用することを提案しています。

これは、彼がヴィブラートや震えるような効果を表すために用いた用語です。この効果について、西洋以外の伝統的な歌唱を聴くことで、ある程度のイメージをつかむことができます。

*ジェミニアーニは弦楽器奏者が弦に指を押し当て、その手のひらを動かして音を奏でるヴィブラートについて語っています。さらに、彼は詳細な指示を続けています。
「クローズ・シェイクを続け、徐々に音を大きくし、弓をブリッジに近づけていき、最後に強く終わらせると、威厳や尊厳などを表現できるでしょう。しかし、それを短く、低く、柔らかくすると、苦悩や恐怖などを表現できるでしょう。また、短い音で演奏すると、その音がより心地よく響きます。このため、可能な限り頻繁に演奏すべきです」

Chapter 7 ベートーヴェンとポルタメント

柴田 ポルタメントについてはどうですか? 先日、大阪大学で弦楽四重奏団にマスタークラスをした際には、「ポルタメント・ハラスメント」というギャグをみんなで考え出して、とっても楽しかったですね。ともあれ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲やベートーヴェンの作品など、当時ポルタメントがどれほど頻繁に使われていたのでしょうか。

ブラウン そのことは、当時の演奏家による論文や運指法の指示から知ることができます。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲については、初演に深く関わった2人の演奏家の例があります。フェルディナント・ダヴィッドは、この協奏曲の献呈者であり、弓奏法と指使いを記した版を出版しました。また、ベルギー人ヴァイオリニストのユベール・レオナールは、出版前にメンデルスゾーンと共演しています。レオナールの演奏スタイルについては、数年前にブリュッセル音楽院図書館で驚くべき発見がありました。それは彼自身のソロパートのコピーで、校正刷りであるため唯一無二であり、最終版とは若干異なります。レオナールは、弓使いや運指を詳細にマークし、フェルディナント・ダヴィッドが初演を行うよりも前に、メンデルスゾーン本人のピアノ伴奏で、その楽譜を使って演奏しました。

驚くべきことに、彼の運指はダヴィッドのものと非常に似ているのです。時折、ポルタメントの運指が異なる場所で使われていますが、ほとんどの場所では同じ場所にマークされています。これは非常に珍しいことです。ポルタメントは頻繁に使用されており、その使用法には明らかに一定のルールがありました。レナールはベルギー人、そしてダヴィッドはドイツ人でした。ポルタメントの使用における様式上の類似性を示す証拠は、他にもたくさんあります。

柴田 それは驚くべき発見ですよね。メンデルスゾーン以前の時代についてはどうでしょうか?ポルタメントは頻繁に使用されていたのでしょうか?

ブラウン そうですね、少なくともベートーヴェンがどうやらそれを認めていたことは、彼の会話の記録から分かっています。 ベートーヴェンの若い甥が書いた会話帳の1冊に、ベートーヴェンが室内楽の演奏で直接一緒に仕事をしたヴァイオリニスト、イグナツ・シュパンツィヒが用いたポルタメントを気に入っているかどうかを尋ねたという記述があります。 よって、少なくともシュパンツィヒはポルタメントを使用していたことが分かります。

弦楽器奏者や歌手がポルタメントを使用していたという証拠は、18世紀まで遡ることができます。1776年、ベルリンのカペルマイスターに就任したばかりのヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトは、オーケストラの弦楽器奏者向けの教則本の中で、ソリストは別として、弦楽器奏者が指を音を立てて滑らせることは厳禁であると書いています。しかし、彼は弦楽器奏者がしばしば猫のような音を出すと不満を漏らしています。

柴田 ええ、マスタークラスでもその話をしていましたね。「命尽きかけた愛する雌猫の玄関先で鳴き叫ぶ雄猫」、いい表現ですね。日本語でも知っておくべきでしょう。

ブラウン だからあなたに訳させたんですよ。はっはっは。

アンドラーシュ・シフ、クリスティアン・テツラフ、今井信子など世界の第一線で活躍する音楽家が指導陣を務めるドイツの非営利音楽専門教育機関、クロンベルク・アカデミーでのオンライン講義

Chapter 8 ジャズへの脅威がスタイルを変えた?

柴田 大阪大学の伊東信宏教授とお話ししたとき、クラシックの演奏家が他のジャンルの演奏家と差別化を図りたいという仮説についておっしゃっていましたね。 伊東先生は、ジャズやフォークの演奏家がポルタメントをより頻繁に使用していることを発見しました。そして、1920年代と30年代はまさにジャズが流行した時期であり、このポルタメント奏法が(クラシック界で)消え始めたのもその頃だったと、おっしゃっていたかと。 その理由について説明していただけますか?

ブラウン 文化的エリート主義が要因のひとつであったことは確かです。多くのクラシック音楽家は、特にレコードを通じてのジャズの人気上昇に脅威を感じていました。1929年の記事に、「ジャズは、物議を醸し出した数年のうちに、大富豪のサロンから犯罪者の巣窟まで、堂々と支配的な存在となった」と書かれていました。

その人気は、クラシック音楽の文化的優位性を脅かすものと見なされていたのです。クラシックの演奏家がポルタメントを使用すると、ジャズ・プレイヤーとあまりにも似通ったサウンドになってしまいます。そのため、1930年代から40年代以降、クラシックの演奏でポルタメントを使用することは、すぐに疑問視されるようになりました。 弦楽器奏者で時折耳にすることはありますが、ごくごく稀です。 ポルタメントなしで歌うことはほぼ不可能であるため、歌ではより多く耳にしますが、20世紀半ば以前と比べると、意図的に使用されることはかなり少なくなっていきます。

柴田 それ以前のレパートリーでもですか?

ブラウン ヴァイオリニストがポルタメントを使い始めたのはずっと以前のことですが、それは彼らがE線でより高い音を出すためにポジションを変えたり、18世紀まで一般的ではなかった低音弦でさまざまな音質を出したりするようになったからなのです。 弦の上で上下に手を動かさない場合、半音以外ではポルタメントはできません。18世紀になると、ヴァイオリニストの作曲家たちが、弦を上下に移動するだけで済む曲よりもっと難しい音楽を書き始めました。ハイドンはすでに弦楽四重奏曲で、明らかにポルタメントを想定していると思われる箇所で、繰り返しsul una corda(同じ弦の上で)という指示を書いています。