柴田俊幸のCROSS TALK 〜古楽とその先と〜
Vol.14 ルネ・ヤーコプス[後編]

カウンターテナーとして、1970年代からレオンハルトやアーノンクールらのレコーディングに参加して頭角を表し、自身のアンサンブル「コンチェルト・ヴォカーレ」を設立。長くヨーロッパの古楽界をリードしてきたベルギーの重鎮、ルネ・ヤーコプスさん。2025年春、実に30年間の沈黙を破って来日を果たします。母国のビー・ロック・オーケストラとの共演でヘンデルのオラトリオ《時と悟りの勝利》を上演。東京での一夜限りの公演は聴き逃がせないものとなりそうです。韓国&日本ツアーを控えたヤーコプスさんに、パリのご自宅で柴田俊幸さんが話を聞きました。

Photography: Alice Lemarin

Chapter 4 声に“古楽器”は存在しない

柴田俊幸 他の記事で、つまり、ドイツ語やフランス語など、あなたが行ったすべてのインタビューを読んでいたのですが、あなたはバロック唱法というものは存在しないと2回も言っていました。私は今現在フランスの古楽科でも教えていますが、そこには古楽科にバロックの歌唱法を学べるクラスがあるので、ある意味で反対意見。とても興味深かったです。

ヤーコプス このバロック唱法について、何を伝えたいかというと、バロック時代の楽器について語るのと同じように、バロックの歌曲について語ることはできないということです。私たちは、ストラディバリが楽器を作る天才だったことを知っています。そして、ヴァイオリニストがストラディヴァリウスで演奏すれば、ストラディヴァリウスはこの楽器の父だと言うことができます。しかし、声楽にはそれがない。ソプラノ歌手の美しい声は、父親と母親によって作られると考えることができる。生まれながらにしてのもの。だから、楽器とは違う、自然によって作られたものとも言えます。

柴田 だから、それは構築するものではなく、ただそこに存在するもの、と。

ヤーコプス よく古楽のスペシャリストでない人をコーチします。ウクライナのソプラノ、カタリーナ・カスパー。でも初めて彼女を聴いたとき、「どこで勉強したの? その装飾音や変奏はどこから来るの?」と尋ねました。彼女はたくさんの声色を持っていて、音域の低い部分と高い部分で色が異なる声で歌うのです。これは非常にバロック的で、このような逆ピラミッド型ではなく、このようなピラミッド型という発想だったからだとわかっています。

柴田 ピラミッド型の音づくり、つまり低音をふくよかに、高音域に行くにつれて音を絞る、と。

ヤーコプス 彼女は、最初にウクライナで勉強し、その後ドイツで勉強したと言っていました。しかし、彼女の歌は生まれつきのものであり、また感覚的なものでもあり、とても本能的で美しいポルタメントを持っています。さて、ポルタメントという言葉は、声を運ぶという意味で、ある音から別の音へ声を運ぶという意味です。これはグリッサンドとは違う、一つの音からもう一つの音までとても綺麗に丁寧な移行をする。17、18、19世紀の歌の先生たちの専門用語です。彼女は生まれつきそれを持っている。でも他の歌手たちにはこれを指示しなければならないのです。

そしてポルタメントについて話すと多くの歌手たちはショックを受けます。というのも、彼らはこのテクニックは、クラシック音楽を歌う上でダメなことだと教わってきたからです。ポルタメントは悪いものだと思われがちです。20世紀に入ると、ポルタメントはヴァイオリンのような弦楽器でも魅力的でないとされ、すべてが非常にクリーンに演奏されなければならなくなったのです。

ある音と次の音の間には緊張感があり、ちなみに古代ギリシャ人はそれをハルモニアと呼んでいました。古代のギリシャ音楽はポリフォニックではなくモノフォニックでしたが、それでもハルモニアという言葉を使っていた。この文脈では、音程間の緊張感を指し、彼らはそれを強く感じていて、ハルモニアと呼んでいたのです。例えばアリアの中で、この概念が特に感じられたのは、上昇6度のような表現的な音程。これを「あー。いー。」と歌ってしまうと台無しだけど、「あーぃぃいー。」と歌うと、そこには音楽が生まれます。シュポーアのヴァイオリン教則本にもポルタメントの演奏法についてたくさんのページが割かれています。

柴田 実は前回クライヴ・ブラウン博士とポルタメント、特にシュポーアの話をしたので、たくさんの共通点があって面白く感じています。19世紀初頭には、フルートの教則本にもポルタメントに関する記述や指遣いがたくさん登場しました。そこには「歌手を真似するように」と書かれています。

ヤーコプス 「歌手の真似をする」、ほらね(笑)。ポルタメントという言葉は18世紀に生まれたものですし、事実、18世紀のバロック・アリアには“Aria di Portamente”と書かれているのを見たことがあります。ポルタメントのアリア。それは存在したのですが。それらのほとんどがゆっくりな拍子、例えば12分の8拍子などで、曲中にはとても表情豊かな音程に溢れていました。それにしても「声を運ぶ」という言葉はとても美しい。ある意味、愛のある言葉ですよね。

柴田 しかし今日、ポルタメントを使って歌えないいわゆる「バロック歌手」もいますよね?最初の質問に戻ってきます。バロック唱法とは一体何なのでしょうか? 今の歌手たちはどうやって古楽における歌唱法を学ぶべきでしょうか?

ヤーコプス 当時のスタイルを学ぶ、ということでしょう。「バロック歌手になりたい」と思ったことがない歌手のほうが良い結果が生まれると思います。なぜなら、それは自然発生するものだからです。モーツァルトが上手な歌い手は、自動的にヘンデルも上手ということになる。そしてそれは19世紀後半のレパートリーまで同じことが言えるかもしれません。

ただ、テノールの声が問題になることがあります。19世紀、テノールの声には革命が起きました。フランスのテノール歌手によって新しいテクニックが発見されたのですが、それは la voix sombre(ラ・ヴォワ・サンブル)と呼ばれるもので、喉仏を非常に低くし、音を暗くする。そうすることで、いわゆる do di petto(ド・ディ・ペット)、つまりフランス語で言う haut-contre(オート・コントル)*1の音域を歌うことができる。それは haut-contre に対抗するような発声で、少し胸声も含まれているけど、完全に胸声というわけではない。しかし、それはより暗い音で、そこからヘルデンテノールという用語が生まれる。
*1 Haute-Contre(オート・コントル)は、主にバロック時代のフランス音楽で重要な役割を果たした男声の最高声部。ファルセットを使うカウンターテナーとは異なり、主に地声(胸声と頭声のミックス)を駆使して高音を歌う。

私が今取り組んでいる《イドネメオ》の上演では、すでにワーグナーを歌っているアメリカ人のテノールがいます。彼は、《イドネメオ》の中盤にある難しいパートをとても上手に歌っている。でも、私は彼に常に助言を与えています。

柴田 歌手に指導する時、具体的にどのようにコーチングしますか? とても繊細な作業になると思います。

ヤーコプス 心理学的な話になるけど…まずはポジティブでいることかな(笑)

例えば、そのアメリカ人のテノールは、大きな声だけでなく小さな声でも歌える技術があるということは事前に知っていました。彼の声に多くの色が存在することはとても良いこと。そこで、彼にその色を最大限に生かしてコントラストを表現するように勧めました。歌手の声質を知り、その人に何ができるのかを理解しようとするのはとても大切です。

柴田 絶対的な指揮者というイメージとは反対の、会社で仕事をする仲間のように歌手にも接しているとのこと、とっても尊敬します!

Chapter 5 テンポは揺れて当然

柴田 長年あなたの録音を聴いてきて、あなたの一番の特徴の一つと言ってもいいのが、ダイナミックなテンポ、そして伸縮性のあるテンポ感です。私がニューヨークで大学4年生のときだったか、大学では毎年オペラに乗ることができたのですが、その年はモーツァルトの《魔笛》でして、ちょうど同じ頃あなたの《魔笛》の素晴らしい録音が出て衝撃を受けました。「古楽器でやっているんだな」としか前情報がなかったのですが、とにかく全てが新しくフレッシュで。とにかく、あなたのモーツァルトのオペラの録音の虜になっていました。

ヤーコプス 私は歌手であり、音楽家ですが、大学では古典文献学も学びました。ギリシャ語やラテン語の古典文学です。というのも、小さい時に両親に「音楽家になりたい。音楽院で本格的に勉強したい」と言ったとき、音楽家でない母は、私にとても奇妙なことを言ったんです。「ルネ、あなたは本物のディプロマを持たなければならない」と。音楽院の卒業証書を持っていても役に立たないと思っていたんですね。でも、母とは衝突せずにゲント大学で古典文献学を学びました。その間にブリュッセル音楽院で歌だけ勉強もしていたので、この2つを組み合わせることにしたのです。

しかし、今思えば、バロック・オペラ全般、つまりイタリアやフランスのバロック・オペラ、神話や古代史の要素を含むオペラを歌うために、このような勉強をしてきて本当に良かったと思います。

柴田 事実、あなたがゲントで勉強したことは、テンポだけでなく、あなたの音楽的解釈に大きな影響を与えたと思います。

ヤーコプス メトロノームが発明されたのは19世紀のこと。ベートーヴェンはメトロノームをとても気に入っていたけど、決してメトロノーム記号を厳密に守ったわけではない。メトロノームは便利な発明で、より正確な演奏が可能になりました。

それ以前は、テンポ表示はアンダンテなどイタリア語がほとんどでした。まず、この言葉の意味を分析する必要がある。アンダンテとは「歩く」という意味であり、スキップでもジョギングでもない。さらに、より細かく molto andante(モルト・アンダンテ)、poco andante(ポコ・アンダンテ)などと指定することもできる。これが第一に考慮するポイントだと思います。

テンポの指示がある場合も慎重に解釈しなければなりません。私たちは、意図されたテンポを判断するさまざまな方法を持っています。テンポ指示は通常アリアの冒頭にあります。アリア全体の構造を理解することはとても重要で、主題の後には副主題があり、歌詞によって音楽が変容します。歌詞を読み解くことでテンポの変更が必要に感じることがあります。のちに最初のテンポに戻ることが通例ですが。例えば、ゆっくりとしたアリア、悲しいアリア、Affektの理解です。

これをするために時にはオーケストラを納得させることも必要で、特にゆったりとした悲しいアリアを解釈するときは、適切なテンポを決めるために、歌詞が与える影響とその意義について説明しなければなりません。

最後になってテンポが最初より遅くなるのは、自然な流れであることが多いです。オーケストラの音楽家たち、特にもっと後の時代のレパートリーも演奏するB’Rockの音楽家たちは、このことを経験しています。

私と一緒に《カルメン》を演奏したこともありますが、とてもうまくいきました。そこでもテンポの揺らぎで彼らを納得させなければいけませんでした。歌い手が本質的に、もう生きる勇気がない、死を待ち望んでいることを表現しているアリアでは、少しゆっくり演奏するのがふさわしいと思いませんか? 

また、舞曲の形式を考えるときも手掛かりになりますよね。たとえば、アリアが明らかにサラバンドのテンポで書かれているなら、それに従うのが常です。

そして歌詞。テキストがテンポを支配する。これはモーツァルトにとって特に重要です! モーツァルトは残念なことに、教則本を残しませんでした。忙しすぎたからです! しかし、手紙はたくさん書いていました。例えば、ミュンヘンで《イドネメオ》を作曲していたとき、彼はザルツブルクにいる父レオポルトと何通もの手紙をやりとりしています。この時期は、音楽家の世代間で解釈の対立が始まった時期とも重なります。その手紙の中で、モーツァルトはこのオペラの中の唯一の四重唱について触れています。しかし、イドメネオ役のテノール歌手、アントン・ラーフはその四重唱を歌うことを拒否しました。当時、歌手はそのような要求をする権限を持っていたのです。理由は「私の声を広げる機会がない」とのことでした。彼をなだめるため、モーツァルトは妥協し、オペラの最後に追加のアリアを書きました。皮肉なことに、このアリアは後にカットされましたが。その後、モーツァルトは父に、「ひどいと思いませんか?まるで、アンサンブルの中では、歌い手にとって歌うことよりも話すことが重要ではないかのようです」と書き送っています*2
*2スター歌手ながら、すでに60代後半に差し掛かっていたラーフは、スタイルを変えるつもりはなく、自身のカンタービレを披露する十分な機会がないと考え、代わりにアリアを要求し、モーツァルトと台本作家ヴァレスコはこの要望に応えた。しかし、モーツァルトは重唱では歌うというよりも、語るものであると考えていた。手紙からは、アリアは個々の歌手に合うように調整するが、三重唱や四重唱のようなアンサンブルは作曲家の裁量に委ねられるべきだとモーツァルトが考えていたことがわかる。

柴田 つまり、モーツァルトはしゃべるように歌うテンポを想定していたということですね。 

ヤーコプス そう。そして、これはモーツァルトのすべてのアンサンブルに当てはまります。ダ・ポンテとのオペラには美しいアンサンブルがたくさんありますが、アンサンブルが始まると、5人であれ4人であれ、それはもはや個々の声だけの問題ではなく、その間の劇的な相互作用の問題となるのです。

つまり、モンテヴェルディがレチタティーヴォについて強調したように、parlar cantando(歌うことによって語ること)を錯覚させるようなテンポでなければならないのです。これはアンサンブルにも当てはまります。よって多くの場合、テンポは今日一般的に行われているものより速くなければなりません。

あと多くの指揮者が軽視しがちなもうひとつの重要な点は、Cバレー(C Barré) 。

柴田 Cというマークに線が一本入ってるやつ()ですね。

ヤーコプス そう、Alla Breve。これは1小節に2拍であることを示しますが、時には遅い拍もあります。文脈にもよりますが、アダージョと記されている場合は、他のテンポ表示、例えば、普通の拍子(4/4拍子)のアダージョなどとの関連で理解する必要があります。

柴田 オトテールやモンテクレールがはっきりと2/2拍子よりもCバレーが遅いって書いていますよね。モーツァルトの交響曲第41番のレコーディングで最終楽章を遅めのテンポで演奏しているのも、それが理由ですか? 

ヤーコプス 「ジュピター」のことですか? その通り! それが関係しています。

柴田 なるほど。いや、理にかなっていますよね。私はその後期の交響曲のCDがとても好きなんです。さっきベートーヴェンが自分のテンポ記号で指揮をしなかったという話もありましたが、第九初演のときの批評家の一人もベートーヴェンがラレンタンドやアッチェレランドを多用し、テンポの柔軟性を持たせた、と記しています。あなたは後期交響曲の録音でもまったく同じことをやっていますね。これってとても勇気があることだと思います。C.P.E.バッハの教則本でさえ、テンポの柔軟性には触れられているのに、それを実践する人はほとんどいないのです。

ヤーコプス シューベルトの交響曲全集の録音でも同じことをやっていますよ! それは「テンポの緩急 tempo modificaiton」と呼ばれましたが、19世紀にはすでに2つの流派がありました。「絶対にダメ、一定のテンポのままでなければならない」という流派と、テンポの修正を愛する流派です。

ウェーバーも良い指揮者でしたが、同時にテンポを揺らすことが好きだった。ワーグナーもテンポの緩急について書いていますが、彼は大げさに書いています。彼の録音は残念ながらありません。でも、彼は演奏について多くの言葉を残していて、ウェーバーのオペラ《魔弾の射手》序曲をどう指揮するか、という論説を書いていますが、その通りにするととんでもないぐらい大袈裟になってしまいます。

メンデルスゾーンは私がとても好きな作曲家の一人ですが、彼は厳格でテンポを守る人だと言われました。B’Rockとメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」を演奏しました。この場合、歌詞が存在しない「純粋音楽」でした。しかし、だからといって意味がないわけではない。それどころか、音楽そのものがより強い意味を持ちます。 

私はこの曲にもテンポの変化を加えることにしたのです。この交響曲の主題は、ドイツのコラールに由来するもの。音楽の中に隠されたテキストがある場合、それを真剣に受け止めなければなりません。音楽には多くの隠された意味があります。ヘンデルのオペラ《アグリッピーナ》を録音したときにブックレットにもこのことを書きましたが、ヘンデルは、すでに書いたアリアをリサイクルすることがとても多かった。よく調べてみると、まったく新しい曲ではないことに気づくことが多々あります。そして元のカンタータを調べると、そのテキストがアリアの“サブテキスト”のような役割を果たしていることがわかる。もちろん、それが全てを物語るわけではありません。ただ、音楽的解釈や演出をする場合に、とても役立つ可能性を潜めているのです。

Chapter 6 古楽の行く末は…

柴田 古楽復興運動に関することを話したいです。HIP(歴史的知識にもとづく演奏)が始まったのは、私が生まれる前だったと思います。古楽のおかげでクラシック音楽のオーケストラのサウンドは完全に変わりました。クラシック音楽シーン全般に多大な影響を与えたと思います。

最近は、全世界で古楽を学べるようになりました。フランスでも地方音楽院に当たり前のように古楽科がある。ベルギーでも市立の小さい音楽院でもトラヴェルソを学べるわけです。特に古楽科で勉強している学生の多くは、ある意味ショートカットができる。つまり、先生たちのレッスンを受けるだけで、基本的な文法みたいなものを教えてくれて、それをコピペするだけで仕事で演奏する準備ができるわけです。そうすると、型のようなものが出来上がり、多様性が減ってしまう可能性があります。

現在、多くのオーケストラが、同じようなレパートリーを同じように演奏して、みんな満足している。受難節とか特にそうですよね。私はそれを残念に思います。このような変化をどう感じますか? 

ヤーコプス あなたがムーブメントと呼ぶこの運動の始まりが、ほとんど器楽奏者だったことは興味深いと思います。 初期には、挑戦的なプレイヤーが何人かいました。音楽学者で楽器も作るような人もいました。

柴田 例えばブルース・ヘインズ*3 のように。
*3 音楽学者でオーボエ&リコーダー奏者。18世紀オーケストラのメンバーとして活躍した。著書『古楽の終焉』が大きな反響を呼んだ。

ヤーコプス そう。楽器の作り方について、古い理論書を読んで本気で調べようとしていた人たちもいました。そこではすべてが非常に正確に記述されています。そして、片手に理論書、もう片方の手に楽器を持って演奏をし始めた。もちろん、彼らの演奏は完璧ではなかった。当初、歌手はいなかったけど、そこにアルフレッド・デラー*4 という一人の歌手がこのムーブメントに参加していた。
*4 古楽黎明期を代表するイギリスの伝説的なカウンターテナー。

柴田 ええ。彼と一緒に勉強したり、コーチングを受けたりしたんですか?

ヤーコプス 夏期講習を何度か受けました。男性アルトやカウンターテナーは19世紀まで存在したけれど、大聖堂聖歌隊の合唱の声としてです。でも彼は、マイケル・ティペットが作曲するなど、色々な人からのサポートを受け、名実ともに素晴らしい音楽家でしたが、一方でパーセルの楽曲や、ダウランドや他のエリザベス朝の作曲家のリュート・ソング以前のレパートリーを歌い始め、有名になった最初の歌手なのです。

例えば、彼がバッハのカンタータを録音したとても古い録音が2つあります。BWV54とBWV170です。それから「ロ短調ミサ曲」のアニュス・デイ。アーノンクールとその妻、バロック・ヴァイオリンを弾いたエドゥアルド・メルクス、通奏低音を弾いたグスタフ・レオンハルトなど、バロック・オーケストラを使ったLP盤で、おそらく一番最初のものでしょう。

あまりチューニングも合っていませんが、これは歴史的な資料です。デラーは、特にバッハのアルト独唱のためのカンタータ第54番「いざ、罪に抗すべし」で、非常に表現力豊かな美しい歌声を聴かせてくれます。彼のドイツ語には常に英語のアクセントがあるけど、全く気になりません。なぜなら、そこには音楽が宿っているから。

あのムーブメントの始まりから、今はとても遠い。一方、ピリオド楽器のバンドは技術的に向上している。バロックだけでなく、後世のレパートリーも演奏できるようになりました。しかし、様式感に対する意識はとても低い。先ほど話したポルタメントもそう。あとヴィブラート! 彼らは「ヴィブラートは使ってはいけない」という考えを常に持っていますが、それは絶対に間違っています。ヴィブラートは表現上の工夫として使われることが多く、あくまで「装飾」として使われることが多かった。あと、バロックのトリルは音符、つまり上の音から始まるべきだという考え方がありますが、それも間違いです。バロックの音符は上の音から始まることが非常に多いのですが、メロディラインには上の音ではなく、音符そのものから始まる場所もあります。何かが失われたのです。進歩という言葉があります。進歩で勝ち取るものがありますが、それは同時に何かを失うということなのです

柴田 最後にひとつ聞いてもいいですか? 愚問かもしれませんが、もし実際に過去の作曲家の会うことができるなら、誰と実際に話してみたいですか? 

ヤーコプス 3人の名前を挙げることはできるけど……わかったよ(笑) チャンスがあれば、モンテヴェルディと話をしたいね。 

柴田 具体的にどんな話を?

ヤーコプス モンテヴェルディにとってオペラはまだ新しい形式でした。まだしっかりと確立されていなかったけれど、それでも彼は、現存するオペラの作曲家の中でも天才だった。リブレット(台本)はあるけど楽譜が残っていないオペラ、例えば《アリアンナの嘆き》。アリアだけはあるけど、それ以外が残っていない。どんなものだったの?って見せてもらいたいですね。やっぱりモンテヴェルディかな。

柴田 長い時間ありがとうございました。パリのとても素敵なアパート。周りにもたくさん素敵なお店もあるし、何も困らないと思いますが、やっぱりベルギーのゲントの郷土料理とか恋しくなりますか? ワーテールゾーイ*5 とかよく音楽院時代、大聖堂の近くのレストランで食べましたが。
*5 Waterzooi:肉や魚を野菜と煮込んだベルギー料理。ヤーコプスの故郷・ゲントが発祥。

ヤーコプス Waterzooiも美味しいけど、Garnalenkroketjes(エビのコロッケ)かな。小エビの入ったヤツ。あれはパリで全然見つからないんだよね。小さい時から食べてたからね。また食べたいな。



ルネ・ヤーコプス指揮ビー・ロック・オーケストラ
ヘンデル《時と悟りの勝利》

2025.4/4(金)19:00 東京オペラシティコンサートホール
出演/ルネ・ヤーコプス(指揮) ビー・ロック・オーケストラ
スンへ・イム(美) カテリーナ・カスパー(快楽) ポール・フィギエ(悟り) トーマス・ウォーカー(時)
曲目/ヘンデル:オラトリオ《時と悟りの勝利》HWV46a(日本語字幕付)
問:東京オペラシティチケットセンター03-5353-9999
https://www.operacity.jp


ルネ・ヤーコプス René Jacobs

© Philippe Matsas

バロックと古典派における声楽音楽のスペシャリスト。260枚を超えるレコーディングなど、歌手、指揮者として、また研究教育の分野でも卓越した成果を残している。生まれ故郷ヘントの聖バーヴォ大聖堂聖歌隊で最初の音楽教育を受ける。大学で古典文献学を学ぶかたわら歌手として活動するなかで、アルフレッド・デラー、グスタフ・レオンハルト、クイケン兄弟と出会い、バロック音楽とカウンターテナー歌手へ導かれることとなった。1977年、バロック時代のオペラや声楽のレパートリーを探求するアンサンブル、コンチェルト・ヴォカーレを結成。1983年インスブルック古楽音楽祭でオペラ指揮者としてデビュー、ベルリン国立歌劇場、アン・デア・ウィーン劇場、ベルギー王立モネ劇場、ザルツブルク音楽祭、エクサン・プロヴァンス音楽祭、パリ国立オペラなど、主要な歌劇場で指揮している。モーツァルト『フィガロの結婚』の録音はグラミー賞を、ベートーヴェン『レオノーレ』(1805年第1稿)は、ドイツ・レコード批評家賞を受賞、オペルンヴェルト誌の年間最優秀オペラCDに選出。2023年ドイツのオパー・マガジンから終身名誉功労賞を授与、ウェーバー『魔弾の射手』の録音はオーパス・クラシック賞の年間最優秀オペラ録音に選ばれた。交響曲の分野では、ハイドンやモーツァルト、シューベルト交響曲全集などを録音している。ヘント大学とインスブルック大学から名誉博士号を授与されている。


柴田俊幸 Toshiyuki Shibata

© Hiroshi Noguchi

香川県高松市出身のフルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学卒業。アントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。ブリュッセル・フィルハーモニックなどで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド他の古楽器アンサンブルに参加。2019年にはB’Rockオーケストラの日本ツアーでソリストを務める。2022年には鍵盤楽器の鬼才アンソニー・ロマニウクとのデュオで「東京・春・音楽祭」「テューリンゲン・バッハ週間」などに招聘されリサイタルを行ったほか、2024年6月にはNHK BS『クラシック倶楽部』に出演。2017年より「たかまつ国際古楽祭」の芸術監督を務める。現在、パリ在住。
X(旧Twitter) / @ToshiShibataBE
Instagram / @musiqu3fl711
https://www.toshiyuki-shibata.com