神奈川フィルとさらなる高みへ――沼尻竜典音楽監督が語る2025-26シーズンの聴きどころ

沼尻竜典

4月、沼尻竜典と神奈川フィルハーモニー管弦楽団の4年目のシーズンが幕を開ける。
リューベック歌劇場音楽総監督やびわ湖ホール芸術監督を歴任し、日本を代表するオペラ指揮者としてその手腕を振るってきた沼尻。2022年の神奈川フィル音楽監督就任以降は、セミステージ形式のオペラ公演「Dramatic Series」をはじめとする多くの演奏会を成功に導くなど、その本領を発揮。昨年9月には、当初この3月末までだった任期の延長が発表されるなど、新シーズンは神奈川フィルとのさらなる深化が期待されている。開幕を前に、プログラムに込めた想いを語ってもらった。

取材・文:高坂はる香
写真:中村風詩人

—— 音楽監督就任4年目となる新シーズンが始まります。4月のみなとみらいシリーズ定期演奏会第404回の選曲には、どんな想いがありますか?

 ポーランドの女性作曲家、グラジナ・バツェヴィチの作品は、以前ゲッティンゲンのオーケストラと演奏したらとてもチャーミングな曲だったので、ぜひ日本でも演奏したいと思いました。
 そして没後50年となるショスタコーヴィチから、チェロ協奏曲第1番と交響曲第12番を取り上げます。これらは私にとってロストロポーヴィチとの思い出がある作品。チェロ協奏曲は昔彼と共演したことがあり、音楽と彼が一体化する様子が今も印象に残ります。
 また別の機会に、チャイコフスキーの「ロココ」だけ私が振って、後半のショスタコーヴィチの交響曲第12番は彼が振るという演奏会がありました。この作品はショスタコーヴィチの中であまり良い出来でないという人もいますが、ずっと彼のリハーサルを見ていたら、多様なアイディアにあふれたとてもおもしろい曲だと感じました。
 ポーランドとロシアの作品を取り上げたことに政治的な意味合いはなく、シンプルにそのすばらしさから選んだというのが本音です。ただ、今こういう時代ですから、音楽からいつもと違うものを受け取ることになるかもしれません。もしショスタコーヴィチが生きていたら、きっとウクライナ侵攻には反対したでしょう。

—— 10月の定期演奏会第408回では、前シーズンのブルックナー交響曲第5番に続き、第8番を演奏されます。

 これまで私があまりブルックナーを取り上げてこなかったのは、若い頃はマーラーのような複雑なスコアのほうに興味があったからです。でも歳を重ねたら、ブルックナーのような、音数が少ない中で空間の広がりを感じるシンフォニーに惹かれるようになりました。シンプルな音に意味を持たせた演奏をするには歳を重ねる必要があると思っていましたが、残りの人生を考えたら、そろそろやっておかなくてはいけません。
 中でも8番は気合いを入れて取り組むべき作品なので、今の年齢のうちにやっておくことにしました。……ブロムシュテットさんが最近振っていましたが、彼は別の惑星から来たような超人ですからね(笑)。
 今改めてブルックナーに向き合っていると、実はこれまでのワーグナー経験が非常に役に立っています。というのもワーグナー作品は、オーケストラの見せ場以外のところは、基本的に少ない音で非常にシンプルに書かれているからです。ワーグナーが与えた影響も色濃いので、初めて取り組むブルックナーでもシンパシーを感じますね。

—— ミューザ川崎では、2027年の没後200年に向けたシリーズ「Beethoven Ring」が始まります。

 生誕250年はパンデミックで多くの企画が飛び、ベートーヴェンは苦労の多い人生を歩んだというのに、没してなおそんな目に遭うのかと思わずにいられませんでした。そこで改めて2027年に向けて新シリーズをスタートさせます。
 私は交響曲から、5月に「田園」12月に「第九」を演奏します。
 私の「第九」は、いわば“昭和の第九”…例えば1楽章の最初は宇宙の始まり…17小節目で“トリャーッ!”とビックバンが来るようでないと、物足りません(笑)。シュタイン、サヴァリッシュ、マタチッチ、スウィトナーのような、自分が聴いて育ったタイプの音楽を求めています。
 今はいろいろな情報に簡単にアクセスできる時代なので、知識だけが先行する傾向にあるように思います。私も若い頃は、突っ張って「最新の研究に基づく第九はこうです」というような演奏をしていたこともありました。でも結局、自分の原点に戻ったのだと思います。

※ミューザ川崎シリーズは、継続会員と川崎市民は3公演以上の申し込みで40%引きになる特典も

—— 客演指揮者やソリストには、沼尻さんに縁のある方が多いとか。

 そうですね。ドイツの正統系の巨匠が多くなりました。
 優れたピアニストでもあるシュテファン・ヴラダーさんは、リューベック歌劇場で私の後任として音楽監督に就任した方です。
 ゲオルク・フリッチュさんは、リューベックの隣町キール歌劇場のシェフを務めた方。ピアニストのミシェル・ダルベルトさんとは何度か共演していますが、以前ブラームスの2番の協奏曲のリハーサル中、自分が指揮をしたいとおっしゃるので、彼が振って私が弾けるところまでピアノを弾くというのをやったことがあります(笑)。
 小泉和裕さんはベルリンで同じ先生に師事していた先輩。大植英次さんは桐朋学園の指揮科の先輩ですが、華やかな指揮の背後に、歴史・文化に対する深い造詣のある方です。
 松本宗利音さんは、今最も注目される若手の一人。メンデルスゾーンの「イタリア」という、ロマン派と古典派の境目にある難しいシンフォニーを取り上げる気合いに期待しています。

—— 音楽監督に就任して3年、現在の神奈川フィルとの関係性に何を感じていますか。

 そろそろさらに高い山に登ることを目指す時期がやってきたなという気がしています。
 そこで例えば、セミステージ形式のオペラ上演「Dramatic Series」では、次回はついにワーグナーの《ラインの黄金》を取り上げます。ブルックナーでもすごくいい音を出すオーケストラなので、すばらしい演奏をしてくれるに違いありません。
 完全な舞台演出のあるオペラは、費用や制作の負担から実現が簡単でありません。全国で演奏会形式のオペラ上演が主流となり、たくさんの公演が実現する、その先駆けに神奈川フィルがなれたら嬉しいですね。
 そのために、これからも充実した企画と演奏を目指していきたいと思います。


神奈川フィルハーモニー管弦楽団
https://www.kanaphil.or.jp