柴田俊幸のCROSS TALK 〜古楽とその先と〜
Vol.14 ルネ・ヤーコプス[前編]

カウンターテナーとして、1970年代からレオンハルトやアーノンクールらのレコーディングに参加して頭角を表し、自身のアンサンブル「コンチェルト・ヴォカーレ」を設立。長くヨーロッパの古楽界をリードしてきたベルギーの重鎮、ルネ・ヤーコプスさん。2025年春、実に30年間の沈黙を破って来日を果たします。母国のビー・ロック・オーケストラとの共演でヘンデルのオラトリオ《時と悟りの勝利》を上演。東京での一夜限りの公演は聴き逃がせないものとなりそうです。韓国&日本ツアーを控えたヤーコプスさんに、パリのご自宅で柴田俊幸さんが話を聞きました。

Photography: Alice Lemarin

Chapter 1 祝・30年ぶりの来日!

柴田俊幸 こんにちは、ルネ・ヤーコプスさん。パリであなたにフラマン語で挨拶できるとは思いませんでした。

ヤーコプス こちらこそ。フラマン語で挨拶できてこちらも嬉しいです。

柴田 早速ですが、質問をしていこうと思います。最後の来日は1995年、北とぴあ音楽祭でしたでしょうか?

ヤーコプス まずコーヒーを飲みましょう。コーヒーなしでは仕事はできないからね(笑)

柴田 やや、そうでした。「コーヒー・カンタータ」みたい…。

さて、改めまして…初めて日本を訪れたのは1980年代、そして1992年と94年に〈東京の夏音楽祭〉で来日、95年には〈北とぴあ国際音楽祭〉に招待されて、それ以来、30年ぶりの来日ですよね。

ヤーコプス コンサートは鮮明に覚えています。帰ってくることができてとても嬉しいです。たしか〈東京の夏音楽祭〉ではモンテヴェルディの《ウリッセの帰還》でしょうか。日本初の古楽器による本格上演だったような気がします。あと、エール・ド・クール!*1 たしか、ちょうどエール・ド・クールの録音をしたところでした。まさかそれを打診してくるなんて…世界中探しても、こんなプログラムで出演をお願いしてくるのは、日本だけでした。
*1 16-17世紀のフランス貴族たちの間で流行った歌曲集

私はこの曲集を歌うのが大好きでした。古楽のオーディエンスは特別で繊細なレパートリーを好む傾向があると思います。ひょっとしたら受け入れられにくいのでは、と心配していたんですが。

柴田 いや、でもきっと聴衆も大満足だったと思います。

ヤーコプス たぶんこのフランス歌曲などを本格的に歌い始めたのも私が初めてだったと思います。今はフランスには優れた歌手がたくさんいて、カウンターテナーも少なくないのですが、残念なことに、彼らはほとんど全曲を歌おうとはしません。彼らは「有名な」エール・ド・クールしか歌わない。

柴田 それはクラシック業界全体の問題だと思いませんか? というのも、つまり、人々は有名な曲やオペラを歌いたがるし、聴きたがります。でも、我々若い世代の人にとって、コンサートで歌うこと自体がとても難しくなってきているのが現状です。昔は小さなコンサートを企画していた小さなチャペルやサロンでさえ、今はお金がない。だから、彼らはメインストリームのレパートリーを歌い、大舞台やプロダクションの一部になりたいと思っているのかと。

ヤーコプス メインストリーム…。私たちはメインストリームに対して徹底的に抵抗すべきだ。はっはっは。

柴田 やりたいことを突き詰める!

ヤーコプス そう。それが私のクレド、信条です。あなたは「世界は変わりつつある」と先ほど言ってましたよね。私は、世界は良い方向には変わっていないと思う。ネガティブに聞こえるかもしれないけど。文化というもの全般が破壊されている。

柴田 その反面、ビジネスを目的としたエンタメはどんどん拡大している。

ヤーコプス そうだね。気が滅入ります。新聞や雑誌が音楽について語るとき、それはほとんどいつもポップスかメタルかテクノの話で。才能あるクラシック音楽家がどんどん増えているにもかかわらず、私たちは孤立無援なのです。才能があっても、私たちはあまり相手にされていない。その一方で、世界中のポピュリストの指導者はますます危険になっている。

柴田 民主主義が脅かされている。彼らは芸術などは生産性のないものとして切り捨てるわけです。

ヤーコプス そうです。最初に言ったように、誰にとってもチャンスはますます少なくなっている。それは誰にとっても非常に辛いことです。でも、音楽家としてやりたいことを突き詰めなければいけない。

Chapter 2 ヘンデルの大胆さが表れた寓意のオラトリオを読み解く

柴田 話を戻しますが、今回は韓国ツアーの後に日本に寄ってくださるとのこと、とてもありがたく思います。しかも、あなたの故郷であるベルギーのビー・ロック・オーケストラと。彼らの初来日は、(指揮者なしで)ソリストが私とリコーダーのルーシー・ホルシュだったわけですが、今回はあなたが指揮者であるということもたいへん嬉しいです。30年ぶりの日本でのプログラムはヘンデルのイタリア語のオラトリオ「時と悟りの勝利 Il Trionfo del Tempo e del Disinganno」を選んだわけですが、あえてこのプログラムを選んだ理由を短く教えてもらえますか?

ヤーコプス せっかくなので、短くと言わず、ストーリーをしっかりと説明させてもらいます。そのほうがオーディエンスがより楽しんでくれると思うので。

この曲はアレゴリーの性質、つまりイソップ寓話のように人生の教訓を学ぶことができるオラトリオです。合唱はなく、登場人物は4人。それぞれがステージ上で芝居を交えて歌います。La Bellezza は美の象徴であり、女性です。この美には天国や神聖な美しさも含まれます。一方、Il Piacere は快楽の象徴で、(冠詞が)ilなので男性ですがソプラノによって歌われます。彼は地上の快楽、つまり物欲、私欲、官能性、さらには虚栄心を表現します。彼は『美しさこそが最も重要で、この美しさを永遠にするために結婚しよう』と Bellezza を説得します。Bellezzaは偽りの鏡に映る自分を信じ込み、一生の美しさ、永遠の虚栄心を得られると思い込んでしまうのです。しかし、最終的には破局を迎えます。

柴田 タイトル、完全にネタバレしてますね。

ヤーコプス その通り(笑)。時を擬人化したTempoと悟りを擬人化したDisinganno、彼らが勝つのです。

この作品はのちに何回かヘンデル自身の手で書き直されています。英語に改作後の作品(The Triumph of Time and Truth)のタイトルページにあるこの絵画を見てください。これを見ると色々な秘密のメッセージが隠されています。

例えば Tempo は鎌を持った天使として描かれています。農民が草を刈るように、Tempo は若者たちの時間を奪います。そして彼には飛ぶための翼があります。つまり Time Flies(時間が経つのは早い)ということです。永遠の美しさや命は存在しないのです。Disinganno(悟り)という言葉も興味深いです。イタリア語で『だます』や『欺く』を意味するingannare の対義語であり、欺きから救い出すことを指します。これはドイツ語の aufklären(啓発)や英語の enlighten(啓蒙)といった言葉に通じます。啓蒙思想は18世紀のヨーロッパでとても流行しました。ストーリーの中では偽りの鏡は壊され、真実の鏡で反射させた太陽光が真実を照らし、Bellezza を虚栄心から救い出すのです。

これは私たちの作品とは関係ない、後にヘンデルによって改作されたものに関する資料です。ここには Verita(真実)がデッサンされています。彼が持った真実の鏡に太陽光が反射してますよね。下には壊れた偽りの鏡が。ここでは Piacere(快楽)もハープを持っていますが、その甘い音色からハープは虚栄心の象徴と考えられていたからです! ふふふ。そういったわけで、今回のツアーの通奏低音チームにもハープは欠かせません。

柴田 こういった絵画を音楽で表現できるヘンデル、さすがです。ただ、22歳の時の作品、書き直されたこともあるということで音楽的にはどうなんでしょうか?

ヤーコプス 若いヘンデルの音楽はより大胆で冒険的で、音楽的なアイデアもとてもワイルドでした。「時と悟りの勝利」の中の多くの音楽は、彼の他の作品の中で何度も再利用されています。

柴田 確かに、歌が入らず器楽のためだけに書かれた楽章も多く登場しますよね。冒頭にも自分がよく演奏するヘンデルのソナタ HWV378に使われている楽章がありました。

ヤーコプス あと(第1部後半の)「静かに!」の直前にオルガン協奏曲のようなものが挿入されています。これは、ヘンデル自身の虚栄心のために、オルガンがとても目立つ楽章を書いたのです。つまり、ヘンデルの自己批判。とても皮肉っぽいですが、このオラトリオのテーマに合致していますよね。

あなたが好きだと言っていた最後のアリアは、再利用されていません。ホ長調で天国的な響き、ヴァイオリンのソロでしっとりと終わります。ただこれを何度も演奏するうちに、このストーリーは改心したマグダラのマリアを象徴しているような気がしてならないのです。

柴田 初めは罪人だったけれど、だんだん悟りを開いて改心していく様が重なりますね。

ヤーコプス こちらはカラヴァッジョの描いた改心した後のマグダラのマリア*2。化粧をしていない、でも、よく見ると一粒の涙が見えますよね。
*2 バロック期の巨匠カラヴァッジョの重要作のひとつ「悔悛するマグダラのマリア La Maddalena penitente

そうそう、最後にこの絵を見てください。先ほどまでのストーリーを聞いているとなんだかこの絵画が違って見えてきませんか?

こちらは17世紀フランスのジョルジュ・ド・ラ・トゥールによる
「悔悛するマグダラのマリア Madeleine pénitente」。鏡は虚飾の象徴

柴田 ただの綺麗な絵だな…という印象から色々な意味を推測できるような気がしてきました。「光」を照らして真実が見えてくる、芸術はやはり深くて面白いものです。

ヤーコプス ヘンデルがこのオラトリオをラテン語ではなく、民衆の言葉であったイタリア語で書いたことにも注目すべきです。当時、司祭以外の民衆はラテン語を理解できなかったため、一般の民衆のためのオラトリオ・ヴォルガーレ*3だったわけです。
*3 ラテン語によるオラトリオ oratorio latino に対し、世俗的な日常語であるイタリア語を歌詞とするオラトリオは俗語によるオラトリオ oratorio volgare と呼ばれた。

あと、この曲はキリスト教の四旬節のために書かれたものです。四旬節とは、灰の水曜日からイースター前日までの40日間を指します。『灰から生まれ、再び灰に還る』という考えのもと、人の人生の儚さについて思いを巡らせる期間です。

Chapter 3 「装飾」禁止令

柴田 あなたが指揮するときのレチタティーヴォにおける通奏低音チームの素晴らしさは随一かと思います。この素晴らしさも読者に伝えることが難しいと思うのですが、作り上げるほうはもっと難しいと思います。彼らとはどのように音楽を作っていますか? 

ヤーコプス 例えば、テオルボは野入志津子さん。彼女とは長年一緒に演奏を続けていますが…お互い歳をとっているはずなのに彼女はいつも元気なんですよ! 毎回聴くたびに進化し続けているのです。素晴らしい音楽家ですね。

柴田 野入さんもあなたに刺激を受けているんだと思います! 通奏低音部隊は数が増えれば増えるほど、すごく濃密な作業になるわけで、お互いに信頼関係がなければ成り立たないと思うのですが。

ヤーコプス まずレチタティーヴォを歌う技術と、それを伴奏する技術という2つの側面があります。もちろんアリアにも通奏低音はありますが、そちらはもっとシンプルなことですよね。レチタティーヴォでは、私が起用する通奏低音奏者たちは、彼ら、特に今の歌手たちが散文ではなく詩、つまり節(ふし)で歌うという事実に慣れています。

歌手の中には、レチタティーヴォは詩であるアリアとは違って自由だと思っている人もいるようだ。しかし実際には、レチタティーヴォにも節、リズムがあります。実際、クラウディオ・モンテヴェルディからジュゼッペ・ヴェルディに至るまで、音楽史上の長い期間、レチタティーヴォは7音節または11音節の行で書かれていました。ここから音楽が生まれるのです! 当たり前ですが、リハーサルではまずレチタティーヴォをよく歌わせます。

柴田 文字だけで、ってことですよね。

ヤーコプス 台詞と、もちろんリブレット(台本)も一緒にです。ただしゃべる、英語の speak ではなく declaim。イタリア語の recitare、演じるのです。

柴田 節を感じながら台詞を歌って演じるのですね。

ヤーコプス リハーサルのその部分では、通奏低音チームは待っていなければいけません。そして、私が「con la musica!(音楽と一緒に)」と言う瞬間があります。そこから共同作業に移るのです。また、特に長いレチタティーヴォでは、あるセクションから別のセクションに移行するようなトランジションのアイデアも書き出すこともあります。こういったクリエイティビティ(創造性)は、和声楽器からだけでなく、チェリストからも生まれるからです。幸いなことに、今はそのために非常に優れた奏者でチームを固められています。

柴田 書き出すというのは、歌手などの装飾についても同じことが言えますか?

ヤーコプス ちょっと待って!「装飾」という言葉は禁止です。私はその言葉を全く使いません!この言葉は本当にひどい。アリアにおいても装飾とは言いません。variatione 変奏という言葉が当時使われていました。ドイツ語だと Veränderung、変化、つまり音楽を変化させるのです。でも、それはあくまでアイデアなので、歌い手にはヒントを教えます。

柴田 なるほど、実際にパート譜とそのバリエーションを書いて、歌手に渡して。

ヤーコプス 私はいくつかのことをダカーポに書き留めて渡します。そこから「知的な」歌手だったら「私はそれが好きだけど、これは私の声にはあまり合わないかも、これではどう?」と私に提案し直してくれるのです。

柴田 指揮者にただ従うだけではないと。

ヤーコプス 100%私のアイディアに従い、書かれていることを歌う…そうすれば、その変奏はもう即興には聞こえないですからね。本末転倒ですよ。大切なのは、「即興であるかのように」聴こえなければならない。私たちは即興について若干間違った考えを持っているのです。

私たちはバロック時代について考えるとき、アリアのカデンツァ部分は即興的で、演奏のたびに新しいものだったと思い込んでいるでしょう。しかし、それは真実ではありません。一部の歌手はそうしたことができましたが、ほとんどの歌手は装飾音を書き留めたのです。世界中の図書館に残る楽譜には、作曲者の書いた声部、通奏低音、そして第3の声部、時には第4、第5の声部が手書きされてあります。それは変奏であることが多いのです。宝の山ですね。

これらの書き込みは、歌手自身が書いたものかもしれないし、音楽教師が書いたものかもしれない。分かっているのは、彼らはちゃんと準備をしたということです。彼らは、毎回新鮮なアイディアから即興したのではないことを証明しています。

現代では、例えばレコーディングでは、歌手は毎回違った歌い方をすることはできない。編集するために装飾音は多かれ少なかれ同じでなければならないですね。

後編につづく



ルネ・ヤーコプス指揮ビー・ロック・オーケストラ
ヘンデル《時と悟りの勝利》

2025.4/4(金)19:00 東京オペラシティコンサートホール
出演/ルネ・ヤーコプス(指揮) ビー・ロック・オーケストラ
スンへ・イム(美) カテリーナ・カスパー(快楽) ポール・フィギエ(悟り) トーマス・ウォーカー(時)
曲目/ヘンデル:オラトリオ《時と悟りの勝利》HWV46a(日本語字幕付)
問:東京オペラシティチケットセンター03-5353-9999
https://www.operacity.jp


ルネ・ヤーコプス René Jacobs

© Philippe Matsas

バロックと古典派における声楽音楽のスペシャリスト。260枚を超えるレコーディングなど、歌手、指揮者として、また研究教育の分野でも卓越した成果を残している。生まれ故郷ヘントの聖バーヴォ大聖堂聖歌隊で最初の音楽教育を受ける。大学で古典文献学を学ぶかたわら歌手として活動するなかで、アルフレッド・デラー、グスタフ・レオンハルト、クイケン兄弟と出会い、バロック音楽とカウンターテナー歌手へ導かれることとなった。1977年、バロック時代のオペラや声楽のレパートリーを探求するアンサンブル、コンチェルト・ヴォカーレを結成。1983年インスブルック古楽音楽祭でオペラ指揮者としてデビュー、ベルリン国立歌劇場、アン・デア・ウィーン劇場、ベルギー王立モネ劇場、ザルツブルク音楽祭、エクサン・プロヴァンス音楽祭、パリ国立オペラなど、主要な歌劇場で指揮している。モーツァルト『フィガロの結婚』の録音はグラミー賞を、ベートーヴェン『レオノーレ』(1805年第1稿)は、ドイツ・レコード批評家賞を受賞、オペルンヴェルト誌の年間最優秀オペラCDに選出。2023年ドイツのオパー・マガジンから終身名誉功労賞を授与、ウェーバー『魔弾の射手』の録音はオーパス・クラシック賞の年間最優秀オペラ録音に選ばれた。交響曲の分野では、ハイドンやモーツァルト、シューベルト交響曲全集などを録音している。ヘント大学とインスブルック大学から名誉博士号を授与されている。


柴田俊幸 Toshiyuki Shibata

© Hiroshi Noguchi

香川県高松市出身のフルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学卒業。アントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。ブリュッセル・フィルハーモニックなどで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド他の古楽器アンサンブルに参加。2019年にはB’Rockオーケストラの日本ツアーでソリストを務める。2022年には鍵盤楽器の鬼才アンソニー・ロマニウクとのデュオで「東京・春・音楽祭」「テューリンゲン・バッハ週間」などに招聘されリサイタルを行ったほか、2024年6月にはNHK BS『クラシック倶楽部』に出演。2017年より「たかまつ国際古楽祭」の芸術監督を務める。現在、パリ在住。
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https://www.toshiyuki-shibata.com