【初日レポート】小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXXI 〜圧巻のヴィオレッタ以下すべてが理想的に統合された《椿姫》の名演

 ヴェルディのオペラではもちろん、あらゆるオペラの中で、《椿姫》は世界で上演回数がもっとも多い作品の三指に入る。だが、ポピュラーなことと名演に出会えることは、また別である。上演しやすいばかりに、むしろ名演に出会いにくい気さえする。しかし、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトの《椿姫》は、久しぶりに出会ったこのオペラの名演、それも紛れもない名演だった。レポートするのは3月14日、ロームシアター京都メインホールで上演された初日の舞台。20日、22日の東京公演への期待がおのずと高まる。

ニーナ・ミナシアン(ヴィオレッタ) カン・ワン(アルフレード)

取材・文:香原斗志

卓越した3人のソリストと変幻自在な管弦楽

 前奏曲、そして1幕冒頭から、いつもの《椿姫》と違う。小澤征爾音楽塾の首席指揮者、ディエゴ・マテウスの棒のもと、比較的角張ったヴェルディの音楽に、まるで人間の皮膚のような弾力が感じられる。ヴィオレッタ役のニーナ・ミナシアンが歌いはじめると、稀な名演になると確信した。やわらかく温もりがあるふくよかな声が自在に伸縮する。声そのものの心地よさと表現力が、高い次元で両立している。

ディエゴ・マテウス(小澤征爾音楽塾 首席指揮者) 小澤征爾音楽塾オーケストラ

 第1幕のヴィオレッタのアリアでは、迷いや不安といった心の揺れが見事に織り込まれた声で、華麗な装飾歌唱を聴かせた。それも1音1音が制御された精密で完璧なコロラトゥーラで、倍音の美しさもともなっているからたまらない。

第1幕

 アルフレード役を歌う中国系オーストラリア人のカン・ワンにも驚かされた。あふれんばかりに充実した高密度の声が旋律を満たす。しかも、感情そのもののように膨らんでは細くなる声は、繊細さを内包した豊かさ自体が、若いエネルギーの象徴のように聞こえる。

 デイヴィッド・ニースの演出はト書きが重視され、時代は1950年代に移されているが、奇をてらわず演劇的な洗練度が深められている。それに、なによりロバート・パージオーラが装置・衣裳デザインを手がけた舞台が美しく、その写実美と音楽のリアリティとが支え合っている。

 特に第2幕は、花が咲き柑橘類が実る庭の風景にうっとりさせられる。だからこそ余計にヴィオレッタとジェルモンの二重唱が身に染みた。

第2幕
ロバート・パージオーラ手掛ける美しい装置・衣裳デザイン

 ジェルモンが登場すると途端に、管弦楽が深刻な色合いを帯びる。ヴェルディの音楽には急な場面の変化が多いが、トーンの変化がこうも鮮やかな演奏はなかなか聴けない。ジェルモンという存在の重さが瞬時に伝わってドキッとさせられる。

クイン・ケルシー(ジェルモン)

 29歳以下の若い奏者で構成される小澤征爾音楽塾オーケストラは、マテウスおよび、小澤征爾が信頼を寄せたサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーらが務めるコーチとの、3週間近くにおよぶ真剣な取り組みを経ている。それにしても、ここまで雄弁で変幻自在に表現することに驚かされる。その後もマテウスの指揮のもと、「ブンチャッチャ」と揶揄されがちなヴェルディのオーケストレーションが、人間の心拍や鼓動のように聞こえる。いや、ヴェルディがスコアに潜めたねらいが、マテウスと鍛え抜かれた若いオーケストラの力で、見事に引き出されたというべきか。

 第1幕で華麗なアリアを聴かせたミナシアンは、第2幕の二重唱では追い詰められた感情を劇的に表現して比類ない。ヴィオレッタの感情の広い振幅を一人のソプラノが表現しきるのは、かなりの困難をともなうものだが、ミナシアンは見事に成し遂げて不足がない。そしてジェルモン役は、METライブビューイングなどでもお馴染みのクイン・ケルシー。豊かな声を自然に響かせながら、尊大さから自身の娘への親心、尊大ながら抱きはじめているヴィオレッタへの同情心まで、複雑な心中が安定した響きのなかにある。

クイン・ケルシー(ジェルモン) ニーナ・ミナシアン(ヴィオレッタ)

 正直にいうと、ケルシーは伝統的なヴェルディの歌唱と少し異なると思っていたが、そうした細部への指摘が無意味だと痛感するほど、彼の立派な歌にはジェルモンの心情が、その社会的な立場をも想起させながら余すところなく描かれて圧巻だった。ヴィオレッタとの二重唱では、2人の心のずれまでが、しっかりと息の合った二重唱のなかで醸し出されるという「離れ業」が披露された。

 マテウスに「《椿姫》で一番重要な場面」を訪ねると、「第2幕のヴィオレッタとジェルモンの二重唱」という返答だったが、実際、管弦楽を2人の心の軌道のように操りながら歌唱を支えた。

1ヵ月にわたる徹底的なリハーサルの成果

 ところで、去年「父親になった」というケルシー。「もともと父親の役は自分のキャラクターに合っていた」と語るケルシーだが、自身も父親になることで、「これまで以上にしっくりくるようになった」という。それも二重唱の深みにつながったに違いない。

 ミナシアンはヴィオレッタについて、「この作品は有名すぎるので難しい」と語る。「みなさん、そのメロディをよく知っているだけに、とても正確かつ精密に歌うことが求められる」ので、「よりよい歌唱のために日々精進している」とのことだが、そうした意識があればこそ、歌唱の質がいっそう引き上げられていると感じられる。

第2幕第2場

 そして第2幕第2場、フローラ邸での夜会の場面へと進む。カン・ワンは「ここでの賭博の場面が一番好き」だという。なぜなら「アルフレードの怒り、苦しみ、悲しみが音楽をとおして強く感じられるからです」。実際、音圧が高い響きのなかにそれらが複雑に織り込まれている。続いてヴィオレッタとの二重唱になると、管弦楽は2人の鼓動を刻むように、この男女のあいだの緊張を描く。これほど歌唱と、込められた感情と、それを支える管弦楽が一体となり、入り組んだ心模様を入り組んだままに表現するヴェルディの演奏は、滅多に聴けるものではない。あらためてそう感じた。

カン・ワン(アルフレード)。来シーズンMETで同役での出演が発表されたばかり
(写真は3月12日 京都ゲネプロより)

 マテウスは、これに続く第2幕フィナーレが、「指揮をするのにもっとも難しい場面」だと語った。愛する人に真情を理解してもらえないヴィオレッタの切々たる訴えにはじまり、「あらゆる要素が一体となってコンチェルタートを形成する。それを整理して聴かせるのが難しいのです」。実際、ここはヴェルディ渾身のコンチェルタートで、難しさが克服された演奏を得て、作曲家の見事なねらいが多くの聴衆に伝わったのではないだろうか。ドナルド・パルンボの指導を受けた小澤征爾音楽塾合唱団のアンサンブルも、見事に統制されていた。

ニーナ・ミナシアン(ヴィオレッタ)
(写真は3月12日 京都ゲネプロより)

 第3幕も、とくにミナシアンは無理のない豊麗な響きから繊細なピアニッシモまで、自在に行き来しながら、ヴィオレッタの悲痛な心情を余すところなく描いた。第1幕の華麗な表現から第3幕の痛切な心情の表出まで、すべてを自然に、しかも美しくこなした彼女の歌唱を讃えたい。

(写真は3月12日 京都ゲネプロより)

 それにしても、ソリストの歌唱や演技はむろんのこと、管弦楽、合唱、舞台、すべてがていねいに作り込まれた心地よさがあった。それが前述したように、各要素が溶け合って音楽とドラマを深化することにつながっていた。およそ1ヵ月にわたり、徹底してリハーサルを繰り返してきた成果は、こういうところに確実に表れるものである。しかも、元来のポテンシャルが高いから、いっそうの深化が得られる。

第2幕第2場

 ところで、ケルシーと医師グランヴィル役の河野鉄平は、「20年前にシカゴで会って以来、親しくしてきて、今回、はじめて一緒の舞台に乗ることができた」(河野)という。この河野やフローラ役のメーガン・マリノら、脇を支える歌手たちが充実していたことも、稀代の名演につながったことを、最後に書き添えておきたい。

第3幕

写真提供:2025小澤征爾音楽塾 撮影:大窪道治、上仲正寿

小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXXI
ヴェルディ:歌劇《椿姫》[全3幕]新制作〈原語(イタリア語)上演/日本語&英語字幕付〉


◎京都公演
2025.3/14(金)15:00
2025.3/16(日)15:00
ロームシアター京都 メインホール


◎東京公演
2025.3/20(木・祝)15:00
2025.3/22(土)15:00
東京文化会館 大ホール


ヴィオレッタ・ヴァレリー:ニーナ・ミナシアン
アルフレード・ジェルモン:カン・ワン
ジョルジョ・ジェルモン:クイン・ケルシー
フローラ:メーガン・マリノ
アンニーナ:牧野真由美
ガストン:マーティン・バカリ
ドゥフォール男爵:井出壮志朗
ドビニー侯爵:町英和
医師グランヴィル:河野鉄平

小澤征爾音楽塾創設者/永久音楽監督:小澤征爾
小澤征爾音楽塾副塾長:原田禎夫
アシスティング・ディレクター 小澤征良

指揮:ディエゴ・マテウス(小澤征爾音楽塾首席指揮者)
演出:デイヴィッド・ニース
装置・衣裳:ロバート・パージオーラ
照明:イー・ツァオ
合唱指揮 ドナルド・パルンボ

管弦楽:小澤征爾音楽塾オーケストラ
合唱:小澤征爾音楽塾合唱団

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