
ロック魂溢れる先生と部員たちの青春マーチング!
取材・文・写真:オザワ部長(吹奏楽作家)
大分県の高校は、「吹奏楽の甲子園」と呼ばれる全日本吹奏楽コンクールに出場したことが一度もない。そんな中、毎年12月にさいたまスーパーアリーナで開催されているマーチングバンド全国大会に2020年度から5年連続で出場しているのが大分県立大分商業高校吹奏楽部だ。通称は「大商(だいしょう)」。いわば、大分の吹奏楽界の星といってもいい存在だ。

その大分商業を率いている上野浩一先生は、ダウンジャケットの左袖に全国大会出場の証である缶バッジを5年分つけている。御年65歳。すでに現役の教員としては定年退職し、今年度で再任用の期間も終わる。
実は、上野先生は地歴公民の教員であり、吹奏楽もマーチングも経験がなかった。
「大分県立三重農業高校に赴任したときに吹奏楽部を持たされたのが始まりです。それからマーチングの講習会に行き、ドリルデザイン(マーチングの動き・構成のデザイン)もできるようになって、『これは面白い』と思うようになったんですよ」

上野先生は現在も「毒」というバンドでドラムを叩く現役ロックンローラーの顔を持つ。先生のロック魂はマーチングの指導でも生きている。
「マーチングには教育的な面でいろいろな効用がありますけど、それを考えてマーチングをやっているわけではないです。単に俺が好きだから。54歳で大分商業に来たとき、『教師として最後の学校だから、自分のやりたいようにやろう』と思ったんですよ。そして、マーチングは生徒たちも楽しいと感じられるものです。ロックンロール・イズ・オールウェイズ・イン・ユア・ハート。ロックもマーチングもいちばん大事なのはハートです」
そんな個性的な上野先生のもとで、大分の高校生たちは日々マーチングと向き合ってきた。

大分商業で2024年度の部長を務めたのはホルン担当の3年生、中村美結だ。マーチングの際にはメロフォンを吹いている。
「中学まではバスケ部でキャプテンでした。音楽の経験はまったくなかったのですが、大分商業に入って吹奏楽部の全国大会の動画を見たとき、『カッコいい! 私もこのメンバーになれたら……』と思ったんです」
大分商業は経験者のほうが少ないと聞き、美結は思いきって吹奏楽部に飛び込んだ。それからは「想像もしていなかった高校生活」が待っていた。

「未経験なのにフレンチホルンとメロフォンという2つの楽器を演奏しなければならないのが大変でした運指も、マウスピースの形状も全然違うので。マーチングも、見ているだけだと自分にもできそうと思ってしまうんですけど、実際にやってみると演奏しながら動く難しさに直面して……。ただ、運動部出身なので体力的には大丈夫でした」
持ち前のタフさで練習に励み、高1で「マーチングの聖地」のひとつ、さいたまスーパーアリーナの巨大なフロアに立った。そして、今年まで3年間全国大会に出場することができた。
中学時代の美結は、まさか自分が高校時代にさいたまスーパーアリーナに3回も立つことになるとは思ってもいなかった。しかも、部長として。
未体験のマーチングに飛び込んだからこそ、開けた未来だった。

今年度の大分商業は、指揮者の上野先生を含めて81名。マーチングバンド全国大会はバンドの規模によって大・中・小と3カテゴリに分かれるが、81人はぎりぎりで大編成の人数となる。大編成の中には150人近いマンモスバンドもあり、ハイレベルでもっとも厳しいカテゴリだとされている。
中編成も厳しいが、もしかしたら大編成に出るよりは良い成績がもらえるかもしれない。それでも、「ずっと憧れだった大編成に出たい」と美結たち部員は上野先生に頼み込み、今年度大編成にチャレンジすることを決めた。
ショー(マーチングの演奏・演技)のテーマは「阿修羅 ASURA -人外魔境呪術決戦-」。白の呪術師「陽」と黒の呪術師「陰」の戦いを描くドラマで、アニメ好きを公言する上野先生の発案によるもの。タイトルから察せられるとおり、アニメ『呪術廻戦』に着想を得ている。
それに合わせ、スローガンも「領域展開」と決めた。『呪術廻戦』で登場する、化け物や呪霊たちと戦う呪術師が敵を封じ込めるために張る結界のことだ。

スローガンの意味を美結が教えてくれた。
「大会では、前にショーを披露した団体の雰囲気とか余韻とかが残っているところへ出ていってマーチングをすることになります。でも、領域展開して、お客さんたちを私たちの世界に閉じ込めちゃおう、夢中にさせちゃおう、という意味でスローガンを決めました」
練習や予選の過程では苦労もあった。リーダーとしての悩みも尽きなかった。
「ただ演奏や演技がうまいだけでは良いショーはできません。普段の生活態度、部全体の雰囲気、心からマーチングを楽しめているか、などすべてが出てしまいます。そんな中、全国大会という同じ目標を持っていても、部員の数だけ違う考え方があり、なかなかみんなの心がひとつにならないところが難しかったですね。私はリーダーですが、必ずしもリーダーの考えが正しいわけでもなく、リーダーの考えを押しつけて同じ方向を向くことも正しくありません」
ときにぶつかり合うこともあったが、美結は日ごろからできるだけ部員同士が腹を割って話せる機会をつくり、少しずつ一体感を育てていった。そして、それがマーチングの一体感につながり、通算5回目の全国大会出場という結果に結びついたのだ。
練習場所がない、楽器が足りない、資金的にも苦しい、という公立高校ならではの困難も乗り越えて、聖地への道を開いたのだった。

12月15日、美結たち大分商業のメンバーはさいたまスーパーアリーナに立った。そして、上野先生の指揮のもと、迫力とグルーヴ感のあるサウンドを奏でながら、巨大なフロアの中で陰陽の決戦を描き出していった。
「上野先生がずっと笑顔で、パワーみなぎる指揮をしていたのが印象的でした。たぶん先生がいちばん楽しんでいたと思います。やっぱり先生は『ライブの人』なんだなって思いました」
美結が「ここに込める思いはほかのどの団体にも負けないつもりでやりました」という終盤のカンパニーフロント(横一直線になってゆっくり前進しながら演奏するマーチング最大の見せ場)では大いに会場を沸かせ、涙を流す観客もいた。
床には「陽」の勝利を表す太陽の形をしたシートが広がっていき、大分商業のショーは感動的なラストを迎えたのだった。

大きな拍手と歓声の中で大分商業が引き上げていくとき、関係者からだろうか、場内に「上野先生、ありがとう!」という声が響いた。先生が教員として最後の年だとわかっていたのだろう。
先生は照れくさそうに笑いながら、片手を挙げてそれに応えた。
表彰式で発表された審査結果は銅賞だった。美結は言う。
「金賞を目指していたので、やっぱり全国大会のレベルは高いなと思いました。でも、点数は去年より高く、大分商業の過去最高点。やってきたことは間違いじゃなかったと思えました」
上野先生もこう振り返る。
「日本最高の大会ですから、『やったるぜ!』という気持ちで挑みました。銅賞という結果はともかく、過去最高の点数で、実際に俺も指揮を振っててめちゃくちゃ気持ちよかった。スカッとしました」
こうして大分商業の「さいたまスーパーアリーナライブ」は終わったのだった。

1月に美結たちは部活を引退し、3月に学校を卒業した。
上野先生は来年度も外部指導員という立場で大分商業の指導を続けることが決まった。
美結は言う。
「高校時代、みんなで一生懸命になれる経験は素晴らしいことだと思います。大人の人から『いまが青春なんだよ』と言われてもなかなかわからず、青春も、部活の素晴らしさも、終わってから気づくものかもしれません。でも、これから大分商業を背負っていく後輩たちには、自分たちを信じて、楽しく、後悔のない青春を過ごしてほしいです」
来年も上野先生とさいたまスーパーアリーナで「ライブ」を——。大分商業の「青春の行進」はこれからも続いていく。

編集長’s voice – 取材に立ち会って感じたこと –
「いちばん大事なのはハートです」といい、音楽を心から楽しむ上野先生。そして、先生を信頼して練習に励み、大会に臨む部員たち。そこにあるのは、いわゆる先生と生徒という関係にある「妙な気遣い」のようなものではなく、「好きなものは好きだよね」という音楽をベースにしたリスペクトに感じました。高校生とは思えないほどしっかり者の部長 中村さんも印象的。清々しい気持ちで大分を後にしました。
『いちゅんどー!西原高校マーチングバンド〜沖縄の高校がマーチング世界一になった話』
オザワ部長 著
新紀元社
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