今回のゲストは、今年5月に来日して、フランス風序曲やイタリア協奏曲などオール・バッハ・プロで4年ぶりとなるリサイタルを聴かせてくれたバンジャマン・アラールさん。現在進行中の録音プロジェクト『J.S.バッハの鍵盤作品全集』も話題の、フランスを代表する歴史的鍵盤奏者です。プライベートでも付き合いのある柴田俊幸さんと、古楽の先達たちのこと、音楽への向き合い方など、自由に語っていただきました。
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♪Chapter 1 オーセンティックであることと自由であることの共存
柴田俊幸(T) バンジャマン、日本でもお会いすることになるとは! 今日はよろしくお願いします。今回は、チェンバロだけの初リサイタルだったとか。
バンジャマン・アラール(B) そうですね。オルガンのリサイタルやラ・プティット・バンド(LPB)で何度か来日しているけど、ソロのリサイタルは2018年以来やったことがなくて、チェンバロだけ弾くリサイタルは、今回が初めてです。前回(注:2021年11月)はエマニュエル・パユとの室内楽だったので。
T 最近は、ソリストの活動に重きを置いているように見えるけど。
B どちらもとても重要です。クヴァンツが言うように、一人での演奏も、他の人との室内楽も、両方演奏できないと音楽家ではありませんよね。もちろん、オーケストラも。 でも、オーケストラの中だけで一生演奏を続けると、自分自身の音と向き合う時間、その練習ができない。時間の面でも限界があります。やはり一人での音楽づくりの時間は必要です。今はレコーディングのための練習、そしてリサイタルのための練習に追われています。それに加えてオーケストラ、全部をやる時間はない。私は自分自身をソリストであると同時に室内楽奏者であると考えています。
T LPBの名前が出ましたが、シギスヴァルト(・クイケン)と一緒に演奏して何を一番学びましたか? 私が参加し始める前から演奏していましたよね。
B 私に彼から学んだ最も重要なことは、オーセンティックであることと自由であることの共存でした。このバランス感覚。また、彼のオーケストラでは常にソリストとして室内楽を演奏しているような感覚を覚えました。ヴィーラント、シギスヴァルト、バルト(バルトルド)…それぞれの音楽家が、それぞれの役割において責任を背負っている、それを常に感じていました。
通奏低音は、アンサンブルの土台となるような演奏をすることが重要です。もちろん、それはただのチェリストではなく、優れたバッソ・チェロ奏者がいて初めて可能になることです。私の同僚であるロナン・ケルノア Ronan Kernoa とは非常に相性が良く、2008年まで一緒に演奏していました。ときどき、シギスヴァルトのスパッラ*、ヴィーラントのガンバとも演奏しました。そのほか、(チェリストでは)エルヴェ・ドゥシー Hervé Douchy、ミシェル・ブーランジェ Michel Boulanger も素晴らしかった。
LPBで徹底的に学んだことは、拍感のヒエラルキーとリズムの自由さです。舞曲や教会音楽、これらの音楽は拍感とリズムがとても重要なのです。舞曲に存在するリズムと声楽的なカンタービレ、シギスヴァルトはこれらを的確に教えることができる人でした。そして、何よりもシギスヴァルトは、議論することにとても前向きでした。私が何かを提案すると、彼はいつも“Why not ?”と言ってくれた。彼は指揮者ですが、まず、素晴らしいソリストであり室内楽奏者です。それが、LPBというグループで仕事をするときに生きてくるのです。
注:ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ Violoncello da spalla・・・18世紀に使われていた肩掛けチェロ
T ベルギーというと、「That’s famous in Belgium.(それはベルギーで有名だ=全然有名ではない)」など、いろんなことで揶揄される国ですが、そんな「ベルギーの音楽家」と一緒に仕事をするのは難しかったですか? 最近、フランスにも足を延ばし始めたのですが、ドイツやスイスの音楽家ほどではないけど、ベルギーとフランスのバロック演奏家のスタイルにも、若干違いがあるように感じます。両国の間にも共通点はあるのでしょうか?
B 私にとっては、とても自然なことでした。確かに、ドイツ語圏では演奏する前に選択し、決定したがる傾向があります。でも、LPBでのリハーサルは、とにかく演奏してみてあとはお楽しみ!という感じでした。
T 確かに、最近のシギスはもっと自発的で、その場の成り行きに任せてますよね(笑)
B その通り! 最初に何も決めずに。私にとっては、それがベストな音楽づくりの方法なんです。集団で演奏するときには、音を通じてアイディアを「提案」しなければなりません。それにその場で反応する。演奏する前に決めてしまうのは、私にとって意味のないことです。まずは演奏から始めないといけません。
これは独奏にも当てはまります。楽器がどうなるか、音の感覚をまだ理解もしていないのに、机の上の昔の資料や楽譜を読んだだけでは、どう演奏するかという心境には絶対になれません。それはただの想像に過ぎません。楽器で実際に弾くと、違ったものが生まれる。まるで人生のように。楽譜を読めば、人生の「イデア(理念)」は見つかる。しかし、それは単なる想像に過ぎないのです。
T 演奏解釈についてですが、「とりあえずやってみよう」とはいえ、音楽でキャッチボールをするためにはやはり「文法」が重要だと思います。バンジャマンがLPBで演奏してたとき、やはり同じ文法を持った音楽家たちをシギスヴァルトはヨーロッパ中から集めていたのでしょうか?
B どうだろう。通奏低音の音楽家たちに関しては、そう言っても過言ではないかもね。我々(通奏低音奏者同士)は同じ感覚を共有する必要があります。これは極論かもしれないけど、わからなくても現場でシギスヴァルトと一緒に学べばいいんです。コミュニケーションの問題です。何よりも彼はとてもいい人。聞く力を持っている。そして彼はよくしゃべる。しかも、趣味の良いことだけ。多くの指揮者はしゃべりすぎるけど(笑)。私たちは、音楽について何をどう話すのか、学ぶべきですね。
♪Chapter 2 伝統から一歩先へ
T (クラヴサンの)フレンチ・スクールついてちょっと教えてください。
B フランスの“THE 新世代”ってことなか?(笑)
T いやいや、そうじゃなくて(笑)、あなたが影響を受けたピエール・アンタイ Pierre Hantaï やエリザベート・ジョワイエ Elisabeth Joyé などの流れについてです。
B ピエール、エリザベート、あとスキップ・センペ Skip Sempé、彼らはレオンハルトの子どもたちだと思います。そして、自分自身もその伝統のを引き継いでいる。私は “un petit-enfant” つまり孫の世代ですね。私にとって、この伝統とつながりを持つことはとても大切なことです。リズムとカンタービレを道具にした演奏は、続けていかなければならないものです。
それを続けるためにも、楽器の研究は欠かせません。歴史的な(オリジナルの)楽器を演奏することも大事ですが、今日作られる復元楽器を演奏することもとても大事です。楽器のメカニズムが違うと、同じようには弾けません。レオンハルトの時代は、演奏法、楽器の製作、いろいろなものが研究段階で、常に一つ上のステップを目指していました。ピエールやエリザベートの時代はもう一歩先、そして私たちは、そのもう一歩先を目指します。これは優劣の比較ではありません。方向性についてです。我々は前の世代の良識を引き継いだ上で、一歩前に進むのです。
T だからこそ、違う結果になっても問題ない。
B そういうことです。大体、我々は一人ひとり違っていて、聴衆がみんな同じ耳を持っているわけではないのだから。音楽も同じだし、それが音楽の持っている魔力です。音楽は生きている、生命が宿っている。古楽にも。そもそも、他の人が演奏をコピーしたとして…おもしろくないでしょ?
みんなレオンハルトやブリュッヘンが古楽のパイオニアだと思っているようだけど、それは正しくないよ。ランドフスカやドルメッチもいたし。レオンハルトの世代になって、ようやく一般大衆に向けて「アーリー・ミュージック」が紹介されただけ。それ以前は、古楽はもっとプライベートな愉しみだった。小さな骨董品店みたいなものだったんだ。古楽で仕事をしたいのであれば、我々のルーツをちゃんと理解しないと。そして研究を続けないといけない。それは、とても大事なことです。私は古楽の先人たちを尊敬しています。それは当然のことで、自分がどこからやって来たかを忘れてはならないのです。
♪雑談
T 私の中でのバンジャマンは、パリでのあの「チーズ・フォンデュ事件」の印象が大きすぎて(笑)。
B 何の話?? …ああ、あのパリのレストランで食べたSwiss Fondueの時の話?
T そうそう。店員さんを呼んで「フォンデュというものはこうあるべきで…」と話していた姿が、なんか修辞学の神様みたいな…(笑)
B あれは、お世辞にも美味しくなかった。他の料理が素晴らしかったので、余計にがっかりしたんだよ。特にあの日はスイスから戻ったばかりで、私の失望は2倍だった!
T そんで、日本食はどうなの?
B 何言ってるんだよ。大好き! どんなことがあっても、ウナギです。
T まじかー! じゃあ、コンサートのアンコールはクープランの「L’Anguille(うなぎ)」で決まりだね!
B あとは、Comment on dit en japonais…(日本語では何ていうんだったか) 「ギュウタン!!」 グリルで焼いたのが大好きだよ。フランスでは焼かないでしょ。煮込んでピリ辛のソースと一緒に食べるから(Langue de boeuf sauce piquante aux cornichons)。初めて日本の牛タンを発見した時は、衝撃的だった。また食べたいよ!
T 「牛タン」っていう曲は、さすがにクープランも書いてないなぁ。。。
バンジャマン・アラール
Benjamin Alard, organ/harpsichord
1985年フランスのノルマンディー地方ディエップに生まれる。2004年ブルージュ国際古楽コンクール第1位および聴衆賞を獲得。07年ゴットフリート・ジルバーマン国際オルガン・コンクール(フライブルク)第1位およびヒルデブラント特別賞を受賞。チェンバロおよびオルガン奏者として、フランス、スペイン、アイルランド、ロシア、日本でリサイタルを行うほかヨーロッパの著名音楽祭に出演。シギスヴァルト・クイケンが1972年に創設したラ・プティット・バンドの通奏低音奏者としても活躍している。2005年よりパリのサン=ルイ=アン=リル教会の正オルガニスト。現在、ハルモニア・ムンディ・レーベルによるJ.S.バッハ 鍵盤作品全集の録音に取り組んでいる。
Twitter / @BenjaminAlard
Instagram / @benjaminalard
https://www.benjaminalard.net
柴田俊幸
Toshiyuki Shibata, flute/flauto traverso
フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学卒業。アントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。ブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント、ヴォクス・ルミニスなど古楽器アンサンブルに参加し欧州各地で演奏。2019年にはB’Rockオーケストラのソリストとして日本ツアーを行った。ユトレヒト古楽祭、バッハ・アカデミー・ブルージュ音楽祭などにソリストとして参加。アントワープ王立音楽院音楽図書館、フランダース音楽研究所にて研究員として勤務した。たかまつ国際古楽祭芸術監督。 『音楽の友』『パイパーズ』『THE FLUTE』Webマガジン『ONTOMO』などに寄稿。
Twitter / @ToshiShibataBE
Instagram / @musiqu3fl711
https://www.toshiyuki-shibata.com