柴田俊幸のCROSS TALK 〜古楽とその先と〜
Vol.7 バンジャマン・アラール(チェンバロ/オルガン)[後編]

 今回のゲストは、今年5月に来日して、フランス風序曲やイタリア協奏曲などオール・バッハ・プロで4年ぶりとなるリサイタルを聴かせてくれたバンジャマン・アラールさん。現在進行中の録音プロジェクト『J.S.バッハの鍵盤作品全集』も話題の、フランスを代表する歴史的鍵盤奏者です。プライベートでも付き合いのある柴田俊幸さんと、古楽の先達たちのこと、音楽への向き合い方など、自由に語っていただきました。
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♪Chapter 3 オーセンティックであることと自由であることの共存

柴田俊幸(T) バッハを演奏するとき、あなたのアイデンティティはどこにあるんでしょうか? やはりフランス人とはいえ、ドイツの作曲家であるJ.S. バッハの録音をするとき、やはりドイツに自分のアイデンティティを置き換えて演奏する? 古楽器奏者、特に鍵盤楽器を演奏する人はそれぞれのお国柄をよく知っていて、それぞれのスタイルで演奏することは簡単かもしれないけど。

バンジャマン・アラール(B) とても難しい質問だね…。例えば、何もかも忘れて、バッハの曲を選んで演奏するとしたら、今までの記憶をすべて排除して楽譜を見なければならない。無の境地、つまり「真っ新な体験」として始めなければならないのです。つまり、私はバッハの音楽を初めて演奏したときのように、とても率直に、そして自由に演奏しようと思っているのです。
 例えば「ゴルトベルク変奏曲」を、今日初めて生まれたかのように演奏するには、かなりの準備が必要です。何よりの問題は、この曲があまりにも有名だということです。たくさんの録音を聴いてきた結果、みんなの頭の中には「自動再生装置」があるんだ。私自身も、それを忘れなければならない。
 若い頃からこの曲をずっと演奏し続けているけど、毎回、何もかも完全に忘れるように努力している。そうすることで、毎回バッハの授業を受けているような感覚になるのです。音楽の文法、舞曲とカンタービレの融合、この二つが一番大事。でも、自分自身がいちばん自由になって音楽を感じるために、演奏するときはすべてを忘れることが一番重要だと思う。

T …となると、楽譜にメモなどを書きこむことは、ある意味「忘れる作業」の阻害になるかもしれませんね。

B もうひとつ、私にとっての大切なことは、演奏における「透明感」。ひとことで言えば、特にバッハの場合、“明瞭さ”が最も重要なのです。ポリフォニーの中のそれぞれの声部の独立性、そしてリズムですね。この明瞭さは、毎回必ずしも同じではないということにも注意しなきゃいけない。たとえば、部屋の中でクラヴィコードを弾くときは、とても「クリア」に弾けます。しかし、大きな教会で大きなオルガンを弾くときはとても難しくて、弾く楽器により音響面でどんなことが起こるか、毎回見直さなければなりません。
 室内楽やオーケストラも同じです。オルガンから学んだのは、毎回レジストレーション(注1)や音色などを作り直さなければならないからです。パリの教会でオルガンを弾いていますが、自分の(いつもの)オルガンで弾く場合でも、同じ曲は翌年には新しい選択肢を探します。絶対的な解釈などないのです。一番大事なのは、クリアであること。そして、リズムの明瞭さ。拍のヒエラルキー(階層)1、2、3…を弾き分ける必要がある。バッハの音楽が複雑すぎて大衆に理解されにくいのは、そこに理由があるのかもしれない。みんなバッハをあまりゆっくり演奏したがらないけど、ゆっくり演奏するのはいいことです。細部をもっとはっきりさせる必要がある。私たちの世界では、あらゆることが……

*注1:オルガンの音色を決めるストップ(音栓)の組み合わせを決定する作業

T より速く、より大きく…(笑)

B その通り! 何もかもが慌ただしい。 速くするのは簡単なんだよ。でも、ゆっくりなテンポで、細部をすべてちゃんと再現しながら演奏することはもっと難しいんだ、わかるでしょう?

♪Chapter 4 オルガンとチェンバロは正反対

T さっき、オルガンの話をしましたよね。そこで質問です。あなたのメイン楽器は何ですか?

B ははははは。

T あれ、悪い質問でした? 

B Si si! 良い質問だよ。オルガンは、私が最初に情熱を傾けた楽器。私の祖母は二人ともピアノを持っていて、私は一人でピアノを弾き始め、その後先生のもとで学びましたが、ピアノの音は私の耳には合わなかった。やっぱりオルガン! 初めてオルガンを聴いたとき、それは私にとって魔法、いや、奇跡のような体験でした。どこから音が出るのかわからないし、ピアノよりずっと魅力的だった。オルガンは私にとっての母国語なんです。

T チェンバロでは、オルガンのテクニックを使うのですか?

B それぞれ、まったく正反対の楽器です。オルガンは音が大きすぎる。逆にチェンバロはより音を必要とする。音を持続させることができない。まったく正反対なのです。オルガンとチェンバロがある場合、チェンバロには生き生きとしたソステヌートを与え、オルガンには音響を使ってダイナミクス(強弱)を与えるという作業をしなければなりません。技術的にはまったく逆なんです。経験を重ねることで、同化していくのですが。

T 今日、少なくとも3回は「カンタービレ」という言葉が出てきましたね。鍵盤楽器でカンタービレを作るにはどうしたらいいのでしょうか? 横笛の場合、とっても簡単です。音楽的なラインを作り、歌手のようにメッサ・ディ・ヴォーチェ(注2)したり、息の流れでいろいろとできますが。

*注2:長い持続した音で徐々にクレッシェンドとディミヌエンドをおこなう技法

B 私の場合、クラヴィコードかな。J.S. バッハやC.P.E. バッハの音楽のカンタービレについて、この楽器を演奏することでいろいろと教えてもらっているんだ。 なぜなら、クラヴィコードでは、音を持続させたり、音を振動させたり(ヴィブラート)することができるから…。クラヴィコードを弾く前は、カンタービレを作ることができなかったんです。なぜなら、技術的なこと以前に、それをイメージできなかったから。

 チェンバロでソステヌートは一見不可能に思えるかもしれないけど、うまくイメージすれば可能なのです。オルガンでも同じですが、教会の音響を考慮に入れなければいけない点で少し違います。
 バッハが「インヴェンションとシンフォニア」の序文に書き記したように、クラヴィコードでカンタービレの感覚を身につけることは大切です。家でその感覚をつかむには、クラヴィコードが一番適切な楽器なのです。この楽器で感性を養っておけば、あとはチェンバロやオルガン、室内楽でも自由に応用できるからです。少なくとも、僕にとっては、クラヴィコードが一番生き生きとしたサウンドを持っている。そういう意味では、まずはクラヴィコードから始めると楽かもしれませんね。チェンバロやピアノの場合は、まず「メカ(=機械)」であることを知っておく必要があります。オルガンもそう。もちろん、機械に命を与えることもできます。とはいえ、他の楽器と比べると、クラヴィコードは弾き手と直接つながっている気がします。  

「インヴェンションとシンフォニア」序文 ベルリン国立図書館蔵

♪Chapter 5 フランス音楽とBon goût

T フランスのバロック音楽についてお聞かせください。先日、クープランの「王宮のコンセール」を全曲演奏しました。

B 日本で? 珍しいね~。

T とても素晴らしい音楽ですが、J.S. バッハに比べると、日本では「あなたの(フランス)」音楽はそこまで大衆に評価されていません。フランス・バロック音楽のアンバサダーになってくれませんか?

B フランス風のバロック・ダンスは、17~18世紀のヨーロッパで、特にドイツの宮廷で盛んに踊られました。フランスのバロック音楽は装飾が多いので、とても難しいんです。なぜか? イタリアやドイツのように、全部の装飾が音符で書かれていないからです。

T J.S. バッハの音楽には、フランスの装飾音がたくさん出てきます。彼の場合は、装飾記号を使わずに、全て音符にして書き記していることが多いですね。

B フランスのバロック音楽で一番大切なものは「発音」なんです。それぞれのモチーフにどのシラブルを使って演奏するかがとても大事です。それは“Bon goût(良い趣味)”(注3)と深く関係があります。どこまでが限界なのか、難しい。そして、フランスの舞台芸術における距離感とその様式。そこには、イタリア人とは違う「距離感」みたいなものが昔からずっと存在します。

*注3:バロック期のフランスの音楽理論書などで、たびたび語られている演奏の極意のような言葉。“Bon goût(良い趣味)”を追求することが良い演奏には不可欠だとされた。

T あまり自由がない、とでも言いましょうか…クールな感じ。

B そうだね。ちょっとだけ、ほんのちょっとの自由でいい。難しいですね。この「距離感」というのが17~18世紀のすべての音楽に影響を与えた「フランス流」なんですね。フランソワ・クープランの「Les Goûts-réünis(趣味の融合)」などが難しく感じるのは想像できます。

 バッハはこのようなフランス音楽に魅了されたのでしょう。私たちは、このようなフランスの音楽を上手に演奏しなければなりません。演奏するのも難しいのですが、この音楽について語るのはもっと難しいのです。いちばん大事なのは、楽譜に書かれていない Bon goût の限界を見つけること。舞曲感とカンタービレに注意しながら、限られた自由の中でいろいろと試行錯誤しなければいけないのです。
 そして、自分の音楽に対するBon goûtを信じましょう! 例えば、ホテルでカッコいい服を着ている人を見たら、「わーお!」って言うようなものです。カッコいいじゃないですか。“Bon goût!👍”って感じで。

T その良し悪しの「物差し」を持つことができないというのが、日本人の特徴でして…。

B 良し悪しをどうやって見分けるのか、それは一つの側面です。絵画や建築のようなものです。イタリアに影響されたフランスというのは、非常に特殊です。その“距離感”が重要なんだと思います。クープランも「Il faut avoir un air aisé à son clavecin: sans fixer trop la vuë sur quelque objet, n’y l’avoir trop vague: enfin regarder la compagnie, s’il s’en trouve, comme sy on n’étoit point occupé d’ailleurs クラヴサンの前で何かに視線を集中するでもなく、ぼんやり眺めすぎるのでもなく、ゆったりと自然な感じでいるべきである。要はそこにもし人々が集まっているなら、他の事に心をとらわれていないかのように彼らを眺めるのだ(桒形亜樹子訳)」と言っています。ちょっと、わかりにくいかもしれませんが、私にとってはこの一文がフランス音楽に必要な「距離感」を物語っています。

T この距離感は、シギスヴァルトもよくリハーサルで話すことですね。ドイツの魂、とか情熱のイタリア、大和魂!みたいに熱くなり過ぎないこと。でも「フランスの距離感」と言われると、フランス・バロック音楽が遠い存在に感じてしまうのですが(笑)

B そんなことないよ! フランス音楽のキャラクターを知ることは大事。音楽は非常に宇宙的です。ひとつの音楽の性格を分析すれば、それを別の世界、つまり別の音楽とのつながりを感じることができます。
 ラモーとスカルラッティの関係にスポットを当ててみよう。スカルラッティはラモーとはまったく違う作曲家のように見える。でも、装飾を取りはらったラモーの音楽は、スカルラッティの音楽になり得るものがたくさんあります。私にとって、両者がそれほど遠い存在とは思いません。例えば、(ラモーの)「L’egiptienne(エジプト人)」の装飾を取ってみてください。スカルラッティのようです。バッハの「ゴルトベルク変奏曲」のような超絶技巧にも近いものを感じます。私はフランスの音楽が大好きです!

♪Chapter 6 ソリストとしてのエゴ vs 音楽 

T パリのような華やかな街で仕事をすると、自信に満ち溢れたえ芸術家にたくさん出逢います。良くも悪くもエゴを持っているというか…。一方で音楽づくりにエゴは必要ない、というのはラ・プティット・バンド(LPB)で演奏した我々の共通理解でもあると思います。音楽とエゴの関係性について話せませんか?

B うーーーーん…エゴとはなんだろう? 自分が素晴らしいと信じる経験を周りと共有し、一方で他の人の意見に耳を傾ける。自分のつくり出す音楽を信頼しているならば、努力を続け、技術や音楽性を向上させていく。これが我々の務めです。
 音楽の世界では、コンサートをプロデュースするホールや音楽事務所の音楽家に対する信頼をエゴと言い換えてもいいかもしれません。

T 音楽と「エゴ」がバランスよく存在することで音楽業界が成り立っている、と。

B バランスは何事においても大事です。もし、エゴが強すぎたり、仕事が多すぎたりすると、健康的ではありません。例えばオルガンとチェンバロ。私にとってこの2つの楽器の間でも、公平な良いバランスを作らなければなりません。
 人生はバランスです。仕事と研究。人々と分かち合うこと、つまりコミュニケーション。バランスをとることが大切です。毎日演奏会なんて、バランスが取れていません。知識を蓄える時間をとることも大切。マスタークラス以外、学校では教えていません。忙しくてできないんだ。本当はずっと音楽に専念していたいんだ。そうでないと、音楽の質が落ちてしまう。
 私は、音楽事務所の仕事にはとても敬意を払っています。音楽が一番大事なんだけど、他の部分を忘れたら危険です。同じ才能を持った人がたくさんいても、その中の一人が他の人より有名になることがある。これには運も必要。ブルージュの古楽コンクールには確かに助けられたけど、コンクールの優勝者でも10年後に噂を聞かなくなることもあるんですよ。コンクールがすべてではないと断言できます。
 私にとって、バッハの鍵盤作品の全集を録音するというのは「クレイジー」なオファーでした。3年前に、突然このようなチャンスを与えられたのです。時々、怖くなることもありますが、でも…やりますよ! ハハハ。
 色々と「エゴ」について話してきましたが、演奏するときはこのエゴは忘れなければいけません。シギスヴァルトは、「これが最初で最後のコンサートだと思って、一回一回のコンサートを大切にしなければならない」と言っています。

T 彼の言葉にエゴは存在しませんね。Merci beaucoup !

B どういたしまして。


バンジャマン・アラール
Benjamin Alard, organ/harpsichord

© Bernard Martinez

1985年フランスのノルマンディー地方ディエップに生まれる。2004年ブルージュ国際古楽コンクール第1位および聴衆賞を獲得。07年ゴットフリート・ジルバーマン国際オルガン・コンクール(フライブルク)第1位およびヒルデブラント特別賞を受賞。チェンバロおよびオルガン奏者として、フランス、スペイン、アイルランド、ロシア、日本でリサイタルを行うほかヨーロッパの著名音楽祭に出演。シギスヴァルト・クイケンが1972年に創設したラ・プティット・バンドの通奏低音奏者としても活躍している。2005年よりパリのサン=ルイ=アン=リル教会の正オルガニスト。現在、ハルモニア・ムンディ・レーベルによるJ.S.バッハ 鍵盤作品全集の録音に取り組んでいる。
Twitter / @BenjaminAlard
Instagram / @benjaminalard
https://www.benjaminalard.net


柴田俊幸
Toshiyuki Shibata, flute/flauto traverso

© Hiroshi Noguchi

フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学卒業。アントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。ブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント、ヴォクス・ルミニスなど古楽器アンサンブルに参加し欧州各地で演奏。2019年にはB’Rockオーケストラのソリストとして日本ツアーを行った。ユトレヒト古楽祭、バッハ・アカデミー・ブルージュ音楽祭などにソリストとして参加。アントワープ王立音楽院音楽図書館、フランダース音楽研究所にて研究員として勤務した。たかまつ国際古楽祭芸術監督。 『音楽の友』『パイパーズ』『THE FLUTE』Webマガジン『ONTOMO』などに寄稿。
Twitter / @ToshiShibataBE
Instagram / @musiqu3fl711
https://www.toshiyuki-shibata.com