ベルギーを拠点に活躍するフルート&フラウト・トラヴェルソ奏者で、たかまつ国際古楽祭芸術監督を務める柴田俊幸さんが、毎回話題のゲストを迎えて贈る対談シリーズ。モダンとヒストリカル、両方の楽器を演奏するアーティストが増えている昨今、その面白さはどんなところにあるのか、また、実際に古楽の現場でどんな音楽づくりがおこなわれているのか、ヨーロッパの古楽最前線にいる柴田さんが、ゲストともに楽しいトークを展開します。バッハ以前の音楽は未だマイナーな部分もありますが、知られざる名曲は数知れず。その奥深き世界に足を踏み入れれば、きっと新しい景色が広がるはずです。
現代を代表するヴァイオリニスト/指揮者にして、今年創設50周年を迎えた古楽オーケストラ「ラ・プティット・バンド」を率いるシギスヴァルト・クイケンさん。20世紀後半の古楽リバイバル運動が興った時代を知るレジェンドです。当時のパイオニアたちには、時代のうねりを起こす“反骨精神”がみなぎっていたようです。この対談は、現在ラ・プティット・バンドのツアーに参加中の柴田さんが、昨年夏、ベルギー・コルトレイクのクイケンさんの自宅を訪ねたときのもの。試行錯誤を重ねながらピリオド奏法を追い求めてきた彼にしか語れないこと、いま私たちが聞いておくべきこと ── 興味深いお話を3回に分けてお届けします。
♪Chapter 1 シギスのぼやき
柴田俊幸(T) 日本でのマタイ受難曲のツアー[1]も結局中止になってしまいましたね…。お元気でお過ごしでしたか?
[1] 2020年秋に予定されていたバッハ「マタイ受難曲」のツアーはパンデミックの影響により21年の延期公演も含め中止となった。
シギスヴァルト・クイケン(S) 残念だったね。でも、今年の夏は、我々はイタリアのサマー・アカデミー(La Petite Bande Summer Academy)で忙しかった。2017年に新・福岡古楽音楽祭でやったハイドンのオペラ《ラ・カンテリーナ》、あれもサマー・アカデミーで作ったものを日本で上演したんです。毎回招聘してくださる玉村さんはとっても喜んでくれた! 日本でオペラをやると、ほぼ毎回モーツァルトでなければならない。あれはなぜなんだろう? ハイドンでもなく、ヘンデルでもなく、モーツァルトでなきゃいけない…。
弦楽四重奏のツアーをやったとき、3つのプログラム案があった。ハイドン、モーツァルト、そしてそのミックス。もちろん、私たちはハイドンが大好きなんだけど、いつもモーツァルトかミックスになる。日本ではバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン以外、存在しないのか? ハイドンのオペラもとっても素晴らしいのに!
……ん、なに! ポケットの中から全部録音してるのか、このコソ泥め!(笑) ちゃんとしたインタビューのはずなのに、まさかトイレの音まで!? 困るねぇ〜(爆笑)
T いやいや、たまたまです(笑) ところで、昨日送ったメールの質問リスト、読んでくれましたか? “Presto”にサクサクっとやっていこうかと。「シギスのぼやき」って感じで。。。
S 読んだけど、いや、自己紹介はもういいでしょう(笑) 古楽に興味を持ったのは12~13歳の頃かな。手作りした小さなフィドルから始まりました。それからヴィオラ・ダ・ガンバや、バロック・ヴァイオリンと呼ばれるような別の種類のヴァイオリンがあることを理解するようになり、古楽器というものが私の頭の中でますます存在感を増していきました。
♪Chapter 2 古楽のパイオニアたち
T これまでに出会った古楽の先駆けたちを教えてください。
S バーゼル・スコラ・カントルム合奏団を率いていたアウグスト・ヴェンツィンガー(August Wenzinger, 1905-1996)がスコラ・カントルムにいたし、ニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt, 1929-2016)やグスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt, 1928-2012)は30代半ばだったかな。。すでに古楽に熱心に取り組んでいる人たちがたくさんいました。
1960年代の初めだったか、アムステルダム、ウィーン、イギリスなどで、古楽復興運動が始まっていることを知ったんだ。気づかないうちに、私たちはその中にいた。65年に兄のヴィーラント(Wieland Kuijken, 1938- )と一緒にレオンハルトに会いに行ったんだよ。アムステルダムに行って、彼と一緒に演奏したのが、私たちの出会いの始まりだった。当時、ベルギーには誰もいなかったんだよね…。旋律楽器だとリコーダーのフランス・ブリュッヘン(Frans Brüggen 1934-2014)もいたけど、バロック・ヴァイオリンは本当にいなかったんだ。だから、レオンハルトは私たちに出会って驚き、喜んでくれて。それ以来、私たちはとてもよく一緒に仕事をするようになったんだ。
T ガット弦って、どのように手に入れたんですか?
S ドイツのピラストロ社などがモダン・オーケストラのためにハープ用のガット弦を作っていたから、実はあらゆる寸法のものが手に入った。今思えばラッキーだった。確か、65年、66年、67年のレオンハルトと一緒に演奏していた頃は、とても細い弦で演奏していました。当時A線で弾いていたものを、今はE線で使用しています。そして、昔に比べても今はもっと弦を強く張っています。当時の音楽家たちが思っていた「古楽器なんだから、弦のテンションも弱く、ひ弱な音」というのは、まったく間違った知識だった。
古楽運動を始めた人たちは、みんなそうやって始めて、だんだん太い弦を弾くようになって、必ずしも繊細なものではないということが分かってきた。そして、私が個人的にチン・オフ奏法(chin-off 楽器を顎あてなしで演奏する奏法)を始めたのは、69年のことです。
T ヴァイオリンは誰と勉強されたのでしょうか。
S 音楽院では、モーリス・ラスキン(Maurice Raskin, 1906-1984)とモダンのヴァイオリンを勉強しました。彼はとても心の広い人だったけど、バロック・ヴァイオリンの話はしなかった。当時の音楽院では、この種のことを話しても誰も何にも知らないし、時間の無駄だったので、私は楽しくモダンを学び、できるだけ早く家に帰っていました。20歳だったかな、音楽院からディプロマをもらったのは。次の日から、当時音楽院ではタブーだった前衛音楽に取り組み始めたんだ。1964年当時は、シェーンベルクも弾かなかったし、無調音楽も一般には語られることはなかった。音楽はバッハに始まり…いや、オルガン奏者にとってはフレスコバルディになるのかもしれないけど…。でも、我々ヴァイオリニストにとっては、レパートリーはバッハからプロコフィエフまで。無調の音楽の存在は無視され、せいぜいアルバン・ベルクの協奏曲くらいだったかな、音楽として認識されていたのは。
♪Chapter 3 前衛のその先に
T 当時のクラシック音楽界の古楽に対するスタンスはどのようなものだったのでしょうか? 「水と油だった」というふうにはよく聞きますが…。
S 彼らの頭の中はとてもオールド・ファッションで、バッハ以前のレパートリーはまったく議論されていなかった。時代背景考証・解釈といったクラスも何もなかったし。そんなことを言い出したら「気が狂っちゃった」と疑われるくらいでした。だから、我々は何も語らず、学校ではモダンの勉強をして、あとは家で自由に好きなことをする。ディプロマはもらえないけどね。
バロック・ヴァイオリンも音楽院で他の人と一緒に演奏したことはなかった。ディプロマを取得した後は、オーケストラの仕事もモダン・ヴァイオリンの仕事もしていなかったから。バロックの分野で、新しい演奏法が急速に生まれつつあった時代でした。
T 当時は前衛的な音楽にも取り組んでいたという話をいろいろな人から聞きますが、本当ですか?
S うん、よく演奏したよ。古楽器やその奏法が発達した頃は、ちょうど前衛音楽がどんどん生まれていった時代でもあった。ブリュッセルにミュジーク・ヌーベル Musiques Nouvelles というアンサンブルがあって、指揮者はピエール・バルトロメー(Pierre Bartholomée, 1937- )。彼はもう80歳を過ぎてるね。私はそこで演奏していました。ミュジーク・ヌーベルの前身がアラリウス・アンサンブル Alarius Ensemble。後にラ・プティット・バンドで長く活動したジャニーヌ・ルビンリヒト(Janine Rubinlicht, 1932-1989)やヴィーラント、ロベール・コーネン(Robert Kohnen, 1932-2019)もこのアヴァン゠ギャルドなアンサンブルの一員だったんだ。
古楽と前衛をほぼ半々でやっていた時期もあった。電子音楽で有名だった作曲家のアンリ・プッスール(Henri Pousseur, 1929-2009)は、私たちのために曲を書いてくれたんだ。曲数はそれほど多くなかったけれど、私たちはその頃の前衛音楽という時代の新しい流れに参加していました。ブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル Le Marteau sans maître」をヴィオラで、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ Pierrot Lunaire」は、ヴァイオリンとヴィオラで何度も演奏しました。ある意味、レパートリーの両極端だけをやってきた。つまり“THE クラシック音楽”ともいうべき「定番もの」は演奏していません。
T この“THE クラシック音楽”のメジャーな世界への対抗運動(カウンター・ムーブメント)から古楽や前衛音楽集団が生まれた、と言っても過言ではない?
S そうねぇ。Diletto Musicaleという出版社でフレスコバルディの楽譜の校訂版をたくさん出してたけど、あれを校訂していたのも当時の現代作曲家たちだったはず。そういった意味でも距離は近かった。
古楽の探求をしたり、楽譜に固執するのではなく、書かれていないこともやったり、もしくは完全に自由な即興を試みたり、ケージのように不確定性の音楽を目指したり。さっきも言ったけど、ブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル」のように、とてつもなく細かい指示がある音楽もやったし…。すべては、その当時にはびこっていた支配的なものに対する我々若者たちの対抗心から生まれたものと言えるかもしれない。我々は自由を求めたのです。
(第2回につづく)
◎シギスヴァルト・クイケン&ラ・プティット・バンド 演奏会情報
■J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244
2022.4/3(日)14:15 アムステルダム・コンセルトヘボウ
https://www.concertgebouw.nl/en/concerts/38369-la-petite-bande-sigiswald-kuijken-bachs-st-matthew-passion
■J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番〜第6番
2022.6/4(土)20:15 アムステルダム・コンセルトヘボウ
https://www.concertgebouw.nl/en/concerts/38463-la-petite-bande-sigiswald-kuijken-bachs-brandenburg-concertos
【来日公演】
■シギスヴァルト・クイケン 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル
2022.10/7(金)19:00 浜離宮朝日ホール
■新・福岡古楽音楽祭2022
「古楽のごちそうバロック仕立て ~シギスのおすすめア・ラ・カルト~」
2022.10/14(金)~10/16(日) アクロス福岡
https://www.kogaku.net/program
シギスヴァルト・クイケン
Sigiswald Kuijken, violin/conductor
1944年生まれ。64年にブリュッセルの音楽院を卒業。幼少期より兄のヴィーラントと一緒に古楽に親しむ。1969年、ヴァイオリンをあごの下で支えるのではなく、肩の上に自由に置く演奏方法を導入したことが、ヴァイオリンのレパートリーへのアプローチに決定的な影響を与え、1970年代初頭から多くの演奏家がこのスタイルを採り入れることになった。1964年から72年までの間、アラリウス・アンサンブルの一員として活動。その後も兄弟であるヴィーラントとバルトルド、グスタフ・レオンハルト、ロベール・コーネン、アンナー・ビルスマ、フランス・ブリュッヘン、ルネ・ヤーコプスなどバロックのスペシャリストたちと室内楽プロジェクトを立ち上げた。
1972年にはラ・プティット・バンドを結成。世界各地での演奏会のほか、多くの録音も残し、現在に至るまでリーダーとして精力的な活動を続けている。1986年、クイケン弦楽四重奏団結成。98年以降は、モダンのオーケストラも指揮するようになり、シューマン、ブラームス、メンデルスゾーンなどロマン派のレパートリーにも取り組んでいる。2004年には、自らの研究により復元したヴィオロンチェロ・ダ・スパッラでバッハ、ヴィヴァルディなどを演奏し、話題を集めた。
教育者としては、ハーグ音楽院やブリュッセル王立音楽院で長年教鞭をとり、ロンドンの王立音楽大学、シエナのキジアーナ音楽院、ジュネーヴ音楽院、ライプツィヒ音楽大学等で客員教授も務めた。
2007年2月にルーヴェン・カトリック大学より名誉博士号、2009年2月にはフランドル政府より「生涯功労賞」が授与された。2018年には、欧州古楽ネットワーク(REMA)からも生涯功労賞を授与されている。
https://www.lapetitebande.be/en/
柴田俊幸 最新アルバム
■J.S.バッハ:フルート・ソナタ集 バッハによるファンタジアとインプロヴィゼーション
/柴田俊幸(フラウト・トラヴェルソ) アンソニー・ロマニウク(チェンバロ/フォルテピアノ) NEW
Fuga Libera(輸入盤)FUG792
柴田俊幸とアンソニー・ロマニウク、2つの才能の出会いが生んだ現代のバッハ像
https://outhere-music.com/en/albums/js-bach-sonatas-fantasias-improvisations
柴田俊幸
Toshiyuki Shibata, flute/flauto traverso
フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学卒業。アントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。ブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント、ヴォクス・ルミニスなど古楽器アンサンブルに参加し欧州各地で演奏。2019年にはB’Rockオーケストラのソリストとして日本ツアーを行った。ユトレヒト古楽祭、バッハ・アカデミー・ブルージュ音楽祭などにソリストとして参加。アントワープ王立音楽院音楽図書館、フランダース音楽研究所にて研究員として勤務した。たかまつ国際古楽祭芸術監督。 『音楽の友』『パイパーズ』『THE FLUTE』Webマガジン『ONTOMO』などに寄稿。
Twitter / @ToshiShibataBE
Instagram / musiqu3fl711
https://www.toshiyuki-shibata.com