柴田俊幸のCROSS TALK 〜古楽とその先と〜
Vol.5 ジャン・ロンドー in パリ[前編]

 ベルギーを拠点に活躍するフルート&フラウト・トラヴェルソ奏者で、たかまつ国際古楽祭芸術監督を務める柴田俊幸さんが、毎回話題のゲストを迎えて贈る対談シリーズ。モダンとヒストリカル、両方の楽器を演奏するアーティストが増えている昨今、その面白さはどんなところにあるのか、また、実際に古楽の現場でどんな音楽づくりがおこなわれているのか、ヨーロッパの古楽最前線にいる柴田さんが、ゲストともに楽しいトークを展開します。バッハ以前の音楽は未だマイナーな部分もありますが、知られざる名曲は数知れず。その奥深き世界に足を踏み入れれば、きっと新しい景色が広がるはずです。
Jean Rondeau & Toshiyuki Shibata パリ Radioeat にて

 2012年のブルージュ国際古楽コンクール優勝以来、世界でもっとも注目されるチェンバリストとなったフランスの若き鬼才、ジャン・ロンドーさんとの対談が実現! 2月にリリースしたばかりの最新CD『J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲』が話題沸騰中です。崇高な美しさを湛えた、自由で大胆なアプローチは、どのようにして生まれるのでしょうか。
 2月14日、柴田さんがパリのジャンさんを訪ねました。その言葉からは、音楽に対する思考の一端を垣間見ることができます。前後編2回にわたってお届けします!(後編はこちらから

♪Chapter 1 競争で真の音楽家は生まれない

柴田俊幸(T) 初めまして、ジャン。お会いできて光栄です! まずは自己紹介とあなたの音楽との出会いについて教えてください。

ジャン・ロンドー(J) ジャン・ロンドー、パリ出身のチェンバロ奏者です。身内に音楽家はいなかったけど、音楽を聴くのが好きな両親に育てられました。主にクラシック、ジャズといった音楽を小さい時から聴いていたんですが、5歳の時にラジオでチェンバロを知りました。その音色に感動したんです。そのとき、親に「この楽器、弾いてもいい?」と聞いたのが始まりです。

T 家の近くで、すぐ先生が見つかったんですか?

J はい。 幸運なことに、パリには公立の音楽学校がたくさんあって、誰でも気軽に通うことができるんです。パリの音楽教育はとても豊かだと思う。公立の音楽学校は無料だし。私は運良く家の近くの公立音楽学校に通うことができたんだけど、そこで素晴らしいチャンスを得ることができて…。チェンバロの先生が、あのブランディーヌ・ヴェルレ[1]! もう最高でした。彼女と一緒に音楽とチェンバロを始めることができたのは幸運。 彼女はこの道のパイオニアで、とても有名なソリスト。ちょうどその頃、ご主人が病気になって、もう少し落ち着きたいということで、パリに戻り教えるようになったらしい。

6歳から20歳まで、長い間一緒に勉強しました。私たちはとても親しくなって、音楽院が終わってからも彼女の家に行ってレッスンを受けたり、アドバイスをもらったり…。僕らはとても仲が良かったのです。彼女の音楽教育だけでなく、青二才の学生たちが彼女に支えられて成長する過程そのものが、自分にとってとても特別な体験でした。自分のアイデンティティをつくり、自問自答を積み重ねる時間ともいえる人生のすべてのステップを彼女と一緒に経験しました。まるで母親のような存在でした。彼女は本当に特別な人でした。

[1] Blandine Verlet 1942-2018 フランスを代表するチェンバロ(クラヴサン)奏者。Philipsレーベルを中心に数多くの録音を残した。

T あなたの人生の道標のような存在ですか?

J そうだと思う。とはいえ、私たちはとてもシンプルな関係でした。先生と生徒にありがちな、気を遣わなければならないような関係でもありません。とても健全な仲でした。友情というより家族的な関係。彼女は、私にいろいろな選択をするよう導いてくれたけど、「こうしなさい」とは決して言いませんでした。彼女はいつも“好きなようにしなさい“という感じだった。私がコンサートでたくさん弾き始めると、「気をつけなさい…やり過ぎないように」と注意もしてくれました。“競走馬”[2]を生み出そうという先生とは全然違う。それよりも、生徒との信頼関係を大切にしながら「本当に音楽をやりたいのか?」ということを常に説いてました。

[2] バルトークが“Competitions are for Horses, Not for Artists”、つまり「コンクール(=競争)は馬のためにある、芸術家のためではなく」と言ったところから。

T ブルージュ国際古楽コンクールをはじめ、たくさんの受賞歴をお持ちですが、やはり彼女の素晴らしい教えもあって…

J ちょっと言いたいんだけど、今日の我々は音楽院のアプローチに慣れきってしまっていて、コンクールのことばかり考えてる。これはパリだけでなく、すべての大都市でそうです。音楽界だけでなく、学校の精神的な部分も含めてです。試験でランク付けされるのは本当に残念なことです。

T コンクールのような競争が自分を強くするとは思わないのですか?

J もしも生徒が、「なぜコンクールをやっているのか」「コンクールを通して何に挑戦したいのか」など自分自身に疑問を投げかけることができれば、強くなる。

T 残念なことに、我々は学生時代にそのようなことに気づけないことが多いです。まだ青二才だから…(笑) だからこそ、私たちを導いてくれる良い先生が必要だと思います。

J ええ、その通りです。私はその点、幸運でした。

♪Chapter 2 チェンバロは、空気だけで演奏する

T 日本ではチェンバロや歴史的な鍵盤楽器を勉強しようと思うと、必ずと言っていいほどモダン・ピアノから始めなければなりません。

J ああ……

T 私はピアノは「猫踏んじゃった」以外、全然弾けません。チェンバロを少し頑張って練習する程度です。それでも、まったく別の楽器だということは理解しています。私の考えでは、この楽器、チェンバロを本当にマスターしたいのであれば、チェンバロ、あるいは歴史的な鍵盤楽器から始めたほうがいいと思うんですが、その点についてどう思いますか?

J 自分の経験をまず話すと、チェンバロを始めたのは6歳の時で、ピアノは11歳の時に始めました。今でもときどきピアノを弾くけど、私のメインの楽器はチェンバロです。

T ピアノを後に弾き始めたんですか!

J そうだよ。ただ、今でも両方の楽器を演奏しています。とにかく、この2つの楽器は、まったく異なる楽器だと言えるでしょう。表現、ジェスチャー、テクニックがまったく違う。お互いに何の関係性もない。

個人的な考えですが、ピアノは重力を利用して演奏する。下向きに。チェンバロでは、まったく逆です。空気だけで演奏する。常に(鍵盤の)上にいなければならない。確かに重力を使って演奏するけど、全然違う。

チェンバロとピアノを両方勉強した人をたくさん知っています。それは言語と同じです。母国語があると、他の言語でも何かしらの訛りが出てくる。私は英語を話すとき、フランス語のアクセントがあります。ピアノから入ってチェンバロを弾くようになると、そうなる可能性が大きいんです。

T フルートからトラヴェルソに移る時も同じような傾向が見られます。自分自身でもフルートの癖が抜けたかな、と思うのに、トラヴェルソだけ専門に吹いてから5年はかかりました。

J そうなんです。でも、それは不可能ということではありません。ただ、チェンバロをやるなら、気をつけなければいけないということです。ピアノを勉強してからチェンバロを弾くというのは、また別のプロセスが必要です。もっと時間がかかるかもしれない。もし、ある一定のレベルで両方やるのが目標なら、そうすればいい。でも、本当にチェンバロをマスターしたいのなら、自分自身に警告を発しないといけない。私にとっては、トランペットとヴァイオリンのような大きな違いがあるのです。

♪Chapter 3 楽器と音楽の“言語”

T チェンバロを1台選ぶとしたら、どのモデルを選びますか?

J それは難しい質問だね。チェンバロの素晴らしいところは、たくさんの楽器のモデルがあること、そしてそれらがすべて、ある国から別の国へ、ある年代から別の年代へ、複雑に変化しているという意味で豊かであること。変化の連続。形、大きさ、素材、装飾……そして音も違う、いろいろな楽器博物館を見て驚くことでしょう。チェンバロと言えばコレという「スタンダード」はない。多様性そのもの。違うレパートリーには違う楽器でアプローチすればいい。楽器が違うからこそ、さまざまな疑問も生まれるのだと思います。異なる楽器を使うとなると、違う言語を使わなければならない。 ひとつだけの正解はないのです。楽器と音楽スタイルの間には、とても密接な関係があります。16世紀の初めから18世紀の終わりまで、チェンバロはほぼ3世紀にわたってレパートリーを持っていましたから。

これが私の最初の答えです。ひとつを選ぶのはとても難しい。というのも、レパートリーによってさまざまな楽器があるからです。レパートリーを選んでもらえれば、私の好みを答えることができるけど。もっと正確にお答えすると……好きな楽器があるんです。それで何枚かCDを録音したことがあります。ジャーマン・モデルの楽器のようなものです。

T ミートケ[3]ですか?

J まあ、ミートケの一種ですね。「なんちゃってミートケ」(笑)

[3] バッハがケーテン時代に使っていたと言われるベルリンの製作者ミヒャエル・ミートケ Michael Mietke c.1656/1671-1719

T 何それ。どんな楽器?(笑)

J 正確にはミートケではないけど、ミートケにインスパイアされて作ったミートケ・モデルです。私が現代の製作者に激しく好意を持つ理由というのは、完璧なコピーを作っていることではありません。現代の名工たちは過去のチェンバロ製作者のコンセプトを引き継いだ上で、創意工夫をこらしてよりいいものを作ろうとしていることです。ルッカース[4]のような人は、とても独創的でした。楽器製造をしていた人たちは、おかしなヤツがたくさんいました。18世紀当時の職人の狂気や発明心を持ち続けることが大切だと思います。この楽器、つまり「なんちゃってミートケ」をとても気に入っています。バッハのCDは全部録音しました。ゴルトベルク変奏曲も含めて。オリヴィエ・フォルタン Olivier Fortin のものです。

[4] 16〜17世紀に名を馳せたフランドルを代表するチェンバロ製作の一族 Ruckers family

T あー、オリヴィエの! あなたのチェンバロじゃないんですね!

J 残念ながら。。私のものにしてしまいたいんだけどね!? ハハハ。オリヴィエはとても気前がいいヤツで、彼は何のためらいもなく私のために楽器を貸してくれるんだよ。彼は素敵なチェンバロ・ファミリーの一員なんだ。

T やっぱり当時のオリジナルの楽器にこだわりはありますか?

J 特にないかな。コピーモデルよりもオリジナル楽器の方が好きということはないですね。歴史的な楽器だからといって、いい音がするわけではないし。シャトー・ダサス Château d’Assasの楽器[5]は好きだけどね。あの楽器は大好きなんだ。前のアルバム『Melancholy Grace』では、16世紀のオリジナルのヴァージナル[6]で録音しました。あの楽器も大好きなんだ。

[5] 故スコット・ロスが愛奏したことで知られるアサス城にある18世紀の楽器。ジャンの2枚目のアルバム『Vertigo』はこの楽器で録音された。以下のYouTube動画を参照。
[6] フランチェスコ・ポッジ(フィレンツェ、1575年頃) Francesco Poggi, Florence, c.1575

T 日本の浜松に1765年製のオリジナルのブランシェ[7]があるのをご存知ですか?

[7] François-Étienne Blanchet c.1730-1766 ルッカースを踏襲し、発展させたパリのブランシェ一族の2代目が製作。浜松市楽器博物館蔵。

J いや、どこにあるの?

T 東京と大阪・京都のちょうど中間の浜松にあるんだ。楽器博物館があって、30以上の歴史的な鍵盤楽器が展示されています。今度立ち寄ってみてください。うなぎや餃子で有名な場所だし、おいしいお寿司屋さんもあるよ。

J ぜひ、行きたい!! でも、私はベジタリアンなんだよね。。。日本って魚と肉がとても優勢だし。。。日本に行った時は例外として食べるかも……だって美味しい。

T バロック・オーボエ奏者のマルセル・ポンセール Marcel Ponseele の有名な話をご存知ですか? 彼は完全なベジタリアンだったのですが、日本に来てから何でも食べるようになったんです。あまりにも美味しいから。

J ねー。変わっちゃうかもね(笑)

後編につづく)

取材協力:Radioeat(パリ Radio France内)


ジャン・ロンドー 最新アルバム
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲/ジャン・ロンドー(チェンバロ)NEW
ERATO/ワーナーミュージック・ジャパン(輸入盤) 9029.650811(2CD)
ジャン・ロンドーが「沈黙への賛歌」と考える、演奏時間約108分の中で綴る「ゴルトベルク変奏曲」

ジャン・ロンドー
Jean Rondeau, harpsichord/conductor

©︎ Clement Vayssieres

ジャン・ロンドーはブランディーヌ・ヴェルレのもとで10年以上にわたってチェンバロを学び、その後、通奏低音をフレデリック・ミシェルとピエール・トロセリエに、オルガンをジャン・ギャラールに学んだ。さらに、パリ国立高等音楽院でブランディーヌ・ランヌーとケネス・ワイスに、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校でキャロル・セラシとジェームズ・ジョンストーンに師事し研鑽を積んだ。パリ国立高等音楽院を優等で卒業し、ソルボンヌ(パリ大学)で音楽学の学位を取得した。2012年、21歳の若さでブルージュ国際古楽コンクール(MAフェスティバル2012)チェンバロ部門で優勝。チェンバロ奏者としての活動とは別に、ジャズ指向の自作曲をピアノで表現する場として、アンサンブル「Note Forget, The Project」も結成した。バロック、クラシック、ジャズへの情熱と好奇心にあふれたロンドーは、哲学、心理学、教授法の要素を少しずつ織り交ぜ、多様な文化や芸術形態、専門分野の間にある音楽的な関係性を常に追求している。
https://www.jean-rondeau.com


柴田俊幸 最新アルバム
J.S.バッハ:フルート・ソナタ集 バッハによるファンタジアとインプロヴィゼーション
/柴田俊幸(フラウト・トラヴェルソ) アンソニー・ロマニウク(チェンバロ/フォルテピアノ)
NEW
Fuga Libera(輸入盤)FUG792
柴田俊幸とアンソニー・ロマニウク、2つの才能の出会いが生んだ現代のバッハ像
https://outhere-music.com/en/albums/js-bach-sonatas-fantasias-improvisations

柴田俊幸
Toshiyuki Shibata, flute/flauto traverso

©︎ Jens Compernolle

フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学卒業。アントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。ブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント、ヴォクス・ルミニスなど古楽器アンサンブルに参加し欧州各地で演奏。2019年にはB’Rockオーケストラのソリストとして日本ツアーを行った。ユトレヒト古楽祭、バッハ・アカデミー・ブルージュ音楽祭などにソリストとして参加。アントワープ王立音楽院音楽図書館、フランダース音楽研究所にて研究員として勤務した。たかまつ国際古楽祭芸術監督。   『音楽の友』『パイパーズ』『THE FLUTE』Webマガジン『ONTOMO』などに寄稿。
Twitter / @ToshiShibataBE
Instagram / musiqu3fl711
https://www.toshiyuki-shibata.com