【特集】コンポージアム2022
アンサンブル・モデルンのヴィオラ奏者 笠川恵さんに聞く【後編】

Ensemble Modern ©Wonge Bergmann

取材・文:小室敬幸

ファーニホウはクラシック音楽。決して“難しい音楽”ではない!?

 ファーニホウは“理解するのが難しい音楽”ではなく“準備に他の作曲家より時間がかかる”だけだと笠川は強調する。それは実のところ、聴き手にとっても同じなのではないか?

「私がファーニホウの曲を弾く時はいつも、彼の音楽から“クラシック音楽”だという印象(独:Ausdruck/英:expression)を受けます。楽譜の上では複雑で無機質にみえるかもしれないですけど、ひとつひとつのフレーズが凄く情緒的だったりして、演奏する上では特殊な現代音楽ではなく、クラシック音楽のアプローチと変わらないと思いますね。アンサンブルの曲は色んなことが同時に起こっているので結果的に複雑に聴こえるんだけど、ときどきリハーサルで“ここ弦楽器だけで弾いてみて”っていうタイミングがあると、驚くほど綺麗だったりするんです!

 2014年にドナウエッシンゲン音楽祭で、ファーニホウの《インコンジャンクションズ》という曲をやった時のゲネプロで、弦楽器がユニゾンで弾くところのアーティキュレーションが、楽譜からだけだとイマイチよく分からなかったんですね。本人が立ち会っていたので、どういう感じなのか聞いたら、その部分をファーニホウは歌ってくれたんですよ! 彼の中ではひとつひとつのフレーズに明確なイメージがあるんでしょうね。一発でどういう風に弾くべきか分かりました」

 このエピソードからは、ファーニホウがむやみやたらに複雑な曲を書いているわけではなく、職人的に細部までこだわりながら作品を作り上げていることが伝わってくる。では、なぜ彼の音楽は複雑に書かれる必要があるのか?

Megumi Kasakawa ©Andreas Etter

「自分が出来る範囲より、ちょっと上のことが求められた時のエネルギーって凄く高いじゃないですか。もしかしたら出来ないかもしれないけれど、やらなくちゃいけない……みたいな時に出てくるエネルギーって、コンサートで見えるんですよね。演奏家がコンフォータブルな(居心地の良い)場所にいるのか、チャレンジしなきゃいけない状況に置かれているのかって伝わると思いますから。あのアーヴィン・アルディッティがこれ以上、音が増えたら演奏できない!?という位までリハーサルを重ねるごとにファーニホウが音を加えていった……という、まことしやかなエピソードを耳にしたことがあるのですが、本当かもしれないと思えますよね(笑)」

 今では“出来る範囲より、ちょっと上”と言えるまでになったファーニホウだが、かつてはそうでもなかった。

「モデルンとファーニホウが仲良くなっていったのは2000年代なんですけれど、その当時は演奏家から“これは無理だ”という反応もあったそうなんです。どのようにファーニホウの音楽を読み解けばいいのか、打楽器のライナー・レーマーは他の演奏家がどうやっているのか聞いたり、自ら試行錯誤しながら、自分なりのシステムを構築するのに20年ぐらいかかったと言っていました。ところが私が2018年から芸術監督を務めているアンサンブル・モデルンのアカデミーに所属している学生たちにこれまでの経験をシェアすると、こういう曲をサッと弾いてしまうんですよ! ですから、私が思うに30年後ぐらいには普通に演奏されるようになっているんじゃないでしょうか。それに彼の曲はマテリアル(素材)がしっかりしているので、絶対に長く残る作曲家だと自信をもって言えます」

Ensemble Modern ©Vincent Stefan

 どれほど複雑な数学や物理の理論であろうとも、一度証明されて公式が確立されてしまえば、広く活用されていくのと似ているかもしれない。このような話を聞くと、ファーニホウの作品は人類における音楽や演奏の可能性を切り拓く最先端の領域のように思えてくる。

「現代音楽は難しいと思われている方にお伝えしたいのは、これは“言語”と一緒じゃないかと思うんです。初めて耳にする外国語って何も分からないじゃないですか。でも、何度も聴いているうちにその言語の特徴が分かってきて、ちゃんと理解しようと思ったら基礎から学んでいく。文法だけじゃなく、その国の歴史や文化も含めて知っていくわけですよね。ファーニホウも一緒です(笑)。初めて聴いた時にこれは一体何だ!?と思ったとしても、何度も聴いていくうちにどういう(音楽)言語で表現しているのかが少しずつ掴めるようになってきて、そうすると今度はどんな経緯やインスピレーションで生まれた作品なのかを知りたくなってきて、最終的にきっとこういうことだろうな……という見当がついてくるんです」

 一回聴いただけで理解できないかもしれない。でもそのリスクを負った人だけがたどり着ける、これまで見聴きしたことのないような刺激的な体験が待ち受けている……。「〈コンポージアム2022〉ブライアン・ファーニホウの音楽」は、そんな一夜となるに違いない。

©Wonge Bergmann

「今回指揮をしてくれるブラッド・ラブマンは、2017年にモデルンとアルディッティ弦楽四重奏団がファーニホウのツィクルス“Umbrations”を演奏した時の指揮者でもあるんですね。そして、おそらくその時の演奏がきっかけで、ファーニホウは今回の来日公演にモデルンを起用してくださったと思うんです。ブラッドはもともと打楽器奏者なんですけど、ファーニホウのテンポやリズムの計算を踏まえて、どこに拍が来るのかというのが凄く明確な指揮なんです。だから彼が指揮者でいてくれるのは本当に心強い。ソリストも務めるヤーン・ボシエールはモデルンの仲間ですが、同時にマーラー・チェンバー・オーケストラの創設メンバーで今も所属しています。なのでクラシック音楽にも精通しているし、室内楽も素晴らしい。音楽的にも人間的にも信頼できる仲間です。この顔ぶれで演奏できるのが、私も本当に楽しみです!」


Biography
笠川恵 Megumi Kasakawa
相愛大学ヴァイオリン専攻卒業後、スイスに渡りヴィオラに転科。ヴィオラを今井信子氏に師事。ジュネーヴ音楽院最高学位を取得し同音楽院を首席で修了。ライオネルターティスコンクール特別賞、ヴェルビエ音楽祭にてヴィオラプライスを受賞。その後ジュネーヴにて今井信子氏のアシスタントを務めた。ソリストおよび室内楽奏者としてヴィオラスペース、ザルツブルグ音楽祭、ベルリン音楽祭、OJAI音楽祭をはじめとする音楽祭に出演、同時にマスタークラスに講師として招かれ現代音楽を中心に後進の指導に力を入れる。
2010年よりアンサンブル・モデルンヴィオリスト、同アカデミーの講師として活動中。
https://www.megumikasakawa.com

笠川恵(c)Andreas Etter

東京オペラシティの同時代音楽企画「コンポージアム2022」
◎ブライアン・ファーニホウの音楽

5/24(火)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
ブラッド・ラブマン(指揮)
ヤーン・ボシエール(クラリネット)
アンサンブル・モデルン
ファーニホウ:
想像の牢獄 I(1982)
イカロスの墜落(1987〜88)
コントラコールピ(2014〜15)[日本初演]
クロノス・アイオン(2008)[日本初演]
◎2022年度 武満徹作曲賞本選演奏会
5/29(日)15:00 東京オペラシティ コンサートホール
審査員:ブライアン・ファーニホウ
篠﨑靖男(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団
問:東京オペラシティチケットセンター03-5353-9999 
https://www.operacity.jp/concert/