世界最高峰のグループが紐解くブライアン・ファーニホウの音楽
取材・文:小室敬幸
1980年代、「新しい複雑性 New Complexity」というキーワードと共に現代音楽シーンに紹介されてからというもの、全世界的に大きな影響を与えてきたイギリスの作曲家ブライアン・ファーニホウ(1943〜 )も今や御年79歳。紛れもなく大御所世代となった現在こそ、彼が音楽の歴史に残した足跡を振り返り、作品の真価を問う機会が必要ではないか。
これまで日本でも現代音楽に熱心に取り組む団体や個人がファーニホウ作品を取り上げてきた。だがファーニホウ作品はあまりに演奏困難であるため、ひとつのコンサートで4作品すべてを最高のクオリティで演奏できるグループとなると、世界中を見渡しても極めて少ない。ファーニホウ本人が「この団体しかいない!」と指名したのはドイツが誇るアンサンブル・モデルン(1980〜 )だ。ファーニホウも惚れ込む、約20名からなる現代音楽のスペシャリストたちのどこが凄いのか? 2010年からこの団体に所属するヴィオラ奏者の笠川恵に話をうかがった。もちろん、ファーニホウの魅力についても語ってもらっている。
アンサンブル・モデルンとの出会いと衝撃
もともと笠川は相愛大学でヴァイオリンを学んでいたのだが、日本を代表するヴィオリスト今井信子との出会いをきっかけとして、2005年にヴィオラへ転向。その年のうちに師の薦めでジュネーヴ音楽院へ留学した。アンサンブル・モデルンに入団するわずか5年前のことである。
「ジュネーヴで学んだ教育もクラシック音楽がベースで、現代曲にはそれほど触れていませんでした。もちろんヴィオラなのでレパートリーは20世紀の曲が多いのですが、のめり込んではいませんでしたね。ところが2007年5月に『ヴィオラスペース』というコンサートで、ジョージ・ベンジャミンの《ヴィオラ・ヴィオラ》を弾くことになって、この時にもの凄いショックを受けたんです。自分のパートを弾くことだけでも難しいのに、合わせるのも大変……。自分にとっては大きな挑戦でした」
なお、ヴィオラスペース(1992〜 )は今井が立ち上げた音楽祭である。笠川が《ヴィオラ・ヴィオラ》を弾いた同日の公演には、現代音楽のスペシャリストとして知られるヴィオリストのガース・ノックス(アンサンブル・アンテルコンタンポランやアルディッティ弦楽四重奏団の元メンバー)が出演していた。彼から「今度、暗譜で《ヴィオラ・ヴィオラ》を弾く」と聞いた笠川は耳を疑う。
「一体、どうすればこの難曲を暗譜で弾けるんだろうってビックリして、アムステルダムまで観に行きました。それが、アンサンブル・モデルンがジョージ・ベンジャミンの室内オペラ《Into the Little Hill》を演奏するコンサートだったんです。オペラの前に、本当に暗譜で弾いていて、これは人間業じゃないって心底驚きましたね。そうしたら、その半年後にガースから連絡が来て、『今度は君が暗譜で弾いてくれないか?』って言うんです(笑)。それで初めてアンサンブル・モデルンと仕事をすることになりました」
初めてモデルンと出会った衝撃は、未だに忘れられないという。
「最初にアムステルダムで聴いた時に感じたのは、飾り気はないけどスタイリッシュ! 音楽がそのままダイレクトに来る感じが、とっても格好良くて! そのあと初めて一緒に弾いた時に驚かされたのは、自分たち一人ひとりが演奏をリードしていった結果、指揮者に合わせなくてもあるべき場所に音が来るんですよ! 探ったりする瞬間がなくて、常に積極的な演奏なんです。『わー、なんて凄いんだろう! もし叶うならば、この団体に入りたい』とその時に初めて思いました!」
リハーサルでひとつの音楽をオーガナイズしていくために指揮者は絶対必要であるのだが、合奏としてのクオリティは自分たちで担保していることがアンサンブル・モデルンという団体の凄さだと、笠川の驚きから伝わってくる。
「それから、東京オペラシティでライヒの《18人の音楽家のための音楽》をライヒ本人と一緒にやった時にもエキストラで乗っていたんですけれど、そんな感じで次から次へと今度はあれを弾いて……と言われるようになって。時間がある限り引き受けていたら、それが入団試験だったみたいで。最終的にはオーディションを受けることなく、ジョインしてくれませんかと言われて現在に至ります」
なぜ、モデルンは作曲家たちから高く評価され、信頼されるのか?
こうして2010年に正式なメンバーとなった笠川は、今や在籍10年を超える中堅となった。メンバーとなり分かってきたのは、彼らのオープンなメンタリティだった。
「古くからのメンバーから学んだのは、こうでなくてはならないという固定概念を持たないということですね。毎回、コラボレーションする相手を知ることから始めて、互いにとって一番良い形で作品を作っていける環境を築くんです。そこからやっと次のステップに進む。そういう姿勢が凄いなと今も感じています」
もちろん彼らの凄さはそれだけではない。ファーニホウに限らず、演奏至難な作品を取り上げることが多いアンサンブル・モデルンだが、意外なことにリハーサルの回数は特段多くないのだという。
「正式なリハーサルをするのはコンサートの前だけです。重要なのは個々人で準備をするプロセスで、例えば(変拍子かつ連符のなかに連符がある複雑なリズムが記譜されている)ファーニホウみたいな音楽は、テンポとリズムの計算をしなくちゃいけないので、そういうことに長けた同僚に聞いたりと、個人間で情報交換をしたりするんです」
「5月の来日に向けて、打楽器奏者たちは4月上旬に楽器を実際に組んでいました。その理由を聞いてみると、4曲でどれだけの量の楽器が必要なのか把握したかったのと、《クロノス・アイオン》という作品は楽譜だと2人の打楽器奏者という指定なんですけれど、今回はなるべく楽譜通り書かれている音を全部演奏するために3人でやろうと思っているそうなんです。3人でどう分けるか決めるためにセットを組んでみる必要があると言っていました」
百戦錬磨の団体ではあるのだが、誤解なきように言っておくならば、決してやすやすと難曲を演奏しているわけではない。
「今回のコンサートで演奏される《イカロスの墜落》でソリストを務めるクラリネットのヤーン・ボシエールに、どうやって準備を進めるのか聞いてみたんですよ。そうしたら、『まずは楽譜を開いてみる。でもその日はそのまま楽譜を閉じて、絶対見ない』と(笑)。それで次の日になってから、もう一度楽譜を開いてゆっくりさらい、全部が演奏可能かどうかを確かめる。リズムを付けるのは、その後からだと。
これもヤーンが言っていたんですけど、ファーニホウのピアノ・ソロ作品に物理的に絶対弾けない曲があるらしくて。その時に演奏者自身がどの音が大切なのか判断して、弾く音を決めなきゃいけない。それがインタープリテーション(演奏・解釈)に繋がって、その人独自の表現に繋がる。私もまさにそうだなと思います」
「打楽器のライナー・レーマーも、まず楽譜を読むことが大事だと言っていました。『音を出す前に、楽譜を読んで読んで読みまくる』と! テンポとリズムのスピードを徹底的に計算して、最終的にこう聴こえるだろうな……というのを自分で想像しながら弾くのだそうです。なんとなくこうじゃないかなっていう曖昧なところから入るんじゃなくて、こうあるべきだってことが分かってから形にしていきます。
さっきも言いましたが、アムステルダムで初めてモデルンを聴いた時は凄い人たちがいるんだなと思いましたけど、実際に中に入って演奏するようになると、私だけじゃなくメンバーみんな毎回のコンサートに必死なんです。他の音楽家と何も変わりませんよ(笑)。どうにかして音楽を仕上げようと、全員が一丸となって必死にやっているだけなんです」
(後編につづく)
【Biography】
笠川恵 Megumi Kasakawa
相愛大学ヴァイオリン専攻卒業後、スイスに渡りヴィオラに転科。ヴィオラを今井信子氏に師事。ジュネーヴ音楽院最高学位を取得し同音楽院を首席で修了。ライオネルターティスコンクール特別賞、ヴェルビエ音楽祭にてヴィオラプライスを受賞。その後ジュネーヴにて今井信子氏のアシスタントを務めた。ソリストおよび室内楽奏者としてヴィオラスペース、ザルツブルグ音楽祭、ベルリン音楽祭、OJAI音楽祭をはじめとする音楽祭に出演、同時にマスタークラスに講師として招かれ現代音楽を中心に後進の指導に力を入れる。
2010年よりアンサンブル・モデルンヴィオリスト、同アカデミーの講師として活動中。
https://www.megumikasakawa.com/
東京オペラシティの同時代音楽企画「コンポージアム2022」
◎ブライアン・ファーニホウの音楽
5/24(火)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
ブラッド・ラブマン(指揮)
ヤーン・ボシエール(クラリネット)
アンサンブル・モデルン
ファーニホウ:
想像の牢獄 I(1982)
イカロスの墜落(1987〜88)
コントラコールピ(2014〜15)[日本初演]
クロノス・アイオン(2008)[日本初演]
◎2022年度 武満徹作曲賞本選演奏会
5/29(日)15:00 東京オペラシティ コンサートホール
審査員:ブライアン・ファーニホウ
篠﨑靖男(指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団
問:東京オペラシティチケットセンター03-5353-9999
https://www.operacity.jp/concert/