◆オペラ研究家・岸純信が選ぶ2022年マイ・ベスト・アーティスト
◆音楽評論家・柴田克彦が選ぶ2022年マイ・ベスト公演
文:青澤隆明
2022年が終わろうとしている。パンデミックに、戦争が重なってしまった。そうしたなかでも、音楽を奏で、聴くという営みは、それだけのものを人間の創造力が生み出し、時を越えて語り継いできた証左だ。生き抜く意志と信頼の再確認でもある。
昨年からの変化を言えば、諸般の困難と制限のなかでも、渡航や移動が許されるようになったことが大きい。孤立のなかで鍛えられた自己が、旅を求めた再会の時節でもあった。音楽家諸氏と関係各位の忍耐と尽力にまずは感謝を。
秋には海外オーケストラのツアーも立て込んだが、人間がひとつの目的で密集することの強度を、しかし全体主義的ではなく、個々の実感と信頼の集合として伝えていたのが頼もしかった。と書くとき、まっさきに頭に浮かぶのはクラウス・マケラとパリ管弦楽団の歓喜と愉悦の体験だ。東名阪で4公演を聴き継いだ10月は、まさしく祝祭の日々となった。始まりの季節の瑞々しい交感、幸福感と期待に満ち、演奏の表情も日々変わった。可視的なまでの明瞭さとエレガントな流麗さを保ち、高い緊張と集中を課しながら奏者に余計なストレスを与えず、伸びやかに自発性を引き出すのはマケラ天性の資質だ。6月に都響を指揮したショスタコーヴィチ第7番も、作品柄驚くほど調和に満ちて美しかった。
サイモン・ラトルとロンドン交響楽団は東京3公演を聴いた。多様式へのフレキシビリティを堂々と示すなかでも、とくに10月6日、武満徹に続けた「ラ・ヴァルス」の不穏な鋭敏さと濃密な響きに圧倒された。他日のブルックナーの第7番でコールス版を採用し、イギリス人のブルックナー解釈を明快に示すように、ビートを畳みかけつつ円滑に前進したのも興味深かった。
11月には、アンドリス・ネルソンスがボストン交響楽団と来日し、重量級の音響体を巧みに闊歩させていった。マーラーの第6番のハンマーも、ショスタコーヴィチ第5番の終結の打撃も、私にはあくまで肯定的な力に聞こえた。それが現況におけるネルソンスの採択ということか。30周年のサイトウ・キネン・オーケストラを指揮したマーラーの第9番では、ぐっとグロテスクで凄絶に歩み出したものの、全曲の結びは大団円を志向した。
東京圏のオーケストラも多彩な工夫で成果をみせるなか、特別に鮮烈な存在感を放ったのがジョナサン・ノットと東京交響楽団の冒険だ。秋口のショスタコーヴィチ第4番、ブルックナー第2番、《サロメ》にいたるまで、知性的な文脈を明示し、獰猛なまでの表現欲求を突き詰めていった。こうした不断の意志が、自分の生活圏に近く存在し、高い緊張感で問いかけ続けることに、聴き手はどれだけ鼓舞されただろう。
音楽祭も従来のかたちを取り戻しつつあり、「東京・春・音楽祭」はここに書き切れないほど多岐な分野で継続の力を明かした。「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」では、沖澤のどかが《フィガロの結婚》で着実なアンサンブルを明朗に導いた。霧島国際音楽祭で聴いたエリソ・ヴィルサラーゼのモーツァルトとショパンはひときわ濃密だった。2年目の「富士山河口湖ピアノフェスティバル」は自然の大気のなかでピアノの多彩な愉しみを伝え、同じく辻井伸行が三浦文彰とともに主導するARKクラシックスは都市型の音楽週間を推し進めていった。
ソリストやアンサンブルがみせた成熟も、困難な時節にもそれぞれに意志や表現を深めてきたことの確実な反映だろう。ピアニストの来日も多く、アレクサンドル・カントロフが標題性も宿す独特のプログラムに臨み、コンスタンチン・リフシッツはバッハとショスタコーヴィチ、藤田真央はモーツァルト、イゴール・レヴィットはベートーヴェンで鮮やかな進境を示した。児玉桃、ピエール=ロラン・エマールは各々のメシアンで。アレクサンドル・メルニコフはとくにドビュッシー、ジャン・チャクムルはエネスコ、クンウー・パイクは「ゴイェスカス」で、マルタ・アルゲリッチはミッシャ・マイスキーやギドン・クレーメルらと温かな共感を謳った。清水和音はさまざまな協奏曲で、抜群の存在感を力強く示し続けた。
北村朋幹は春のケージ&グリーグをはじめ、リストを含む多様な作品に臨んだほか、室内楽や協奏曲でも作曲家個々の内心に迫った。郷古廉、横坂源とのシューベルトのトリオは特筆すべき演奏会だった。新日本フィルも指揮したマクシム・エメリャニチェフはモーツァルトのリサイタルで清新な才気を伝えた。ブルース・リウは自らの歩みを賢く築いていくように思えた。バンジャマン・アラールのチェンバロは、バッハを瑞々しく自在に息づかせた。
弦楽器では、ゴーティエ・カプソンの自然な成熟が光り、マリオ・ブルネロ、ジャン=ギアン・ケラスもさらなる自由を拓いていた。アリーナ・イブラギモヴァ、ヴィクトリア・ムローヴァも。エベーヌ弦楽四重奏団の成熟と調和、ベルチャ・クァルテットの精細の徹底も、それぞれに充実の季節を物語っていた。
リートでは、クリストフ・プレガルディエンとミヒャエル・ゲース、マーク・パドモアと内田光子がそれぞれにシューベルトとベートーヴェンのテクストに鋭く迫った。ナタリー・デセイとフィリップ・カサールはモーツァルトとフランス歌曲に洗練を聴かせた。
……まだまだ書くべき演奏会は多いが、スペースには限りがある。これからも聴き続けることで、それぞれの歩みをさらにみつめていきたいと思う。
【Profile】
青澤隆明
音楽評論家。1970年東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。高校在学中からクラシックを中心に音楽専門誌に執筆。エッセイ、評論、インタビューを、新聞、一般誌、演奏会プログラムやCDなどに寄稿。放送番組の構成・出演のほか、コンサートの企画制作も、クラシックにとどまらず広く手がけている。主な著書に『現代のピアニスト30-アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、清水和音との『ピアニストを生きる-清水和音の思想』(音楽之友社)。「ぶらあぼONLINE」で、2022年新春から「Aからの眺望」を連載。