取材・文:青澤隆明
写真:中村風詩人
深く掘り進めることと、広く見渡していくことと、ふたつの志向はかなり違う。ある意味で、生きていくことは、ときにそのふたつの交わりを受け容れることでもある。垂直と水平のふたつの方向が出会わなければ、よい音楽が実らないというのとおなじように。
ヴァイオリニストの郷古廉が近年、新しい季節をじっくりと歩んでいる。10代半ばから颯爽と活躍を始めた彼も、年輪を重ねて30代に入れば、みえてくる人生の景色も自ずと変わってくるだろう。室内楽での共演者も増え、なによりもNHK交響楽団や東京春祭オーケストラに加わりコンサートマスターの重責も務めることによって、大勢の他者との協同作業へと活動の場を拡げてきたことも大きいはずだ。多様な音楽生活の充実が、人間的成熟とともに、これまでの厳しさにいくらかの寛容さを加え、演奏表現の懐を拡げている。
来たる11月には、ピアニストのホセ・ガヤルドと再会し、デュオ・リサイタルを行う。シューベルトの幻想曲を核に据えた、ユニークな2様のプログラムが組まれている。
11月17日、杜のホールはしもとでは、チャイコフスキーの瞑想曲、ラヴェルのツィガーヌ、フランクのソナタを多彩に組み合わせ、歴史的なヴィルトゥオーゾに触発された作曲家の声に迫る。
そして11月20日、トッパンホールでは、シュトラウス、シェーンベルク、ウェーベルン、ブゾーニのソナタ第2番とともに、独墺音楽の歴史的鉱脈を探っていく。
この機会に臨み、6月に初めてじっくりと話を聞いた。『ぶらあぼ』9月号のための取材だが、その紙幅に収められなかった話を含め、ここでは3回にわたって紹介したい。
Vol.3
楽器のもっている可能性、体から出てくる音の感覚を大事にしたい。
オーケストラという大きなアンサンブルに携わる一方、室内楽というより自由な対話を求める。ヴァイオリニスト郷古廉のいまの進境を聴くのに、信望の篤いピアニスト、ホセ・ガヤルドとのデュオは絶好の機会となるだろう。
2018年にトッパンホールでの初共演、コロナ禍での延期を経た22年のデュオ・リサイタルに続き、来たる11月、ふたりはそれぞれに含蓄の深い二様のプログラムに取り組む。
—— ホセ・ガヤルドさんというピアニストのなにを信じて、共演ではどんなことを楽しみにされているかをお聞きしましょう。
郷古廉 彼はピアニストとしてすごく素晴らしいと思うし、技術にも第一級のものがあるけれど、同時に即興的な部分をもち合わせていて、そういうバランスが僕のなかでしっくりくる。アイディアをお互い出し合って、いろいろなことを試せるし、自分の即興的な部分みたいなものをうまく引き出してくれる。それも、ただの気分じゃなく、ちゃんと根っこがあって、ちゃんと張り巡らされているうえに、自由で、思いもよらぬようなものが生まれるという感覚です。だから、彼と弾くのはすごく楽しい。
—— 11月17日の杜のホールはしもと、20日のトッパンホールでは、どちらもシューベルト晩年の傑作、幻想曲ハ長調D934を核に据えながら、異なる文脈を拓いていくのが面白いですね。
シューベルトの幻想曲は、ピアニストにとっては地獄のように難しい曲で、ヴァイオリニストにとってもそうだけど(笑)、ホセといっしょにできるのはすごく楽しみ。ヴァイオリンとピアノのために書かれた曲のなかで、これ以上の曲があるのかなっていうぐらいのクラスの曲だと思います。あれだけの緊張感を演奏者に強いる曲もないと思います(笑)。
—— 2022年に続く登場となるトッパンホールのほうからお聞きしましょう。リヒャルト・シュトラウスの「ダフネ練習曲」で幕開け、シェーンベルクとシューベルトの幻想曲を並べた後、ウェーベルンの「4つの小品」を経て、ブゾーニのヴァイオリン・ソナタ第2番という構成。ウィーンの薫りも含みつつ、ドイツ・オーストリア音楽の歴史的鉱脈を探っていきますね。
いままで弾いたことがないプログラムで、けっこう渋い(笑)。ホセはドイツがずっと長くて、ドイツ音楽の語法ももっているし、そのなかで彼ならではの個性も強いから。
—— 幻想曲という繋がりもあり、ブゾーニでまたシューベルトも引用されて帰ってくる意欲的なプログラム構成です。ブゾーニのソナタ第2番はなかなか聴く機会もないですしね。
ブゾーニのソナタは初めて採り上げます。前から気になってはいたけれど、ただ、つかみどころがないというか・・・・・・。ブゾーニは音楽史において重要な人で、非常に先進的な考えをもっていた。だからシェーンベルクという先鋭な作曲家との関係性を考えつつ、あわせて採り上げるのは面白いと思ったんです。
—— シェーンベルク、シューベルトの幻想曲ときて、ウェーベルンの小品で引き締まって、ブゾーニのソナタでまたすごく膨らむ、という流れですね。
そう。シェーンベルクの幻想曲は、非常に歪ですよね。弾いていても、ちょっと石を飲み込んでいるみたいな気持ちになるんですよ、うまく飲み込めないものがずっとここにあるみたいな。シェーンベルクの不器用さが本当に濃縮されたような曲です。音型もすごく不自然で、たぶんそれをそのまま表現するのが演奏として正しいんだと思う。
一方でウェーベルンは、本当に純度が高い。「4つの小品」は好きでよく採り上げていますが、ウェーベルンには聴いている人の耳を変える力がある。すごく短い曲だけれど、あの緊張感とか、音のすごく澄んだ響きを一回聴くと、耳が改変されるというか、組み替えられるような感覚に僕は陥る。そういう曲をブゾーニのヴァイオリン・ソナタのようなものの前に弾くと、なにか聴こえかた、聴こえてくる音が変わってくると思うんです。
—— 一方、杜のホールはしもとでは、チャイコフスキーの「瞑想曲」、ラヴェルの「ツィガーヌ」、フランクのソナタを多彩に組み合わせ、歴史的なヴィルトゥオーゾに触発された作曲家の声に迫っていきます。
よりヴァイオリニストとして演奏する、というのは変な言いかただけれど、楽器を演奏するということはより意識しますね。シューベルトの幻想曲でさえスラヴィークというきっとものすごく弾けた人がいて、そうでなければあんな弾くのも不可能みたいな曲は書かないでしょう。
音楽だけではなくてその楽器、ここで言うとヴァイオリン、そしてヴァイオリンで行われるいろいろな技術も、僕はアートだと思うんですよ。決して技巧にフォーカスしたいわけではないけれど、ヴァイオリンという楽器のもっている可能性、それに触発されて書かれた作品、そういうなかで生まれる音楽はやっぱりすごく面白い。
—— 過去のヴィルトゥオーゾやその技術に関しては、どんなふうに思われていますか?
サラサーテとかイザイ、ダラーニも録音が残っているけれど、いまでも驚愕するぐらいの技術をもっている。
—— めちゃくちゃ巧いですか? 現代の郷古さんからみても。
イザイの演奏を聴くと、ちょっとびっくりしますよ。ヴァイオリンってこういう楽器だったのか、というふうに思ってしまう。
いまの演奏家は音楽に対して真面目な人が多いし、音楽を大事にするのはとてもいいことだけれど、その前に楽器の可能性をみんなでもうちょっと探してもいいんじゃないかって、最近すごく思うんですよ。そういうところから見えてくる音楽性みたいなのがやっぱりある。
とにかく楽器がちゃんとしゃべっているということが、楽器を演奏するからにはいちばん大事で。音って体から出てくるものだから、体が出す音という、その感覚を忘れるべきでないと僕は思っています。
(ぶらあぼ2024年9月号の拡大版)
シリーズ杜の響きvol.52
郷古 廉 & ホセ・ガヤルド デュオ・リサイタル
2024.11/17(日)14:00 杜のホールはしもと・ホール
曲目/チャイコフスキー:「なつかしい土地の思い出」より〈瞑想曲〉op.42-1
シューベルト:幻想曲 ハ長調 D934
ラヴェル:ツィガーヌ
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
問:チケットMove042-742-9999
https://hall-net.or.jp/02hashimoto/
郷古 廉(ヴァイオリン)& ホセ・ガヤルド(ピアノ)
2024.11/20(水)19:00 トッパンホール
8/28(水)発売
曲目/R.シュトラウス:ダフネ練習曲
シェーンベルク:幻想曲 op.47
シューベルト:幻想曲 ハ長調 D934
ウェーベルン:4つの小品 op.7
ブゾーニ:ヴァイオリン・ソナタ第2番 ホ短調 op.36a
問:トッパンホールチケットセンター03-5840-2222
https://www.toppanhall.com
他公演
11/15(金) 松本市音楽文化ホール メインホール(0263-47-2004) 9/21(土)発売
11/23(土・祝) 盛岡市民文化ホール(小)(019-621-5100) 9/12(木)発売
11/24(日) 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール(0798-68-0255)