「サラダ音楽祭」 祈りの歌声が響きわたるメインコンサート

文:宮本明

 Sing and Listen and Dance !!(歌う!聴く!踊る!)→ SaLaD → サラダ!
 2018年に始まった「サラダ音楽祭」は、音楽を身体中で感じる魅力的なプログラムでいっぱいのフェスティバル。今年は夏休み中、8月最初の週末を中心に開催される。そのメインコンサートが、8月6日東京芸術劇場 コンサートホールでの大野和士指揮・東京都交響楽団による、ドヴォルザークの宗教曲《スターバト・マーテル》だ。

大野和士 C) Rikimaru_Hotta

 《スターバト・マーテル》は、十字架に架けられたイエスの下に立ち尽くして嘆き悲しむ聖母マリアを歌うカトリックの聖歌。「Stabat Mater dolorosa(悲しみの聖母はたたずむ)」で始まるテクストに基いて、パレストリーナ、ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、ハイドン、ロッシーニ、プーランク、ペルトなど、ルネサンスから現代に至るまで、多くの作曲家が多声作品を書いている。アントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)の《スターバト・マーテル》は、遅咲きだった彼がようやく作曲家として認められ始めた30代なかばの作品。超名曲だ。
 1875年9月、ドヴォルザークは、幼い長女ヨゼファを病気で失うという悲劇に見舞われる。失意のなかで、亡き娘への思いを込めて《スターバト・マーテル》に着手するが、あろうことか、作曲中にさらに、次女ルジェナと長男オタカルを相次いで失ってしまう。77年に完成した作品は、深い悲しみに覆われているはずなのに、必ずしもその憤りを声高に叫ぶのではなく、また、底なしの悲嘆に沈んでいくのでもなく、穏やかで静かな優しさと祈りに溢れている。それが逆につらい。
 なぜいま《スターバト・マーテル》なのか。指揮者の大野は、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻、トルコの大地震などの災害が続くいま、この曲を、大切な人を亡くした人々のために演奏したいと語っている。最愛の幼い子どもたちを失うという苦難のなかで書かれた作品であるにもかかわらず、そのラストは明るい曲想で締めくくられる。大野はそれを指して、ドヴォルザークはこの作品を創作することで天と一体化したのだと説く。そしてだからこそ、苦難から再出発するときに、私たちに明るい未来を確信させてくれる作品なのだと。世界の首脳が広島を訪れた2023年の「8月6日」だ。失われた生命について、残された人々の心の再生について、あらためて考えるのに、じつにふさわしい作品であると言える。

左より:小林厚子 C) Yoshinobu Fukaya、山下裕賀 C) 深谷義宣、村上公太、妻屋秀和 C) Takafumi Ueno

 声楽パートは4人の独唱(ソプラノ、アルト、テノール、バス)と混声四部合唱。独唱パートは、ソロはもちろん、ポリフォニックに歌い交わしたり精緻なハーモニーを重ねたりと、ふんだんに盛り込まれたアンサンブル部分も非常に重要で、その多彩さは古今の声楽曲のなかでも屈指だ。今回の布陣は頼もしい。ソプラノは強さとしなやかさを併せ持つ美声の小林厚子。情感豊かな歌は母の悲しみを歌うのにぴったり。アルトは目下ぐんぐんと躍進中の山下裕賀。その豊かな響きで歌われる第9曲のバロック風の独唱〈審判の日に業火に焼かれる私をお守りください〉は聴きどころ。現在の日本テノール界のトップランナーの一人・村上公太の二枚目な甘い声で、男声合唱と交互に歌い合う美しい第6曲〈真の涙を流させてください〉が聴ける。低声部にはバリトンでなくバスが要求されている。となれば妻屋秀和の起用はベスト・オブ・ベスト。独唱の第4曲〈私の心を燃え上がらせてください〉もさることながら、第2曲〈泣かないひとがいるだろうか?〉(四重唱)で、低いミから高いファまで2オクターヴ超の声域が要求される難所も聴き逃せない。合唱は新国立劇場合唱団。悲痛な第3曲〈ああ、愛の泉たる聖母よ〉が有名だが、終曲の終わり、アーメン・コーラスの間に挿入される無伴奏の合唱〈肉体が亡びるときも、魂には天の栄光を与えてください〉の荘厳さにも、言葉を失うはず。

左:金森穣 C) Kishin Shinoyama 右:井関佐和子 C) Noriki Matsuzaki

 さて、「歌う! 聴く!踊る!」音楽祭なので、もちろんダンスの要素も。《スターバト・マーテル》に先立って演奏されるJ.S.バッハ(マーラー編曲)の「エア(G線上のアリア)」を、ダンス・カンパニー「Noism Company Niigata」の金森穣と井関佐和子が踊る。Noismはサラダ音楽祭ではおなじみの、毎年絶賛を集める現代舞踊集団。金森はその芸術総監督、井関は芸術監督だ。彼らの生み出す刺激的な空間が加わることで、私たちの目と耳は、未体験の新しいバッハを受け取ることになる。

2022年 メインコンサート C)サラダ音楽祭実行委員会

 筋金入りのクラシック・ファンはもちろん、子どもたちにもぜひ聴いてほしいコンサート。たとえば現在の世界情勢と祈りの意味について親子でディスカッションしてまとめれば、夏休みの自由研究にもうってつけ。しかもこのメインコンサート、U25チケット(1998年4月1日生まれ以降)はなんと半額!ぜひ家族そろって出かけたい。

【Information】
サラダ音楽祭
TOKYO MET SaLaD MUSIC FESTIVAL 2023


メインプログラム
音楽祭メインコンサート《スターバト・マーテル》

2023.8/6(日)15:00 東京芸術劇場 コンサートホール
〈演目〉
J.S.バッハ(マーラー編):管弦楽組曲より「序曲」「エア(アリア)」
※「エア(アリア)」のみダンス付き
ドヴォルザーク:スターバト・マーテル*

〈出演者〉
指揮:大野和士
管弦楽:東京都交響楽団
ソプラノ:小林厚子*
メゾソプラノ:山下裕賀*
テノール:村上公太*
バス:妻屋秀和*
ダンス:金森穣、井関佐和子(Noism Company Niigata)
合唱:新国立劇場合唱団*

※サラダ音楽祭その他公演の詳細は下記オフィシャルウェブサイトでご確認ください。

問:サラダ音楽祭事務局03-5422-9511
https://salad-music-fes.com