マリン・オルソップ審査委員長が語るコンクールと審査

高坂はる香のヴァン・クライバーン・コンクール 現地レポ9 from TEXAS

 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールでは、長年、ピアニストではなく指揮者が審査委員長を務め、前回のレナード・スラットキンからは、審査委員長自らファイナルの指揮をしています。
 今回そんな「審査委員長兼ファイナル指揮者」という重要な役割を果たしたのは、1956年ニューヨーク生まれのマリン・オルソップ。バーンスタインの愛弟子の一人であり、女性指揮者の先駆けとして道を切り拓いた方でもあります。この9月には、ソリストに角野隼斗さんを迎えるポーランド国立放送交響楽団とのツアーのため来日予定。

 コンクールのファイナルの期間中に行われた記者会見から、コンテスタントたちと共演した感想、審査に寄せて感じたことについてのコメントをご紹介します。

Marin Alsop Photo by Ralph Lauer

── このような大きなコンクールでの指揮者の役割について、どうお感じですか?

 私はいつも、協奏曲はソリストとコラボレーションし、彼らの目指すものを支える場だと思っています。彼らが関心を寄せるものを際立たせ、我々のサポートによってそれを大きくしてあげたい。
 私はエリザベート国際音楽コンクールで長年指揮をしていたことがあるので、コンクールにおけるオーケストラの役割はこれまでにも経験しています。
 ソリストとできる限り良いバランスを保つこと、彼らを圧倒したり追い越したりせず、個性を引き出すことが大切です。加えて、曲ごとに異なる音の世界を作り出し、聴衆がその違いを聴き分けられるようにしなくてはなりません。単に真っ白なキャンバスになるというより、何か助けになるような音楽を奏でたいと思っています。
 普段のコンサートで協奏曲に取り組むのときと非常に似ていますが、コンクールでは、一歩踏み込んでこちらが自分の考えを出そうとすることはありませんから、そこが違いますね。
 若いコンテスタントは一人一人全く音楽性が異なりますから、まるで2、30分ごとに別の惑星を訪問しているような気分です(笑)。

── 実際に指揮をして、審査員席から演奏を聴いていただけのときと印象が変わりましたか?

 若いピアニストを客席から見ていたときはひたすらに尊敬していましたが、今となっては全員を好きになってしまいました(笑)。彼らはそれぞれにすばらしく、ユニークです。
 選曲を通じて彼らを知ることができるのも、とても興味深いことです。例えば、他の選択肢にグリーグなどもあるなか、ベートーヴェンの協奏曲を選ぶのは勇気がいるのではないかと個人的には思いますが、そこにもすでに個性が表れています。自分のことをわかっている人もいれば、そうでない人もいるし、この機会に伸びようとしている人もいれば、ちょっと早すぎるかもしれない選曲の人もいます。

審査員たち Photo by Ralph Lauer

 これだけたくさんの演奏を真剣に聴きながら、常に客観的でなくてはならないので、審査員は本当に大変な仕事です。私の同僚たちは素晴らしい音楽家であり、同時に、人間的にも思いやりのある方々です。このコンクールでは、結果について議論してはいけないルールになっています。私たちはいつも一緒に食事をしたり飲んだりしていますけれど、コンテスタントのことは全く話しません。

── リハーサルの際には、コンテスタントと意見を交換するのでしょうか? 音楽性に違いがある場合はどう解決するのですか?

 彼らはリハーサルを自分のiPhoneで録音し、それを聴いて、次のドレスリハーサルに現れたときには、「昨日はテンポが遅すぎた気がするから変えたい」などと提案してくれます。そこからさらに自分の演奏を録音し、聴くことで、常に正しい答えを見つけてきます。私がここはこうしたらどうかなどと提案するまでもありません。
 指揮者も若い頃は、実際の演奏を経験するうちに成長し、ある作品に求めるテンポや形を感じるようになっていきます。その時、他人がそれをコントロールしようとすると、本物ではなくなってしまいます。

 あるとき、舞台袖でコンテスタントがすごく緊張していると言うので、私は「今は楽しむだけでいい。コンサートはいずれ終わって、そうしたらディナーに出かけたらいいよ」と声をかけました。私たちがやろうとしているのはあくまで音楽で、手術ではありません。誰かが命を落とすわけじゃない。とにかく、できるだけ緊張を抑えてあげるのが私の役割だと思っていました。彼らの世話を焼く母親というよりは、友達みたいな感覚ですね。そして、全員が優勝者だと思って接していました。

優勝したイム・ユンチャンと舞台袖で
Photo by Ralph Lauer

 彼らは長いキャリアの中、これからも異常なプレッシャーを経験することになるでしょう。でもそれをコントロールする術を学ばなくてはなりません。その意味でも、このすばらしいオーケストラと一緒に演奏する機会を得られただけで、十分な勝利を手にしたといえます。

── そうはいっても、暗譜が飛んだりミスタッチをすることもあると思います。それはどのくらい審査に影響するでしょうか。

 それはいつでも起き得ることですね。完璧なものはありません。でもそんな不完全なところも音楽の美しさですし、むしろ、そこからどうリカバーするかが大事だと思います。若い方たちはちょっと記憶が飛んだりしても、すぐに軌道修正ができます。
 ここまでのラウンドでも、誰かが少し横道に逸れることがあっても、審査員は何も気にしていなかったように思います。そこは判断基準ではないのです。それがまた、私がこのコンクールを気に入っているところです。
 もともとレベルが高いからというのはありますが、その点で厳しくしても、結局いい方向にはいきません。

クレイトン・スティーブンソンのファイナルのステージで
Photo by Richard Rodriguez

── 入賞者にはどんな人が求められているのでしょうか。

 まずお伝えしておくのは、私はファイナルでは基本的に投票しないということです。同率のときには投票しますけれど。コンクールのCEOに審査基準のイメージがあるのか私にはわかりませんが、あったとしてもそれは単なるガイドラインで、我々はこういう人を求めている、ということは言われていません。記憶が飛んだらだめだとか音を外したらだめだみたいなことは、まずありません。
 私たちが大切にしているのは、優れたピアニストのために扉を開き、スポットライトの当たる場所に足を踏み出させること。そしてその機会をうまく活用してほしいと思っています。

── ロシアからの参加者がいることを歓迎する声もよく聞かれます。あなた自身はどう思いますか?

 若いピアニストたちの音楽が、国際社会をつなぐものになることを願っています。彼らを通して未来への可能性と希望を見た、すばらしい機会でした。こうした場で育まれた真のつながりが、国を動かす政治家たちにまで波及してゆくことを願ってやみません。

高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/