緊迫の国際情勢のなか出場したアンナ・ゲニューシェネ(ロシア)&ドミトロ・チョニ(ウクライナ)に聞く

高坂はる香のヴァン・クライバーン・コンクール 現地レポ8 from TEXAS

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、一部にロシアやベラルーシのピアニストの参加を認めない国際コンクールも出てくる中、ヴァン・クライバーン・コンクールは、侵攻には反対しつつも、どんな国のピアニストも受け入れることを表明。若いアーティストを支援するという信念を大切にすること、そして「クライバーン氏が冷戦下のソ連における第1回チャイコフスキー・コンクールで優勝し、それが、芸術の価値は国際情勢の緊張を越えるものだと世界に知らしめることになった」歴史から、この決断にいたったということでした。
 そうして30名のコンテスタントのうち、ロシアから6名、ベラルーシから2名、そしてウクライナから1名が参加。結果的には、ロシアのアンナ・ゲニューシェネさんが銀メダルに、ウクライナのドミトロ・チョニさんが銅メダルに輝きました。

 度々行われた記者会見で印象的だったのは、こうした国々からのコンテスタントの多くが政治的な質問をNGとしていたなか、アンナ・ゲニューシェネさんのみが、どんな質問も受け付けると宣言して会見に臨んでいたこと。クオーターファイナルではウクライナ刺繍の服を身につけるなど、むしろ積極的に意思を表明していました。

 心の内で戦争に反対しているということと、それをあえて世間に向けて意思表示することの間には、また大きな壁があるはずですから、その勇気あるスタンスは強い印象を残しました。こうした前提のもと、お二人のコメントをご紹介します。

♪ 銀メダル アンナ・ゲニューシェネさん(ロシア)

Anna Geniushene Photo by Richard Rodriguez

《ファイナル中記者会見》
── 全ての質問を受け付けてくださるというのは、どういったお気持ちからですか?

 私にとってはそれはとても奇妙な質問です。私たちは人間ですから、言葉を通じてコミュニケーションをとることができます。インタビューですべての質問を受け付けることは、ごく普通のことです。

── 政治的な質問にも答えてくださるということですね。

 私の立場を聞きたいということでしょうか。私は政府を代表してここにいるわけではありませんけれど。
 2月24日に始まった政治的な問題は、私たち一家にも大きな影響を与えました。私たちはロシアを離れ、現在はリトアニアに暮らしています。その圧制行為が終わるまで、ロシアに戻るつもりはありません。この行動は、私たちの意思を示していると思います。
 いずれにしても私たちは、政府から後援されているわけでもない、自営のミュージシャンです。このコンクールが私たちの参加を受け入れると聞いた時はとても嬉しく思いました。ここでは、ウクライナ、ロシア、ベラルーシのピアニストたちの交流に、なんの壁も問題もありません。

Photo by Richard Rodriguez

《結果発表後記者会見》
── お腹の中に赤ちゃんがいる状態でのコンクール参加は、どうでしたか。

 このお腹でチャイコフスキーのピアノ協奏曲のオクターヴを弾くのはとても難しかったですが、大変だったのはそのくらいです(笑)。 今回、私にとっては2人目の出産です。1人目が生まれる前にも演奏活動をしていましたし、出産後2週間で演奏を再開していましたから、特に問題はありません。私にとってピアノを弾くことは、一種の習慣なんです。

── 受賞してどう感じていますか?

 今でもかなり驚いています。正直、4月の半ばには出場を辞退しようと思っていたくらいですから、実際予選で演奏していたことにも自分で驚いていましたし、次のステージに進むほど、ますます驚きました。今はこの結果を受けてもちろん嬉しいですけれど、残念ながらまだ練習を続けないといけないんだなとも思っています(笑)。

── 夫のルーカス・ゲニューシャスさんもコンクールのタイトルを持つピアニストで、このようなカップルは他にいないと思いますが、二人のピアニストが一つの家で暮らしていて問題はありませんか?

 まずジョークを言ってもいいですか? 私が金メダルを取っていたら、ちょっと難しいことになっていたかもしれませんね(笑)。
 それはそうと、夫はショパン・コンクール2位、チャイコフスキー・コンクール銀メダルという、優れた実績を持つピアニストです。家庭に二人ピアニストがいるのは退屈ですよ。どちらも練習ばかり、今は誰が赤ちゃんの世話をするか、どちらが練習をするか、という話ばかりですから(笑)。
 でも、コンクール中ずっとルーカスが私をサポートしてくれたおかげで、私は自信を持ってステージに立つことができました。たとえリハーサルがうまくいかなくても、誰かがいつもポジティブなフィードバックを与えてくれることは、本当に素敵なことだったと思います。

夫ルーカスと  ©The Cliburn

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♪ 銅メダル ドミトロ・チョニさん(ウクライナ)

Dmytro Choni Photo by Ralph Lauer

《ファイナル中記者会見》
── セミファイナルから、ニューヨーク・スタインウェイを演奏されていましたね。

 そこまでの会場ではハンブルク・スタインウェイを演奏していました。バス・パフォーマンス・ホールではまた別のピアノが用意され、試したときにホールの中でとても心地よく響いたので、ニューヨークを選びました。ハンブルクを弾き慣れているので、自分でもそちらを選ぶとは思っていなかったのですが、自分の感覚と話し合って決めました。

── このコンクールで優勝することは、あなたにとってどんな意味がありますか?

 優勝や結果については考えないようにしています。コンクールはスポーツの大会ではありませんから、一番タイムが速いというような目に見えるものがなく、全ては審査員の趣味に左右されることなので。個人的には、ファイナル・ラウンドまで進むことができ、時間をかけて用意していた全部のレパートリーを演奏できるだけで光栄だと思っています。

── あなたの優勝は、ウクライナにとっても意味があると思いますか。

 今は、あと1曲残っている最後の演奏に集中したいです。

── 本選指揮者のオルソップさんとの共演はいかがでしたか?

彼女との共演は初めからとても心地よかったです。

Photo by Ralph Lauer

《結果発表後記者会見》
── 受賞してどう感じていますか?

 世界的に活動することは私の夢でした。これまで見ていたこのコンクールに参加でき、素晴らしいホールで演奏できただけでもとても嬉しかったです。結果のことは考えないようにしていましたが、最終的に、銅メダルに選んでくださった審査員にはとても感謝しています。
 そして、すばらしい聴衆と音楽を共有できたことを、とても幸せに感じています。ここの聴衆は情熱的で、愛を持って応援してくれます。ほとんどコンサートの感覚でステージに立つことができました。

── あなたをこの結果に導いたものは、なんだと思いますか?

 振り返ってみると、この数年間、さまざまなオーケストラと共演する機会がありました。この経験が今回のクライバーン・コンクールではとても助けになったと思います。
 長きにわたり、毎日ピアノを弾き続けるのが演奏家の人生ですから、音楽やピアノに対する本当の愛がなくてはならないでしょう。音楽への情熱、喜び、そして献身がとても重要だと思います。

Photo by Richard Rodriguez

高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/