柴田俊幸のCROSS TALK 〜古楽とその先と〜
Vol.5 ジャン・ロンドー in パリ[後編]

 ベルギーを拠点に活躍するフルート&フラウト・トラヴェルソ奏者で、たかまつ国際古楽祭芸術監督を務める柴田俊幸さんが、毎回話題のゲストを迎えて贈る対談シリーズ。モダンとヒストリカル、両方の楽器を演奏するアーティストが増えている昨今、その面白さはどんなところにあるのか、また、実際に古楽の現場でどんな音楽づくりがおこなわれているのか、ヨーロッパの古楽最前線にいる柴田さんが、ゲストともに楽しいトークを展開します。バッハ以前の音楽は未だマイナーな部分もありますが、知られざる名曲は数知れず。その奥深き世界に足を踏み入れれば、きっと新しい景色が広がるはずです。
Jean Rondeau & Toshiyuki Shibata パリ Radioeat にて

 2012年のブルージュ国際古楽コンクール優勝以来、世界でもっとも注目されるチェンバリストとなったフランスの若き鬼才、ジャン・ロンドーさんとの対談が実現! 2月にリリースしたばかりの最新CD『J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲』が話題沸騰中です。崇高な美しさを湛えた、自由で大胆なアプローチは、どのようにして生まれるのでしょうか。
 後編では、さらにディープなトークが展開されます!(前編はこちらから

♪Chapter 4 沈黙に存在する質量

柴田俊幸(T) ちょっと真面目な質問させてください。あなたの演奏で大好きなのは、音と音のあいだで「歌う」ことができる点です。チェンバロという楽器の特性上、技術的には不可能だと言われています。でも、CDやコンサートで聴く限り、あなたはどうにかしてそれをやってのけていますね。そのコツは何ですか?

ジャン・ロンドー(J) そうですね。難しいけれど、不可能ではありません。チェンバロは撥弦楽器なので、フルートやヴァイオリンのように音のシェイプを作ることのできる楽器とは違い、 チェンバロはアタックとリリースしかできません。

正しいロジック(論理)の順番で話をしていきます。まず最初に、歌わせることができない楽器は「楽器」として成り立ちませんよね。ただのモノ…ここまでは大丈夫?(笑)

「チェンバロは表現力がない、ダイナミクスがない」などという声をよく耳にするけど、そんなことはありません! みんなダイナミクスがないように弾いているだけで、実際は音の強弱を作り出すことは可能です。欠陥品ではないのです。

多くの偉大な作曲家が、チェンバロのために素晴らしい曲を書いてきました。音楽的に考えてもチェンバロでないとダメだったのです。この楽器で音楽を表現するためにはしっかりした技術が必要で、その技術を会得するための正しい筋道、つまり教育が必要です。それを理解した上で初めて、どうやってこの楽器を使って歌わせることができるかを考え始めなければならないのです。

チェンバロはアタックとリリースにアクションがあって、その間に何もない。そう考えてしまうのは、“piège” つまり「罠」です。それは真実であり、真実でない。その通りだ、と信じている人は、音の始まりと終わりの以外全く意識をしていないのです。チェンバロで音楽を歌わせるには、アタックとリリースの間も常に脳のアンテナを張っていなければいけません。もっと具体的に言うと、アタックとリリースのあいだの時間も常に音を聴き続けることが重要なのです。

例えば、私たちが話をする時には、子音、母音、音節などのアーティキュレーションだけを気をつけるわけではありませんよね。話の勢いや表現を生み出しますが、意味がわからないと元も子もない。言葉と言葉のあいだの沈黙、符号(!、?)や抑揚さえも、とても重要です。チェンバロでいうところのアタックとリリースの間にあるものは、もっと複雑です。そこへの意識・集中力が欠けてはいけないと思います。言葉のあいだにある沈黙には、言葉と同じぐらいの質量が存在しているのです。

♪Chapter 5 自分自身をより現在(いま)に近い場所に置く

J ダイナミクスの話は至ってシンプルです。就寝中の夜の沈黙があるからこそ、翌朝音はより強く感じられます。ナイトクラブに行けば、その逆です。音と音のあいだの静寂をどう処理するかが、ダイナミクスを生み出すのです。静寂の処理というのはとっても繊細なものであることを、我々チェンバロ奏者は受け入れなければなりません。全然目立たない、本当に些細な表現技法です。沈黙に耳を傾けるのです。フルートのように音のシェイプをコントロールできないなら、それぞれの音をどこに置くかを考えなければいけません。これは発音の科学的問題だけでなく、音を出した後の「響き」の問題なのです。

T なるほど。2つの音の間(ま)を演奏する、というのはあまり考えたことがありませんでした。我々は、音を出したらそこからどうシェイプし、音楽的な線をつくるかに集中している気がします。ある意味、鳴った音を分析しながら演奏しているわけですが。。受け身にならず、常に“現在(いま)”を演奏するというのは、やはり訓練がいるのでしょうか?

J 私にとって、聴くということは終わりのない作業です。チェンバロでは音のシェイプがつくれないからこそ、別のアプローチで音楽を表現することができるのです。その実現のために、より一層、聴くことに没頭しなければならないのです。

たとえば、バッハの3声のフーガを取り上げるとします。まず何も考えずに一回弾く。今度は同じように弾くのですが、真ん中の声部を200%注意深く聴きながら演奏すると、それがどういうわけか目立って聞こえるのです。ある声部を聴けば聴くほど、聴衆にはその声部が聞こえてくる。これはマスタークラスで経験したことですが、本当です。もっと聴けば、もっと聞こえるようになる。

私がマスタークラスで教える時、生徒はみんな響きを聴いていないことが多いです。学生はいつもアタックばかりに注意がいってしまう。どういうわけか学生たちにとって一番大事なのは、そこにある鍵盤を押すことなんです。鍵盤を押すたびに、次の鍵盤を押すことを考えている。私にとっては、これは単なる細かいことに過ぎません。音と音の間にもっとエネルギーを使いましょう。自分自身をより現在(いま)に近い場所に置くのです。もちろん、ほんの少し将来のことを予期し、それに対処することは必要かもしれませんが、“現在(いま)”を弾くべきなのです。

聴衆は今この瞬間しか聴いていません。ひょっとしたら少し前の過去に浸っているなんてことも。一方で、あなたは何度も勉強してこの作品を知っているから、未来を予測することができるのです。しかし、オーディエンスはそうではありません!

未来を予測するのではなく、今この瞬間にいること、今この瞬間と同化することが必要なのです。そして、それを受け身ではなくアクティヴに、能動的に聴くのです。チェンバロで表現するための訓練の原点を理解するために、私はどこに耳を傾け、どこにエネルギーを注ぎ、どう現在(いま)に対峙するかということです。

「チェンバロだからこんなもんでしょ」とは思わないでください。「フルートやヴァイオリンとは違うんだ、表現力がないんだ」なんて言わないでほしい。それは音楽を聴くこと、楽器に触れること、表現すること、すべてのあなたの感覚を制限することにつながるからです。

♪Chapter 6 聴衆と静寂を共有する

T 音楽を通して語りかける上で、何を気をつけたらいいでしょうか?

J 音楽を解釈する者として、音楽の流れに身を任せること。そうすると、自然なカンタービレが生まれるかもしれません。もし、自分自身にエゴがありすぎるなら、それは間違った道かもしれない。

若い頃、音楽学や和声学など多くの勉強をしました。私は音楽的なLABO、つまり実験や研究活動をするのが好きです。しかし、本をお客さんに朗読するとき、「この章では、こういうことが書かれていまして、これはこのように分析され…」というような説明はしないでしょう? 分析の結果や良し悪しを言うのではなく、自分の共有したものを押し付けずに素直に受け取ってもらうことが大切だと思うのです。

ちょっと話がずれるけど、自分が演奏したコンサートで気に入らなかった時の話です。演奏会後、聴衆の皆さんが「演奏会良かったよ!」と言いに来てくれると、どうしても受け入れにくいかと思います。もちろん、個人的に気になることもあるかもしれません。でもいちばん大事なのは、聴衆の前で演奏すること、そして“現在(いま)”とどう向き合うか、です。なぜここにいるのか、なぜ音楽をするのか……これは人生の根本的な問いのひとつで、答えを見つけなければならない。

T あなたにとって答えはあるんですか?

J もちろんないよ。でも、答えを見つけようとしている。ときどき、答えを得ようとはしてる…。レコーディングとは違って、コンサートでは「なぜ自分はここにいるのだろう」と思うことが時々ある。コンサートでの私の目標は、何も考えないこと。無心。空っぽでいること。考えごとをしながら演奏してしまった日には「あー、やっちゃったー」ってなるでしょ?(笑)

T むしろ無心で演奏会できることの方が少ないです(笑) 最初は浮き足立っていても、聴衆からのエネルギーで集中できることも多々。

J あとさ、コンサートについてだけど……よく観察してみると、コンサートって変な空間だよね。伝統的なものではあるにしても。私はコンサートを儀式の一種だと思ってる。人々が教会や寺院に行くようにね。

人々は同じ、共通の理由でその場所に集まる。付き合い的な面もあるかもしれないけど、それは “soin(ケア)” つまり周りの人を気にかける時間なのです。音楽を演奏するとき、あなたは“soin”の中にいる。音楽が人々の「思いやり」によって支えられているのです。そして、コンサートが終わると人々は “Ça m’a fait du bien”(良かったよ)と言うのです。人々のサポートを感じられます。

演奏会はシンプルな思いやりの時間であり、そこにいる人々の沈黙の時間でもあるのです。私は、ソーシャルメディアのような世界と常に同期することが好きではありません。そこにいる聴衆と静寂を共有することが好きなのです。私たちはこれほど個人的な社会に生きているのに、一緒に集まって同じことをする。コンサートって不思議ですよね。でも、それが好きなんです。

T 演奏家→聴衆という一方通行ではなく、聴衆からのサポートも感じることがライヴの醍醐味ってわけですね。

J 音楽家にとって、コンサートは自分が何ができるかを示す場ではありません。仕事のプロセス(過程)、つまり私のありのままの現状を目撃してもらうのです。こうしたアプローチでは、1時間半または数分間、全員が同じ「船」に乗ることになります。私はこのアイデアがとても好きなんだ。なぜなら、そう考えることで、私自身が聴衆の皆さんと“現在(いま)”を共有することができるから。

もし私が自分の能力や知っていることを見せつけようと思ったら、それは単なる「パフォーマンス」であり、競争、見せびらかしに過ぎません。私は、そのためにここにいるのではないし、そんなことは私の目標ではない。コンサートのなかでも、自分の反省や体験、時には問題点を(人と)共有することが好きなのです。

コンサートは教会のミサの儀式だと思ってみてもいいかもしれない。たくさんの作業の積み重ね、人が読み、典礼の作法等々。まるでドラマの作品、あるいはダンスのコレオグラフィ(振付)のようなものです。音楽家が動き、観客が拍手する。私はそれを儀式として見ています。細かい違いはあるけど、それは“現在(いま)”に没頭する人々の時間なのです。スマートフォンも脇に置いています。彼らは私たちと一緒にここにいるのです。

私がステージに立つとき、すべての人に、気持ちよく眠くなるような、リラックスした気分になってもらいたいのです。そして、拍手をしてほしい。これが私なりの儀式のつくり方です。

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取材協力:Radioeat(パリ Radio France内)


ジャン・ロンドー 最新アルバム
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲/ジャン・ロンドー(チェンバロ)NEW
ERATO/ワーナーミュージック・ジャパン(輸入盤) 9029.650811(2CD)
ジャン・ロンドーが「沈黙への賛歌」と考える、演奏時間約108分の中で綴る「ゴルトベルク変奏曲」

ジャン・ロンドー
Jean Rondeau, harpsichord/conductor

©︎ Clement Vayssieres

ジャン・ロンドーはブランディーヌ・ヴェルレのもとで10年以上にわたってチェンバロを学び、その後、通奏低音をフレデリック・ミシェルとピエール・トロセリエに、オルガンをジャン・ギャラールに学んだ。さらに、パリ国立高等音楽院でブランディーヌ・ランヌーとケネス・ワイスに、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校でキャロル・セラシとジェームズ・ジョンストーンに師事し研鑽を積んだ。パリ国立高等音楽院を優等で卒業し、ソルボンヌ(パリ大学)で音楽学の学位を取得した。2012年、21歳の若さでブルージュ国際古楽コンクール(MAフェスティバル2012)チェンバロ部門で優勝。チェンバロ奏者としての活動とは別に、ジャズ指向の自作曲をピアノで表現する場として、アンサンブル「Note Forget, The Project」も結成した。バロック、クラシック、ジャズへの情熱と好奇心にあふれたロンドーは、哲学、心理学、教授法の要素を少しずつ織り交ぜ、多様な文化や芸術形態、専門分野の間にある音楽的な関係性を常に追求している。
https://www.jean-rondeau.com


柴田俊幸 最新アルバム
J.S.バッハ:フルート・ソナタ集 バッハによるファンタジアとインプロヴィゼーション
/柴田俊幸(フラウト・トラヴェルソ) アンソニー・ロマニウク(チェンバロ/フォルテピアノ)
NEW
Fuga Libera(輸入盤)FUG792
柴田俊幸とアンソニー・ロマニウク、2つの才能の出会いが生んだ現代のバッハ像
https://outhere-music.com/en/albums/js-bach-sonatas-fantasias-improvisations

柴田俊幸
Toshiyuki Shibata, flute/flauto traverso

©︎ Jens Compernolle

フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学卒業。アントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。ブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント、ヴォクス・ルミニスなど古楽器アンサンブルに参加し欧州各地で演奏。2019年にはB’Rockオーケストラのソリストとして日本ツアーを行った。ユトレヒト古楽祭、バッハ・アカデミー・ブルージュ音楽祭などにソリストとして参加。アントワープ王立音楽院音楽図書館、フランダース音楽研究所にて研究員として勤務した。たかまつ国際古楽祭芸術監督。   『音楽の友』『パイパーズ』『THE FLUTE』Webマガジン『ONTOMO』などに寄稿。
Twitter / @ToshiShibataBE
Instagram / musiqu3fl711
https://www.toshiyuki-shibata.com