柴田俊幸のCROSS TALK 〜古楽とその先と〜
Vol.4 小倉貴久子・川口成彦

 ベルギーを拠点に活躍するフルート&フラウト・トラヴェルソ奏者で、たかまつ国際古楽祭芸術監督を務める柴田俊幸さんが、毎回話題のゲストを迎えて贈る対談シリーズ。モダンとヒストリカル、両方の楽器を演奏するアーティストが増えている昨今、その面白さはどんなところにあるのか、また、実際に古楽の現場でどんな音楽づくりがおこなわれているのか、ヨーロッパの古楽最前線にいる柴田さんが、ゲストともに楽しいトークを展開します。バッハ以前の音楽は未だマイナーな部分もありますが、知られざる名曲は数知れず。その奥深き世界に足を踏み入れれば、きっと新しい景色が広がるはずです。
左より:川口成彦、小倉貴久子、柴田俊幸
Photo: I.Sugimura/BRAVO

 第4回のゲストは、日本を代表するフォルテピアノ奏者である小倉貴久子さんと川口成彦さん。小倉さんは、1990年代にオランダで学び、ブルージュの古楽コンクールで優勝。川口さんはいま、アムステルダムと日本を拠点に活動。師弟関係にもあるお二人は、共にオランダにゆかりがあるピアニストです。
 川口さんのショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位入賞をきっかけに歴史的鍵盤楽器の世界に興味を持ったという方も多いのではないでしょうか。この日は、さいたま市内の小倉さんのご自宅をお訪ねして、たくさんの楽器に囲まれた部屋で、お話をうかがいました。

♪Chapter 1 レオンハルトの衝撃

柴田 ヨーロッパで出会って以来、一緒に活動を続けている川口くん、そして僕の日本デビューのきっかけを作ってくれた小倉先生と、一緒にこうやってお話する機会をいつか持ちたいなと思っていたので、今日は参加してくださって嬉しいです。  他のところでもすでに話されていることかもしれないんですけど、フォルテピアノと出会ったきっかけについて教えてください。もともとは普通のピアノを弾いていたんですよね?

小倉 そうそう。藝大の学生のときはモダン・ピアノを弾いていて、フォルテピアノのレコードは聴いたことがあるっていうぐらいの感じ。だけど、実は大学2年のときからオランダに留学すると決めていたんです。それは、ヴィレム・ブロンズ先生にどうしてもつきたくて。先生がオランダにお住まいだったので、そこに留学することになったんです。そしたら、オランダではすごく古楽が盛んで、もう毎日というか、お昼も夜も…みたいな感じで教会でも素晴らしい演奏をやっている。コンサートをハシゴしたりして、「何なんだ、この世界は!」と。一番のきっかけは、(グスタフ・)レオンハルトのコンサート…。

柴田 まだご存命だったんですね。

小倉 そう。コンセルトヘボウの小ホールで、フランス・バロックのラモー、クープラン辺りがメインのリサイタル。それまで、そういうレパートリーをちゃんと聴いたことがなかった。そのコンサートを聴いて、「この世界は何なんだ!」って思ったんです。でも、私は、当時そういうジャンルのことを全然知らなかったので、何が起こってるのかがわからなかった。でも、それが知りたくて、いろいろ調べたり通ったり・・・というところから、始めたっていうのが、一番最初のきっかけかな。あと、アンナー・ビルスマもすごく好きで。彼は、(舞台に)出てきてから、すべてが音楽。
 だから、フォルテピアノにハマるというよりも、ピリオド奏法での演奏のほうにびっくりしちゃったのね。今まで私が習ってきたこと、または自分でやってきたことと、リンクしてない部分がたくさんあった。そこから、チェンバロを副科でとったりして…。

柴田 やっぱりチェンバロから始めたんですね。

小倉 アネッケ・アウテンボッシュという先生がスヴェーリンク音楽院で教えられていて。学校じゃなくてプライベートレッスンに通ってたんだけど、学校の勉強会にも出させてもらったりしました。すごく楽しかった。

♪Chapter 2 楽器が教えてくれたベートーヴェンの“真実”

柴田 その後、フォルテピアノに出会ったんですか?

小倉 ここにあるチェンバロの製作者でもあるヨープ・クリンクハマーという人が、ホームコンサートをされていて、私も聴きに行ったんです。そしたら、彼が持っていたフォルテピアノが部屋に置いてあって、終演後、ワインパーティーになったときに、私がその楽器でシューマンを弾いていたんですね。そしたらヨープがやって来て、「キミ、名前なんて言うの?」って訊かれて、それから彼と仲良くなったんです。ヨープはフォルテピアノも作っていて、遊びでいろいろ弾かせてもらっているうちに、のめり込んじゃって。

柴田 何に一番ハマったんですか。音色ですか? それともやっぱりタッチの違いが新鮮だったということですか?

小倉 音色もあるんだけど……例えばベートーヴェンの初期のソナタ、作品10-3を勉強してたときに、フォルテピアノで弾いてみる。そうすると、現代のピアノで「こういう感じでやってみよう」とか、いろいろ試行錯誤していたようなことが、「そのままある!」と思ったのね。「え?(楽器が)こうだったから、こういう音を使って書いてたのか!」という発見があったんです。
 だから、今まで「もうちょっとベートーヴェンの音は…」といろいろ苦心してやっていたことが、「ここにあるんだ!」と…。そこに、もうびっくりしちゃった。ベートーヴェンなんかは、いろいろな指示をかなり楽譜に書き残してますよね。そういうメッセージが「まさに、こういうことなんだな」っていうのが実感としてわかる。例えば、レガートひとつとっても、現代のピアノでレガートするのと、こういう5オクターブのフォルテピアノでレガートしているのでは意味がまったく違ってくるじゃない? スフォルツァンドの意味も違うし。

柴田 先生につかなくても楽器触ったらわかっちゃった?

小倉 そう! それで、もうびっくりしちゃって、「こういう世界を知らないで、音楽やってていいんだろうか」と思ったわけ。モダン・ピアノをやめるとか、フォルテピアノの世界に入るとか、そういうことではなくて、とにかく「これは何かしないといけない」という思いで始めたんです。

♪Chapter 3 偶然受けることになったブルージュのコンクール

柴田 それで、先生について勉強したんですか。

小倉 私、実はね、全部独学なの。というのは、フォルテピアノのレッスンを受けたことがない。しばらく遊びで弾いてたら、友だちの坂本徹さん(クラリネット)と諸岡範澄さん(チェロ)が、他のフォルテピアノの方とブルージュの古楽コンクールのアンサンブル部門を受ける予定だったのが、急にその人が受けないことになったみたいで、代わりの人を探していたんです。それで「一緒に受けない?」って誘われたのね。(コンクールは)1ヶ月後だった。私は留学の最後の時期で、あとは友だちがヨーロッパにたくさんいるから、あちこち旅行したり、遊んで帰ろうと思っていて、予定は空いてた(笑)

川口柴田 (爆笑)

柴田 動機不純じゃないですか。

小倉 1ヶ月しかないけど、(遊びは)全部やめようと思えばやめられる予定だったから、「楽しそうだし、私でいいならやるやる!」みたいなノリで、ブルージュの古楽コンクールがどんなものかも知らなかった(笑)。古楽奏法については、そのときに彼らはすでに研究してきていたから、「なるほど、こういうふうにやるのか」といろいろ教えてもらって。でも、1ヶ月しかなかったから、ぐんぐん成長あるのみでしょ(笑)。予選の審査をされてた先生やお客さんから、「あなたたち、予選から本選で、すごくうまくなったわね」って言われた。弾きながらどんどん上手になる…(笑)

柴田 レベル1の主人公が、何かレベル50ぐらいのモンスターに勝って、一気にレベルアップする、みたいな(笑)

小倉 そうそう! それで優勝したら、周りに人に「あなた、これはものすごく権威のあるコンクールだから、心してね」って言われて、「そうだったのか!」と(笑)。でも、(藝大の)大学院を休学していたので、日本に帰る予定が決まっていて。それで、帰国したら、周りにそういう楽器が全然ない環境だった。フォルテピアノ弾きたいなぁと思って、もうこれは注文するしかないということで、クリス・マーネさん Chris Maene[1]に楽器を注文したんです。その2年後(1995年)にフォルテピアノ部門があったときには、さすがに1ヶ月じゃなくて(笑)、1年前くらいからしっかり準備して受けました。そうやって、すごく自然な流れでこの世界に…

[1] ベルギー出身の現代を代表するピアノ製作者の一人。歴史的ピアノの復元・修復だけでなく、2021年にダニエル・バレンボイムが来日時に演奏して話題を呼んだ平行弦ピアノの製作でも知られる。

Anton Walter(1795年製の復元楽器 クリス・マーネ製作)F1〜g3
モーツァルトやベートーヴェンが使用していたことでも知られる5オクターブの楽器

川口 ベスト・タイミングですよね。

小倉 そうそう。ちょうどオランダの古楽が、その頃本当に面白い試みをたくさんやっている時期だったんですよね。だから、レオンハルトのコンサートも、1週間に1回くらいは聴ける、みたいな感じで、ブリュッヘンもやってるし、クイケンたちも…。

柴田 いいなぁ!!

川口  18世紀オーケストラの人と話したら、「昔と今では、まったく違う」と。僕、今のオランダでもすごく刺激があるんですけど、「だいぶ変わっちゃったんだよ」って言ってました。「昔はもっとすごく盛り上がってたんだよ」って。

小倉 みんな、「今すごく新しいことをやってるんだよ!」っていう雰囲気があった。

川口 一番盛り上がってるときにいたかった(笑) その頃を知らないから、今の状況でも盛り上がってるように感じちゃってたけど。

小倉 当時の状況を知ったら、びっくりすると思う。

川口 毎週、レオンハルトを聴けるなんて!

♪Chapter 4 フォルテピアノとの出会いは偶然に・・・

柴田 川口くんは?

川口 僕は、小倉先生との出会いですね。一番最初のきっかけは、藝大の楽理科に入学したんですが、楽理科の学生は、副科を2つとれたんですね。僕は、ピアノは絶対やりたかったから、1つはピアノに決めて、アンサンブルがすごく好きだったし、あともう1個をどうしようかと考えていた。楽理科の生徒ってピアノ科の人が忙しいという理由で、いろんな人から伴奏頼まれちゃう。「ピアノ科に頼むのは申し訳ないから、やってくれない?」って…

柴田 なんだ、めちゃくちゃ失礼じゃない(笑)。

川口 楽理科の生徒はけっこう伴奏頼まれやすい。だから「自分には室内楽の才能があるんじゃないか」と思ってしまいます(笑) で、もっとアンサンブルを極めたいと思って、フルートをやろうと。

柴田 え? フルート!? やめなよ〜(笑) ゼッタイやめなよ!

川口 ヴァイオリンは昔やってみたことがあったけど、管楽器のことはよくわからないから、今度はフルートにしようと思って、履修用の書類に「ピアノとフルート」ってほぼ書くことを決めていたんです。そのとき、大学の廊下で楽理科の先輩とすれ違って、話題がたまたま副科実技の話になって、「もう締め切り近いんですけど、何かおすすめあります?」って聞いたら、「フォルテピアノがいいんじゃない?」って、その先輩が言ってくれて…。「何ですか?それは」って。
 チェンバロは知ってたけど、フォルテピアノっていう言葉を知らなかった。それで「古典派の時代の作品が当時の楽器で学べるよ」って言われたんですけど、僕はその時、古典派の作曲家にすごく苦手意識があって、モダン・ピアノでもほとんど近代の作品ばかり弾いていた。古典派の作品を弾いてても、どうすればいいのかよくわからないし、ピアノのレッスンに持っていくと「なんかロマン派みたいだね」と言われて…。

 だから、「当時の楽器でできるんだったら、何か解決の糸口があるかも」と思った。楽理科にいながらも、ピアノを弾くことに強い憧れがあって、「古典派を弾けずしてピアニストなんて駄目だ」と思ってたから、近代の作曲家ばかりじゃなくて、古典派の作品をしっかりやろうと決めて、フルートはやめて、フォルテピアノに…。だから、そこで先輩とすれ違わなかったら…

小倉 ホントだ〜、すごい運命だねぇ!

川口 たぶんフルートをとってて…

小倉 いまはトラヴェルソを吹いてたかも!

川口 (爆笑)

柴田 破滅の道だよ!(笑)

小倉 今ごろ柴田くんと二人で争って・・・(笑)

柴田 大丈夫、俺は見守ってるから。

川口 本当にやっぱり巡り会い。タイミングが良かった。僕にとってのタイミングは、まさにあそこで先輩とすれ違ったこと。それでもっと良かったのは、小倉先生のレッスンがめちゃくちゃ楽しかった。もともと古楽のイメージはアカデミックですごく難しくて、お勉強するところだっていう…

柴田:イメージが悪いからね(笑)

♪Chapter 5 音の情報量

川口 1年間とってみて、本当に最初のレッスンから、目からウロコだった。ハイドンのソナタをやったときに、「あ、これは全然違うんだ」と。「モダン・ピアノでハイドンを弾いててもわからないことが、ここでわかるんだ!」って感じたしね。それで1年レッスンやって本当楽しくなっちゃって、また来年もやろうと思った。もし、それがすごく堅苦しいレッスンで、つまらないと感じてたら、もしかしたら1年だけの履修で終わっていたかもしれない。だから、続けたいと思ったのは小倉先生のおかげです。それで、古典派音楽がまず大好きになれたのがすごく良かった。今まできっかけがなくて仲良くなれなかった人と、ふとしたきっかけで仲良くなれた、みたいな喜びがありました。

 どうしても、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンって難しいなぁと思って、ちょっと距離をとりたくなっていた。本当に単純だけれども、まだ20歳のときの自分は、音数が多いほうがドラマチックだと思っていたんですよね。

柴田 あー、なるほど。

川口 だから、ラフマニノフとかスクリャービンの音楽のほうがモーツァルトやハイドンと比べると、音数が多くてドラマチックだと思った。だけどフォルテピアノをやってみて、一音の情報量の多さがすごいことに気づいた。よく“スピーキングする”って言うじゃないですか。表情記号とかアーティキュレーションがあることによって、音数は少ないけれども情報量がものすごいということがわかった。そしたら、ハイドンやモーツァルトってものすごくドラマチックじゃないかと気づいたんです。音楽は音数じゃない! すごく基本的なことだけれども、やっぱり19、20歳のときは、まだ今よりはるかに未熟だったから、単純な音数だけでカッコイイと…

小倉 そうだよね、書いてある音を一生懸命弾くことだけに情熱を燃やしちゃうからね。

川口 そうそう。だから、18世紀の音楽に含まれるドラマのすごさを知ったときに、めちゃくちゃ楽しくなった。

柴田 “Less is more”ってよく言うからね。少ない分、情報が凝縮されている。

川口 だから、それを知ったことで、音楽がもっと楽しくなった。その頃の藝大の環境も良かったし、フォルテピアノも大好きになって、18世紀の音楽も好きになって、音楽の視野がどんどん広がった。

柴田 しかも昔からの視点で見られるでしょ? 従来は、古典派は古典派、ロマン派はロマン派と見てたけど、古楽の人たちは昔の目線から見られるじゃない。バロックから古典派、古典派からロマン派へ発展していったよねっていう、その目線はすごく面白いですよね。

川口 そうそう!

柴田 そこがいちばん僕ら専門にやっている人の特権だし、楽しいなって思う。

♪Chapter 6 日本のフォルテピアノ黎明期

柴田 コンクールに入賞した後、周りの方からの反響などはいかがでしたか。

小倉 私の場合は、アンサンブル部門に関しては、「棚からぼたもち」みたいな感じ(笑)。その次にフォルテピアノ部門で優勝したときは、かなりプログラミングも考えて臨んだ。だけど、1995年頃の日本はまだそんなに古楽が普及していなくて、今ほどみんなが知っている状況ではなかったんですよね。
 それでも、帰ってきてすぐ、読売新聞の「顔」っていうコラムに載ったり、新聞や雑誌が推してくれたり、ということは多少はありました。ブルージュのコンクールはなかなか1位を出さないコンクールとして知られていたし。ただ、それでフォルテピアノ部門で1位をもらったとしても、一般のピアノの世界の人たちが、「わー、何それ?すごい!」となるわけでもなく、状況が変わるということはなかった。

 とにかく日本では前例がない。オランダは古楽が音楽業界の中ですごく重要な位置にあったけど、日本はそうじゃなかったから、コンサートも自分で作っていかないといけないし、待っていても何も起こらない。だから、例えば「ベートーヴェンとベートーヴェンをめぐる女性たち」というシリーズや「音楽の玉手箱」という自主コンサート・シリーズもやっていました。ハイドンのトリオを核に歌曲も入っていたりするようなピリオド楽器を使ったコンサートをやっていました。  その頃まだ「ピリオド奏法」「ピリオド楽器」っていう言葉もないのよ。「古楽器」とか「古楽奏法」とか呼んでた。あと、「オリジナル楽器」っていう言葉も、最近全然使わないよね。

柴田 そうですね、使わないですね。Origin(起源)という意味でのオリジナルだったわけですが、一時期CDでよく見ましたが最近は使われません。

小倉 古楽器っていうと、昔の楽器というイメージで、やっぱりモダン・ピアノがメイン。だから、フォルテピアノ奏者は、“何かちょっと変なことやってる人”みたいな印象だったと思う。

柴田 どう考えても、メインストリームじゃなかったですよね、その頃は。

小倉 そう。私自身、モダン・ピアノも弾いていたし、コンサートもやってた。でも、日本は、その頃はモダン楽器奏者と古楽器奏者の間に非常に大きな壁があった。今そんなこと言っても二人は「えー!?」って思うかもしれないけど、その頃は、私は「モダンの人がやってる」と言われたの。

川口 学歴で判断されたのかな。

小倉 学部・大学院ともピアノ科だし、オランダ留学もピアノだし。モーツァルト・コンクールもピアノで受けたし。実際、私、藝大の定期演奏会でストラヴィンスキーのピアノ・コンチェルトを弾いてた。それで留学したばかりのときにも、たまたまアムステルダム音楽院の管楽器のプロジェクトがあって、そこでもまたストラヴィンスキーのコンチェルトを…。

柴田 また!?

小倉 すごい偶然でしょ。1年前くらいに藝大で弾いてたので。だけど、かなり難しい曲だった。で、留学したばかりのときに、ブロンズ先生と話してたら、「オーディションでストラヴィンスキーをやるんだけど、難しすぎて受ける人がいない」って先生が言うわけ。「私、それ弾いたことあります。受けます!」って言ってね。学校は8月の終わり頃から始まる予定だったんだけど、8月末か9月頭ぐらいにはもう、ピアノ・コンチェルトのソリストとして、アムステルダムでコンサートに出演していた。だから“モダンの人が始めた”っていう風に受け止められたけれど、オランダでは、実はそういう感じがなかったの。壁がなかったから。

柴田 まぁ、ないですよね。特に鍵盤楽器はオールマイティにすべて演奏している人も多い気がします。

小倉 だから、私もすごく自然に入りやすかったんだけど、最初の5年間ぐらいは日本では“モダンの人がやってる”という感覚だった。今はもうそういう感じはないけど、そういう風に言われるってすごく嫌だった。そういう壁を作るのは絶対に良くないって思う、今もね。だから、モダンの人とか古楽の人とか、そういうカテゴリ分けっていうのは良くないことだって思ってるんです。

柴田 僕もね、いつも経歴に「フルート奏者」って書いてって毎回言わなくちゃいけないんですよ。何も言わないと、勝手に「フラウト・トラヴェルソ奏者」だけ書かれるから。「フルートも吹いているんで」って言っても、ボケるという理由でトラヴェルソ奏者にされたりするんですけど、なんか、カテゴライズしたがるんですよね。
 そういう意味では、コンクールに優勝して、パッと状況が変わるというよりは、むしろ、そこから打破していかなきゃいけないこともいろいろあったんですね。

♪Chapter 7 転機となったショパン国際ピリオド楽器コンクール

柴田 川口くんの場合は?

川口 ブルージュのコンクールで賞を獲れば、世界が変わると思ってた(笑) 小倉先生が優勝されてるから「僕も頑張るぞ!」と思って、藝大生のときからブルージュは一つの目標でした。コンクールは、学びの場になるし、その目標設定によって成長できるっていうこともあるから、僕は、藝大時代からコンクールをけっこう受けたけれども、ブルージュはやっぱりすごく高い目標だった。1回目はダメだったけれど、2回目のチャレンジで1位なしの2位に入賞できて、「あ、これでたぶん世界が変わるだろう」と思ったんですが、本当に何も変わらなくて(笑) ただ、僕が受けた頃、副賞でCDが出せたことは、ラッキーでしたけどね。
 でも、例えば新聞でニュースを取り上げてくれたのは、こちらから情報を提供した岩手日報だけだったし(注:川口さんは盛岡生まれ)、コンサートも何のオファーもなかった。だから、とりあえず入賞記念コンサートを自分でやりました。「やっぱり古楽器奏者というのは自分でやってかなきゃいけないんだ」とブルージュの後、実感しました。昔はどうだったかわからないですけど、言ってしまえば、ブルージュのコンクールは古楽好きな人の内輪で盛り上がりすぎてるのかなと思うんです。最近テレビ放送やネット配信もやってるから、より気軽にアクセスできるようにはなっているけれど…。

柴田 すみません…申し訳ない(笑) ぶっちゃけベルギーがちっちゃいのもある。地元では大騒ぎだけど、国際的にはそこまでそんなに影響力ないんだよね。

川口 「ブルージュで入賞したら、きっと人生変わるんだな」と思ったけども…

小倉 世界に向けてっていうのはね…。地元では盛り上がってるよね。私も、1位獲った表彰式の後、ホテルに戻ったら、すごく大きなお花が置いてあったのね。「ホテルから」って言って。それまで、別にホテルの人も「コンクール出場者がここに泊まってる」というような雰囲気ではなかったのに、「ウチに泊まってる!」と気がついたら、パッとそういう素晴らしいお花を贈ってくれた。やっぱり地元ではすごく盛り上がっている。そういう雰囲気はとても好き。

柴田 僕、頑張ってブルージュと姉妹都市にしようと思ってる。

川口 高松と!? すご〜い。

柴田 両方とも水の都だし。

小倉 確かに! 行けるかもね!いいんじゃない。

柴田 頑張ろうかなと思って、中世に栄えたところだし、できたらいいなと思って。今度市長さんに会いに行く予定。

川口 えーっ!

柴田 1枚目のCDを一緒に作ったバルト・ナセンス Bart Naessens って今ブリュッセル王立音楽院のチェンバロ科教授なんですけど、ブルージュ出身。だから、ひょっとしていけるんじゃないかと二人で話してます。

小倉 それ、最高じゃない!

柴田 うまく行ったら、みんなでビール飲みに行きましょう!

川口 その後に、ショパン国際ピリオド楽器コンクールが、僕にとってすごくベストなタイミングに できた。アムステルダムに行ってから、ちょうどロマン派の曲をいっぱい勉強してた時期だったし。あれがすごいなと思ったのは、ショパン・インスティテュート(ポーランド国立ショパン研究所)の情報の拡散能力と、あとは日本人がショパンが好きだっていうこと…。あのコンクールって、いわゆるモダンの人もけっこう受けていたじゃないですか。ブルージュは、僕が受けたときは、「古楽科で学びました」という人が集まってたけど、ショパンのコンクールは「ふだんモダン・ピアノやってるけど、今回ちょっとトライしてみてます」という人が多かった。

柴田 審査員の顔ぶれが違うもんね。

小倉 半分モダンの人たち。

川口 あと、古楽コンクールっていう雰囲気じゃなくて、「ショパンをピリオド楽器で弾いてみよう」という、もっとフレキシブルで漠然としたものだった。それで、たぶん一般の人もとっつきやすいものだったし、あとやっぱりショパンというアイコンが大きいというのもあるのかもね。だから、コンクール後はやっと「フォルテピアノをやってるんですね」と言ってもらえるようになった。だから、ブルージュよりも僕にとってはやっぱりショパンのほうが、すごく助けられた。あれはやっぱNHKがドキュメンタリー番組を作ってくれたのが大きかった。

柴田 NHKサマサマですね。

川口 素敵な番組を作って下さり本当に嬉しかったです。

♪Chapter 8 音楽はイネガル(不均等)!

柴田 フォルテピアノを専門としているお二人からすると、普通のグランドピアノとフォルテピアノの一番違いとは何なのでしょうか? 奏法面と楽器の性質面でお話しいただければと思います。

小倉 一言ではなかなか言えないんですけど、まずノート・エガール notes égales (均等な音符)とノート・イネガル notes inégales (不均等な音符)の違い。すべての音を均等に弾く奏法が現代のピアノではやっぱりいちばん問題なんじゃないかなぁと思います。さっき話題に出た「モーツァルトなどにおいて、少ない音に情報量がある」というのは、つまり同じ16分音符で書かれた4つの音があっても、これらはそれぞれまったく違う。それが往々にして教えられていない。16分音符は16分音符として捉えるという解釈。全部同じになっちゃう。そうすると、音楽がまったく死んでしまいますよね。フォルテピアノの場合は、ノート・エガールを自然にしたくなくなる。

 一方、現代のピアノは、確かにノート・エガールを目指して突き詰めていった楽器であるという側面がある。だけど、フォルテピアノを弾くと、すべての音を均等に弾くのは相当おかしなことだな、とすごく実感できるんです。そうしたときに、「これまで身につけたテクニックは何だったんだろう?」と思うんですよね。本当に均等に弾くでしょう? そういう奏法でフォルテピアノを弾いちゃうと、まったく楽器の良さが死んじゃうからね。
 私、もう20年以上前にNHKの『FMリサイタル』の収録に行ったのね。そしたら、「こんなショボい音でかわいそう」と思われたのか、プレイバックをチェックしに行ったら、スタインウェイみたいな音になっていた。音質も変えて、ふっくらした感じ。「これは全然違います!」って(笑) ふっくらしてないでしょ!

川口柴田 (笑)

♪Chapter 9 音の繊細なニュアンスに耳を傾ける

柴田 トラヴェルソでも同じようなことはあります。先日ラジオでライヴ録音したときも、一度聴いてみてください、って言われたのでスタジオで聴いたら金属のフルートに似た音色にされていて…(笑) あとチェンバロとのバランスもフルートが聴こえないからって少しバランスいじられていたりして。

川口 弱音へのこだわりというのは、特に古楽器を通して着目される点だと思う。

柴田 この前一緒に演奏会した時のリハーサルでも言ってたよね。

川口 ショパンの演奏について語っている人の言葉によると、あの時代、いろんなピアニストがいた中でも、ショパンのピアニッシモは特に音が聞こえなかった。つまり、彼はすごく静寂にこだわっているから。そういう意味では、やっぱりホールが大きくなったということがたぶん一番大きいと思う。例えば、モダン・ピアノの人と連弾する機会があったときに、やっぱり僕の感じているボリューム・ボルテージとちょっと違う…