高坂はる香のワルシャワ現地レポート♪14♪
小林愛実 インタビュー

(c) W. Grzędziński / The Fryderyk Chopin Institute

取材・文:高坂はる香

 ファイナリストとなった6年前からの再挑戦。プレッシャーの中、見事第4位に入賞した小林愛実さん。バックステージには、前回、共にコンクールに挑んだ入賞者たちが応援に駆けつけていて、とても仲よさそうにしていたのも印象的でした。
 日本では14歳でメジャーデビューし、華やかな活動をしていた頃の記憶がある方も多いでしょう。しかし17歳のとき、演奏活動を休止してアメリカに留学。そこから3年間はピアノを弾く意味を探してとても悩んだといいます。前回のショパン・コンクールに挑戦したときは、そんな時期から脱した直後だったのではないかと思います。
 あれから6年、今回はステージで、自分のやりたい音楽を追求していく姿を見せてくれました。

Aimi Kobayashi (c) Haruka Kosaka

── コンクールの3週間を経て、ショパンについての感情は変わりましたか?

 変わらないですかね。感情が変わったというよりは、この場所で弾きながら、その瞬間にショパンの気持ちを感じようと努力してきたという感じ。
 例えば、特に「24のプレリュード」はショパンのコロコロ変わっていく心情を感じながら、瞬間的に感情を変えていくことをすごく意識しました。

── 全部の感情が入っている曲ですもんね。そこに自分の気持ちを重ねていく感じ?

 そこに自分の感情を照らし合わせるというよりは、ただ、ショパンの感情を考えて弾いていったという感じです。あの時代のポーランドの厳しい状況を思えば、どんな曲にも痛みや苦しみ、そして希望が入っていたと思うので。
 例えば軽い雰囲気の曲には憧れや恋心が込められているかもしれないけれど、その奥底には、当時のポーランドの状況を反映したものがあったはずです。どの曲からも、彼のポーランド人としてのアイデンティティを証明したいという気持ちを感じるので、それを自分なりに感じ取ろうとしていました。

── そうやって近づいていこうと長い時間をかけて練習、準備をしてきたと思いますが、ここまでの道のりを振り返ってみるといかがですか?

 2回目の挑戦だから、4位に入賞できてよかったなと思っています。でも、ステージが進むにつれて自分の個性が出過ぎてしまったかなと思うところもあって……前回もそうだったんですけれど(笑)。でも、それを抑えたり、自分がやりたい音楽をそぎ落として演奏しても、後で後悔すると思うから、その時弾きたい音楽を弾けてよかったなって思います。抑えて演奏してもっといい結果が出ていたら、それで良かったと思ったのかもしれないけど(笑)。
 コンクールに出ているけれど、最終的にはそんなことはどうでもよくなってくるものですね。

── 6年前は、結果を受けて悔しいという気持ちがありましたか?

 それが、悔しくなかったんですよ。若かったし、もちろん結果が出た直後は悔しいと感じたけれど、やっぱり、入賞したみんなのほうが自分よりすごいと思ったし、尊敬していました。今でも刺激を受けますし、すごくいい友達を持つことができたと感じています。逆に、あの時入賞していたら今回は受けなかったと思うので、結果的には良かったと思います。

── 音楽家として、これからどういう人でありたいですか?

 音楽を感じてもらえるピアニストになりたいです。たとえば、ルプーとか、フレイレ、ピリスみたいな。華やかな演奏で客席を沸かせることができるピアニストもすごいけれど、私が目指しているのはどちらかというと、そうではないタイプのピアニストです。

── 今は変わりましたね。14歳でデビューしたころは、わりと華やかに弾いていた感じも……

 弾いてましたね(笑)。今は、“Showy”な演奏、見せる音楽には全然興味がないんです。自分がやっていて嫌になってやめたから余計なのかもしれないけれど。
 でもそのきっかけは、やっぱり6年前のショパンコンクールが大きかったんじゃないかと思います。改めて音楽と向き合う時間が増えて、コンクールの後も、自分の個性はなんなのだろうと考え続けて。でも結局、自分ではわからないと思いました。それは、音楽に真摯に向き合うなかで見えてきたり、築かれたりするものだと思うから。
 真摯に続けていけば、いつかそういう音楽家になれるのかなって。

── 入賞したことで注目されて、これからいろんな誘惑があるかもしれないけれど。

 私、意外とそういうの興味ないですからね(笑)。

── そこは小さい頃すでに経験しているだけに。……良かった(笑)。

 小さい頃、そうやってチヤホヤされるみたいなことが、たぶん私はあまり得意じゃなかったんだと思います。期待されすぎることにも耐えられなかったし。自分がやりたくないこともやらなくてはいけなかったけど、子どもだからわからなくて、言われるようにやっているところがありました。その時があったから、今はこういう考えになったのだと思います。
 これからは、いただくコンサートをしっかりとやって、音楽家として、活動を次につなげていくことがまず大事なのかなと思っています。

高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/