だめんず vs 男装の麗人 | 萌えオペラ 第2回 オッフェンバック《ホフマン物語》

text:室田尚子
illustration:桃雪琴梨

前回、オペラ界における最大の「だめんず」はタンホイザーであると声を大にして申し上げたわけですが、こういっちゃなんですが、テノールが演ずるところの主人公にはだめんずが非常に多い。アルフレート(《椿姫》)もそうですし、ドン・カルロ(《ドン・カルロ》)なんていうのも典型的なだめんず王子。

「だめんずテノール」を一人ひとり取り上げていくだけでも1年はすぐに過ぎてしまいそうですので、今回は少し視点を変えて、「だめんず」に「カッコいいイケメン」が対置されている作品を取り上げましょう。19世紀半ばのフランス、パリでオペレッタを連発して大人気を博し、かのロッシーニに「シャンゼリゼのモーツァルト」と称されたジャック・オッフェンバックが残した唯一のオペラ《ホフマン物語》です。

主人公ホフマンは詩人です。あれ、どっかで聞いたような…ええ、タンホイザーと同じ職業ですね。オペラは、酒場で酔っ払ったホフマンが過去に恋した3人の女性との恋愛の顛末を語る、というスタイルで3つの物語が描かれていきます。その3人とは自動人形のオランピア、歌手のアントニア、そして娼婦のジュリエッタ。「ちょっと待て、自動人形ってなんだ」と思ったあなた、正しい指摘です。オランピアは人形師コッペリウスが作ったそれはそれは精巧な自動人形で、そうとは知らずホフマンは熱烈な恋に落ちてしまうのです(ちなみに、人形に恋する男性のお話はギリシャ神話のピグマリオンが原型といわれています)。

パーティでオランピアが歌うアリア〈生垣には、小鳥たち〉は、人形なので途中で歌が途切れそうになると慌ててゼンマイが巻かれるという楽しい趣向が盛り込まれており、ソプラノのコロラトゥーラがまさに人形っぽい超絶技巧を繰り広げるのですが、それはともかく、パーティのお客全員が人形だと知っているのに、ひとりホフマンだけはそのことに気がつかない、というのがミソ。ホフマンはコッペリウスに売りつけられた眼鏡をかけているからわからない、ということになっていますが、これは眼鏡=恋に目が眩んだ状態、と解釈すべきところでしょう。しかし人形に恋するなんて、ホフマンさん、アニメやマンガのヒロインを「俺の嫁」と呼んではばからない現代のオタク界に転生してくれば、オタクのヒーローになれるのではないでしょうか。

結局オランピアは暴走して壊されてしまい、自動人形だと気づいたホフマン大失恋、という流れになるわけですが、ここから「恋に心を奪われているとき、人は真実を見失ってしまう」という教訓を引き出すこともできましょう。ホフマンはそのあと、歌手のアントニアを病気で失い、ヴェネツィアの娼婦ジュリエッタに騙され、と、いずれの恋も実を結びません(この順番は版によって違っています)。毎回「この恋がすべて」と思い込んでは失恋する。いいところのまったくないホフマンはまぎれもないだめんずですが、それでも懲りずにまた恋をする点では、ある意味で非常に根性のあるだめんず、といえるかもしれません。

さて、ホフマンには常に一緒に行動しているひとりの男性がいます。その名はニクラウス、ホフマンの親友です。ニクラウスはホフマンに寄り添い、彼が恋に落ちるたびに忠告を与えるのですが、もちろんホフマンはまったく耳を貸しません。報われないニクラウス君ですが、なぜかあまりガッカリしている風ではない。いや、よく見ると微笑んでいるような…。その謎はオペラの最後に解けます。

ニクラウスは実は芸術の女神ミューズなのです。ミューズはすべてを失ったホフマンに「恋の世界より芸術に生きよ」と諭します。むしろそのために、ミューズ=ニクラウスはホフマンの恋愛をそばでじーっと見ていた、といってもいい。そう考えるとイジワルな女神様ですが、ここで思い出していただきたいのは、ホフマンが詩人だということ。芸術家というと恋多き人が多いものですが、もし神様が現れて「女と才能とどっちか選べ」といわれたらどうするでしょうか。「女がいいなあ」と思いながら才能の方をのが芸術家というものなのではないでしょうか。だから芸術の神たるミューズの行動は圧倒的に正しいわけです。

ところで、ミューズ=ニクラウスを演じるのはメゾソプラノです。演出にもよりますが、ホフマンがいかにも「だめんず風イケメン」であるのに対して、ニクラウスは颯爽とした「男装の麗人」であることがほとんど。いや、宝塚や少女漫画をみてもわかるように、「女性が演じる(考える)男性」が並のオトコよりカッコよくて女子のハートを掴むのはむしろ当たり前なのです。私も、ホフマンとニクラウスどっちに惚れるかと問われたら、ニクラウス一択です。最後に厳しく芸術の道を説くミューズの姿にすら萌えてしまうのは、オペラでは男に捨てられたり、三角関係の末に殺されたり、男の犠牲になって自死を選んだりする女性が多いからでしょうか。「男装の麗人=理想のイケメン」が「現実のだめんず」を理想の正しい道へと導く、なかなか毒の効いたオペラ《ホフマン物語》。特に女子のみなさんにオススメしたい作品です。

profile
室田尚子(Naoko Murota)

東京藝術大学大学院修士課程(音楽学)修了。東京医科歯科大学非常勤講師。NHK-FM『オペラ・ファンタスティカ』のレギュラー・パーソナリティ。オペラを中心に雑誌やWEB、書籍などで文筆活動を展開するほか、社会人講座やカルチャーセンターの講師なども務める。クラシック音楽の他にもロック、少女漫画など守備範囲は広い。著書に『オペラの館がお待ちかね』(イラスト:桃雪琴梨/清流出版)、『チャット恋愛学 ネットは人格を変える?』(PHP新書)、共著に『日本でロックが熱かったころ』(青弓社)など。
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写真家・伊藤竜太とのコラボ・ブログ「音楽家の素顔(ポートレイト)」
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桃雪琴梨(Kotori Momoyuki)
クラシック音楽が好きな漫画家兼イラストレーター。室田尚子著『オペラの館がお待ちかね』のイラストを担当。漫画の代表作はショパンとリストの友情を描いた『僕のショパン』。後世で忘れられつつある史実のエピソードを再発見し、その魅力と驚きを創作者としての経験を活かして綴り、音楽家キャラ化ブームの先駆け的作品となる。ほかに書籍やゲームのイラストレーターとして活躍。趣味はピアノで講師資格取得。MENSA会員。