ブラームスの初期の作品は“風”、中期は“谷に咲く花”のようです
毛翔宇を知る人は、日本ではまだ多くないだろう。1973年北京生まれというから、今年で43歳。音楽学者の父、音楽院教師の母を持つ。中国では文化大革命とその終焉という混乱の折、同世代の子どもたちの大半は楽器など見たこともないという時代。毛は言わばエリート層に育ち、6歳からピアノを始めた。9歳で移り住んだ香港でデンマーク人ピアノ教師と出会い、天賦の才を伸ばしていった。
「音楽の道を目指したのは14歳。ただし学業の成績も良かったので、高校の校長からはアメリカのオバーリン大学で経済学と音楽の両方を学ぶように進められました。経済学を通じて理性的なものの見方を養えたことは良かったです。その後ジュリアード音楽院に進み、博士号を取得しました」
アメリカ、アジアを中心に演奏活動を行っており、日本でも2012年と14年に兵庫、東京、札幌でコンサートを行った。
「兵庫では、コンサートを終えてホテルに戻ると、聴衆の方からファックスでお手紙が届いていました。『ショパンその人が目の前にやって来たようで、ずっと涙していました』と。初めて聴いてくださった日本の方が、そんな温かい感想を寄せてくれたことにとても感動しました」と静かに語る。
毛のジェントルでシリアスな人柄は、発売されて間もない彼のブラームスのアルバム(コジマ録音)にそのまま聴き取ることができる。安定したテンポの中で、深みのある強いタッチ、優しく温かい音色を自在に使って詩情を漂わせる。選曲は、二十歳のブラームスが書いた「ピアノ・ソナタ第3番」、そして「8つの小品 op.76」。
「二十歳で書かれたソナタは、感情にまかせて理性を失わないよう、バランスを大切にして演奏しています。感情をコントロールしながら、深い穴を掘って行くような感じですね。一方、『8つの小品』は中期の作品です。ブラームスの小品集というと晩年のop.116からop.119までの4つがよく知られていますが、同じ感覚で中期のop.76を捉えるとしたら、それは色眼鏡を掛けて聴くようなもの。僕の理解では、初期のブラームス作品は風のようで、晩年の作品は静かな湖。そして中期の作品は谷に咲く花のようです。このop.76の小品には、ブラームスの生命への愛情がストレートに表現されています」
抒情的であり、どこか理知的でもある毛翔宇のブラームス。その音楽作りに、ぜひゆったりと耳を澄ませてほしい。
取材・文:飯田有抄
(ぶらあぼ 2016年10月号から)
CD
『ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番 作品5、8つの小品 作品76』
コジマ録音
ALCD-9149
¥2800+税