いまだ戦争の収束は見えないが、約3年に及んだ感染症による混乱から徐々に日常を取り戻しつつある昨今。2023年は、久しぶりの来日となった外来組も多く、クラシック音楽界にとって再会と躍進を感じる年となりました。そんな一年を振り返って、評論家3名による2023年のマイ・ベスト公演をそれぞれの目線で選んでいただきました。一人目は音楽評論家の室田尚子さんによるオペラ公演を中心としたふりかえりです。
◆音楽評論家・山田治生が選ぶ2023年マイ・ベスト公演
◆音楽評論家・青澤隆明が選ぶ2023年マイ・ベスト公演
文・室田尚子
2023年は新たな戦争のニュースなど、世界がどこに向かっていくのか、ともすれば絶望に陥りがちな状況が続いた。そんな中でオペラや人の「声」による芸術が何を成し得るのか、ということを考えさせられた一年だった。特に「日本発信のオペラ」という観点から、「声の力」を感じたものを挙げていきたい。
オペラ公演のマイ・ベストは、11月に行われた東京二期会オペラ劇場/NISSAY OPERA公演《午後の曳航》である。三島由紀夫の小説をヘンツェがオペラ化した作品だが、改訂ドイツ語版による舞台上演としてはこれが日本初演。宮本亞門の演出、クリストフ・ヘッツァーの美術、アレホ・ペレスの指揮、すべてがピッタリとハマって「日本発信の最新のオペラ」としての価値ある舞台をつくり上げた。「おそろしく難解」といわれるヘンツェのスコアを歌い切った二期会歌手陣も見事。
他に日本初演作としては、日本オペラ協会が2月に上演した三木稔作曲《源氏物語》が印象に残っている。これは2000年にアメリカで英語版で初演されているが、今回は生前の三木が願った日本語版での世界初演。「人間・光源氏」に焦点を当てた岩田達宗の思い切ってシンプルにした演出が功を奏し、幽玄の美を感じさせる舞台だった。日生劇場開場60周年記念公演として5月に上演されたケルビーニ作曲《メデア》も日本初演(演出:栗山民也)。題名役の中村真紀はじめ、こちらも歌手の健闘が光った。日本初演ではないものの、滅多に取り上げられないヴェルディ《二人のフォスカリ》が藤原歌劇団(新国立劇場、東京二期会との共催)によって9月に上演されたのも嬉しかった(演出:伊香修吾)。ドラマを前に進める力を持った田中祐子の指揮が素晴らしく、歌手ではフランチェスコ・フォスカリ役の押川浩士がヴェルディ・バリトンとしての存在感を示した。
日本のオペラ界にとって、「日本発信のオペラ」を創造することは引き続き大きな課題だと考えるが、これら日本初演作品がその一翼を担ったのは確かだろう。そんな中で、数年前から続いている「他ジャンルの日本人アーティスト」とのコラボレーション作品が今年もいくつか誕生した。中でも東京二期会が2月に上演した《トゥーランドット》は、アート集団「チームラボ」がセノグラフィー(舞台美術)を担当して大きな話題となった。東京文化会館大ホールそのものが舞台装置となるようなデジタルアートの仕掛けは圧倒的で、また、オペラに馴染みのない観客の足を運ばせたことも大きな成果だろう。びわ湖ホール、東京芸術劇場、やまぎん県民ホール三者の共同制作による全国共同制作オペラ《こうもり》は狂言師の野村萬斎による演出。文明開化の日本に舞台を移した演出は賛否両論あったようだが、「日本人が外国人を演じることの違和感」を払拭したい、という萬斎の意図は十分に伝わってきたし、何よりオペレッタ初心者にもわかりやすい丁寧な表現に好感を持った。
この《こうもり》にも出演していたソプラノの森谷真理はいまや日本のオペラ界になくてはならない存在だ。今年は2回リサイタルを聴いたが、特に10月に王子ホールで行われた演奏会は、彼女が歌い手としてさらに一段上に昇ろうとしていることを感じさせるものだった。完璧な発声と発音のコントロール、ディクションの確かさの上でどのような表現を獲得してくのか。今後のさらなる飛翔を期待したい。
同じく《こうもり》出演の大西宇宙は、兵庫県立芸術文化センターの佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ《ドン・ジョヴァンニ》でロール・デビューを飾るなど、今年も八面六臂の活躍ぶり。10月には東京とびわ湖でリサイタルも開催した。美声と表現力を持ったバリトンだが、そろそろ、歌い手として今後どのような方向を目指すのか、見定める時期にきているのではないかと思う。
今年は演奏会形式のオペラも多かった。7月の東京フィルハーモニー交響楽団のヴェルディ《オテロ》、6月の神奈川フィルハーモニー管弦楽団のリヒャルト・シュトラウス《サロメ》、4月の東京・春・音楽祭でのプッチーニ《トスカ》がベスト3。それぞれチョン・ミョンフン、沼尻竜典、フレデリック・シャスランという「オペラとは」を知り尽くした指揮者がいてこそ、演奏会形式が活きるということを感じさせられた。
いくつかの小規模な公演の中にも「声の力」を感じさせるものがあった。シンフォニエッタ静岡は第74回定期公演でカントルーブを、第75回でヴァレーズを取り上げた。メゾソプラノの鳥木弥生を起用した「オーヴェルニュの歌」やヴァレーズ初期の歌曲が印象に残っている。オペラシアターこんにゃく座は加藤直が台本・訳詞・演出を手がけたヤナーチェク作曲《アイツは賢い女のキツネ》で、日本語歌唱のさらなる可能性に挑んだ。
最後にオペラではないが、3月に横浜の若葉町ウォーフという小さな小屋で上演されたリーディングミュージカル『CABARET』を挙げたい。島田健司・作、佐藤信演出。3人の俳優と1台のピアノで、朗読の合間に昭和歌謡、ミュージカルナンバー、オリジナルを含む20曲を歌い、踊るスタイル。グラスを傾けながら、ある女の物語を聴く時間は、両大戦間のベルリンのカバレットを彷彿させる居心地の良さだった。これもまた「声の力」を感じたプロダクションである。
【Profile】
室田尚子(むろた・なおこ)
東京藝術大学大学院修士課程(音楽学)修了。東京医科歯科大学・昭和音楽大学非常勤講師。NHK-FM「オペラ・ファンタスティカ」レギュラー・パーソナリティ。他にEテレ「クラシックTV」、NHK-FM「ベスト・オブ・クラシック」などTV、ラジオの出演多数。著書に『オペラの館がお待ちかね』(清流出版)、共著に『知ってるようで知らないショパンおもしろ雑学事典』(ヤマハミュージックメディア)など。『音楽の友』『ぶらあぼ』『サラサーテ』などでアーティストのインタビューや演奏会の紹介記事、エッセイなどを執筆。
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