INTERVIEW 川口成彦(フォルテピアノ)

第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクール開幕を前にして

 近年、日本でもフォルテピアノへの関心が高まるなか、第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクール(2023.10/5〜10/15)がまもなくワルシャワで開催されます。5年前の第1回大会で第2位に入賞して一躍時の人となった川口成彦さんに、改めてフォルテピアノという楽器の魅力、コンクールの思い出、そして今大会の注目の出場者などについて、お話をうかがいました。また、川口さんご自身も、12月に神奈川県の相模湖交流センターで、ショパン全曲演奏会シリーズを始動。この意欲的なプロジェクトへの想いも語ってくれました。
Naruhiko Kawaguchi

♪歌曲、室内楽も含めたショパン全曲演奏に挑戦!

—— ショパン国際ピリオド楽器コンクールでの入賞から5年が経ち、今年から、相模湖交流センターでフォルテピアノによるショパンの全曲演奏会をスタートされます。

 僕はいま34歳で、30代はいろいろな作曲家に挑戦していますが、40代になったらレパートリーを絞り、深める方向に行きたいと考えています。今の時点でこれからも大切に弾いていきたいと思うのが、スペイン音楽、シューベルト、そしてショパンです。

 コンクールはスタート地点ですし、そもそも、たまたまその回に受けた若者のなかで賞をもらえたにすぎません。入賞したからといって自分がショパン弾きとして世界で認められたなどと言えるはずもなく、ここから勉強を続けなくてはけません。

 そこで40歳を過ぎたときにショパンとますます近しくなれている状態を目指して、今から全曲を勉強しておきたいと思いました。5年ほどかかるので、終わるころにはちょうど40歳。将来を見据えた大切なシリーズになります。相模湖のリラックスした雰囲気も好きなので、とても楽しみな企画です。

—— スタートの12月公演から、ショパンの歌曲という珍しいレパートリーを取り上げます。

 ショパンを弾くほど、彼を理解するうえで歌曲を知る必要があると思い、はじめに取り上げたいと思いました。ショパンは10代の頃から歌曲をたくさん書いています。

A few words about love …

 以前、ポーランド人のソプラノのアルドナ・バルツニクさんに誘われて、ポーランド歌曲の録音をしたことがあります。その時、ポーランド語の美しさに魅了され、ヨーロッパの中で最も表情が豊かな言語ではないかと思いました。子音のキャラクターがすごく多いのです。それで、ぜひネイティブの歌手の方とショパンの歌曲演奏してみたいと思うようになりました。

 本当はポーランド語を話せるようになりたいですが難しいので、せめて触れていようと、YouTubeでポーランド語を聞いたりすることもあります。

 シリーズではその後、ピアノ独奏曲はもちろん、室内楽や協奏曲の室内楽版も取り上げるつもりです。その時々で弾きたいものに丁寧に取り組みたいので、2回目以降の内容は順次発表していきます。

—— フォルテピアノの種類は、曲目によって選ぶのでしょうか?

 基本はタカギクラヴィアさんのプレイエルを使い、場合によって、エラールやショパンがワルシャワ時代に弾いていた楽器であるウィーン式の楽器などを登場させたいです。

 今回は、楽器よりはあくまでショパンが主役です。ショパン自身、パリでポーランド時代の曲を弾く時はプレイエルを使っていたのですから、必ずしも曲が書かれた年代の楽器に固執せず、フレキシブルに選んでいきます。

プレイエル 1843年製(タカギクラヴィア所蔵)

♪フォルテピアノは“玄米”のようなもの

—— ショパン国際ピリオド楽器コンクールでも、ショパン研究所が用意した複数のフォルテピアノからどれを選ぶかは重要なポイントだったと思います。川口さんもショパン若き日の協奏曲を弾くにあたって、ウィーン式のブッフホルツにするか迷い、結局プレイエルを選ばれたのでしたね。

 はい、古楽器は1台1台タッチが違うので、年代が10年遡るだけで一気にデリケートになることも多く、指の感覚を大きくシフトする必要があります。あの時はすごく迷いました。

—— そう言われると、現代の楽器はできるだけ均一になるように作られているのですから、ずいぶん味気ない気がしてきますね。

 それはピアノに限らず感じることですね。人間社会ではどの分野も、均一化、精密さを求める方向に変化してきたところがあります。

 モダンピアノとフォルテピアノを何かに例えるなら、紙でいえば、きれいで完璧なコピー用紙と手漉きの和紙、カメラでいえば、最新式のデジタルカメラと昔のフィルムカメラ、お米でいえば、精米された白米と玄米のようなイメージです。和紙の手触りや明治時代のカメラの色合いを楽しむような感覚で、フォルテピアノを聴いていただけたらと思います。

—— 作品との相性という意味では、“このカレーなら白米より玄米で食べたい”というような楽しみもありますね。

 そうですね! この曲にはこのフォルテピアノの音色が合う、現代ピアノならまた違った魅力があるというように。同じカレーでも日本米にするかインド米にするかで味わいが変わります。本当に、そういう身近な感覚で古楽も聴いてほしいんです。

 古楽の演奏会というと、お勉強会の感覚でいらっしゃる方も多くて、「全然詳しくないけど聴きに来てしまいました」みたいな感想を、本当によくいただくんですよ。そんなことを気にされる必要は全くありませんし、むしろまっさらな状態で聴くほうがおもしろいかもしれません。

 ちなみに最近僕、古楽器をやっているせいか、自然派とか有機栽培の食品がすごく好きになって、専門店を見つけるとつい入ってしまいます(笑)。

♪古楽の魅力を現代に伝えられる演奏家であり続けたい

—— とはいえフォルテピアノへの関心は、弾く側、聴く側ともに少しずつ高まっているように感じます。

 ショパン研究所の積極的な情報発信のおかげもあると思います。特に日本人はショパンが好きで、ショパンコンクールにも関心があります。今度の第2回のピリオド楽器コンクールは、日本からの応募が最多だそうです。ワルシャワ・フィルハーモニーホールの舞台に立てるチャンスということで挑戦する方もいるかもしれません。

 みんなが興味を持つものをシンボルにフォルテピアノの魅力を広く知ってもらえて、僕は嬉しく思っています。

—— そうすると逆に、特別な勉強をしないまま気軽にフォルテピアノを弾くピアニストも増えるように思いますが、それについては専門家としてどうお感じですか?

 それはそれで良いことだと思います。最初のきっかけはそれぞれで、そこから深く勉強する人もいれば、ショパンだけを弾く人もいるでしょう。実際、ロマン派の楽器はわりとモダンピアノに近いので、モダンピアノの優れたピアニストなら、すぐに慣れるところもあると思います。

 ただ、だからこそ、我々のように専門的に勉強している演奏家は、20世紀の楽器から遡るのではなく、18世紀の楽器からの変遷を把握し、いろいろな時代の楽器や演奏様式を網羅するというスタンスを見失わないでいたいと思います。ちょっとアカデミックな部分も強いかもしれないけれど、古楽の魅力を現代に伝えられる演奏家であり続けたいです。

 300年前のクリストフォリの楽器から、どうピアノが変遷してプレイエルになったのかを、頭と手の感覚で知ることで、プレイエルの特徴がより深く理解できるのは確かです。ショパンの音楽はフンメルの影響を受けていますし、テンポルバートはとてもモーツアルト的です。バッハを研究していたことも知られています。

 フォルテピアノで弾くショパンを深めたいなら、18世紀からの楽器を知ることは重要ではないでしょうか。

♪“ショパン”コンクールなのか、“古楽”コンクールなのか

—— コンクールについていえば、前回は、モダンピアノの審査員が古楽器の演奏スタイルにあまり詳しくないのではという問題が指摘されていました。今度の審査員の顔ぶれを見て、そのあたりはいかがでしょう。

 次回は古楽系の審査員が増えているので、前回よりは古楽コンクールらしい雰囲気になるのではないかと思います。 

 前回は僕自身、コンクールという場でモダンピアノの演奏家の評価も得なくてはいけないので、作戦を練りました。繰り返しの部分でも、1回目はモダンピアノのスタイルで、2回目は自由に古楽のスタイルで弾くという工夫をしました。

 実はあとで採点表を見たら、古楽系の審査員がわりと高い点数をつけてくれていたのに対して、モダンピアノのポーランドの審査員の点数が低めでした(笑)。その意味で、これが“ショパン”コンクールなのか、“古楽”コンクールなのかという点は、難しいところではあります。

2018年の第1回ピリオド楽器コンクールにて 写真提供:Narodowy Instytut Fryderyka Chopina

 ちなみにある古楽系の審査員からは、後日「君はシューマンのほうが合いそうだ。葬送ソナタなど表現が過激すぎる」と言われました。でも、僕はショパンってそういう狂気じみたところがある作曲家だと思うんです。例えば、ショパンがロンドンの演奏会で葬送ソナタを弾いたとき、楽章の間で、亡霊が見えたといって楽屋に引っ込んでしまい、気持ちを落ち着かせてから続きを弾いたというエピソードがあります。ジョルジュ・サンドが彼の神経質さに辟易していたという話もあります。おそらく体調のせいもあるでしょうけれど、それほど感覚過敏な人だったのです。むしろ「葬送ソナタが過激すぎる」と言われて、それが自分の意図したところだと思いました。

 審査員はさまざまな視点で演奏を聴かれたと思いますが、僕がコンクールに入賞できたのは、ショパン演奏以上に古楽器奏者としての部分が評価されたのだろうと、いま当時を振り返って思ったりします(笑)。それゆえにショパンを学ぶことへの意欲がさらに強くなりました。

自分の引き出しにあるものを使って即興的に演奏する

—— フォルテピアノを聴くうえで、知っておくべきこと、意識すべきことはありますか。

 一番は、弱音へのこだわりに目を向けることです。モダンピアノでは、大きなホールでいかにしっかり音が鳴らせるかが大切なスキルの一つですが、フォルテピアノではそこは重要ではありません。逆に耳を傾けてほしいのは、繊細な表現。先ほどの和紙の例えでいうなら、紙の繊維の毛羽立ちに目を向けるような感覚です。 

 そこに意識を向けた表現をする奏者は、古楽器を表現手段としてちゃんと活かそうとしていると言えるでしょう。

—— 19世紀前半の演奏スタイルとはどういうものだったのでしょうか。それを知るための教則本のようなものはありますか。

 フンメルの言葉やショパンの弟子の証言は参考にできますが、いずれもその人を通じての意見ですから、それだけが正解ではありません。ただ、「弟子から見たショパン」は参考になると思います。それらを読むことで、表現の引き出しが増えていきます。

 18、19世紀の音楽の一つの重要なエレメントは、即興性です。例えばモーツァルトのヴァイオリン・ソナタの中には、ピアノパートの楽譜が完成しないまま即興演奏で初演されたものもあったそうです。ショパンも、マズルカなどは毎回違うように弾いていたとも言われます。

 大切なのは、当時の人の気持ちになって、自分の引き出しにあるものを使って即興的に演奏していくことです。

—— フォルテピアノの演奏では、音を足したり少し変えたりすることがありますね。

 そうですね、ただ作曲家によるところもあって、例えばシューマンはそういうことを好まなかった可能性も考えられそうです。ショパンについては、サロン風の音楽は音を足すなど即興的な演奏が良いですが、バラードや幻想ポロネーズのような作品だと、むやみに音を足すことは避けた方が良いと思います。

 いずれにしても何か足せばいいということはなく、本来の音楽を台無しにすることのない、センスのいい即興でなくてはいけません。

—— 最後に、今回出場するコンテスタントの中で川口さんが注目している方を教えてください。

 ロシア人の ヴィアチェスラフ・シェレポフ Viacheslav Shelepov さんは、ブルージュの古楽コンクールで僕と一緒に最高位だった方です。アカデミックなおもしろい表現の引き出しがたくさんあり、自分の世界を持っているとてもいい演奏家です。あと、イタリアのルドヴィカ・ヴィンチェンティ Ludovica Vincenti さんは、第3回ローマ・フォルテピアノ国際コンクールでも優勝され(シェレポフさんも一緒に優勝)、古楽器に親しまれています。

 日本人の出場者については、皆さんを応援したい気持ちです! 何人か知ってる方もいますし、それぞれに想いがあるはずなので、みんなにファイナルに行ってほしいと思ってしまいますね。

取材・文:高坂はる香

【Information】
◎第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクール
International Competition on Period Instruments

2023.10/5(木)~10/15(日) ワルシャワ・フィルハーモニー

開会記念コンサート
10/5(木)19:00 ワルシャワ・フィルハーモニー
出演:
川口成彦*、トマシュ・リッテル**、マルタ・アルゲリッチ*** ブルース・リウ****(以上フォルテピアノ)
ヴァーツラフ・ルクス(指揮){oh!} オルキェストラ・ヒストリチナ、ポドラシェ歌劇場フィルハーモニー合唱団

♪藤倉大:Bridging Realms(世界初演)*
♪ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37 **
♪ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 op.15 ***
♪ベートーヴェン:合唱幻想曲 ハ短調 op.80****

◎川口成彦 ショパン全曲演奏会 in 相模湖 ~19世紀のフォルテピアノのリサイタル~
vol.1
 2023.12/23(土)
vol.2 12/24(日)
各日14:00 神奈川/相模湖交流センター


出演:川口成彦(フォルテピアノ)、アルドナ・バルツニク*(ソプラノ)   *23日のみ出演

vol.1
♪清らかな女神よ (ベッリーニの作品の編曲)
♪春
♪子守唄 op.57
♪4つのマズルカ op.17
♪ポロネーズ第15番 遺作
♪夜想曲第21番 ハ短調 遺作
♪華麗なる大円舞曲 op.18
♪歌曲 全20曲

vol.2
♪4つのマズルカ op.6
♪2つの夜想曲 op.48
♪アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ
♪バラード第1番 op.23
♪スケルツォ第1番 op.20
♪5つのマズルカ op.7
♪ラ・チ・ダレム変奏曲 op.2

問:神奈川県立相模湖交流センター 042-682-6121
https://sagamiko-kouryu.jp/event/1175/

連載:川口成彦のフォルテピアノ・オデッセイ
第1回 ワルシャワ時代のショパンが所有したピアノの復活
第2回 オマーンにモーツァルトの時代のピアノ上陸
第3回 ベートーヴェンの真の生誕地と噂される街のピアノ博物館の危機
第4回 古都ブルージュの国際古楽コンクール
第5回 ヴェルバニアでロマン派に想いを馳せて
第6回 アムステルダム・運河の街のエラール
第7回 ソウルのソさんを訪ねて