オマーンにモーツァルトの時代のピアノ上陸 | 川口成彦のフォルテピアノ・オデッセイ 第2回

2018年、第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで見事第2位に入賞し、一躍脚光を浴びた川口成彦さん。現在、アムステルダムを拠点に演奏活動をおこなう傍ら、世界中の貴重なフォルテピアノを探し求めて、さまざまな場所を訪ね歩いています。この連載では、そんな今もっとも注目を集める若きフォルテピアノ奏者による、ほかでは読めないフレッシュな情報満載のレポートを大公開します!

第2回 オマーンにモーツァルトの時代のピアノ上陸
〜音楽のさらなるグローバル化の予感〜

text & photos:川⼝成彦

アラビア半島のオマーンのスルタン(国王)はどうやら西洋芸術音楽を大変愛しているようです。首都マスカットにはRoyal Opera House Muscat(ROHM)という豪華絢爛なオペラハウスがありますが、なんと今年1月にRoyal Opera: House of Musical Arts(ROHMA)という新しい劇場施設が華々しくオープンしました。マスカットは2017年のデータによると人口170万人の大都市ですが、電車も通っておらず、他の街からのアクセスも良いわけではありません。一体この劇場で開かれる公演にどれほどの人が足を運ぶのだろうか、と思いを巡らせましたが、マスカットに建てられたこの劇場は、人々にとって「非日常」としてうまく機能して多くの人の憩いの場となっているのかもしれません。

Royal Opera House Muscat(ROHM)外観
ROHMの黄金の劇場
新設されたROHMAの木造の劇場

さて、そのROHMAのオープンを記念して、なんとロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が制作に携わったオペラにまつわるエキシビション“Opera 400 Years of Passion”が館内で行われました。そして、そこに展示としてヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)の時代のピアノがヨーロッパからやってきたのです。楽器はシュタインの復元楽器で、前回紹介したショパンがワルシャワ時代に所有したブッフホルツを復元したポール・マクナルティ氏によるものでした。ROHMAの関係者は「フォルテピアノがオマーンに上陸したのは初めてかもしれません」と非常にわくわくした表情をされていました。そして、私はこのエキシビションのオープニングでのシュタインの演奏を今回任されたのでした。

ヨハン・アンドレアス・シュタイン(Johann Andreas Stein, 1728-1792)は、モーツァルトの父レオポルド(Leopold Mozart, 1719-1787)の生まれ故郷アウグスブルクで活躍したピアノ製作家です。そして1777年にモーツァルトはアウグスブルクを訪れており、そこでシュタインのピアノを知ることになりました。シュタインは、前回ご紹介したブッフホルツに見られたウィーン式アクション(跳ね上げ式ハンマーアクション)の元祖とも言えるピアノ製作家で、モーツァルトはシュタインのピアノに大変感銘を受け、父に楽器を大絶賛する手紙を残しています。写真のようにシュタインにはペダルが付いていないように見えますが、実は鍵盤の下のちょうど膝が当てられる部分にダンパーを解放する膝レバー(右)とモデレーターのための膝レバー(左)が付いています。こういったものは18世紀後期のウィーン式のピアノにはよく見られるものでした。
※モデレーターに関しては第1回をご参照ください。

シュタイン(ポール・マクナルティ氏による復元楽器)

「そろそろ王室の皆様がいらっしゃいます。《トルコ行進曲》をよろしくお願いしますよ!」
今回この楽器の音色を一番最初に聴くのは王室の方々(スルタン御本人はいらっしゃれず)ということで、ドキドキしながら皆様のご来場を待ちました。エキシビション関係者は、《トルコ行進曲》がこのシュタインで最初に奏でられることに大変こだわっていました。オマーンの人々にとって、彼らと比較的近い文化圏のトルコ趣味をモーツァルトが作品に取り入れたことは、やはり嬉しいのかもしれません。そしてついに王室の方々がいらっしゃり、モーツァルトの時代の楽器の音色で奏でられる《トルコ行進曲》が会場に産声をあげました。そして「なんと、まぁ!」と楽器の音色に非常に驚かれている様子に、私は微笑まずにはいられませんでした(エキシビション内だったので近い距離で聴いていただきました)。王室の方々の後にも多くの方にシュタインの音色をお楽しみいただきましたが、皆様やはり初めて耳にする昔のピアノの音色に大変興味を持たれていました。在オマーン日本国大使館の方もいらして下さいました。

さて、今回シュタインの調律はマスカットの現地の方がやって下さったのですが、彼がオマーンの民族衣裳(オマーン特有の帽子と白い礼服)に身を包んでおり、その調律の光景は大変興味深いものでした。その写真は残念ながら撮り忘れてしまいましたが…。モーツァルトが見たらきっとびっくりだったことでしょう。しかし、そんなことを言ったらアジアの人間が西洋の楽器を弾いていることも、モーツァルトは面白いと思うかもしれませんね。そしてジョセフ・アントニオ・エミディー(Joseph Antonio Emidy, 1775 -1835)の存在も思い出したりしました。彼はアフリカのギニア出身で、黒人奴隷としてポルトガルの商人に売り渡され、ブラジルやポルトガルに連れていかれる中でヴァイオリニストとしての才能を開花させ、後にイングランドのコーンウォールでヴァイオリニストおよび作曲家として活躍した人物です。非ヨーロッパ文化圏の人間が西洋芸術に関わる様子は、文化を通り越してふと世界が繋がっている瞬間を感じさせます。現代ではそれはありふれた光景ですが、このたびのフォルテピアノのオマーン上陸は個人的に衝撃的であり、音楽のさらなるグローバル化を予感させました。

マトラスーク(市場)

マスカットはオペラハウスの他にも沢山の魅力に溢れる街でした。美しいアラビアの海、商人で賑わうマトラスーク。違う惑星の建築のような王宮。治安も良く食べ物も美味しいオマーンは、旅行にもおすすめです。

かわいらしい外観の王宮