[ワルシャワ現地レポート]「ショパンと彼のヨーロッパ」国際音楽祭

“NOT FOR THE FIRST TIME! ”

 夏のワルシャワ恒例の風物詩「ショパンと彼のヨーロッパ」国際音楽祭 International Chopin and His Europe Festival が、今年も開催されました。イーヴォ・ポゴレリチやピョートル・アンデルシェフスキ、ユリアンナ・アヴデーエワ、ブルース・リウなど、この街ならではとも言うべき豪華な出演者たちが登場するのも、このフェスティバルの魅力。また、ショパンのピアノ協奏曲のギター・トランスクリプションという珍しい企画も!
 期間中、現地に滞在していた、ショパン研究でも知られる多田純一さん(音楽学)が、盛り上がる会場の様子をリポートしてくれました。
ワルシャワ旧市街 ©︎ Junichi Tada

 ポーランド国立フリデリク・ショパン研究所(NIFC)が主催する第19回「ショパンと彼のヨーロッパ」国際音楽祭が8月18日から9月1日までの2週間にわたって開催された。35度を超える暑い真夏に始まるため、少し外を歩くと汗だくになってしまう。今年は “NOT FOR THE FIRST TIME! ” (初めてではない!)というサブタイトルが付され、計23公演、数々の名演が繰り広げられた。

 前夜祭にあたる8月18日のスペシャル・コンサートは、昨年と同様、聖十字架教会にてファビオ・ビオンディによるヴァイオリン・ソロ・コンサート。このコンサートはチケットなしの無料であるため、よい席を押さえるために、早い時間から教会に聴衆が集っていた。昨年は「ロシア全体主義の犠牲者に捧ぐ」と題されたが、今年のタイトルはシンプルに「ショパンの心臓の前で」。バロック・ヴァイオリン奏者であるビオンディのリサイタルは、ビーバー、テレマンなど全曲バロック作品で構成され、平和を祈るように奏でられた。教会に来たら偶然コンサートが行われていた、という様子で周囲を見まわしながら最前列に座った方も、優しく受け入れていた。そういう懐の広さもポーランドの良さ。

Fabio Biondi

 フェスティバル初日の19日はこのフェスティバルのメイン会場であるフィルハーモニー・ホールにて、バーゼル室内管弦楽団によるシンフォニック・コンサート。他の日と違ってタキシードやイブニングドレスの聴衆も多く、この音楽祭の始まりを祝うムードに溢れていた。前半はウィリアム・スタンデール・ベネットの序曲「水の精」op.15とショパンのピアノ協奏曲第2番、後半はトーマス・アデス「シャンティ – オーバー・ザ・シー」とメンデルスゾーンの交響曲第1番。現代を代表する作曲家であるアデスの作品を挟んでくるところに、演奏機会の少ない名曲を紹介する役割を担うフェスティバルのコンセプトが表れている。ショパンのピアノ協奏曲ではイーヴォ・ポゴレリチが登場。主題が現れると常に強烈なインパクトを伴った音を解き放つ。ヒューゴ・ティチアーティ(ロビンの兄)がコンサートマスターと指揮者を同時につとめたが、ポゴレリチのテンポが繊細に変化するため、時にはヴァイオリンを弾く手を止め、指揮に専念したほど。ポゴレリチの斬新さ溢れる演奏に、聴衆は熱い拍手を贈った。

Ivo Pogorelich, Hugo Ticciati & Kammerorchester Basel

 22日は、同じショパンのピアノ協奏曲第2番が、(なんと!)ギター用にトランスクリプションされたヴァージョンでオーケストラとの共演として世界初演された。トランスクリプションを手がけたギタリスト、イェジー・ケーニッヒは、YouTube で彼自身の演奏を公開している。彼によると、この映像を撮影するにあたり、EastWest Virtual Instruments というソフトを利用し、自身の演奏に合わせて、指揮者のようにオーケストラのスコアを打ち込んだという。では、実際に大ホールで演奏するとどのような響きになるのか。演奏はポーランドを代表するピリオド楽器集団、{oh!}オルキェストラ・ヒストリチナと2019年第2回ユーロ・ストリングス国際コンクールで優勝したギタリスト、マテウシュ・コヴァルスキの共演。オーケストラは前奏やトゥッティではほぼ通常の音量だが、ギター・ソロが入ると極めて小さな音で対応した。ほぼ静寂に近い状況の中で語り続けるギターに聴衆は耳を傾ける。癒しと緊張の狭間を過ごす不思議な空間。ショパンのピアノ協奏曲の演奏において、新たな時代の到来を告げる歴史的な瞬間を味わった。演奏後「不思議な雰囲気だったよね」と来場者たちが感想を言い合う様子が印象的だった。

Mateusz Kowalski & {oh!} Orkiestra

 25日は、ダン・タイ・ソンブルース・リウによるモーツァルトの2台のピアノのための協奏曲 K.365の師弟共演に加えて、ルーカス・ゲニューシャスがハイドンのピアノ協奏曲第11番 Hob. XVIII:11を演奏するという、ショパン・コンクールが開催されるポーランドでこそ実現可能なコンサート。チケットはもちろん即完売。このコンサートのために、ドイツやオーストリアなど、近隣の国から駆け付けた聴衆も多く、日本人も突然増えた。共演はマレク・モシ指揮ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ。リウのスピーディーで溌剌とした音楽を、ダンが懐広く受け止めるという姿勢が特徴的。時にはダンが主導し、それにリウが合わせるという場面も見られ、信頼関係の深さがうかがえた。

Bruce Liu, Dang Thai Son, Marek Moś & London Mozart Players

 休憩を挟み、何のプレッシャーを感じさせることなく、ゲニューシャスは確固たる信念で場の雰囲気を切り替えた。オーケストラとのユニゾンも完璧に合わせられ、互いに高い集中力が保たれている。速いパッセージでは実にリズム感よく展開。コンサートの後のサイン会では長い行列ができていた。

Lukas Geniušas

 27日はピョートル・アンデルシェフスキによるピアノ・リサイタル。日本でも安定した人気を保っているが、ポーランドでも同様。「完璧主義者」と評されるアンデルシェフスキは人々の心を揺さぶるように、極めてアグレッシヴに演奏。J.S.バッハのパルティータ第6番 BWV 830では、1曲目「トッカータ」の冒頭から大胆なアルペジオが奏され、太い線で明瞭に旋律を描く。フーガでも、装飾音の入れ方に抜群のセンスが感じられる。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番 op.110 では美しく内省的な音で第1楽章のアルペジオを綴る。ユニゾンの箇所などでほどよいルバートをかけつつ、彼独自の美学を提示。第3楽章のレティタティーヴォは、つぶやくように奏され、「嘆きの歌」ではテンポをひじょうに遅く設定した。フーガでは明瞭な動機が示され、ゴージャスに締めくくった。もちろん、総スタンディングオベーションを勝ち取った。

Piotr Anderszewski

 第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールの優勝者、トマシュ・リッテルは、21日のフォルテピアノ・リサイタル、29日のコンソーネ・カルテットとの共演による室内楽コンサートで演奏。使用された楽器はいずれも1848年製のプレイエル。会場はピリオド楽器の音が活きるポーランド・ラジオ放送局のホール。地下鉄かトラムに乗る必要があること、演奏会の時間が17時からであることなどから、本当のファンのみが訪れる場所。リッテルは楽器の響きのもっとも美しい音を探しあてると共に、即興的な要素をふんだんに取り入れる。室内楽版のピアノ協奏曲第2番 op.21でも、ピリオド・カルテットが奏でる広がりのある音と、豊かな知性と感性を兼ね備えた彼の演奏が素晴らしくマッチしていた。

Tomasz Ritter ©︎ Junichi Tada

 29日の終演後、ショパンの作品への即興的な表現をどのようにして思いつくのかを質問したところ、常に自筆譜や初版を参考にし、時にはウェブサイトThe Online Chopin Variorum Edition(OCVE)も駆使して、何度も再考を重ねると言う。日本のファンにメッセージをお願いしたところ「来年3月に川口成彦さんとユリアンナ・アヴデーエワさん、18世紀オーケストラと共演します。前回の日本ツアーはとても刺激的で、コンサートが終わるたびに、みなさんの音楽そのものに対する多くの関心と興味を感じました。そのような音楽への接し方を目の当たりにして、とても嬉しく思いました。3月に皆さんとまたお会いできることを願っています」と語ってくれた。

 最終日はワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団との共演で、ユリアンナ・アヴデーエワがブラームスのピアノ協奏曲第1番を圧倒的な迫力で演奏。第3楽章のカデンツァでは彼女のオリジナルによるヴァージョンを披露した。イザベラ・マトゥワがソプラノを務めたヘンリク・グレツキの交響曲第3番「悲歌の交響曲」は静謐かつ祈るように演奏された。聴衆は惜しみなく「ブラボー」で応え、フェスティバルは終わりを告げるとともに、季節は心地良い風が吹く秋に変化した。

Yulianna Avdeeva

取材・文:多田純一
写真:Wojciech Grzędziński/NIFC

19th International Chopin and His Europe Festival
https://festiwal.nifc.pl/en

多田純一
大阪芸術大学大学院芸術研究科博士後期課程修了、博士号(芸術文化学)を取得。音楽学を芹澤尚子、前川陽郁、ピアノを藤井美津子、安部ありか、前田則子の各氏に師事。著書『日本人とショパン 洋楽導入期のピアノ音楽』(アルテスパブリッシング)、共著『「バイエル」原典探訪 知られざる自筆譜・初版譜の諸相』(音楽之友社)、CD『我が国最初の「ショパン弾き」澤田柳吉の世界~作品篇・演奏篇~』(監修および演奏、解説・ミッテンヴァルト)のほか、2023年には新刊『澤田柳吉 日本初のショパン弾き』(春秋社)および新譜CD『澤田柳吉の芸術 ピアノロール & SPレコード 日本録音集』(監修および解説・サクラフォン)を出版。現在、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター客員研究員。