ヴェルバニアでロマン派に想いを馳せて | 川口成彦のフォルテピアノ・オデッセイ 第5回

2018年、第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで見事第2位に入賞し、一躍脚光を浴びた川口成彦さん。現在、アムステルダムを拠点に演奏活動をおこなう傍ら、世界中の貴重なフォルテピアノを探し求めて、さまざまな場所を訪ね歩いています。この連載では、そんな今もっとも注目を集める若きフォルテピアノ奏者による、ほかでは読めないフレッシュな情報満載のレポートを大公開します!


第5回 ヴェルバニアでロマン派に想いを馳せて
   〜湖畔のピアノたち〜

text & photos:川⼝成彦

スイスとイタリアの国境地帯には美しい湖水地方が広がっています。コモ湖、ルガーノ湖、マッジョーレ湖が代表的な湖で、アルプスの氷河から作られたそれらの湖一帯は美しい山々を臨む北イタリアのリゾート地としても知られています。イタリアで2番目に大きい湖であるマッジョーレ湖はミラノ中央駅から1時間ほど電車に揺られていると車窓に現れます。特にベッラ島、マードレ島、ペスカトーリ島から成るボッロメオ諸島が見えた時はその美しさにため息が出ます。ボッロメオ宮殿などボッロメオ家による美しいバロック建築が湖に浮かぶ車窓が見え始めると、歴史ある音楽祭でも知られるストレーザの街に着きます。そして、ストレーザの駅を過ぎてもう少し車窓を楽しんでいると、かつて指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)が別荘を持っていたヴェルバニアに到着します。この街にはロマン派の時代のフランス製ピアノを中心に修復活動を行なっているピエール・パオロ・ダットリーノの素晴らしいコレクションがあり、彼の楽器を使用した「ロマン派の夜(Les Nuis Romantiques)」という音楽祭のようなものが、2016年より毎年開催されています。

マッジョーレ湖に臨むヴェルバニアの街
トスカニーニの別荘

私はヴェルバニアを訪れるのは今年で3回目だったのですが、ダットリーノ氏のコレクションの楽器に会いに行くのが毎度の楽しみとなっています。今回再び訪れて改めて惚れ惚れしたのは1845年にマルセイユで製造されたボワスロ Boisselotです。ボワスロはプレイエルPleyelやエラールErardといったパリのピアノメーカーとともに19世紀のフランスを代表するメーカーで、1831年にジャン=ルイ・ボワスロとその息子たちによってマルセイユに設立されました。ピアノの歴史においては1844年のフランスの産業博覧会で、今日「ソステヌート・ペダル」として知られるペダルを発表したことで重要な役割を果たしました。ソステヌート・ペダルは奏者が意図した特定の音だけを離鍵後も保持するためのペダルで、現代のグランドピアノでもコンサート用の楽器には付いているものが多いでしょう。私自身はパーシー・グレインジャー(1882-1961)がピアノ独奏用に編曲したフォーレの「夢のあとに」を遊びで弾いた時にソステヌート・ペダルの素晴らしい効果に感動しました。この作品ではバスの音の保持でソステヌート・ペダルが大活躍し、まるで足ペダル付きのオルガンでも弾いているような感覚になるので、「ソステヌート・ペダルってすごい!!」とわくわくしました。ヴァルバニアにあるボワスロには残念ながらソステヌート・ペダルが付いていませんが、それとは別に室内楽用の譜面台に驚かされます。ピアノを囲んでアンサンブルを楽しんでいる19世紀のサロンの音楽家たちが目に浮かんできます。

ボワスロ 1845年
ボワスロのネームプレート

ボワスロと親密な関係を築いた作曲家にフランツ・リスト (1811-1886)がいます。彼は1848年に宮廷楽長として招かれたドイツのヴァイマルにてボワスロの楽器を自宅に置いていましたが、その楽器は1847年にウクライナのキエフとオデッサへの演奏旅行の際にボワスロから送られて使用したものでした。

さて、今回ヴェルバニアでの演奏会では修復されたばかりの1842年のプレイエルを弾きました。このプレイエルはかつてショパンやロッシーニも弾いたことがあると言われているもので、この貴重な楽器の修復後のお披露目ということで演奏できて大変光栄でした。ショパンは祖国ポーランドを離れた後、フランスでプレイエル社と大変親密な関係を築きました。ショパンは「体調が優れない時はプレイエルではなく(すぐに完成した音が出る)エラールを弾く」や「自分だけの音が出したい時はプレイエルを使う」といったような言葉を残しています。つまりプレイエルは「すぐに完成」とは思えないほど音色への探求を駆り立てる楽器であり、万全の状態でなければ弾けないほど音色のためのコントロールも難しいということでしょうか。まさにプレイエルはそのような楽器で、繊細ゆえに演奏に神経を使いますが、表現の可能性が果てしない楽器だと感じます。嗅覚を唆られる音色と言うか、天から舞い降りる瑞々しい音色と言うか、プレイエルの音色は大変魅惑的です。しかし、今日現存するオリジナルのプレイエルは楽器ごとにまるで別物と感じるほど音色が大きく異なっているように見受けられます。ちょっとしたコンディションの違いが音色に大きく影響を与えるほどプレイエルはデリケートなのでしょう。それゆえプレイエルに特別な思い入れがある修復家は「真のプレイエルの音色」への強いこだわりや情熱を持っており、ダットリーノ氏も「あのプレイエルこそまさにプレイエルだ!」とエスプレッソを飲みながら熱く語って下さいました。

ショパンも弾いたという1842年のプレイエル
終演後。右列奥がダットリーノ⽒
右列3⼈⽬はコスタンティーノ・マストロプリミアーノ⽒(⾳楽祭監修者、ピアニスト)

演奏会の翌日は船でボッロメオ諸島を訪れました。特にベッラ島のボッロメオ宮殿の華やかさには驚かされました。白い孔雀がのんびり過ごしている美しい庭園。大理石を貝殻や石で装飾したグロッタ(人口洞窟)。そしてチェンバロが美しく佇む音楽の間などなど。音楽の間には2台のフォルテピアノがあるのですが、今回は残念ながら遠くから見つめることしかできませんでした。将来またゆっくり楽器を見に来られたらなと願っています。ところで後日「グロッタ」が「グロテスク」の語源であることを知りました。ボッロメオ宮殿のグロッタはまさにグロテスクでした。

白い孔雀がいるボッロメオ宮殿の庭園
宮殿の音楽の間
グロッタ
グロッタの天井