“今”だからこそ痛切に響きわたる「反戦三部作」
お国が始めた戦争によって周囲の多くの人が落命し、自らも命を捧げることを求められたのが昭和一桁世代。昭和8年(1933年)生まれの三善晃もそんな少年期を過ごした。
戦後、東京大学文学部仏文科を卒業した後、パリに学んだ三善は、管弦楽曲、ピアノ曲、合唱曲、電子音楽…どんな編成でも完璧なドラマを織り、一躍スターになる。
ところがそんな端正で瀟洒な芸術家というイメージを一気に吹き飛ばしてしまったのが、「レクイエム」(1972)である。特攻隊の青年の言葉を絶叫する合唱が、オーケストラの激しい咆哮にかき消される。生々しい殺し合いの場を思い起こさせる音の濁流。生き延びた自分と死者を分けたものは何なのか——そんな不条理が三善の華奢な体の中にマグマのように溜まっていたことに、初演当時、誰もが驚いたという。
その後、三善は詩人・宗左近の言葉を得て、冥界へと音のアンテナを広げていく。二作目「詩篇」(1979)は「花いちもんめ」のメロディーで閉じられるが、それは次の「響紋」(1984)で「かごめかごめ」へと変容し、死者の声を代弁するがごとくに、児童合唱が「うしろのしょうめん、だあれ」と締めくくる。
山田和樹は以前、東京混声合唱団と2台ピアノリダクション版「レクイエム」を演奏したが、今回は満を持してのオリジナル版「反戦三部作」一挙上演だ。しかもこのプランはもともと2020年に予定されていた。それがコロナで延期になり、ウクライナ侵攻が始まって、三善生誕90年&没後10年にあたる今年へと持ち越された。巡り合わせを感じずにはいられない。
文:江藤光紀
(ぶらあぼ2023年5月号より)
本公演に寄せて
マエストロのコメント(公演チラシより)
ある夕べ、真っ赤な見事な夕焼けを前に、三善先生はまったく身動きがとれなくなってしまい、そこに1時間以上佇んでいたという話を聞いたことがある。
現代の平和な、明日またその太陽を見られることを疑わないような時代とはまったく違う状況を生き抜いた人にしか分からない感覚があるのだと思う。
無論、三善先生ご本人には「生き抜いた」というよりも「生き抜いてしまった」、もっと言えば「生き抜くために多くの人を犠牲にしてしまった」という罪にも似たような意識があったのではないかと推察される。
そのような複雑な思いが、この三部作には凝縮されている。
三部作は『レクイエム』から始まるが、そこでは指揮者はまったくバランスを制御することが出来ない。人間の声は、器楽の音に圧倒され負けてしまう。合唱という集団になったとしても、その声がかき消されてしまうのだ。まったくもって容赦のない壮絶極まりない音楽。
三善先生との初対面は、自分が指揮する『レクイエム』の演奏会の開演前であった。まったく面識がないにも関わらず、先生は「信じてますから」とお声をかけて下さった。信じる力、それはすべての音楽を圧倒する。命がけの本番を終え、先生の手をとったとき、言葉を発することは出来なかった。ただ、先生の頰に一筋の涙がつたっていたのを僕は生涯忘れることはないだろう。
信じる力をもってして、この三善三部作に全身全霊、命がけで臨もうと思う。
山田和樹
第975回 定期演奏会Aシリーズ 【三善晃生誕90年/没後10年記念:反戦三部作】
2023.5/12(金)19:00 東京文化会館
問:都響ガイド0570-056-057
https://www.tmso.or.jp