【生誕100年記念特集】
知られざるジェルジ・リゲティの世界

独自のスタイルを磨き続けた20世紀を代表する作曲家

2023年はジェルジ・リゲティ(1923-2006)の生誕100年です。作品を聴く機会も増えるアニバーサリーイヤーは、その独創的な世界観に触れるチャンス。政治的に困難な時代を生き、作曲技法や様式を超えて新たな創造の可能性を模索し続けたリゲティ。この記事ではハンブルク音楽大学で彼のもとに学んだ作曲家のたかの舞俐さんに、その生涯と作品についてわかりやすく解説していただきました。
György Ligeti (c)H.J. Kropp

文:たかの舞俐

 2023年は現代音楽の巨匠、ジェルジ・リゲティの生誕100年にあたります。
 ユダヤ系ハンガリー人だったリゲティの家族は、その多くがナチスの犠牲となって亡くなり、またリゲティ自身も何度も死に直面しました。このことはリゲティの生涯大きな心の傷と生き残ったことへの負い目をもたらしました。作曲家として活動を始めたころの作品として、木管五重奏のための「6つのバガテル」(1953)があります。バルトークやストラヴィンスキーの影響が色濃い「先史時代のリゲティ」(本人談)の作品ですが、3曲目については「オーケストレーションの面でも独創的だった」とも述べています。伝統的なオーケストレーションではフルートはオーボエより1オクターブ上を演奏するものですが、この曲ではオーボエの1オクターブ下をフルートが吹いて新しい音色が現れています。さらに音楽性豊かな明るい旋律が随所で聴かれますが、当時のハンガリーでは「短2度や半音音階が多すぎる」との理由で全6曲の演奏は不可能でした。

 ハンガリー動乱の起きた1956年、リゲティはウィーンへ亡命しました。銃撃を避けるためにハンガリーとオーストリアの国境に広がる湿地帯を四つん這いになって進んだといいます。
 当時の生活はリゲティによれば、「お金がなくて1日酢漬けの魚一瓶で我慢することもあった。しかしオーケストラや放送局が現代音楽を積極的に取り上げた時代」でした。リゲティは「アパリシオン」「アトモスフェール」「アヴァンチュール」「新アヴァンチュール」「ルクス・エテルナ」「ロンターノ」といった作品を発表、現代音楽の主要な作曲家の一人として高く評価されました。
 リゲティは常に「新しいこと」を求め、新しい作風を模索してやみませんでした。1976年に作曲された2台ピアノ曲「記念碑・自画像・運動」の2曲目について、「1972年に初めてライリーとライヒの音楽を聴いて感激した。互いに地理的に離れていながら似たようなアイディアを持っていた」と述べています。冒頭、ピアニストはいくつかの鍵盤を無音で押さえ、その鍵盤を含む素早いパッセージを弾いていきます。こうすることで「幻覚的な動き」が現れます。私はこの作品をリゲティの65歳記念コンサートで演奏しました。自分が弾いているパッセージで聴こえない音がある上に、押さえている鍵盤から響く倍音の効果が加わり、さらにもう1台のピアノから聴こえてくる音を認識しながら演奏しなければなりません。特別な緊張感を体験したものでした。

 1986年、私はハンブルク音楽大学のリゲティの作曲クラスで勉強を開始しました。当時のリゲティはやはり新たな作風を模索中で、なかなか作曲できない時期もありましたが、やがて「ピアノ協奏曲」(1985-88)、「ピアノのためのエチュード第1集」(1985)を完成、新境地を確立しました。
 「ピアノ協奏曲」について、リゲティは「1982年頃からアフリカ民族音楽をよく聴くようになり、後にその音楽の技法について書物を多く読んで視野が広がった。しかし、この作品は決して民族音楽的というわけでなく、作曲技法的においてのみ民族音楽から影響を受けている」と書いています。例えば、「ピアノ協奏曲」のピアノソロパートの冒頭は8分の12拍子ですが、リズム的なフレーズは8分音符12個分ではなくて11個分です。フレーズ感が8分音符1つ分、前にずれることになりますが、次のフレーズの長さは8分音符13個分で、合わせて2小節分となります。中央アフリカの民族音楽では、リズム的フレーズが前半はマイナス1拍、後半はプラス1拍で構成されている場合がとても多いのです。

 作曲技法を思索するとき、リゲティはよくウォークマンを手に家の近所を散歩していました。私と夫はリゲティの住まいのすぐ近くに住んでいたこともあり、ある日エルベ川の橋の上で普段着のままぼんやりとたたずんでいるリゲティに会ったこともありました。正装したリゲティはそのオーラとチャーミングな物腰がとても魅力的でしたが、普段はコーデュロイのズボンが気に入っていたようでした。作曲の合同授業はリゲティの家で行われていましたが、トイレから浴室につながるドアにいつもコーデュロイのズボンがかかっていたことを思い出します。

エルベ川にかかる橋
筆者と普段着のリゲティ

 2002年以降、リゲティは次第に作曲ができない体調となっていきました。作曲活動の場でもあったハンブルクの住居を引き払ってウィーンの自宅へ戻り、やがてほとんど誰とも会わないようになりました。
 「ハンブルク協奏曲」(独奏ホルンと4本のナチュラル・ホルンのための)(1998-2002)では、響きの層はそれまでの作品のように多声的で複雑な構造というより、薄く研ぎ澄まされたものとなり、さまざまな倍音の響きの結合体が不思議な音色の流れの中で柔らかく鳴り響きます。それは常に新たなものを求め続け、「職人仕事」から生まれる良質な音楽の創作に専念した作曲家のいきついた世界を表しています。リゲティは2006年6月12日、最愛の息子ルカスに見守られてその生涯を終えました。

たかの舞俐 Mari Takano
 桐朋学園大学作曲科卒業後、国立フライブルク音楽大学大学院にてブライアン・ファーニホウ教授に、ハンブルク音楽大学大学院でジェルジ・リゲティ教授に作曲を師事、修士修了。日本音楽コンクール、入野賞、シュトゥットガルト州作曲賞など数々の賞を受賞。師リゲティとの出会いにより、独自のオリジナリティを備えた作風を発展させ確立。ハンブルク州文化庁、在日アメリカ大使館、神奈川文化財団などから作品の委嘱を受け、作品はミュージック・フロム・ジャパン・フェスティバルなど国内外で演奏されている。文化庁特別派遣研修員としてノースウェスタン大学(アメリカ)に客員作曲家として滞在。
 2002年にファースト作品集『Women’s Paradise』を、2012年1月にセカンド作品集『LigAlien』をスウェーデンのBIS社よりリリース。後者はアメリカCD雑誌『Fanfare』でその年のべスト5に選ばれ、2018年にはBBC Radio3で同CD収録の「Flute concerto」が放送された。2022年3月、最新アルバム『In a Different Way』(フォンテック社)をリリース。
 今までにルーズヴェルト大学、ニューヨーク大学、デュッセルドルフ大学、マンハイム音楽大学に招聘され、特別講義を行う。元フェリス女学院大学准教授。現在、桐朋学園芸術短期大学、文教大学講師。
http://www.maritakano.com

編集部おすすめ リゲティ作品の公演情報

ジェルジ・リゲティ生誕100年記念レクチャー&コンサート
〈戦争と動乱を生き抜いた作曲家のメッセージを次世代へ〉
2023.9/24(日)17:00 両国門天ホール

【第1部】レクチャー「リゲティ 作曲クラス・障害・作風の変移」
司会:高久暁
パネリスト:たかの舞俐、古川聖
ゲストパネリスト:フベルトス・ドライヤー
【第2部】コンサート
演奏:フベルトス・ドライヤー
曲目/
リゲティ:ピアノのための練習曲 Etudes pour piano第5番~第7番
たかの舞俐:イノセント Innocent 他
問:03-5373-2578 maricathd@nifty.com
http://www.maritakano.com


愛知室内オーケストラ 第65回 B定期演奏会
東混シリーズ 第3回
2023.11/16(木)18:45 三井住友海上しらかわホール

出演/
指揮:鈴木優人
ホルン:福川伸陽
東京混声合唱団
曲目/
リゲティ:ルクス・エテルナ
リゲティ:ハンブルク協奏曲 他
問:愛知室内オーケストラ052-211-9895
https://www.ac-orchestra.com


読売日本交響楽団 第633回 定期演奏会
2023.12/5(火)19:00 サントリーホール

出演/
指揮:シルヴァン・カンブルラン
ピアノ:ピエール=ロラン・エマール
曲目/
リゲティ:ピアノ協奏曲 他
問:読響チケットセンター0570-00-4390
https://yomikyo.or.jp