パデレフスキ国際ピアノコンクール審査員
ラファウ・ブレハッチさんインタビュー

—— ブレハッチさんのように、コンクールでの優勝というステータスをうまく活かして自分らしい活動を続けられる人もいれば、そうでない人もいるように思います。いろいろな状況が重なってしまって…

 どういうこと? 演奏しすぎてしまうとか……もしくは逆に、演奏する機会がなくなりすぎるとか(笑)。

—— どちらもありますね。実際、たくさんのコンクールから優勝者が出ますが、その後、良い形でキャリアを長く続けるのは簡単なことではありません。これからそういう経験をするであろう若いピアニストたちに何かアドバイスがありますか?

 私もコンクールの直後は本当に大変でした。経験のない若いアーティストにとって、どのエージェントが一番良いのか、わかるはずもありません。たくさんのインタビューやプロモーション活動も受けなくてはなりませんし、契約もしなくてはいけません。その中で私が大いに助けられたのは、ツィメルマンのアドバイスです。どのように状況を整理し、問題を解決していったらいいか、たくさん話をして、教えてもらいました。

©︎ International Paderewski Piano Competition

—— 経験豊富な先輩からのアドバイスが必要、ということですか。

 でも同時に、自分の心や気持ちを聞き、直感を大切にすることも大事です。1シーズンに何回コンサートができるか、過去に演奏した曲をまた演奏するためにどのくらいの時間が必要なのかは、自分の感覚も大切にして判断していくと良いと思います。

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—— ところでブレハッチさんは、哲学や音楽美学を勉強していたと思うので一つ意見をお聞きしたいのですが、音楽を言葉で説明するということについてどう思いますか?

 音楽や芸術が人に呼び起こす感情について言葉にするのは、本当に難しいことです。でも、時には、それが他の人に音楽を理解してもらうために役立つこともあるというのが私の見解です。
 例えばビドゴシチの音楽アカデミーの学生たちにレッスンをすることがあるのですが、音で示すだけでなく、問題を解決するための方法や、曲のアイディアを理解する方法を説明するために、言葉で音楽の側面を説明しなければならないこともあって、それは私にとってもとても刺激になります。
 自分自身で感じているのは、哲学を勉強したことで、感情が生まれる方法を正しく理解し、人生や心、人生において本当に大切なものの見方が変わったということです。

—— そういう勉強をすると、表現できる音楽の種類も増えそうですね。

 そうですね、音楽のある側面、例えば美的体験とは何かということについて、より意識できるようになると思います。ステージ上のアーティストと観客との関係の重要性についても、ますます実感するようになりました。
 ギリシャ哲学から現代まで、幅広い哲学を学ぶことで、人間というものをより理解できますし、人生について、さまざまな側面から捉えることができるようになります。

—— 何世紀にもわたっていろいろな論が生み出される哲学を学んだ今、人間についてどのような印象をお持ちですか?

 我々は自分たちのことを少しは知っているけれど、同時に、人生におけるとても重要な問題からは逃れることができないと感じています。
 例えば、私たちが今いるのはどこで、死後はどこに行くのか、死んだ後にも生活があるのか、というようなことです。また、人生における苦しみとは何か、苦しむことの意味は何なのかということもそうですね。形而上学の問題です。音楽についていえば、例えば、バッハの音楽におけるミステリーのようなものも、その一つです。

—— ブレハッチさんは今も故郷に近い静かな街に住んでいます。やはり、便利な街に住まないことがアーティストとしての生活には必要なのでしょうか?

 はい、今の住環境は、芸術的な生活にとって素晴らしい条件が揃っています。夜中に練習できますし、庭もあり、とても良い場所です。もちろん、ウィーン、ロンドン、パリなどの大都市では、良いコンサートもあり、おもしろい人々や音楽家に会う機会がたくさんあるでしょう。でも、私は静かな場所で練習することを選んでいます。コンサートのために出かけた旅先でそういう経験はできますから。

—— では、あなたの音楽に影響を与えているものは何ですか?

 そうですね……最近はやはり、演奏会の舞台に立つ経験そのものだと思います。演奏するほどに解釈も変わっていきますし、自分の感情を聴衆と共有する機会を多く持つほどに成長していると感じます。
 ピアニストの役割は、作曲家の気持ちや感情に入り込み、それを新しい形で再現することです。内面にあるもの、心に従って弾いていきます。

—— 自分だけの解釈というのは、自然と生まれてくるものなのですか?

 そこには自分だけのプロセスが必要になります。例えばある作品を演奏するためには時間が必要で、楽曲とともに冒険をしなくてはなりません。

—— どんな冒険ですか?

 まずは楽譜を研究し、それから小さな会場や、友人のための演奏会で弾いていきます。それがその曲の歴史、自分の演奏の歴史となって、すると突然、今なら自分の解釈を多くの聴衆と共有していいと感じられる瞬間がくるのです。だからとにかく時間がかかりますが、同時にその瞬間はとても幸せです。

—— 他のピアニストの録音を聴くことはありますか?

 時々あります。他のピアニストの演奏を聴くことは刺激的です。でもいつもではありません。完全に一人になって曲と向き合い、ショパンと自分の心だけを聴くことで解釈を見つけていくこともたくさんあります。

—— 今、世界にはさまざまな問題があります。音楽家には、こうした社会や政治の問題について積極的に発言する人とそうでない人がいて、私はどちらのスタンスにも正当性があると思いますが、ブレハッチさん自身はどうお感じですか?

 そうですね、もちろん重要なことについては発言すべきだと思います。私はウクライナの戦争には反対です。しかし政治についてあまり多くを語ろうとは思いません。
 私はすべての人のために演奏しています。そして時には、彼らがそれぞれ政治に対して異なる見解を持っていることもあります。私の発言によって、私の音楽を聴いてくれる彼らの間で議論を起こしたいとは思わないのです。私はアーティストなので、アートに集中したいと思います。

—— 最後の質問です。音楽家として、これから最も大切にしていきたいことは何ですか?

 良い人間であることですね。接する人みんなにとって、良い人間、礼儀のある人間でいたいと思っています。一番重要なのは、人間性です。
 私にとって非常に重要なのは、音楽の美しさを他の人と分かち合うこと、音楽を愛する気持ちを他の人と分かち合うことです。音楽は私の人生なのです。音楽は私にとっては仕事ではなく、それ以上の意味のあるものです。音楽を通じて、人と善意や愛を分かち合うことこそが、私の使命だと思っています。

ラファウ・ブレハッチ ピアノ・リサイタル
2023.2/25(土)18:00 サントリーホール
2023.2/27(月)19:00 ミューザ川崎シンフォニーホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331「トルコ行進曲付」
ショパン:4つのマズルカ Op.6
ショパン:ノクターン ヘ短調 Op.55-1
シマノフスキ:12の変奏曲 Op.3
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ドビュッシー:ベルガマスク組曲 (1.前奏曲 2.メヌエット 3.月の光 4.パスピエ)
ショパン:ポロネーズ 第7番 変イ長調 Op.61「幻想ポロネーズ」
ショパン:2つのポロネーズ イ長調・ハ短調 Op.40
ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調 Op.53「英雄」
https://www.japanarts.co.jp/concert/p2004/

♪ 高坂はる香 Haruka Kosaka ♪
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/