世界を魅了するカウンターテナー、ヤクブ・オルリンスキ

ロンドン・ウィグモア・ホールでのリサイタルを聴く

©Jiyang Chen
 いま最も旬の歌い手として、ヨーロッパを中心に絶大な人気を誇っているのが、1990年生まれの若きカウンターテナー、ヤクブ・オルリンスキです。類まれな美声はもちろん、そのイケメンぶり(!)やブレイクダンスの達人でもあるというエピソードも含め、スターの条件をすべて兼ね備えたアーティストです。
 ロンドン在住の音楽ライター、後藤菜穂子さんが、5月1日 ウィグモア・ホールでのリサイタルの様子をレポートしてくれました。

取材・文&写真:後藤菜穂子

 ウィグモア・ホールの常連にはカウンターテナー好きが多いのだろうか。12月のフィリップ・ジャルスキーに続き、5月1日のヤクブ゠ユゼフ・オルリンスキ Jakub Józef Orliński のリサイタルも何週間も前から完売で、ようやく直前に戻り券を入手できた。

 ポーランド出身のオルリンスキは今シーズン、同ホールのレジデント・アーティストの一人で、2月にも古楽アンサンブルのイル・ポモ・ドーロとウィグモアに登場しているが、今回は長年コンビを組む同胞のピアニスト、ミハウ・ビエル Michał Biel とのリサイタル。ちょうど彼らの新譜『別れ Farewells』(Erato)のリリースとも重なったことから、同アルバムに収められたポーランド作曲家による歌曲と、パーセルほかバロックの歌曲をシームレスに組み込んだしっとりしたプログラムで観客を魅了した。

◎当日のプログラム
Johann Joseph Fux (1660-1741)
Non t’amo per il ciel from Il fonte della salute aperto dalla grazia nel Calvario
Henry Purcell (1659-1695)
Music for a while from Incidental music for Oedipus, King of Thebes Z583
・Fairest Isle / Cold Song from King Arthur Z628
・Strike the viol, touch the lute from Come, ye sons of art, away Z323
Henryk Czyż (1923-2003)
・Pożegnania
Henry Purcell
・Your awful voice I hear from The Tempest Z631
(Interval)
Henry Purcell
・If music be the food of love Z379c
Mieczysław Karłowicz (1876-1909)
・Nie płacz nade mną Op. 3 No. 7
・Z erotyków Op. 3 No. 2
・Mów do mnie jeszcze Op. 3 No. 1
・Śpi w blaskach nocy Op. 3 No. 5
・Przed nocą wieczną Op. 3 No. 6
・Na spokojnym, ciemnym morzu Op. 3 No. 4
・W wieczorną ciszę Op. 3 No. 8
・Zaczarowana królewna Op. 3 No. 10
Stanisław Moniuszko (1819-1872)
・Łza
・Prząśniczka
George Frideric Handel (1685-1759)
・Amen, Alleluia in D minor HWV269

 プログラム前半は、フックスの《ゴルゴダの丘で慈悲により開かれた救済の泉 Il fonte della salute aperto dalla grazia nel Calvario》からのアリアで優しく始まり、続いてパーセルの人気の歌を4曲。〈つかの間の音楽 Music for a While〉では半音階のゆらぎを強調した官能的な歌唱、〈美しい島 Fairest Isle〉はのびやかな声が心地よい。《アーサー王 King Arthur》からの描写的な〈コールド・ソング Cold Song〉は、ガチガチと震える様子を鋭いスタッカートで表現、そして〈ヴィオルをかき鳴らせ Strike the Viol〉は、彼独特のノリノリのリズム感で歌われ(ピアノもそれに合わせて遊び心に富んでいた)、聴くほうも自然と身体が動いてしまう楽しさも。実はパーセルの歌にはそうしたポップなノリがよく合うのだ。

 続いて歌われたのは、ヘンリク・チジュ(Henryk Czyż 1923-2003)の歌曲集「別れ Pożegnania」。新譜のタイトルともなったこの作品は、ポーランドでは通常、バス゠バリトンで歌われるそうだが、アルト音域でもそのメランコリックな内容は切々と伝わってくる。かなり音域が広い曲なので、低音域では時に胸声も駆使していたが、よくコントロールされていて違和感はない。

 後半は、主に19世紀のポーランドの作曲家、カルウォーヴィチ(Miezyzlaw Karłowicz 1876-1909)と、オペラ作曲家としても知られるモニューシュコ(Stanisław Moniuszco 1819-1872)の歌曲で構成。カルウォーヴィチの歌曲は一曲一曲が1〜2分と短いが(オルリンスキはそれらを「絵葉書のような曲」と語っている)、そこに凝縮された思いを抒情的に歌い上げていた。なかでもチャイコフスキー風の〈恋歌から Z erotyków〉Op.3-2、シンプルな有節形式による〈暗く穏やかな海の上で Na spokojnym, ciemnym morzu〉Op.3-4、そして舟歌風の流麗な伴奏が印象的な〈魔法をかけられた王女 Zaczarowana królewna〉Op.3-10が心に残った。モニューシュコの軽快な〈紡ぎ娘 Prząśniczka〉はシューベルトへのオマージュだろうか? ピアノのビエルも雄弁で息の合ったサポートをみせた。リサイタルの最後はバロックに戻り、ヘンデルの〈アレルヤ・アーメン Amen, Alleluia〉(アルバム『アニマ・エテルナ』収録曲)で華麗に締めくくられた。熱狂的な拍手に応えて、3曲のアンコールが歌われた。

 オルリンスキは、フランコ・ファジョーリやヴァレア・サバドゥスのようにソプラノ音域まで出せるわけではないが、全体にきわめて安定した発声で、ヴィブラート少なめで温かみのある艶やかな声が特徴だ。また、のびやかでよく通る高音も魅力である。今回のリサイタルでは彼がこれまで得意としてきたバロックの超絶技巧的なレパートリーはほとんど歌わず、むしろシンプルな美しさをもつ歌曲を瑞々しい抒情性をもって丁寧に聴かせ、新しい一面を示したと言えよう。彼のポーランド歌曲に興味のある方は、ぜひリリースされたばかりの新譜を聴いていただければと思う。

 なお、オルリンスキの来日を待ち望んでいる日本のファンも多いと思うので、本人から仕入れた情報をお伝えしておこう。本来は2021年にイル・ポモ・ドーロとのアジア16都市のツアーが予定されていたが、それがコロナ禍で中止になってしまい、現在2023年秋で調整中だが、未だ確約が取れない会場が多いため、ツアーの実現は難しいかもしれないとのこと。その場合は代わりにビエルとのリサイタル・ツアーを企画するかもしれないが、現時点では未定という。今まさに脂の乗っているオルリンスキが近々来日してくれることを筆者も願っている。

終演後のサイン会には長い列が

Biography
後藤菜穂子 Nahoko Gotoh
桐朋学園大学音楽学部卒業、東京藝術大学大学院修士課程修了。音楽学専攻。英国ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ博士課程を経て、現在ロンドンを拠点に音楽ライター、翻訳家、通訳として活動。『音楽の友』、『モーストリー・クラシック』など専門誌に執筆。訳書に『〈第九〉誕生』(春秋社)、『クラシック音楽家のためのセルフマネジメントハンドブック』(アルテスパブリッシング)他。
Twitter @nahokomusic