柴田俊幸のCROSS TALK 〜古楽とその先と〜
Vol.6 シギスヴァルト・クイケン in ベルギー[第2回]

幸せな無知に、乾杯!

Sigiswald Kuijken & Toshiyuki Shibata
Photography: Tetsuro Kanai

 現代を代表するヴァイオリニスト/指揮者にして、今年創設50周年を迎えた古楽オーケストラ「ラ・プティット・バンド」を率いるシギスヴァルト・クイケンさん。20世紀後半の古楽リバイバル運動が興った時代を知るレジェンドです。当時のパイオニアたちには、時代のうねりを起こす“反骨精神”がみなぎっていたようです。この対談は、柴田俊幸さんが、昨年夏、ベルギー・コルトレイクのクイケンさんの自宅を訪ねたときのもの。試行錯誤を重ねながらピリオド奏法を追い求めてきた彼にしか語れないこと、いま私たちが聞いておくべきこと ── 興味深いお話を3回に分けてお届けします。

♪Chapter 4 レオンハルトやブリュッヘンとの出会い

柴田俊幸(T) ベルギーではなくオランダのハーグで先に教え始めましたよね? あれ…何かベルギーでやらかしましたか?(笑)

シギスヴァルト・クイケン(S) ベルギーでは1968年以降、音楽院でも前衛音楽が話題となり始めて、それに伴って古楽についても話すことができるようになった。ヴィーラント(Wieland Kuijken, 1938- )はヴィオラ・ダ・ガンバのマスタークラスをやっていて、75年にブリュッセルで教え始めたと記憶しているけど、彼はその時すでにハーグで教えていました。ハーグはブリュッセルよりずっと開かれていたんだよね。

たしか、71年にフランス・ブリュッヘン(Frans Brüggen, 1934-2014)が私を訪ねてきて、ハーグで教えないかと。当時、私はまだ27歳でね。音楽院でのポストを受け入れるべきかどうか、自分でもよくわからなかったんだけど、もし断ったら、他の誰かが“伝統的な”やり方でやって、何も変わらないだろうと思って引き受けました。当時2人の子どもがいたので、定職を持つことが必要だったのもあるんだけど…(笑)

T 我々の英雄であるフランス・ブリュッヘンとのエピソードを教えてください。

S そうだね…我々の出会いは、ヴィーラントと私がグスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt, 1928-2012)のところに「オーディション」を受けに行ったことがきっかけだったと思うよ。我々はフランスやグスタフには憧れを抱いていたので、会うのが楽しみでした。そして、一緒に初見大会をして我々はベルギーに戻ったんだけど、レオンハルトはすぐにブリュッヘンに電話をして「ほら、演奏できる二人(兄弟)が来たぞ!」と言ってくれたみたい。一週間後にブリュッヘンからヴィオラ・ダ・ガンバのコンソートのプロジェクトに参加してくれないか、と電話があり、リコーダーの生徒たちと一緒に録音をしたんだ。 その後、徐々にグスタフ、フランス、ヴィーラントと私の4人で室内楽を始めました。

グスタフ・レオンハルトが私たちの出発点だったことは紛れもない事実です。1950年代に設立されたアラリウス・アンサンブルを通して、いろいろな音楽家と一緒に演奏しました。特にレオンハルトやアーノンクールなどとのつながりができてからは、我々の活動もより活発化した。69年にはアメリカのカリフォルニア大学バークレー校にも招待されて行ったしね。そこでアメリカのチェンバロ奏者アラン・カーティスが教えていたから。レオンハルトを通じて彼とのつながりができたんだ。 ドイツのハルモニア・ムンディとのつながりもレオンハルトを通じてだった。レオンハルトとソナタの録音をしたことは、私がバロック・ヴァイオリニストとして知られるようになる大きなきっかけになりました。デン・ハーグで教え始めた時も、その録音がきっかけですぐに生徒が集まった。いや、待て、確かハーグは71年に始まっていて、録音はもう少し後だったはず…。

実際のところ、68年以降もバロックなど古楽の演奏法による音楽は、前衛音楽と等しく、アヴァン=ギャルドかつ狂気的なものであったのです。ある日、オランダ人のヴァイオリン奏者がレッスンに来た時、彼がバロックに対して持っていた概念は完全に間違っていた。彼は演奏する前に「このサラバンドを誰にも理解できないように演奏したいんだ」と言って、演奏しました。誰にも解らないように演奏することがとてもバロック的だと思っていたんだね。私の仕事はこれを修正することだった。しかし彼には「誰にも理解されないように演奏する」という“エゴ”があったのです。71年のことでした。

T それに比べれば、今はこういうコンセプトを理解してくれる人が増えてきているわけで、嬉しいですね!

S もちろん。広がりは非常に早く、目を見張るものでした。 でも今は新たな問題に直面しています。バロック・ヴァイオリンを学べる学校や大学がたくさん増えたことで、バロック・ヴァイオリンという中にもスクール(流派)というものが出現し始めました。1950年、60年頃の普通のクラシック界と同じような状況が再び起きている。バロックの音楽祭がたくさんあって、バロックのアンサンブルもたくさんあって、その中で我々は闘わなければならない。とても大変なことです。我々は、自分たちの作った成功の犠牲者なのです。

♪Chapter 5 ステージの上でリスクを負わなければ、限界を超えることはできない

T あなたのクラスの優秀な生徒、成功した人について話してください。

S 私にはとても優秀な生徒がたくさんいるよ。私の最初の生徒は、フランソワ・フェルナンデス(François Fernandez, 1960-  )で、彼は卒業時18歳か19歳だった。多くの日本人たちも来てくれました。みんな優秀です。でも、ヨーロッパの人たち、たとえばウィーンやグラーツで学んだスザンネ・ショルツ(Susanne Scholz, 1969-  )や、ハーグで私のもとで勉強していたエンリコ・ガッティ(Enrico Gatti, 1955-  )も優秀でしたね。でも、ガッティは決して “チン・オフ”[1]をやろうとはせず、現代の人の多くがやっているような、ちょうど中間的なことするようになった。完全なチン・オフをすることで、100%成功を目指せないからだったと思うし、確かにそれは一理ある。

[1] chin-off 楽器を顎あてなしで演奏する奏法

1969年に私が奏法を変えた時、すでにアラリウス・アンサンブルで世界各地で演奏し始めてから5年ぐらい経っていました。当時演奏していた曲で、この新しいポジションを練習していたいのです。 多くの人はリスクを取りたがらないし、非の打ちどころのない完璧な人間になりたがる。私はあまり完璧ではなかったかもしれないけれど、ステージで挑戦し続けることで自分自身を成長させてきた。ステージの上でリスクを負わなければ、限界を超えることはできないし、今のままなのです。

T 以前は指揮をされていたそうですね。

S 何年かは指揮をしていたけど、レッスンを受けたことはありません。

T 指揮をするとき、ヴァイオリニストとしての視点から音楽を処理するのでしょうか、それとも本当の指揮者のようになろうとするのでしょうか。

S 私は作品に奉仕しているのであって、指揮者という意識はない。作品ができるだけうまく演奏されることを望んでいます。複雑な曲だと、弾き振りをしてもはっきりしないこともあるから、指揮をしたほうがいい場合もあるし、その逆の場合もある。例えば、ハイドンの「ロンドン交響曲」はすべて私が指揮したけど、それ以前の交響曲、「パリ交響曲」などは第1ヴァイオリンを弾きながら指揮をしていたと思う。でも困ったことに、自分が演奏していると、細部まで聴き取るのが難しくなるんだよね。 なので、モーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》《フィガロの結婚》《コジ・ファン・トゥッテ》などは、もちろん私が指揮をしました。

♪Chapter 6 ベルギー人のアドバンテージ

T ベルギー以外の国で、別のアンサンブルで演奏すると、スタイルの違いがはっきりわかります。特に弦楽器奏者には違いを感じます。現在では様々な流派があると聞きましたが、例えばフランス音楽やドイツ音楽など、異なる音楽スタイルを理解する上で、ベルギー人であることが有利に働くと思いますか?

S ベルギーはヨーロッパの中でも良い環境にあると言っても過言ではありません。フランスの文化にすぐ接することができるし、東はドイツ、英語も話せてバイリンガルなので、フランス的な話し方や考え方とドイツ的な考え方、両方に慣れていることが大きな利点だね。歴史的にみたら悲しい面もあるかもしれないけど、ベルギーにはロシアのような強い演奏の伝統がない。だから、我々の古楽の演奏法に対して反対運動がそこまでなかったのもよかった。でも、私や私の兄弟、また仲間たちのあいだでは従来のクラシック音楽界に反発を感じていた人たちもいて、それは反骨精神となり一致団結する原動力になりました。一種の兄弟愛のようなものだったのかな。(オランダの)レオンハルトやブリュッヘンとの交流も、100%同じではないけれど、同じ“文法”で考えることができることに、大きな幸せを感じていました。

トシも知っているだろう? ベルギー人は適応するのがとても上手なんだよ。必要であれば妥協するし、音楽では適応する。ベルギーではナショナリズムはなかった。排外主義もない。一つの国に7つか8つの政府があるので、ベルギーの政治構造を理解することは不可能だ。でも、ひょっとするとそれはいいことかも知れない。我々は政治なんて理解しようと思っちゃいけないからね(笑)

もしかしたら、ベルギー人だからということではなく、私たちが育っていく過程でベルギーという国にいたことは、古楽が花開くきっかけになったのかもしれない。オランダやルクセンブルク、フランスに住んでいたとしても、ほぼ同じだったかもしれないけど、何もないところにいられたというのは、大きな「アドバンテージ」でした。ベルギーには、「これは正しい、これは間違っている」というような厳しい伝統はなく、何でも出来る。

T だから、伝統がないことは利点なんですね。

S もちろん。ただ、間違った方向に行っても、誰も訂正してくれない。演奏や考えに説得力があれば、人は納得してくれる。でも、それが意外と難しいんだ。

まだかけ出しだった頃、ブリュッセルのパレ・デ・ボザールでコンサートをしたことがあったんだけど、小ホールで観客が12人くらいしかいなかった。私たちの友人の画家の前に2人の女性が座っていた。誰が演奏するのか知らなくてもコンサートに行く、ただ毎週金曜日の午後にコーヒーを飲んでコンサートに行くという老婦人たち。私たちはガンバとチェンバロでマラン・マレを演奏したんだけど、後ろの席に座っていた私の友人によると、2人の女性が話している声が聞こえてきたらしい。「あら、マリエット!? このチェロ弾きの弓の持ち方を見た?」すると、もう一人が「シーッ!」と。1965年くらいのことです。彼女たちは何かわからないのに、コンサートに来てくれたんだよね。当時は何の問題もなく、ただ自分たちのやりたいことをやって、それが少しずつ、着実に受け入れられるようになっていったのです。

オランダ、いや特にドイツのような国では、ベルギーよりもずっと長い間、古楽器奏者たちは狂っている、と言われ続けてきた。彼らは秩序を好む。もっとも、ドイツやオランダでも、もちろんすぐに賛同してくれる人たちもいたけどね。一般化してはいけないね…。でも、ベルギー人の長所は、バカみたいに(!)オープンなところ。

右はシギスの妻マルレーンさん

T だからベルギーって居心地いいんですよね…乾杯しましょう!

S Happy ignorance!!(幸せな無知に、乾杯!)

第3回につづく

2022年4月、アムステルダム・コンセルトヘボウでのラ・プティット・バンド
J.S.バッハ「マタイ受難曲」公演リハーサルより

シギスヴァルト・クイケン 来日情報
シギスヴァルト・クイケン 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル
2022.10/7(金)19:00 浜離宮朝日ホール
新・福岡古楽音楽祭2022
「古楽のごちそうバロック仕立て ~シギスのおすすめア・ラ・カルト~」

2022.10/14(金)~10/16(日) アクロス福岡
https://www.kogaku.net/program

シギスヴァルト・クイケン
Sigiswald Kuijken, violin/conductor

©︎ Tetsuro Kanai

1944年生まれ。64年にブリュッセルの音楽院を卒業。幼少期より兄のヴィーラントと一緒に古楽に親しむ。1969年、ヴァイオリンをあごの下で支えるのではなく、肩の上に自由に置く演奏方法を導入したことが、ヴァイオリンのレパートリーへのアプローチに決定的な影響を与え、1970年代初頭から多くの演奏家がこのスタイルを採り入れることになった。1964年から72年までの間、アラリウス・アンサンブルの一員として活動。その後も兄弟であるヴィーラントとバルトルド、グスタフ・レオンハルト、ロベール・コーネン、アンナー・ビルスマ、フランス・ブリュッヘン、ルネ・ヤーコプスなどバロックのスペシャリストたちと室内楽プロジェクトを立ち上げた。
1972年にはラ・プティット・バンドを結成。世界各地での演奏会のほか、多くの録音も残し、現在に至るまでリーダーとして精力的な活動を続けている。1986年、クイケン弦楽四重奏団結成。98年以降は、モダンのオーケストラも指揮するようになり、シューマン、ブラームス、メンデルスゾーンなどロマン派のレパートリーにも取り組んでいる。2004年には、自らの研究により復元したヴィオロンチェロ・ダ・スパッラでバッハ、ヴィヴァルディなどを演奏し、話題を集めた。
教育者としては、ハーグ音楽院やブリュッセル王立音楽院で長年教鞭をとり、ロンドンの王立音楽大学、シエナのキジアーナ音楽院、ジュネーヴ音楽院、ライプツィヒ音楽大学等で客員教授も務めた。
2007年2月にルーヴェン・カトリック大学より名誉博士号、2009年2月にはフランドル政府より「生涯功労賞」が授与された。2018年には、欧州古楽ネットワーク(REMA)からも生涯功労賞を授与されている。
https://www.lapetitebande.be/en/


柴田俊幸
Toshiyuki Shibata, flute/flauto traverso

©︎ Jens Compernolle

フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学卒業。アントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。ブリュッセル・フィルハーモニック、ベルギー室内管弦楽団などで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド、イル・フォンダメント、ヴォクス・ルミニスなど古楽器アンサンブルに参加し欧州各地で演奏。2019年にはB’Rockオーケストラのソリストとして日本ツアーを行った。ユトレヒト古楽祭、バッハ・アカデミー・ブルージュ音楽祭などにソリストとして参加。アントワープ王立音楽院音楽図書館、フランダース音楽研究所にて研究員として勤務した。たかまつ国際古楽祭芸術監督。   『音楽の友』『パイパーズ』『THE FLUTE』Webマガジン『ONTOMO』などに寄稿。
Twitter / @ToshiShibataBE
Instagram / musiqu3fl711
https://www.toshiyuki-shibata.com

柴田俊幸 最新アルバム
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/柴田俊幸(フラウト・トラヴェルソ) アンソニー・ロマニウク(チェンバロ/フォルテピアノ)
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柴田俊幸とアンソニー・ロマニウク、2つの才能の出会いが生んだ現代のバッハ像
https://outhere-music.com/en/albums/js-bach-sonatas-fantasias-improvisations