東京春祭 子どものためのワーグナー《ローエングリン》ができるまで Vol.5

東京・春・音楽祭が贈る子どものためのプログラム「東京春祭 for Kids」。毎年、未就学児から高校生までの幅広い年代を対象とした様々な企画が組まれています。その中でも一際注目を集めているのがドイツ・バイロイト音楽祭との提携公演「子どものためのワーグナー」。バイロイト音楽祭総裁のカタリーナ・ワーグナー氏を芸術監督に迎えて、一流のスタッフとアーティストが、ワーグナーの長大な作品をギュッと凝縮したハイライト版を作り上げます。例年完売公演が続出する人気プログラムで、東京・大手町にある銀行のロビー・スペース(!)を舞台に開催されます。遠方の方や外出が難しい方も、ライブ・ストリーミング配信で視聴可能です(3/25, 3/26の2公演)!!
連載『東京春祭 子どものためのワーグナー《ローエングリン》ができるまで』では、他では見られない貴重な制作過程をご紹介しながら、2022年に上演する《ローエングリン》の魅力をたっぷりお届けします。

間もなく本番! リハーサル・レポート
歌い手が語る「子どものためのワーグナー」の魅力

取材・文:宮本明

 子どもたちにわかりやすいようにさまざまな工夫を凝らした東京・春・音楽祭の「子どものためのワーグナー」シリーズ。《ローエングリン》のリハーサルは3月14日に始まった。
 初日はソリスト5人による音楽稽古。抗原検査を受けたうえで、短時間見学させてもらった。一人ひとりの間隔を広く空け、マスクをつけて歌うのはひどくやりづらいと思うのだけれど、そんなマイナス要素をまったく感じさせないド迫力の歌声がリハーサル室に響き渡る。あとで歌手たちに聞くと、客席の近い小さな特設劇場だからとか、まして聴き手が子どもたち中心だからといって声量をセーブすることはなく、大ホールで歌うのと同じようにフルで歌うのだという。間近で浴びるこの声の「圧」は、なかなか体験する機会がない。子どもたちならずとも衝撃的だ。

 このプロジェクトのために2019年に来日したバイロイト音楽祭総裁のカタリーナ・ワーグナーは、「日本にワーグナーを歌える歌手がこんなにいるのか」と驚いていたという。ちょっと誇らしい話。実際カタリーナは、17年の東京春祭で、今回も出演するメゾソプラノの金子美香がマレク・ヤノフスキ指揮の《神々の黄昏》でフロースヒルデを歌うのを聴いて高く評価し、翌年のバイロイト音楽祭で《ワルキューレ》(プラシド・ドミンゴ指揮)のグリムゲルデ役に大抜擢している。
 この日は衣裳合わせのため、出番が終わった歌手から順繰りに、本番の会場でもある大手町の三井住友銀行東館ライジング・スクエアへ移動していった。

左より:友清崇、片寄純也、斉木健詞 右:石坂宏(指揮)
2022.3.14《ローエングリン》リハーサル (C)東京・春・音楽祭実行員会/飯田耕治

 翌日からは会場を本番の舞台に移しての立ち稽古。インターネット中継で、カタリーナもバイロイトから参加する。この日の稽古開始は日本時間の午後5時だったから、バイロイトは朝の9時だ。
「おはようございます」
 モニター越しに挨拶を交わす日独のスタッフと出演者たち。コロナ禍以来、リモート演出による舞台制作は増えている。さまざまなやり方があるだろうけれど、ここでは、カタリーナが稽古中に細かくダメ出しをすることはなく、ずっと静かに見守ったあと、稽古終了後に日本側の制作スタッフと意見を擦り合わせるというスタイルだ。といっても実際には、日本側スタッフを信頼して、ほぼ全面的に任せているらしい。

 舞台裏を覗くと、ヘルメットやら王冠やら剣やら、たくさんの小道具が並んでいる。段ボール製のものも多く、手作り感が満載。もちろんそれがもともとのデザインで、バイロイトのプロダクションと同じものだ。向こうでは使い終わった小道具は基本的に捨てているということだったが、なるほど紙製なら、再生可能な、エコな製作物でもある。(小道具の製作過程はVol.2にも記載)

Vol.2でご紹介した小道具は子どもたちの衣裳「ヘルメット」と「鎧」でした!
2022.3.15《ローエングリン》リハーサル (C)東京・春・音楽祭実行員会/飯田耕治

 ひとつ問題が発生しているという。廃棄された多くの小道具のなかで、魔女オルトルートのかぶり物だけはなぜかバイロイトに現物が保管されていて、ちょっと複雑な構造ということもあり、それを運んで使うことになっていた。ところが、それがドイツの空港に留め置かれてしまったのだ。いつ届くかもわからないので、結局、急きょ日本で作るらしい。さて、それがどんな物か、はたまた無事に本番に間に合うのかは幕を開けてのお楽しみ。

左:田崎尚美 右:片寄純也
2022.3.15《ローエングリン》リハーサル (C)東京・春・音楽祭実行員会/飯田耕治

 この日は、オリジナルの《ローエングリン》には登場しない児童合唱(杉並児童合唱団)も参加しての稽古だった。感染対策に配慮して8人の小アンサンブルだが、澄んだ歌声が《ローエングリン》にフレッシュな印象を醸し出す。演技についてもあらかじめみっちり練習してきているのだろう。簡単な指示を与えられただけでソリストたちとピッタリ息の合った動きを見せていた。舞台上に同世代の出演者がいると、客席の子どもたちもより親近感が湧くのではないだろうか。

2022.3.15《ローエングリン》リハーサル (C)東京・春・音楽祭実行員会/飯田耕治

 ワーグナーの作品というとどうしても重厚長大なイメージがあるけれど、じつはその物語の多くはファンタジーだから、子どものための舞台とは相性がいい。とくに今回は、日本で上演した過去2作品と比べてもコミカルな要素が強めで、演じている歌手たちもそれを楽しんでいるように見える。
 銀行のロビーの高い天井に、ちょっと不思議な感じの残響が交差する。この日はピアノ伴奏での稽古だったが、オーケストラが入ってどんな響きになるのかも楽しみだ。さあ、本番!「東京春祭 for Kids 子どものためのワーグナー《ローエングリン》」は3月25日に幕を開ける。
(Vol.6つづく)

出演者コメント】(Photos(C)東京・春・音楽祭実行員会/飯田耕治)

片寄純也(ローエングリン役/テノール)
 《ローエングリン》は格好いいイメージがありますけど、今回はコミカルな要素も入って、笑ってもらえる演出になっています。編曲もとても巧みで、ただ抜粋するのではなく、終わり方を少し変えたりしています。熱心なワグネリアンの方は、あ、ここを変えてるなと、そんな楽しみ方もできるかもしれません。
 ドイツ語の発音の問題も含めて、日本でもワーグナーを歌える歌手がだんだん増えてきたように思います。30年ぐらい前の話、僕がまだ二期会の研修所に所属していた頃、来日したベルリン・ドイツ・オペラのコーラスが足りないというので助っ人で入ったんですけど、舞台の上で、向こうのソリストたちの飛沫がパッーっと飛ぶのが見えるんです。照明できらきら光って(笑)。それを研修所のドイツ語の先生に話したら、「そうなんだよ! そうじゃないと」と喜んでいたのですが、その頃はまだ、それを他のところでやると「えっ!」って嫌がられていたんです。いまは格段に変わったと思います。先人の努力がつながって、われわれもその教育を受けてきたから、少しずつ歌えるようになってきた。新国立劇場などで、超一流を聴く機会も増えましたしね。
 子どもたちにも何かを感じてもらえるように歌いたいと思います。


田崎尚美(エルザ役/ソプラノ)
 初回の《さまよえるオランダ人》のときには、来日したカタリーナさんが、ワーグナーのドイツ語はこうなんだというのを、つきっきりで指導してくださいました。テキストへの思いがすごくあって、一人ひとりのディクションを聞いていただいたので、とてもためになりました。まだコロナ前でマスクをつけていなかったので、飛沫の軌道が見えるような発音がワーグナーのドイツ語なんだという感じでした。
 私が初めてワーグナーを見たのは18歳くらいの時でした。いまはご縁があってワーグナーばかり歌わせていただいていますが、子どもたちにいきなり「ワーグナーを観なさい」というのはやはり大変なことだと思いますから、「子どものためのワーグナー」はとても良い体験になると思います。ちょっとコミカルな演出になっているので、ちゃんと笑って楽しんでもらえるように演じようと心がけています。歌は正統に歌って聴いていただいて、セリフのところはなるべく噛み砕いて、伝えるところをしっかり伝えたいなと思います。
 エルザは、本当なら15歳の歌手が歌ったらわかりやすいと思いますが、それは無理なので、なるべく若々しさを出せればいいなと思って演じています。有名な結婚行進曲が出てくる結婚式のシーンは見どころです。式のあと、私が禁を破ってローエングリンに名前を尋ねてしまうところは、幸せから絶望までの落差が音楽にも出ていると思うので、生のオーケストラで聴けるのはとてもいいですね。


金子美香(オルトルート役/メゾソプラノ)
 2017年に東京春祭のワーグナー・シリーズ《神々の黄昏》に出演させていただいたとき、終演後に「素晴らしかったわ」と話しかけてくださったが女性がいました。私はお顔を存じ上げなかったのですが、あとで音楽コーチのトーマス・ラウスマンさんが、あれがカタリーナ・ワーグナーさんだよと教えてくださったのです。その後、カタリーナさんのお声がけで、バイロイト音楽祭に出演させていただくことになりました。世界のスーパースターが集まる祭典。ワーグナーの作品の空気感を感じられる貴重な体験でしたし、みなさんフレンドリーで、すごく楽しくて。出演者同士の付き合いが今も続いています。
 バイロイトでは、「子どものためのワーグナー」は午前中に上演されています。私の出た《ワルキューレ》のキャストの数人は、なんと朝そちらに出てから《ワルキューレ》を歌っていました。現地の歌手のお子さんもみんなこのシリーズのDVDを持っていて、すごく楽しんでいるとおっしゃっていました。
 (日本版第1弾の)《さまよえるオランダ人》のとき、最初は私も正直、お子さんが見て内容がわかるのかなと思ったんですね。ワーグナーは大人でもわかりにくいじゃないですか。でも実際にすごく喜んでいるお子さんたちの姿を見ると、大人が思う以上に素直に受け止めているのを実感します。言葉のことも問題ないようです。子どもたちの感性は、私たちには計り知れないものなのですね。
 すごくいいなと思うのは、子どもたちが数メートルの近さで、歌手の歌声や生のオーケストラの音を聴けるということです。子どものためのコンサートはたくさんあるかもしれませんけれども、これはすごく貴重な機会だと思います。
 私はカタリーナさんの作り上げる世界が大好きなんです。お客さまがちょっとびっくりするような世界観。すごく楽しいなと思っています。新国立劇場で演出した《フィデリオ》も大好きで、あのあとバイロイトで、フロレスタンを歌ったステファン・グールドさんと話したら、彼も「素晴らしいチャレンジだったよね」とおっしゃっていました。
 この「子どもためのワーグナー」は、お子さんが見て楽しめるように作っているので、普段のワーグナーだったら重くなりそうなシーンがコミカルになっていたり、とても楽しいですね。私の演じるオルトルートも、悪い魔女なのですけど、ちょっと笑っちゃうようなキャラクターです。
 ワーグナーは苦手だなと思っている大人の方も、このシリーズをご覧になると、苦手意識が薄らぐのではないかなと思っています。


友清崇(テルラムント役/バリトン)
 2019年の《さまよえるオランダ人》には、カタリーナさんが来日して、すべてのリハーサルに立ち会っていただきました。とにかく言葉をチェックされていて、われわれはどうしても音を追ってしまうんですけれども、やはり言葉あってのワーグナーだなと、その大切さをあらためて認識できました。今回のテルラムントもキャラクターの強い役なので、言葉の色づけが重要です。
 この会場は、客席が近くて子どもたちの目線をすごく感じます。意外と緊張するんですよ。普段のオペラは客席は真っ暗ですからね。
 今回の《ローエングリン》は、音楽とは真逆に、衣裳からして楽しい印象になっています。見て楽しい部分が多くて、そういう捉え方は、やっぱりわれわれにはない発想だと思いますね。その一方で、非常にいいところを抜粋してあって、作品の要点を巧みにつかんでいると思います。僕自身、今年びわ湖ホールの《パルジファル》に出演したとき、昨年ここで《パルジファル》を経験したことが作品の理解に役立っているなと感じました。本当にうまくまとめられています。


斉木健詞(ハインリヒ王役/バス)
 カタリーナさんの、作品を信じる力の強さを感じます。日本人の子どもたちであっても、言葉と音楽がセットになったワーグナーを聴かせるということに信念を持っている。日本の子どもたちにドイツ語で歌うということに、私も一瞬疑問を感じたのですけど、音楽と言葉が一緒になって初めてワーグナーの作品であり、ドイツ語があっての音楽だということに、確固たる信念を持っているのが印象深かったですね。
 歌手の圧倒的な声を含め、子どもたちにとって、ふだん体験していないショッキングなことだと思うのですが、それが子どもたちの心の扉を叩くのではないでしょうか。われわれができることと、ワーグナーができること、カタリーナさんがやったこと。いろんなことが子どもたちの心の扉を叩いて、ひじょうにいい春休みの思い出になると思います。すべてのオペラのなかでも、ワーグナーはひとつ突出した存在だと思います。初めてオペラに触れる子たちに、大きな驚きを与えたいですね。

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【Information】
東京春祭 for Kids
子どものためのワーグナー《ローエングリン》(バイロイト音楽祭提携公演)

2022.3/25(金) 19:00
3/26 (土)、3/27(日)、4/2(土)、4/3 (日)各日14:00
三井住友銀行東館ライジング・スクエア1階 アース・ガーデン

●出演
指揮:石坂宏
ローエングリン(テノール):片寄純也
エルザ(ソプラノ):田崎尚美
テルラムント(バリトン):友清崇
オルトルート(メゾ・ソプラノ):金子美香
ハインリヒ王(バス):斉木健詞
管弦楽:東京春祭オーケストラ
児童合唱:杉並児童合唱団
児童合唱指導:津嶋麻子、海野美栄
監修/芸術監督:カタリーナ・ワーグナー
照明:ピーター・ユネス
演出助手:ヘンドリク・アーンス
●曲目
ワーグナー:歌劇《ローエングリン》(抜粋)
※台詞部分は日本語、歌唱部分はドイツ語での上演です。
●料金(税込)
子ども¥2,500 保護者¥3,500 来場チケット完売
ライブ・ストリーミング配信¥1,100(3/25, 3/26)

【配信サイト】
東京・春・音楽祭 LIVE Streaming 2022 
https://www.harusailive.jp