東京春祭 子どものためのワーグナー《ローエングリン》ができるまで Vol.2

東京・春・音楽祭が贈る子どものためのプログラム「東京春祭 for Kids」。毎年、未就学児から高校生までの幅広い年代を対象とした様々な企画が組まれています。その中でも一際注目を集めているのがドイツ・バイロイト音楽祭との提携公演「子どものためのワーグナー」。バイロイト音楽祭総裁のカタリーナ・ワーグナー氏を芸術監督に迎えて、一流のスタッフとアーティストが、ワーグナーの長大な作品をギュッと凝縮したハイライト版を作り上げます。例年完売公演が続出する人気プログラムで、東京・大手町にある銀行のロビー・スペース(!)を舞台に開催されます。遠方の方や外出が難しい方も、ライブ・ストリーミング配信で視聴可能です(3/25, 3/26の2公演)!!
連載『東京春祭 子どものためのワーグナー《ローエングリン》ができるまで』では、他では見られない貴重な制作過程をご紹介しながら、2022年に上演する《ローエングリン》の魅力をたっぷりお届けします。

小道具や衣裳はどのように生まれるのか?

取材・文:宮本明

「OK!」
「そのとおりです」
「おまかせします。何も問題ないわ」
 オンライン・ミーティングの席上で、カタリーナ・ワーグナー総裁はこうした肯定を何度も繰り返した。

 東京・春・音楽祭の「子どものためのワーグナー」は、バイロイト音楽祭との提携公演。バイロイトでは2009年に始まったプロジェクトの日本版だ。
 約150年前、ワーグナーが自分の作品を理想的に上演するために、わざわざ専用劇場まで作って創設したバイロイト音楽祭。その開祖リヒャルトの末裔であるカタリーナが直々に立ち上げたワーグナー啓蒙プロジェクトなのだから、日本版制作にも、一族の理念や哲学がいろんなこだわりとなって、ガチガチな縛りがあるのかと思ったら……全然ちがった。「おまかせするわ」という、柔軟というかゆるいというか、かなり懐の深いスタンスが気持ちいい。

2021.3.18《パルジファル》リハーサル(C)東京・春・音楽祭実行員会/青柳聡
金坂淳台(舞台監督)

 海外の劇場のプロダクションを日本で上演する場合、舞台美術や衣裳などを、はるばる運んでくることになる。でも「子どものためのワーグナー」はちがう。美術から小道具まで、ほぼすべてを日本で製作しているのだ。というよりじつは、そもそも肝心の運ぶべき「物」が、現地にも存在しない。舞台監督の金坂淳台(かねさか・じゅんだい)が教えてくれた。
「子どものためのワーグナーは、バイロイトでは劇場の稽古場を利用して上演されているプロダクション。衣裳などは劇場からちょっと借りてきたりもできるだろうし、装置や大道具は座付きのスタッフが自分の工房にある材料で作ってしまう。というスタイルのようです。そして作ったものは基本的には捨てているみたいなのです」
 次にやるならまた作ればいいや、ということなのだろう。だから日本でも、新たに作るしかないのだ。ところが、一部の装置を除いて、設計図やデッサンなどが残っていないというから厄介だ。ほぼ唯一の手がかりはなんと、現地の上演の記録動画なのだそう。こういう仕事の場合たぶん、ゼロから新しいものを作るより、同じようなものを、しかも画像だけを参考にして作るほうがはるかに手間がかかるはず。さらに昨年と今年はコロナ禍でカタリーナが来日できず、製作した現物を見てもらいながら直接やりとりできないのも、もどかしいにちがいない。金坂は言う。
「図面があればそのとおりに作ればいいですからね。それに、デザインにはたいていなにか意味があるはずで、それを勝手にちがうイメージにするわけにもいかない。どこまでアレンジしていいのか、それを探るのが大変なんです」
 作るといっても、予算は限られているから、既製品をアレンジすることもある。たとえばシリーズ第1弾だった2019年の《さまよえるオランダ人》の、最後のゼンタの衣裳。現地の映像のイメージに近いものを探しまわったが適当なものが見つからず、結局日本の白無垢の花嫁衣裳をベースにアレンジすることを思いついた(フリマ・アプリで古着を買って加工したのだそう)。そんな目利きも必要になる。

2019.3.23《さまよえるオランダ人》2日目(C)東京・春・音楽祭実行員会/増田雄介

 2月半ば。日本とドイツをオンラインで繋いだカタリーナと金坂らのオンライン・ミーティングを傍聴させてもらった。
金坂「送ってくれた王冠の写真。映像と全然ちがうんですけど……?」
カタリーナ「映像に映っている王冠はもう捨てちゃったのよ。それっぽいのを用意してもらえればいいんだけど、いいかしら。リクエストにあった、ブラバント公国の旗もないみたいなんだけど……」
金坂「旗はあったほうがいい?」
カタリーナ「もし大変なら、なくてもいいわ」
金坂「大変じゃないんだけど、デザイン画をもらわないと。映像だとよくわからないんです」
カタリーナ「了解。送るわ」
金坂「ローエングリンのシャツもよく見えないんだけど、何か意味のある柄なんですか?」
カタリーナ「とくにこだわりはないわ。そちらで用意して見せてもらえる?」
金坂「テルラムントの衣裳はトラ柄?」
カタリーナ「ヒョウ柄でもいいし、別にアニマル柄じゃなくてもいいわ。意味があるわけではないし、まして今年が寅年だからではないですよ(笑)」
 どうやら日本の干支にも詳しいみたいだ……。
 そんなやり取りを経て、今年もすでに、さまざまな衣裳や大道具・小道具が日本で製作されている。その方面からの見どころは、ローエングリンの登場シーン。ネタバレになるので詳しくは紹介できないけれど、もともとのオペラでは、騎士ローエングリンは白鳥が曳く舟に乗って颯爽と現れる。その「乗り物」にご注目! 子どもたちがわーっと目を輝かせるはずだ。

舞台で使用する小道具を製作中。完成型は次回以降の記事をお楽しみに! 
写真提供:東京・春・音楽祭実行員会

 上述のミーティングの終わり。誰から求められるでもなくカタリーナは言った。
「私がそこにいないのに稽古が進んで、滞りなく本番を迎えることができるのは、すごく不思議な感覚だわ。みなさんがプロフェッショナルな仕事をしてくれるおかげです。協力に感謝しています。ありがとう」
 なにげない気づかいではあるかもしれないけれど、案外言えないひとことだと思う。そして、そのひとことが言えるからこそ、世界を代表する音楽祭のトップにいるということでもあるのだろう。
 さあ、いよいよ稽古が始まる。
(Vol.3につづく)

【Information】
東京春祭 for Kids
子どものためのワーグナー《ローエングリン》(バイロイト音楽祭提携公演)

2022.3/25(金) 19:00
3/26 (土)、3/27(日)、4/2(土)、4/3 (日)各日14:00
三井住友銀行東館ライジング・スクエア1階 アース・ガーデン

●出演
指揮:石坂宏
ローエングリン(テノール):片寄純也
エルザ(ソプラノ):田崎尚美
テルラムント(バリトン):友清崇
オルトルート(メゾ・ソプラノ):金子美香
ハインリヒ王(バス):斉木健詞
管弦楽:東京春祭オーケストラ
児童合唱:杉並児童合唱団
児童合唱指導:津嶋麻子、海野美栄
監修/芸術監督:カタリーナ・ワーグナー
照明:ピーター・ユネス
演出助手:ヘンドリク・アーンス
●曲目
ワーグナー:歌劇《ローエングリン》(抜粋)
※台詞部分は日本語、歌唱部分はドイツ語での上演です。
●料金(税込)
子ども¥2,500 保護者¥3,500
ライブ・ストリーミング配信¥1,100(3/25, 3/26)

【来場チケット販売窓口】
●東京・春・音楽祭オンライン・チケットサービス(web。要会員登録(無料))
https://www.tokyo-harusai.com/ticket_general/
●東京文化会館チケットサービス(電話・窓口)
TEL:03-5685-0650(オペレーター)