東京春祭 子どものためのワーグナー《ローエングリン》ができるまで Vol.1

東京・春・音楽祭が贈る子どものためのプログラム「東京春祭 for Kids」。毎年、未就学児から高校生までの幅広い年代を対象とした様々な企画が組まれています。その中でも一際注目を集めているのがドイツ・バイロイト音楽祭との提携公演「子どものためのワーグナー」。バイロイト音楽祭総裁のカタリーナ・ワーグナー氏を芸術監督に迎えて、一流のスタッフとアーティストが、ワーグナーの長大な作品をギュッと凝縮したハイライト版を作り上げます。例年完売公演が続出する人気プログラムで、東京・大手町にある銀行のロビー・スペース(!)を舞台に開催されます。遠方の方や外出が難しい方も、ライブ・ストリーミング配信で視聴可能です(3/25, 3/26の2公演)!!
連載『東京春祭 子どものためのワーグナー《ローエングリン》ができるまで』では、他では見られない貴重な制作過程をご紹介しながら、2022年に上演する《ローエングリン》の魅力をたっぷりお届けします。

「東京春祭 for Kids」の人気企画をご紹介!

取材・文:宮本明


 2019年にスタートした東京・春・音楽祭の「子どものためのワーグナー」シリーズ。2020年は残念ながら中止だったので今年でまだ3回目の開催だが、すでに音楽祭の新たな目玉公演となっている。ワーグナーの聖地バイロイト音楽祭との提携公演という「本場もの」。現地では2009年に始まり、バイロイト本公演で上演される7演目を、毎年1作品ずつ上演している。

 タイトルどおり、子どもたち向けの公演。ハイライト版ワーグナーで、小さなワグネリアン、未来のオペラ・ファンを育てようというプロジェクトだ。一方の音楽祭名物であるフルサイズ上演の「東京春祭ワーグナー・シリーズ」(演奏会形式)と演目がリンクしており、今年は両者ともに《ローエングリン》を取り上げる。

2019.3.23《さまよえるオランダ人》2日目 (C)東京・春・音楽祭実行員会/増田雄介

 数時間を要する長大なワーグナーを60~70分程度に圧縮・再構成して上演する「子どものためのワーグナー」。ハイライトながら演出付きの舞台上演というのが大きな特徴で、衣裳、装置、照明が付くのはもちろん、伴奏がオーケストラなのもうれしい。オリジナルより小規模な編成とはいえ、総勢30人ほどのオーケストラが、本格的なワーグナー・サウンドを鳴らしてくれる。

 スコアをダイジェスト的に抜粋しているわけだが、そのつまみ具合が絶妙だ。ストーリーを追うことに終始するのではなく、音楽の美味しいところはきちんと残してある。しかも本家本元の特権というのか、けっこう大胆な手も使っているのが面白い。シリーズ初回2019年の《さまよえるオランダ人》では合唱がいなかったので、女声合唱の〈糸紡ぎの歌〉や男声合唱の〈水夫の合唱〉は、メロディだけを歌手がソロで、しかもほんの一節だけ歌っていた。この「ほんの一節だけ」というのが案外ポイントで、たとえば今回の《ローエングリン》からひとつ例を挙げれば、有名な第3幕の前奏曲は、繰り返し登場する主題は潔く捨ててどんどん進み、演奏時間1分ほどでサクッと終わって、例の結婚行進曲につながる。でも印象としては「ちゃんと聴いた」感が残るのが不思議。ワーグナーのエッセンスだけを巧みにぎゅっと凝縮したようなハイライト版になっているのだ。

2019.3.23《さまよえるオランダ人》2日目 (C)東京・春・音楽祭実行員会/増田雄介

 音楽をカットするぶん、ストーリーは歌手たちのセリフでフォローしている。日本版は、「セリフ=日本語」+「歌唱=ドイツ語(原語)」での上演。字幕はない。はたして日本の子どもたちが理解できるのかという疑問が湧いてくるかもしれない。その問いはたぶん、正しくもあり杞憂でもある。

左:2021.4.4《パルジファル》5日目 (C)東京・春・音楽祭実行員会/増田雄介
右:2021.3.27《パルジファル》1日目 (C)東京・春・音楽祭実行員会/飯田耕治

 もちろん歌っている言葉の意味がすべて理解できればそれに越したことはないだろう。しかしこれまでの公演を観た限りでは、途中で飽きてしまってむずかる子どもはいなかった。必ずしも言葉の理解だけが重要ではなさそうだ。考えてみれば私たち大人も、「だいたいわかる」ぐらいでも楽しめているのだ。幼い子どもには字幕も有効とは言えない。それより、初めて接するオペラ歌手たちの生の声を、しかも特設会場ならではの至近距離で浴びる体験は相当インパクトが大きいようで、食い入るように舞台を見つめる子どもたちのまなざしは可愛く、頼もしい。随所で客席に語りかけたりして、会場に一体感を作っている演出も、集中力を切らさない上手い仕掛けだ。

2021.4.4《パルジファル》5日目 (C)東京・春・音楽祭実行員会/増田雄介

 バイロイトでこのプロジェクトを立ち上げたのは、現バイロイト音楽祭総裁であり作曲家のひ孫である演出家のカタリーナ・ワーグナーだ。トップ直々の肝いり企画。日本版の上演にも、彼女はかなり本気で取り組んでいる。2019年の《オランダ人》で来日した際、子どもたちの反応を誰よりも注意深く見つめていたのがカタリーナ総裁だった。公演ごとに嬉々として帰っていく子どもたちを目にして、ワーグナーの作品の世界観がしっかりと伝わっていることを強く確信したようだ。ある時、報道陣から「日本語訳詞でなければ子どもが理解できないのではないか?」と問われたカタリーナが、「誰がそう言っているの? 子どもたち? それともあなた?」と問い返して記者を沈黙させる一幕もあった。

 「子どものためのワーグナー」ではあるものの、大人が大まじめに楽しめてしまうクオリティ。否、そうでなければ子どもたちだって楽しめまい。制作過程をレポートしながら、今年の《ローエングリン》の見どころを探ってみよう。
(Vol.2につづく)

カタリーナ・ワーグナー
(C)Enrico Nawrath

カタリーナ・ワーグナー(監修/芸術監督)
リヒャルト・ワーグナーの曾孫にあたり、2015年からはバイロイト音楽祭の総監督の地位にある。同音楽祭傘下に置かれたBFメーディエン有限会社の代表取締役も務めている。ベルリン自由大学で舞台芸術学を学び、現在はバイロイトとベルリンに居を構えている。これまでの演出作品には、ヴュルツブルクでの《さまよえるオランダ人》、ブダペストでの《ローエングリン》、ミュンヘン・ゲルトナープラッツ州立劇場の《刀鍛冶》、ベルリンでのプッチーニ「三部作」、マインツでの《蝶々夫人》と《低地》、ブレーメン劇場の《リエンツィ》、カナリア諸島ラス・パルマスでの《タンホイザー》等が挙げられる。07年《ニュルンベルクのマイスタージンガー》が、バイロイト音楽祭への演出デビューとなった。15年にクリスティアン・ティーレマン指揮のバイロイト音楽祭で《トリスタンとイゾルデ》を演出、18年は東京の新国立劇場で《フィデリオ》を演出した。19/20シーズンにはバルセロナのリセウ大劇場で《ローエングリン》を演出予定だったが、このプロダクションは、2022年3月にライプツィヒで世界初演、2025年リセウ劇場での上演が予定されている。
ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンの演出学科・名誉教授。異母姉エファ・ワーグナー=パスキエとともに、10年に「B.Z.」紙より文化賞、12年にバイエルン文化賞を受賞。13年にはブルゲンラント州政府よりブルゲンラント州名誉大勲章が授与された。多数のワーグナー協会の名誉会員でもある。2019年、マルクス・ゼーダー州首相よりバイエルン功労勲章を授与された。
東京・春・音楽祭 2022 公式サイトより)

【Information】
東京春祭 for Kids
子どものためのワーグナー《ローエングリン》(バイロイト音楽祭提携公演)

2022.3/25(金) 19:00
3/26 (土)、3/27(日)、4/2(土)、4/3 (日)各日14:00
三井住友銀行東館ライジング・スクエア1階 アース・ガーデン

●出演
指揮:石坂宏
ローエングリン(テノール):片寄純也
エルザ(ソプラノ):田崎尚美
テルラムント(バリトン):友清崇
オルトルート(メゾ・ソプラノ):金子美香
ハインリヒ王(バス):斉木健詞
管弦楽:東京春祭オーケストラ
児童合唱:杉並児童合唱団
児童合唱指導:津嶋麻子、海野美栄
監修/芸術監督:カタリーナ・ワーグナー
照明:ピーター・ユネス
演出助手:ヘンドリク・アーンス
●曲目
ワーグナー:歌劇《ローエングリン》(抜粋)
※台詞部分は日本語、歌唱部分はドイツ語での上演です。
●料金(税込)
子ども¥2,500 保護者¥3,500
ライブ・ストリーミング配信¥1,100(3/25, 3/26)

【来場チケット販売窓口】
●東京・春・音楽祭オンライン・チケットサービス(web。要会員登録(無料))
https://www.tokyo-harusai.com/ticket_general/
●東京文化会館チケットサービス(電話・窓口)
TEL:03-5685-0650(オペレーター)