ウィーン在住のバスバリトン 平野和が語る
混沌の時代に響く「7つの封印の書」

平野和

取材・文:宮本 明

 フランツ・シュミットという作曲家は、たとえば後期ロマン派だとか、そういう音楽史の枠組みに当てはめようとしても、どこにもすっきりと収まらないように感じます。
 ピアニストである私の妻が数年前、あるウィーンの合唱団のリハーサルでこの「7つの封印の書」を弾いた際、「なぜこんな書き方をするのか」と驚くほど譜面が読みづらかったそうです。よく分析してみると、フラットが多用されている部分をシャープで処理すれば構造はシンプルだったり。あえてそうした書き方をしていないように見える箇所が多いのだと言っていました。複雑な作品ですよね。

 私の師匠であるバス歌手のロベルト・ホルは、この作品の「神の声」を何度も歌っており、彼の代表的なレパートリーのひとつといえます。
 こんな逸話を話してくれました。ある時、指揮者のニコラウス・アーノンクールが彼のところに来て、「君にぴったりの役がある。上演機会が少ないのでたぶん知らないと思うけど、『7つの封印の書』という曲の神の声だ」と勧めたのだそうです。でもその時点で、彼はすでに50回も歌った経験があった。アーノンクールは「どこでそんなに上演したんだ?」と驚いていたそうです。しかしウィーンでも、最近は3、4年に一度は演奏されている印象です。

 じつは私自身も、この作品は自分の声に絶対に合うと直感して、演奏の予定があったわけではないのですが、ホル先生にレッスンしてもらいました。
 レッスンで繰り返し言われたのは言葉を大切にするということです。「キリスト教の神は、必ず言葉で示す」とおっしゃっていました。ヨハネによる福音書の冒頭に「初めに言があった」とあるとおり、言葉そのものが神である。その言葉の持つ力を、ホル先生は徹底的に大切にされていました。
 「神の声」も、ただドラマティックに叫ぶのではなく、倍音を豊かに響かせ、丸みの中にも芯がある声を作らなければなりません。そうした響きは、ウィーン楽友協会や教会のような豊かな残響空間では、とりわけ生きてくると思います。なにより、“きれい”なバスの声でなければならない。理想的なイメージは、《魔笛》のザラストロや、《パルジファル》のグルネマンツ、《ローエングリン》のハインリヒのような、慈悲深く、かつ全能感のある声でなければならないと私は考えています。東京交響楽団の公演で「神の声」を歌うフランツ・ヨゼフ・ゼーリヒ氏は、温かみのある素晴らしい声の持ち主です。

 この作品は『ヨハネの黙示録』を題材にしており、地震や災厄などの情景描写がとても鮮やかです。友人のテノールのライナー・トロストさんは、標題音楽に近い作品なんじゃないかと言っています。彼もこの曲で何度かヨハネを歌っているのですが、バッハの受難曲のように、人間的な感情を前面に出すのではなく、事実を淡々と語ることが重要だと言っていました。

 フランツ・シュミットはナチス党員でもなかったしナチに加担したわけでもないのですが、長いあいだナチ寄りの作曲家と位置づけられて、低く評価されてきたところがあると思います。しかし、この壮大なテーマを選び、破滅の後に新しい秩序が到来することを描いたこの曲には、むしろ戦争の否定と、平和の希望という強いメッセージを感じます。私たちが直面している混沌とした状況は、この曲が描く世紀末的な光景と驚くほど重なります。かつては「ベタな賛美」に聞こえたかもしれない終曲のハレルヤ・コーラスも、今の時代だからこそ、一周まわって、より切実で強いメッセージとして私たちの心に響くはずです。

 この「7つの封印の書」が、同じ月に日本の異なるオーケストラで演奏されるというのは、一音楽ファンとして驚きですし、素晴らしい機会だと思います。私自身は一人のクリスチャンとして、この聖書のテキストを読むだけでも心が揺さぶられますし、音楽と照らし合わせて、その深遠さに深く感動します。しかし、あまり宗教曲だと身構えすぎず、その圧倒的な絵画的世界観をそのまま受け止めてみてください。災厄を乗り越えた先に響く心からの賛美が、今の時代にふさわしい希望として届くことを願っています。

N響100年特別企画|フランツ・シュミット《オラトリオ「7つの封印の書」》
2026年9月定期公演Aプログラム(第2069回)
2026.9/12(土)18:00、9/13(日)14:00 NHKホール

出演
指揮:ファビオ・ルイージ
ヨハネ(テノール):ミヒャエル・ラウレンツ
神の声(バス):ダーヴィト・シュテフェンス
ソプラノ:迫田美帆
メゾ・ソプラノ:藤井麻美
テノール:伊藤達人
バス:加藤宏隆
オルガン:新山恵理
合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:冨平恭平

問:N響ガイド 0570-02-9502
https://www.nhkso.or.jp

《東京交響楽団創立80周年記念》シュミット:オラトリオ「7つの封印の書」
第745回 定期演奏会

2026.9/19(土)18:00 サントリーホール
問:TOKYO SYMPHONY チケットセンター044-520-1511
https://tokyosymphony.jp

ミューザ川崎シンフォニーホール×東京交響楽団×ロレンツォ・ヴィオッティ
フランツ・シュミット:オラトリオ「7つの封印の書」

2026.9/21(月・祝)14:00 ミューザ川崎シンフォニーホール
問:ミューザ川崎シンフォニーホール044-520-0200

https://www.kawasaki-sym-hall.jp/7siegeln/

出演
指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
テノール(ヨハネ):マキシミリアン・シュミット
バス(神の声):フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ
ソプラノ:クリスティーナ・ランツハマー
メゾソプラノ:カトリオーナ・モリソン
テノール:パトリック・グラール
バスバリトン:クレシミル・ストラジャナッツ
オルガン:大木麻理
合唱:東響コーラス
合唱指揮:冨平恭平