ポーランド国立フリデリク・ショパン研究所(NIFC)が主催する恒例の「ショパンと彼のヨーロッパ」国際音楽祭 International Chopin and his Europe Music Festival が、8月23日から9月6日までワルシャワで開催された。ピアノを中心に、オーケストラや室内楽、歴史的楽器による演奏まで、多彩なプログラムが組まれるこの音楽祭。ショパンコンクールで活躍した若手が数多く登場するのは例年通りだが、今年はミハイル・プレトニョフのリサイタルに加え、アンドラーシュ・シフがショパンを演奏する特別な公演も実現した。ショパン研究でも知られる多田純一さん(音楽学)に、現地で聴いた公演の様子をレポートしてもらった。

すっかりワルシャワの夏の風物詩となった「ショパンと彼のヨーロッパ」国際音楽祭。今年も、バカンスシーズンで観光客に賑わう街を舞台に、第22回が開催された。

今回は音楽祭全体を貫くテーマこそ設定されていないものの、全16公演のプログラムからはショパンコンクールが強く意識されていることがうかがえる。演奏会数は例年より若干少ない一方、オーケストラ公演が充実しており、カナダ、アメリカ、ヨーロッパを代表する楽団が参加。特別感のあるプログラムとなっていた。筆者は8月23日から29日までワルシャワに滞在し、計7公演を聴いた。その中から主な公演の様子を紹介したい。
8月23日に音楽祭のオープニングを務めたのは、ショパンコンクール第2位入賞のケヴィン・チェン。カナダのモントリオール交響楽団との共演で、ショパンのピアノ協奏曲第2番を披露した。この日のプログラムは、ポーランドの作曲家・指揮者クシシュトフ・ペンデレツキの交響曲第1番、ショパンのピアノ協奏曲第2番、ショスタコーヴィチの交響曲第10番という重量感のある内容である。指揮は、昨年N響定期にも客演したラファエル・パヤーレ。

本人に直接尋ねたところ、ケヴィンがピアノ協奏曲第2番を演奏するのは今回が2度目で、2週間前にカナダで弾いたばかりだという。モントリオール交響楽団とは、以前モーツァルトのピアノ協奏曲で共演している。
ケヴィンは瑞々しいタッチでピアノ協奏曲第2番を弾き終えると、アンコールにショパンの愛らしい小品「春」を披露した。コンポーザー・ピアニストでもある彼自身の編曲によるもので、美しくもどこか寂しげなこの歌曲を、はかなく散りゆく桜を思わせる音楽へと生まれ変わらせていた。このアンコールだけでも十分に聴き応えがあり、続くショスタコーヴィチの交響曲第10番における深い翳りを帯びた響きが、いっそう印象深く聴こえた。

フェスティバル2日目の24日には、ショパンコンクール第1位のエリック・ルーが登場。会場には同門のケイト・リウも姿を見せた。ケヴィンと同じくモントリオール交響楽団との共演で、この日も充実したプログラムが組まれていた。冒頭はドビュッシーの「喜びの島」の管弦楽版。この作品をピアノ独奏以外で聴く機会は珍しい。イタリアの指揮者・作曲家ベルナルディーノ・モリナーリが、ドビュッシー自身の指示に基づいて編曲したものである。ピアノ独奏とは異なるダイナミズムが心地よく、とりわけ歓喜の主題が頂点に達する場面では、オーケストラならではのスケールが感じられた。機会があれば、ぜひ聴いていただきたい1曲である。続いてショパンのピアノ協奏曲第1番。「もしショパンコンクールでこちらを選んでいたとしても優勝したであろう」と思わせるほどに隙なく完璧であった。常に明瞭で繊細な音で全楽章が奏でられた。そして、アンコールにはショパンの前奏曲 op.28-15「雨だれ」を。聴衆は大きな拍手とスタンディング・オベーションで応えた。最後に、管弦楽法の華麗さが際立つリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が演奏された。モントリオール交響楽団は2日間で素晴らしい仕事を成し遂げたと言えよう。

フェスティバルの冒頭にこの2人を並べることができるのは、ショパンコンクールが開催されるワルシャワという場所ならではだろう。しかも、それぞれがコンクールのファイナルでは演奏しなかったほうのピアノ協奏曲を選んでいるところにも、主催者の粋な趣向が感じられた。ケヴィンとエリックへの注目度は非常に高く、チケットは発売後早々に完売。両日ともホール入口のチケット売り場には、2人を一目見ようと当日券を求める聴衆の長い列ができていた。終演後のサイン会にも多くの人が並び、ショパンコンクール入賞者への高い関心をあらためて感じさせた。

エリックが登場した24日の昼には、ショパン音楽大学で記者会見が開かれた。そこで、来年にはショパンコンクール創設100周年とフランス・ポーランド間の国交樹立200周年を記念する大規模なプロジェクトが、両国の協力によって実施される予定であることも発表された。現在準備が進められているという。詳細の発表が待ち遠しい。
若手だけでなく、大御所では、8月25日にアンドラーシュ・シフがリサイタルを開催し、若きピアニストたちの目指す先を描いてみせた。シフのリサイタルは事前にプログラムを発表せず、演目は当日まで明かさないスタイル。本人による解説を交えながら、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」からアリア、フランス組曲第5番、モーツァルトのアイネ・クライネ・ジーグ、幻想曲 ハ短調、ピアノ・ソナタ ヘ長調 K.533、バッハのイタリア協奏曲などを演奏した。

後半では、ショパンが最後に所有し、現在はショパン博物館に所蔵されているプレイエルが使用された。この楽器が博物館から運び出され、演奏会で使用されることはきわめて稀だという。そのプレイエルでシフは、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番と、ショパンの24の前奏曲全曲を演奏。さらにアンコールでは、ショパンのマズルカ、ワルツ、ノクターンなど計5曲を披露したが、いずれも、極めて美しく内省的で、ショパンが求めたであろう静けさを感じさせる演奏だった。客席からは惜しみない拍手とスタンディング・オベーションが送られ、日頃シフがショパンを弾くことはほとんどないこともあり、この音楽祭ならではの特別な一夜となった。
8月26日には、第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールの覇者トマシュ・リッテルが登場。古楽アンサンブル「{oh!} オルキェストラ・ヒストリチナ」と共演し、ポーランドの作曲家フェリクス・ヤニェヴィチのヴァイオリン協奏曲第5番のピアノと管弦楽のための編曲版などを取り上げた。古典派らしい端正さのなかに、初期ロマン派を思わせるカンタービレと陰影をのぞかせる作品で、名ヴァイオリニストだったヤニェヴィチの華やかな技巧性をフォルテピアノで表情豊かに聴かせてくれた。

8月28日には、マルティン・ガルシア・ガルシアが、高度な技巧と古楽器演奏への深い造詣で知られるフランスのアルメニア系ヴァイオリニスト、シュシャーヌ・シラノシアンと共演。ブラームスのヴァイオリン・ソナタなどを演奏した。ともにソリストとして国際的に高く評価される2人だが、互いに張り合うというより、終始息の合ったアンサンブルを聴かせた。なかでもフランクのヴァイオリン・ソナタは、高い集中力と熱量で聴衆を圧倒した。単独リサイタルでもチケットを完売させるような人気ピアニストが、こうした室内楽にも参加する。それも、この音楽祭の大きな魅力のひとつである。

筆者の滞在後も音楽祭は続き、8月29日にはブルース・リウがラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」に登場。31日にはルーカス・ゲニューシャスとアンナ・ゲニューシェネ夫妻によるデュオ・リサイタルが行われ、ドビュッシー、ラヴェル、ガーシュウィンの作品が並んだ。9月に入ってからも、ズートン・ワンとヴィンセント・オンのリサイタル、テンヤオ・リューとポーランド国立放送交響楽団によるショパンのピアノ協奏曲第1番など、ショパンコンクールで注目を集めた演奏家たちの公演が続いた。音楽祭全体を見渡すと、主要入賞者が顔を揃えた豪華なラインナップとなっている。日本勢では桑原志織がプログラムに含まれなかったのが惜しまれる。直前のドゥシニキ音楽祭に出演していたこともあり、予定が合わなかったのだろう。


9月4日には、ミハイル・プレトニョフがバッハ作品を中心としたリサイタルを開催。筆者は配信でその演奏を確認した。プレトニョフはモダン・ピアノを使用し、アンコールではショパンのノクターン op.9-2を演奏。音価を自在に伸縮させ、左手の和音をアルペジオに崩すなど、即興性に富んだ表現を聴かせた。若い世代とはまた異なる、長い演奏経験に裏打ちされた自在な音楽であった。

9月6日のフィナーレには当初、ヴァイオリニストのキム・ボムソリが出演する予定だったが、9月に入ってキャンセルが発表され、代役としてアガタ・シムチェフスカが登場することとなった。この公演をもって約2週間にわたる音楽祭は閉幕。ワルシャワにはすでに、夏の終わりと黄金の秋の訪れを感じさせる気配が漂っている頃だろう。
取材・文:多田純一
写真:W. Grzędziński/NIFC
International Chopin and His Europe Festival
https://festiwal.nifc.pl/en

多田純一 Junichi Tada
2012年3月、大阪芸術大学大学院芸術研究科博士後期課程修了。博士号(芸術文化学)を
取得。音楽学を芹澤尚子氏に、ピアノを藤井美津子、安部ありか、前田則子の各氏に師事
。アンジェイ・ヤシンスキ氏の公開レッスンを受講。これまでに著書『日本人とショパン
-洋楽導入期のピアノ音楽-』(アルテスパブリッシング)『澤田柳吉 日本初のショパン
弾き』を出版。講演やレクチャーコンサートを行っている。
現在、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター客員研究員。
