高坂はる香のワルシャワ現地レポート 第12回
※結果発表の前に行ったインタビューと、結果発表後の合同インタビューです。
取材・文:高坂はる香
[結果発表前]
──ショパンと集中して向き合ったこの10年以上の旅を振り返って、いかがですか?
とても複雑な話になりますね。これは私が大人として過ごした人生のすべてといえるようなものですから。ここ10年で多くのことが変わりました。2018年のリーズ(優勝)の後に本格的にキャリアをスタートさせて、多くのコンサートを経験した身だからこそ、この状況を乗り越えられたと思います。

ただもちろん、この10年ショパンばかり弾いていたわけではありません。シューベルト、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、またロシアの作曲家やバロックなど、あらゆるスタイルの作品に向き合ってきました。それでもショパンの音楽は常に私の中にあって、リサイタルでは必ず少なくとも1曲取り入れてきました。
今回このコンクールで演奏した多くの曲、特に二つのソナタは、この数年間コンサートで弾いてきた作品です。その他いくつかの曲はこのコンクールのために新たに学んだもので、一番新しいのは、この1月に勉強したエチュードですね。
ショパンを何も演奏しなかった年は、1回だけあったかな、という感じです。音楽家は一つのことにとらわれていたら活動できませんし、健全でもありません。いつも新たな挑戦に足を踏み出すべきです。私の10年間の成長は、単にショパンとの関係にとどまらず、人生経験や舞台経験、いろいろな感情を理解する経験が相まって実現したものです。
──特に序盤のラウンドはとても美しくて暗く孤独感があり、でもかすかな幸せが混じったものが感じられました。この少し暗さを帯びた雰囲気こそが、ショパンに対するあなたの理解だったのでしょうか?
それぞれの曲が求めるものを、自分の感覚で捉えて演奏しているわけですが、確かに特に2次のプログラムは、全部非常に暗かったですね。
嬰ヘ短調のポロネーズは執拗なまでにドラマティックな場面が続き、悲劇的な結末を迎えます。そこから課題の前奏曲を6曲演奏したあと、ソナタ2番の前に少し休憩が必要だと思ったので、何度も演奏している嬰ハ短調のワルツをはさみました。しかしこのワルツも感情的に軽いものではなく、ノスタルジックで独特の雰囲気があります。
葬送ソナタは長年演奏していて、最近は作品のキャラクターを心地よく感じるところまで辿り着きました。最初の2つの楽章は劇的で過酷であり、絶望的な場面が多く訪れますが、それでも情熱的で美しいのです。続く楽章の葬送行進曲でショパンは、この世のものではないかのような瞬間を生み出しました。彼の心はまったく別世界へ…夜の闇の中なのか、心を苦しめる何かの中なのか、どこか別のところにあるようです。私は遠い遠いところからゆっくりと少しずつ近づいてくる葬列を思い浮かべていました。中間部は非常に美しく繊細で、後悔に満ち、何かから離れたくないという悲しみにあふれています。そして再び葬送のセクションに戻るとき、私はさらに大きなクレッシェンドをかけ、この音楽の絶対的な力を示そうと思いました。
第4楽章はもはやクレイジーといえる音楽です。このようなものを書くことで、ショパンはこの作品の本質を示そうとしたのだと思います。
このように、それぞれのラウンドでそれぞれの作品の性格に丁寧に向き合っていきました。

──そういう感情的な雰囲気に入り込むのは大変そうですね。
確かに簡単ではありません。でも、やるしかないのです。それが私の作品への向き合い方なので。ショパンの音楽は、触れていると心の奥深くで強く何かを感じるので、ステージでその世界に入り込むことは難しくありません。逆にそうして音楽に入り込むことこそが、強いプレッシャーによる恐怖や不安を忘れるための唯一の方法でもあるんです。
──ピアニストとして生きることには、とても幸せな瞬間もたくさんあるでしょうけれど、時には非常に辛く困難なこともあるのではないかと思います。特に今回のショパンコンクールへの再挑戦の様子などを観ているとそれを感じずにいられませんでしたが、それでもピアニストの道を選んでいるのはなぜでしょうか。
なぜかと問われれば、正直時々わからないこともあります。実は自分でも何度もその問いを自分に投げかけてきました。それでまず言えるのは、ピアニストでなければ他に何をすればいいのかわからないからなのですが(笑)、あとは結局のところ、どんな苦労があっても、私は音楽が何よりも好きだからということです。
時々良い演奏ができた時は特別な感情がもたらされ、その瞬間は人生でかけがえのないものです。これが私を動かし続けていると思います。
──ところで椅子なんですが、ステージごとに違うものを選んでいて、ファイナルではソロとコンチェルトでも椅子を変えていました。いろいろ座ってみて選んだのですか?
レパートリーによって決めています! 1次は普通の椅子、2次と3次はベンチ、ファイナルの幻想ポロネーズは普通の椅子、コンチェルトはベンチで演奏しました。作品がいわゆるテクニカルなものでないときは、普通の椅子に座って演奏する方が快適に感じるんです。テクニカルというのは、音数が多かったり、ドラマティックな表現をするためにパワーが必要な作品という意味で。
自宅で練習する時もいつも普通の椅子に座っています。腕を動かす上での自由を感じ、楽に重みをかけられるのが好きなんです。

──5台のピアノからファツィオリを選ばれた理由は?
ファツィオリは、おそらくすぐに慣れることができるタイプの楽器ではないかもしれないけど、私の場合はこれまでよく演奏する機会があったので、上手く扱うための準備ができていたと思います。このホールで弾いて、音の響きが非常に豊かで独特の輝きと艶があり、素晴らしいピアニッシモが表現できると感じました。
私は長年ここで演奏してきたこと、そしてなによりここで演奏を聴いてきたことから、舞台上とバルコニーで聴こえる音がまったく違うと感じていました。特に協奏曲ではオーケストラの音が非常に大きく響くことが多いため、ピアノの音が聴こえづらかったり、はっきりせずアーティキュレーションが十分に感じられないことが起きがちです。
でもファツィオリは、音の輝き、明瞭さが素晴らしく、さまざまなタッチやペダリングで多彩な音色を引き出せると感じたので、安心できると選びました。
でも、他のピアノもどれも素晴らしかったし、決めるのは簡単ではありませんでした。5台のピアノは5人の別の人のようで、それぞれに長所があり、特徴も異なるため、良し悪しで判断したのではなく、個々の性格の違いに着目しました。
[結果発表後 合同インタビュー]
──みんなから聞かれていると思いますが、なぜショパンコンクールに戻ってくることを決めたのですか?
とても複雑な考えの末に決断しましたが、なによりも、ショパンコンクールは世界で最も重要なコンクールだと感じているということがあります。特に近年はますます盛り上がっていますから、これほど世界中の多くの聴衆のために演奏ができるプラットフォームは他にないと思い、受けることに決めました。
もちろん、とても怖いし大きなストレスを感じることにもなります。でも心のどこかに「人生は一度きりだ」という想い、自分のために成し遂げてみたいという野望と挑戦心がありました。
それに他のコンクールと違って、いつも私のレパートリーの一部であり続けたショパンが課題ですから、自然な流れで挑戦を決意しました。
あとは、10年前のショパンコンクールへの挑戦が、自分には少し早すぎたと感じていたこともあります。当時の私は17歳で、何も知らず、経験もなく、無邪気でした。もちろんその時の演奏にも誇りを持っていますが、あくまで当時の自分の姿を表した演奏です。振り返って、私の大人としての人生経験はこの10年の間に詰まっていたと気づいたとき、自分の新しい一面を世界に示したいと思いました。
これで世界中でコンサートをする機会が増えることにつながれば、という期待ももちろんありました。

──以前の第4位入賞以来でこのコンクールに戻るのですから、リスクがあったと感じていましたか?
もちろん感じていました。すでにキャリアも積み始めていますし、マネージャーもいますから、もし失敗してしまったら、その一部を失うかもしれないとは思っていました。それが最大のリスクでした。
──プレッシャーにも打ち勝たなくてはならなかったと思いますが、どんな気持ちを抱えて過ごしていましたか?
本当にものすごいプレッシャーでしたね! 来る前から予測していましたけれど、実際にここに来て感じているほどのストレスに対応する心の準備など、できるはずもないという感じでした! 自信も持てませんでしたし、次に何が起きるのだろうという不安、ひどい演奏をしてしまったら、自分を恥じるようなことになったらと思うと恐ろしかったです。
特に終盤はストレスが大きすぎて、レストランで食事をする気にもなれず、両親が練習場所まで食べ物を持ってきてくれたほどです。3週間、一度も笑顔を見せる瞬間がなかったのではないかと思います(笑)。

──体調不良で演奏が延期となったラウンドがありましたが、演奏に影響はありましたか?
私はこれまで出場した3つの主要なコンクールのすべてで体調を崩しているんです…だから、今回もただ耐えて力を振り絞って最後までやり抜くしかありませんでした。
──2番の協奏曲で優勝したのはダン・タイ・ソン以来です。どう感じていますか?
とても嬉しいです。前回は1番を演奏したため少し変化を加えたかったのと、この曲はファイナルであまり選ばれないので、審査員や聴衆に新鮮な印象を与えられると思って選びました。優勝するには長いほうの1番を演奏しないといけないわけではない、と示すことができて、よかったです(笑)。

──親しい友人で前回の入賞者の小林愛実さんと反田恭平さんが来て応援してくれていましたね。エリックさんのことをすごく心配しているようでしたが、反応はいかがでしたか?
はい、ずっと私のそばで支えてくれる存在でした。確か1年ほど前、彼らにこのコンクールに再挑戦しようと思うと話したらとてもショックを受けていて、二人とも、「もし自分だったら受けない」と言っていました(笑)。でも、彼らはファイナルを聴きにワルシャワに来て、私を支えてくれました。結果発表の瞬間はたくさんの報道陣に囲まれていたので二人の反応を見ることができませんでしたが、後で会うことができたときにはハグをして祝ってくれました。
──受賞したこの賞を誰に捧げたいですか?
両親ですね。彼らは私のここまでの道のりをずっと見守ってくれていましたし、今回は仕事を休んでワルシャワに来て、精神的に支え、そして食事を運ぶというもサポートしてくれました。同時に私に無理なプレッシャーをかけることはなく、これが本当にありがたいことでしたね。
Chopin Competition
https://www.chopincompetition.pl/en
【Information】
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール2025 優勝者リサイタル
2025.12/15(月)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
2025.12/16(火)19:00 東京芸術劇場 コンサートホール
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール 2025 入賞者ガラ・コンサート
2026.1/27(火)、1/28(水)18:00 東京芸術劇場 コンサートホール
2026.1/31(土)13:30 愛知県芸術劇場 コンサートホール
出演
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール入賞者(複数名)、アンドレイ・ボレイコ(指揮)、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
他公演
2026.1/22(木) 熊本県立劇場 コンサートホール(096-363-2233)
2026.1/23(金) 福岡シンフォニーホール(092-725-9112)
2026.1/24(土)大阪/ザ・シンフォニーホール(ABCチケットインフォメーション06-6453-6000)
2026.1/25(日) 京都コンサートホール(ABCチケットインフォメーション06-6453-6000)
2026.1/29(木) ミューザ川崎シンフォニーホール(神奈川芸術協会045-453-5080)


高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/

